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No.256 うずら煎餅

 張貫(はりぬき)。あまり聞き慣れない手法かも知れない。この皿は紙で作られた生地に漆を塗って作られている。

木で作った原型に、和紙などの紙を糊で何層も貼り重ね、乾燥して固めてから型を貫いて原型から外す。紙と漆で出来ているのでとても軽い上に丈夫で、茶道具に使われる。他にも彩色した郷土玩具(首振りの虎の張子)などを見たことが有る。

 生地の上に何層の漆を掛けてあるのだろう。中塗りの黒漆の上に上塗りで朱の漆を掛け、削って所々に下の黒漆が覗く、いわゆる根来の手法だ。生地の紙のざらざらした質感は、漆を何層も塗り重ねても残っているし、その凹凸が黒色が覗く様を作り出す。素朴でありながら造形は几帳面で、一体感が有り品格を感じる。裏の四角い高台の中は朱を掛けずに黒。使う時、裏は見えないけれどこの皿をきりっと引き締めている。

 京都のお土産にいただいた “うずら煎餅”。老舗の料亭のもので、初めて知った。形は料亭のシンボルである瓢だし、お煎餅だからどこが鶉?と思ったら、原材料に鶉と明記してあり、本当に鶉を使ってあると知った。お店のサイトで調べてみたら(以下抜粋)、

『鶉”は、小鳥の中でも最も美しく、しかもその上品な味は、昔から日本料理には欠かす事のできない貴重な素材です。その身を細かくすりつぶし白味噌・赤味噌と共に炊いた”うずら味噌”をからませてひょうたん形に焼き上げました。お口の中でほんのりと香るうずら味噌のお味をどうぞご賞味くださいませ。』

とある。確かに植物性調味料だけではない味の深味が有り、形も味も贅沢なお煎餅だった。何を載せたら素敵かしらと考えていた、この朱の張貫が思い浮かんで盛ってみた。

器 唐物 張貫四方皿 5枚組 径10x10cm 高2,3cm

作 不明

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No.255 さごしの味噌漬

 日本海側の港で水揚げされたさごし。これは関西の呼び方で、関東では”さごち”と呼ばれる事もあるらしい。聞き慣れない魚だけれど、この”さごし”は鰆の幼魚。冬の旬には少し早いけれど、これも急な冷え込みのせいだろうか。小さいだけで味や身は鰆と同じ。自家製味噌に蜂蜜を混ぜた蜂蜜味噌に漬けて焼き、ししとうと甘酢漬の茗荷を一緒に菊の皿に盛り合わせた。

 この皿は古清水焼。皿全体で菊の花を模り、青と緑の釉薬で葉が描かれている。皿全体に灰色の貫入が有り、それが地模様になっている。現在の清水焼が確立する前の江戸時代前期から中期に作られたこの皿。意匠は今見ても洒落ている。作られた当時、この皿にはどんな料理が盛られていたのだろう。箱は無いけれど5枚揃っていて、貫入の具合は皿によって違っている。大事に受け継がれて来たのだろうけれど、この皿に記憶が残っているとしたら、皿が見てきたこれまでの風景を見てみたいものだ。

器 古清水焼 菊皿  径16,3cmx12cm 高3,3cm

作 不明

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No.254 ふかし芋

 薩摩芋の手軽な料理、ふかし芋。洗って蒸すだけで美味しい。残ったらバターでグリルしても美味しいし、生クリームや砂糖を加えてスイートポテトにも出来る。薩摩芋や南瓜の甘い芋類の美味しさには最近目覚めた。歳を重ねてその美味しさに目覚めたらしい。味覚や好む色は歳を重ねると変わるようだ。

 蓋付きの器は、先週と同じ岩倉焼のもの。細い線描きの笹が描かれている。使われている色は呉須と鉄釉だけ。いかにも岩倉焼らしい絵付けだ。菊の小皿とは趣が違う、本来の岩倉焼らしさを感じる。

岩倉には思い出がある。15年ほど前、ひとりで京都に滞在し初めて鞍馬寺を訪れた時のこと。鞍馬寺から木の根道を通って貴船神社にお参りし、バスで貴船口へ戻って叡山電鉄鞍馬線で市中へ帰る。その途中に岩倉という駅が有る。行きに岩倉焼の岩倉かしら、と気になりつつ、気持ちは目的の鞍馬山に向かっていた。帰る車中でまた岩倉駅を思い出した。散々歩いて疲れていたけれど、異を唱える人も居ない。これを逃したらまた来る事も無いかもしれない、と思いきって降りてみた。

