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No.249 秋のオードブルプレート

 もう数日で中秋の名月を迎える、そんな事を思っていたら、この食べきりサイズの小さいカマンベールチーズが満月のように見えて来た。それを思い付いたらこのシンプルな漆の器に秋の風景を盛り合わせてみたくなった。

小さいカマンベールを満月として、アスパラガスをすすきに、オクラを枯れ草のように見立てたら風景になりそうだ。大好きな無花果に生ハムを乗せ、きのこのマリネも添えた。

 急に秋めいて来て、月は日に日に三日月から半月、そして段々に満月に近づいているけれど、月の見える位置もどんどん変わって行く。気がつくと数日前とは随分変わっている。私達の居る地球も、月も動いているのは理解しているけれど、動く物の上に居る実感は無い。

少し前に、アインシュタインの理論を説明して教えてくれる番組があった。宇宙の仕組みをとても簡単に、分かりやすく説明してくれているのだけれど、少し解ったかと思う次にはまた全く理解不能。結局、私の理解は到底及ばずとても難解だと言う事実が解っただけだった。今も膨張し続けているという宇宙の事を、月を見上げながら想像している。

 溜塗りの盆は作者不明。時代は昭和で、古いものではないけれど透ける漆塗りの下に木地の木目が浮き出す。花弁の形も、縁の薄い作りもとても美しい。この澄んだ秋の夜空のような丸い見込みに、秋の気分を盛り込んで楽しい時間を過ごした。

器 溜塗り 輪花丸盆  径27cm 高3,5cm

作 不明

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No.248 落ち鱧の梅肉添え

 夏の幸、鱧は6〜7月の初夏と、9〜11月の2回、旬を迎えるらしい。鮎と一緒で、産卵前と産卵後。秋の鱧は産卵後の旺盛な食欲で太って脂が乗り、金色を帯びるため “落ち鱧” “名残鱧” と共に “金鱧(きんも)” とも呼ばれるそうだ。

湯引きした鱧には、そろそろ試してみようと思っていた今年の梅干で梅肉ソースを作った。我が家の裏庭の梅に実った梅で漬けた自家製の梅干だ。出来立ての梅干は酸っぱくてすっきり、まだ角が立った塩味を感じるけれど、赤紫蘇の色が鮮やか。綺麗な色のソースが出来た。

 菊の花弁を模ったお皿は御菩薩(みぞろ)焼き。あの、野々村 仁清 が開いた窯との説が有る。御菩薩焼は、京都北区の御菩薩村(深泥池付近)で焼かれた京焼で、仁清が安政年間に開窯した。しかし、仁清の門人の陶工、あるいはまた別の陶工が開窯した、という説もあり、御菩薩焼の開祖が仁清かどうかはまだ判っていないらしい。

しかしこの皿、繊細な造形や色艶、上品な佇まいには仁清の雰囲気を感じる。誰が興した窯か定かでなくても、仁清に由来しているのではないか、と想像させる。薄く精巧に作られた花弁は、さすがに壊れやすいようで、5枚組の皿の内でどれも一箇所、二箇所、銀で直しが施されている。花弁には鉄薬で輪郭と筋が入れられ、その筋に沿って呉須の青が見え隠れする。焼き加減で殆ど青の見えない物も有るが、その呉須の色味が加わるだけで格段に洗練された趣が増す。

 箱書は、江戸時代末期から明治にかけて活躍した京焼の陶工、泥中庵 蔵六(真清水 蔵六 1822(文政5年)〜1877(明治10年)が書いていて表には “御菩薩焼 向附 五客” と有り、蓋裏には御菩薩村の風景が描かれている。この皿が焼かれた時代は定かでないが、蔵六の箱書きを考えると江戸時代末期よりは前、と考えられる。長い年月、大事にされて来た菊の花の皿を目の前に、近づく秋を味わった。

器 御菩薩焼 向附五客 径 14,5cm 高 4cm

作 不明

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No.247 ダークチェリーのデニッシュ

 日本に初めてデニッシュパンを紹介し、今でも提供し続けているパン屋さん ANDERSEN のダークチェリー。長い間お店を代表する人気らしいが、我が家でも一番人気のデニッシュだ。食事用のパンを買うために訪れても、ついつい買ってしまう。

ANDERSENは、1967年に広島市本通りに本店が開店した。本店の建物は1925 (大正14年) に、三井銀行広島支店として建てられ、その後の合併により、終戦時には 帝国銀行広島支店となっていた。原爆投下の爆心地から370mに位置する。当時、屋根は抜け落ち、爆心地側の壁も崩れていたそうだ。その後、1948年創業の “タカキのパン” というパン屋をやっていた 高木 俊介氏 が1967年、ここに ANDERSEN を開業する。デンマークで食べたデニッシュに感動し、日本でこのパンを売りたい、と製造技術を研究し、このビルを改修して ANDERSEN が誕生した。原爆の遺構として残されて来たビルのひとつなので、その後も改修を重ねて来たが、崩壊の危険性を考え2015年頃、大規模な改修、建替え工事に取り掛かった。本通りのこの本店を閉めて仮店舗営業となった。遺構を残すため、通常の建替えとは違い長い期間かかって2020年、やっと今の新本店が復活した。

今年の春、店を訪れた時にこのオリジナルのパン柄プリントを見つけた。見覚えのある ANDERSEN のパンが描かれていてひと目惚れ。家に帰って長年貯めて来たシールをかき集め、エコバッグとナフキンを手に入れた。

 白いお皿は WEDGWOOD (ウェッジウッド)。欧米の白い磁器も、国やメーカーによって色や風合いが異なる。WEDGWOOD  の白磁はアイボリーがかった温かみのある色で、釉薬が少し厚く掛かったような、しっとりした落ち着きがある。絵柄も彫刻も無い、潔いシンプルさにも好感を感じる。現在は廃盤となっていて、デザイン名は調べっれなかった。揃いのティーカップで、紅茶と共に大好きなダークチェリーを味わった。

器 Bone China パン皿 径18cm 高1,5cm

作 WEDGWOOD (ENGLAND)

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No.246 秋刀魚と大葉のロール巻きフライ

 昨年とはうって変わって、今年は魚屋やスーパーに秋刀魚が大量に並んでいる。全体にサイズは小さめだ。これだけ量が有ると、塩焼きで秋の風情を、とばかりは言っていられないようで、量を捌くために売り方も工夫されている。頭とお腹を取ったものや、開いて中骨を外してある物。買い手の手間を省き、料理のバリエーションが広がるように、と売る側の努力が伝わる。普段は見かけない生で開きになった秋刀魚を見て、大葉を巻き込んでフライにしたら美味しそうだと思いついた。

ロールしてフライにするのは面倒だけれど、魚は開いて中骨も外してあるからその分の手間は省ける。とは言え半身の真ん中にある骨は骨抜きで丁寧に外す。塩胡椒と少しの小麦粉をはたいて、中の大葉と秋刀魚の身が馴染むようにして巻き込む。粉、卵、パン粉を付けてゆっくり揚げる。そのままの姿で料理した塩焼きだと食べる時に骨を取りながらだけれど、ここまで加工すると骨が無いので食べやすい。脂の乗った秋刀魚は大葉の風味でさっぱり。レモンを絞ってぱくぱく、あっという間に平らげた。野菜もフライにすると中が蒸された状態になって美味しい。ついでに買ってあった生椎茸も揚げて盛り合わせた。

 皿にしては見込みが丸味を帯びて深くなっている。呉須で、吹墨を使って絵柄を魅力的に見せている。この皿は初期伊万里の写しで時代も作者も不明だ。初期伊万里は “生掛けで 1/3 高台” がお約束なのだそうだ。生掛け、とは土を成形して素焼きをせずに絵付けをする事。裏の高台は皿の直径の 1/3 の大きさで、普通の皿に比べると小さい。支える土台が小さい分、皿は縁に向けて高さを出し、重さによるダレを防いでいるのだろう。だから見込みが深い。なるほど、この皿を成立させるための深さや形なのだと納得する。この皿の見本となった初期伊万里も元々は古染を倣ったものだろう。強度も厚さも扱いやすいこの皿は、普段使いに楽しめる。でも、この元となった初期伊万里、その前の古染付け。叶う望みとは思えないけれど、3枚を並べて眺めて見たいものだ。