今は窯が無いのは知っていた。地図で見たら天台宗の門跡寺院で実相院という寺院が有るので行ってみることにした。駅から歩いて10分ほどだっただろうか。道すがら行く先の道に落ちる影が長く、背丈の3倍くらいの自分が居たのを覚えている。きっと今頃の季節だったのだろう。門の前まで行くと、市バスの終点があった。計画して行くのであれば、この方法が楽かもしれない。床に映る季節ごとの景色が美しいお寺だが、残念ながら紅葉にはまだ早かった。その時は観光客など1人もいない、静かなお寺をお参りして帰った。

 蓋の持ち手には七宝紋。几帳面な細工で深く凹凸がつけられ、上品な美しさが有る。岩倉焼は焼きが甘いので濃い色の料理を盛ると色が染み込みやすいから少し気を使う。蓋物だし、この器に何を盛ろうか、と考えを巡らせるのも楽しい。

器 岩倉焼 笹図蓋物 本体径16,8cm 高9cm 蓋径15,6cm 高3,2cm

作 不明

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No.253 たらこの煮物

 魚屋の店頭で生の助惣鱈の子、生たらこを見つけ久しぶりに大好きな煮物を作った。まだ少し粒が小さめだけれど、塩漬けのたらことは違うしっとりとした舌触りに “そうそう、これ” と思い出す。

 たらこは岩倉焼の菊の小皿に盛った。皿いっぱいに具象的な菊が呉須で描かれ、鉄釉で一枚、大きめの葉がのぞく。細い均一な線描きの菊に対して、葉は筆の面を使った濃淡で絵画的に表現されている。釘で鉄釉を削ぎ取った線によって葉脈が表現されている。菊の花だけだと紋章のように感じるけれど、この葉の表現はとても柔らかく、生きている植物を感じる。花と葉の対照的な表現が同居して、不思議な雰囲気を作っている。

岩倉焼は京焼のひとつで、柔らかくてきめ細かい乳白色の薄い作りが特徴。絵付けには呉須と鉄釉を使い、余白を残したさっぱりした物が多い。皿の見込みいっぱいに描かれたこのような岩倉焼はあまり見た事がなく、珍しいのではないかと思う。

器 岩倉焼 菊絵小皿五枚  径11,5cm 高3,5cm

作 不明

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No.252 エスプレッソ

 金木犀が真っ盛りと言うのに、コートが必要なほど急に冷え込んだりする。年々秋を楽しむ時間のゆとりが無くなっているのが残念だ。

 暑い間はオーブンを使うのを敬遠したけれど、今はその熱が恋しい。八百屋の店先で紅玉を見つけて、久しぶりにケーキを焼きたくなった。甘い林檎の香りがキッチンに立ち込こめる。なんとも言えない幸福感を感じる。度々作っているこのケーキは作り方がとてもシンプルで、失敗も無く気に入っている。

カラメルの程よい苦味と甘味にバターが加わって、紅玉の酸味を引き立てる。飲み物はコーヒー、と思ったけれど深煎りの豆が有ったのでエスプレッソ風に濃く淹れた。使った器は Susie Cooper (スージー クーパー)。このデザインは Susie Cooper の中でも初期の物で、バックプリントは帆船。彼女が自身の陶器ブランドを始める以前 “グレー&クラウン社” に居た1921年頃に使われたスタンプだそうだ。

この手描きの花柄は、以前の回で大皿や鉢など何度か登場している(2021/2/26  No.9 と2021/8/13 No.33) けれど、この小さなカップにも変わらぬ大きさの花が描き込まれている。時代はアール・デコ。この頃の Susie Cooper のデザインは色を面で表現する筆使いの物が多く、使っている色も強い。その後のSusie Cooper ブランドの優しい雰囲気の器とは趣が違っている。

写真のデミタスのカップ&ソーサーと皿は、絵のタッチと色が同じなので一見揃いの様に見えるけれど、実は柄は違う。バックプリントも、同じ帆船だけれど両者で少し違っていて、カップ&ソーサーの方がより古い時代に作られた物と思われる。今から100年昔の英国で、紳士淑女が食後のコーヒーを楽しんでいたのだろうか。

器 Susie Cooper ハンドペイント デミタスカップ&ソーサーと小皿   カップ径5,2cm 高5cm ソーサー径11cm 高2cm 小皿径13,5cm 高1,3cm

作 Susie Cooper (England)

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No.251 焼き栗

 立派な栗を見つけて、焼き栗を作った。季節になって木の実、山の幸と向き合ってみると、食料を求めて人里に出没する野生の熊を思ってしまう。気候のせいで熊が食料とする木の実が不作とも言われるが、人が栽培している作物や、人の食の廃棄物なら楽に満腹になる、と熊が学んで来たのも事実だろう。人が廃棄物を狙われないように工夫すれば、熊も一歩踏み込んで貯蔵庫などを荒らしたりする。生きるために楽な方法を学んで行くのは致し方ないのかも知れない。熊や猪、野生の動物達が人間は暮らすための労働が楽になっているのだから自分達も、とまでは考えないにしても時代と共に人間社会との関わり方が変わって来ているのだなあ。などと栗を剥いて食べながら考える。

 籠を模った鉢。緩い六角の形、細かく裂いた竹の繊維で編んだ表面を表す凹凸も、色の付け方も良く表現されている。見込みには鮮やかな青と緑で大きく実った夕顔が描かれている。

この鉢は古清水(こきよみず)。古清水とは、江戸時代中期以前に京都で作られた、優雅な色絵陶器を呼ぶ。現在の “清水焼” が誕生し、磁器が多く焼かれるようになって、以前の物を新しい “清水焼” と区別する意味で、幕末の頃から “古清水” と呼ばれるようになったそうだ。古清水の多くは 野々村 仁清 風の繊細な色絵陶器。とは言っても仁清の作品のような完璧とも言える気品の高さよりは、むしろ少し肩の力の抜けた温かみのある器が多いのでは、と私は感じている。

器 古清水 六角鉢  径20cm 高6,8cm

作 不明

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No.250 お月見団子

 つい数日前の中秋の名月。関東地方は残念ながら雲が多くてお月様は拝めなかったけれど、お月見団子を作った。本来は15個の丸い餅をピラミッドの様に積んで飾るのだけれど、我が家で15個作っても持て余してしまうので、一度に食べ切れる分だけ作った。

初めて作るお団子は、白玉の事を思い浮かべて丸く作るのは難しそう、と思ったけれど白玉粉と団子粉は原料が違っていて、扱いやすく形も作りやすい。出来立て、茹でたてのお団子はもちもちして、期待より美味しく出来た。粒あんを載せてお月見気分を味わった。

 お団子を 『中秋の名月』 にぴったりの小皿に盛った。銀彩で大きな満月、その手前に金で描かれた、まだ固い穂が付いたすすき。この小さい見込みに描かれた風景が、実物大の景色として目に浮かぶ、そんな皿だ。月とすすきの茎は皿の裏にも続きで描かれていて風景の広がりを感じる。

この皿は 永楽 善五郎。何度も登場している 妙全(1852〜1927) か、その夫の第14代 善五郎 の得全(1853〜1909) のもの。早く亡くなった得全の後を次の代まで窯を守って繋いだ妙全は、得全が使っていた印を使った作品も多く、そうなるとどちらが作ったのか厳密には判らないらしい。我が家に来たのは箱も無く裸で5枚、もっと数が有ったのかも知れない。京焼らしい上品さと華やかさが有る皿、季節を楽しみながら大切に使って行きたい。

器 永楽窯 月とすすき小皿  径10,5cm 高3cm

作 第14代 永楽 善五郎

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No.249 秋のオードブルプレート

 もう数日で中秋の名月を迎える、そんな事を思っていたら、この食べきりサイズの小さいカマンベールチーズが満月のように見えて来た。それを思い付いたらこのシンプルな漆の器に秋の風景を盛り合わせてみたくなった。

小さいカマンベールを満月として、アスパラガスをすすきに、オクラを枯れ草のように見立てたら風景になりそうだ。大好きな無花果に生ハムを乗せ、きのこのマリネも添えた。

 急に秋めいて来て、月は日に日に三日月から半月、そして段々に満月に近づいているけれど、月の見える位置もどんどん変わって行く。気がつくと数日前とは随分変わっている。私達の居る地球も、月も動いているのは理解しているけれど、動く物の上に居る実感は無い。

少し前に、アインシュタインの理論を説明して教えてくれる番組があった。宇宙の仕組みをとても簡単に、分かりやすく説明してくれているのだけれど、少し解ったかと思う次にはまた全く理解不能。結局、私の理解は到底及ばずとても難解だと言う事実が解っただけだった。今も膨張し続けているという宇宙の事を、月を見上げながら想像している。

 溜塗りの盆は作者不明。時代は昭和で、古いものではないけれど透ける漆塗りの下に木地の木目が浮き出す。花弁の形も、縁の薄い作りもとても美しい。この澄んだ秋の夜空のような丸い見込みに、秋の気分を盛り込んで楽しい時間を過ごした。