器 初期伊万里写 吹墨皿  径21,5cm 高4,5cm

作 不明

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No.245 味噌汁

 長い夏の暑さで身体が疲れた頃、やっと近づく秋の気配。気温が30度を下回ると急な涼しさに戸惑う。こんな時期には胃にも優しい野菜具沢山の味噌汁が食べたくなる。蕪やキャベツ、人参、玉葱、小松菜、そして南瓜が優しい甘みを加える。大きな椀にたっぷり注いだ。

 この椀は、四つ椀で組んでいる中の一番大きい飯椀。むさしの漆工芸の “なかにし 正” 作。作成年月は明記が無いが、昭和の後半と思われる。箱に入っている略歴によると、なかにし 正 は、東京都杉並区で制作活動をしていたが、岩手県岩手郡滝沢村に漆園があり、そこで漆を収穫して作品を作っていたようだ。詳しい情報は見つけられなかったのだが、岩手県の浄法寺漆の復興にも尽力されたそうだ。作品にはファンも多かったが、比較的若くして急に亡くなり、跡を継ぐ人が無く途絶えたらしい。

 四つ椀は我が家に来た時、傷も色焼けのあともなく綺麗な状態だった。薄い作りの木地にキリッと黒漆が載って、とてもすっきりした美しい椀だ。四つ椀を食卓で揃いで使う事は無いけれどその時その時、盛る料理で大きさを使い分けている。真塗りの器は潔く、何を盛っても受け止めてくれる。

器 利久型 小丸椀  四つ椀揃の中の飯椀 径13cm 高7cm

作 むさしの漆工芸 なかにし 正

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No.244 冷奴

 新生姜を買って来た。今年初めてで、旬が終わる前に数種類の保存食に加工しておかなくては、と思い出した。新生姜でいつも作るのは紅生姜。梅干しを漬けた副産物の赤紫蘇入り梅酢に漬けておく。ちらし寿司や焼きそばなどに少し飾ると味はもちろん、彩りにもなる。ジンジャエール用のシロップや、甘酢漬けを作る事もある。

生姜を洗って準備しているうちに、佃煮風に炊いてみたら美味しそう、と思い付いた。ご飯に混ぜても良いし焼いた肉や魚にも合いそうだ。生姜はみじん切りにして味付けは酒、砂糖、醤油とみりん。刻んでから軽く水で洗ったので辛味もえぐみも少なくて、思った通り美味しい佃煮が出来た。ご飯にこの佃煮と、蕪の葉と茎を刻んで軽く味つけた副菜を掛けて食べたらとても美味しい。きっと、おろし生姜が定番の冷奴にも合うはず、と思って試したら、こちらも大正解。生姜を煮詰めた時に汁を少し残していたのでその汁ごと載せて青葱を散らした。

 長かった暑い日の名残りにと思って久しぶりにこの切り子の小皿を使った。ダイヤ型の鋭い凹凸が外面を覆い尽くす。立ち上がった皿の淵にも鋭く尖った山型の突起。持つと手に痛いほど深く、鋭く尖っている。元は20枚の揃いだったようで箱は大きいが、壊れたり散逸したのだろう、現在はこの箱に5枚だけ。時代は明治の頃だろうか。個体差で厚く重い出来も有れば、今回使ったような薄手の皿もある。今思うガラスとは違って、純度のせいか少し茶がかった色だけれど今時の切り子には見られない鋭く切り立った彫りが素晴らしい。ついつい触って眺めて楽しむ。改めて自分は切り子が好きなのだと自覚した。

器 義山 切子 丸中皿  径10cm 高3,5cm

作 不明

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No.243 わらび餅

 食べたくなってわらび餅を買って来た。きなこをまぶし、黒蜜を掛けていただく。素朴な甘みが口に広がり、プルプルしたわらび餅の柔らかい弾力に顔がほころぶ。

食べていて、ふと気になった。この “わらび” と “葛” と “片栗”。どれも料理やお菓子の材料として、とろみをつけたり固めたりする植物の “根” の粉である事は知っている。何となく用途の違いも理解しているつもりだけれど、一体何が違うのだろう?と。

わらび粉は和菓子のわらび餅しか知らないけれど、葛と片栗は自分でも使い分けている。そのふたつを料理で分けるなら、葛粉は和食、片栗粉は中華料理。しかし葛の根から作られる本葛粉は高価で、片栗粉で代用する事も多い。さらさらしていて、キュッキュッとした指触りが特徴の片栗粉は、馬鈴薯のでんぷんから出来ているのも知っている。本葛粉は箱を開けると、粉の中に角が鋭角に尖った塊が有ったりする。すぐに崩れるのだけれど、他の粉類では見たことのない特徴に思える。

調べてみたら、その3種の粉は原料が違うために性質の違いが有る。わらび粉はわらびの根から採るでんぷんなので、希少で高価。そのためお菓子として珍重されるのだろう。とは言え、現在市販されている “わらび餅” や “わらび粉” の多くは、わらび粉に芋などのでんぷんを混ぜた物が多いらしい。

わらび粉はプルプルした弾力と滑らかな食感で、食物繊維が豊富、整腸作用が有る。本葛粉は透明感があり、とろりとして滑らかだが、冷やすともっちりとした食感になる。身体を温める性質が有るそうだ。そして一番身近な片栗粉は、加熱すると滑らかなとろみがつく。葛粉とは逆に身体を冷やす性質が有るそうだ。話が大きく逸れたけれど、またちょっとだけ知恵が付いた。

 わらび餅を盛った三嶋模様の皿は古曽部焼 (こそべやき) 。古曽部焼は、現在の大阪府高槻市で江戸時代後期から大正時代、五十嵐家によって焼かれていた陶器で、鄙びた味わいが特徴とされる。当初は庶民使いの器が多かったが後に茶人、文人に好まれ、一時期は遠州七窯にも数えられるほどとなった。大正時代に一時期途絶えるが、寒川 義崇 によって復興され、現在に続いている。寒川氏は、古曽部焼の伝統的な要素を残しつつ、現在の時代に活きる器を作り続けているそうだ。

この皿には裏に “古曽部焼” の刻印があるだけで時代や作者は不明だが、そう古いものではない。昭和の中頃だろうか。三嶋模様に白い釉薬が薄くかかり、全体に靄が掛かったような柔らかさが有る。しかし丸く作った皿の縁を切った断面が鋭く、素朴さの中に心地良い緊張感が感じられる。

器 古曽部焼 三嶋角皿  径11,2cm角 高1,8cm

作 不明

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No.242 天麩羅の塩

 団扇を模った手塩皿。我が家には5枚在って、小さい見込みに絵替りで色々な植物が描かれている。箱には10枚と書かれているので、元は10枚揃いで作られたようだ。器の形の夏らしい意匠に拘らず、描かれている花や実の季節は様々。今日は夏らしく朝顔を選んだ。天麩羅は茄子、玉蜀黍、南瓜、桜海老と三つ葉のかき揚げ。冷たい素麺と共にいただいた。

見ていて飽きない、とても素敵なお皿だけれど、何を盛ろうかと考えると難しい。小さなお菓子か佃煮、などと考えるけれど、枝豆や天麩羅に添えて文字通り “塩” を盛るのが似合う気がする。

 この皿は乾山焼。元禄時代(1688〜1704)、尾形 乾山 が京都の鳴滝 (なるたき) に窯を作った。この皿は時代も作者の名前も明記が無いので不明だが、その窯の陶工が作ったものだろう。丸くて大きい団扇の持ち手が愛らしい。少し立ち上がった皿の縁から、焼きが甘く柔らかい事が伝わる。見込み全体には実際の団扇に倣って少し盛り上がった細くシャープな骨があり、その上に描かれた朝顔も本当に団扇に描かれた絵のように骨の上に浮き上がる。手の込んだ作り方だと感心する。