器 溜塗り 輪花丸盆  径27cm 高3,5cm

作 不明

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No.248 落ち鱧の梅肉添え

 夏の幸、鱧は6〜7月の初夏と、9〜11月の2回、旬を迎えるらしい。鮎と一緒で、産卵前と産卵後。秋の鱧は産卵後の旺盛な食欲で太って脂が乗り、金色を帯びるため “落ち鱧” “名残鱧” と共に “金鱧(きんも)” とも呼ばれるそうだ。

湯引きした鱧には、そろそろ試してみようと思っていた今年の梅干で梅肉ソースを作った。我が家の裏庭の梅に実った梅で漬けた自家製の梅干だ。出来立ての梅干は酸っぱくてすっきり、まだ角が立った塩味を感じるけれど、赤紫蘇の色が鮮やか。綺麗な色のソースが出来た。

 菊の花弁を模ったお皿は御菩薩(みぞろ)焼き。あの、野々村 仁清 が開いた窯との説が有る。御菩薩焼は、京都北区の御菩薩村(深泥池付近)で焼かれた京焼で、仁清が安政年間に開窯した。しかし、仁清の門人の陶工、あるいはまた別の陶工が開窯した、という説もあり、御菩薩焼の開祖が仁清かどうかはまだ判っていないらしい。

しかしこの皿、繊細な造形や色艶、上品な佇まいには仁清の雰囲気を感じる。誰が興した窯か定かでなくても、仁清に由来しているのではないか、と想像させる。薄く精巧に作られた花弁は、さすがに壊れやすいようで、5枚組の皿の内でどれも一箇所、二箇所、銀で直しが施されている。花弁には鉄薬で輪郭と筋が入れられ、その筋に沿って呉須の青が見え隠れする。焼き加減で殆ど青の見えない物も有るが、その呉須の色味が加わるだけで格段に洗練された趣が増す。

 箱書は、江戸時代末期から明治にかけて活躍した京焼の陶工、泥中庵 蔵六(真清水 蔵六 1822(文政5年)〜1877(明治10年)が書いていて表には “御菩薩焼 向附 五客” と有り、蓋裏には御菩薩村の風景が描かれている。この皿が焼かれた時代は定かでないが、蔵六の箱書きを考えると江戸時代末期よりは前、と考えられる。長い年月、大事にされて来た菊の花の皿を目の前に、近づく秋を味わった。

器 御菩薩焼 向附五客 径 14,5cm 高 4cm

作 不明

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No.247 ダークチェリーのデニッシュ

 日本に初めてデニッシュパンを紹介し、今でも提供し続けているパン屋さん ANDERSEN のダークチェリー。長い間お店を代表する人気らしいが、我が家でも一番人気のデニッシュだ。食事用のパンを買うために訪れても、ついつい買ってしまう。

ANDERSENは、1967年に広島市本通りに本店が開店した。本店の建物は1925 (大正14年) に、三井銀行広島支店として建てられ、その後の合併により、終戦時には 帝国銀行広島支店となっていた。原爆投下の爆心地から370mに位置する。当時、屋根は抜け落ち、爆心地側の壁も崩れていたそうだ。その後、1948年創業の “タカキのパン” というパン屋をやっていた 高木 俊介氏 が1967年、ここに ANDERSEN を開業する。デンマークで食べたデニッシュに感動し、日本でこのパンを売りたい、と製造技術を研究し、このビルを改修して ANDERSEN が誕生した。原爆の遺構として残されて来たビルのひとつなので、その後も改修を重ねて来たが、崩壊の危険性を考え2015年頃、大規模な改修、建替え工事に取り掛かった。本通りのこの本店を閉めて仮店舗営業となった。遺構を残すため、通常の建替えとは違い長い期間かかって2020年、やっと今の新本店が復活した。

今年の春、店を訪れた時にこのオリジナルのパン柄プリントを見つけた。見覚えのある ANDERSEN のパンが描かれていてひと目惚れ。家に帰って長年貯めて来たシールをかき集め、エコバッグとナフキンを手に入れた。

 白いお皿は WEDGWOOD (ウェッジウッド)。欧米の白い磁器も、国やメーカーによって色や風合いが異なる。WEDGWOOD  の白磁はアイボリーがかった温かみのある色で、釉薬が少し厚く掛かったような、しっとりした落ち着きがある。絵柄も彫刻も無い、潔いシンプルさにも好感を感じる。現在は廃盤となっていて、デザイン名は調べっれなかった。揃いのティーカップで、紅茶と共に大好きなダークチェリーを味わった。

器 Bone China パン皿 径18cm 高1,5cm

作 WEDGWOOD (ENGLAND)