器 乾山焼 絵替 団扇皿  径10x8cm 高1cm

作 不明

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No.241 いさきの刺身

 今が旬のいさき。地元の魚屋では近頃お刺身で出ている。塩焼きにして美味しく、好きな魚だ。大きい魚ではないので、身はさほど厚くないけれど、旬の時にしか出ない刺身は適度に脂がのっていてとても美味しい。胡瓜と大葉、茗荷を刻んで盛り合わせた。

 文を結んだ形を模った皿は、幕末から明治時代に活躍した 幹山 伝七(かんざん でんしち 1821〜1890) のもの。近江の出身だが、文久2年に京都へ行き、後に清水に窯を開く。明治5年頃からこの 幹山 伝七 の名を使っている。西洋の絵具や技法を取り入れた斬新な作品で知られ、宮内省御用達となるなど高い評価を受けた。

この結び文の皿は古染に本家が在り、その写。この器自体は、皿と呼んだ方が良さそうな大きさ、深さだけれど “鉢” と名がつくという事は本家はもっと大きいのかもしれない。

結んだ文の面ごとに絵柄が書き分けられていて、力強いながらも楽しさがある。しっかりした呉須の色も美しい。今や手書きの手紙でさえ少なくなっているけれど、結び文は紙だからこその “折ってたたむ” 造形。それを器に模ってしまう遊び心がすごいと思う。

器 羅漢図 結び文 平鉢  径26,5cmx15cm 高2cm

作 乾山 伝七

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No.240 白玉あずき

 小豆を茹でた。お正月に用意してそのままになっていた大納言。料理は好きだけれどお菓子はたまにしか作らないのでハードルが高い。でも久しぶりに白玉が食べたくなって、残っていた大納言を炊いてみた。やはり難しい。目指した茹で具合より固く、残念な事に白玉との一体感が感じられない。煮崩れを警戒して、砂糖を入れるタイミングを早まったのだ。一朝一夕には出来ないわね、と反省しまた挑戦しようと思う。

 白玉は母が好きだったので時々作っていたけれど、その時は缶の茹で小豆を使っていた。美味しいし手軽、失敗は無い。白玉は白玉粉を水で溶いて丸めて茹でるだけ。シンプルだから、水の量さえ間違わなければ問題無いけれど、形に迷う。まん丸の球状にするのは難しいし、盛り付けた時も見栄えが良いとは思えない。

昔、新年に集まりがあって白玉を作った時、ある人が “白玉は、真ん中を少し窪ませてヘモグロビンの形にすると良いのよ” と。彼女は裏千家の茶道の先生。お菓子として使うから白玉の形も研究していたのだと思う。それにしても “ヘモグロビン” って、一般人は思いもつかない説明だ。実は彼女の本業は病院の検査技師。それを知っている私は、なるほど、と面白いながらも上手い説明だわと納得した。それ以来、白玉を作る時は “ヘモグロビン” 形を目指している。

 このクリスタルガラスの器の作者は不明。実家に在ったもので使う機会がなかった。カップの部分は手吹で作られていて5脚有る器はガラスの厚さが薄かったり厚かったり、かなり違いがある。今回使ったのは薄手のものだ。脚の部分は正方形の柱形でそれぞれの角を面取りして8角形。透き通ったクリスタルガラスの脚の重みが器の安定感を作り出している。

果物やアイスクリームなら間違い無いけれど、何を盛ったら楽しいかしら、とずっと考えていて白玉を思い付いた。冷たく冷やしたあずきと白玉を氷のように見えるガラスの器に盛ったらとても涼しげ。炊いた小豆はまだ少し残っているけれど、みつ豆に入れたらえんどう豆の代わりになるかしら、とか南瓜と煮ようかしら、と考えている。

器 クリスタルガラス 脚付コンポート皿  径9,5cm 高8cm

作 不明