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No.229 絹さやの卵とじ

 家庭菜園で収穫した絹さやをいただいた。友人のご両親が育てているもので、以前から様々な野菜をいただいている。どれも、八百屋に並んでいる野菜と見た目も遜色なく、とても美味しい。絹さやは、付け合わせや煮物の彩り、味噌汁など何にでも使うけれど、私は塩茹でした絹さやを斜めに細く切って簡単な丼物やちらし寿司などのトッピングにするのが好きだ。シャキシャキした歯触りが良いアクセントになる。

でも、今日は新鮮で柔らかい絹さやを生かして卵とじを作ってみた。これはいつも行く八百屋さんで、ちゃま様と呼ばれるマダムに教えてもらった料理。もうご高齢で随分前に引退されたけれど、いつもきちんとメイクして、ファッションもご自身らしさの有る、素敵なマダムだった。姿勢の良いシャッキリしたお姿を見て、私もこの先、歳を重ねてもこう在りたいと思っていた。

まだ私が若かった頃、八百屋の店先で『絹さやはね、卵とじも美味しいのよ。軽く炒めて溶き卵でとじて、ちょっとお醤油を垂らすの』とちゃま様に教わった。それ以来、時々作るメニューになった。卵の黄色と絹さやの緑が目にも楽しい料理だ。最近我が家に来た水月窯の皿に盛った。

 水月窯は、昭和21年、後に人間国宝となる 荒川 豊蔵 が岐阜県多治見に開いた窯。この場所は 虎渓山 永保寺 の土地を借り受けた物で、国宝永保寺観音堂 が別名水月堂といわれることに因んで付けられたそうだ。日常生活で使いやすい器を、土作りから成形まで全ての工程を手作業で行い、薪を使った登り窯で焼成している。水月窯では、たとえ豊蔵が作ったものでも個人の名は入れないので、当時の器の中には “これは豊蔵の作だろう” という物が有ったりする。粉引、染付、色絵、唐津風、乾山風など様々な作風を作っているが、私は水月窯なら粉引が好きだ。温かみが有って、使うほどに味が出る。

今年の季節は過ぎてしまったけれど梅に鶯、鉄釉で描かれた素朴な構図の絵が楽しい。5枚組で、同じ絵柄のはずだろうけれど、かなり簡略化されて、幹と枝だけ。鶯の姿が見えない物もあり、並べてみてつい笑ってしまう。人がやる事、こんな時もあるかもね、と。

器 粉引 梅文皿  径15,5cm 高3cm

作 水月窯

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No.228 生七味

 近所の鶏屋さんで焼鳥を買って来た。焼鳥に七味唐辛子は欠かせない。瓶詰めで売っている、お気に入りの生の七味唐辛子を出した。いつもはお皿の端に置いたりするけれど、時にはちゃんと器に盛るのも気分が変わる。普段から薬味入れに使っている青磁の手桶の形の器に入れた。

お抹茶のお手前で使う水指に同じ形の物がある。真塗りの蓋が添っていて、もちろんこの器よりかなり大きい。この器は同じ形をしていて小さいだけだけれど、小さき物はなぜか訳もなく愛らしい。裏に印らしき物はあるけれど判別も付かず、どの時代に誰が作ったものかは不明。たまたま集まって来た我が家の器達と色々組み合わせて使っている。

青磁は、もっと澄んだ明るいブルーの色から、この手桶のように黄味を帯びて濁った緑、さらにもっと沈んだ深い緑まで色の幅は広い。でも、どの色の青磁でも食卓に並べると染付や漆の椀とのバランスが良く、とても使いやすい。焼鳥は古染付の皿に盛って青磁の色を添えた。

 近頃は新しい和食器もブームのようで、あちらこちらで若手陶芸家が作る、洋食にも使えそうな和陶磁器を見掛ける。家具やインテリアなどを扱う国内外の大手小売店や百均でも、格安で食器は手に入る。でも100年後、この中で大事に使われ続けている器はどれだけ有るのかしら、と考えてしまう。我が家に有る器たちは既に長い時を経た物が多く、先人達の手を渡って今ここに在る。その器たちを、小さな物でも生活に取り入れて、次に繋げて行く人も増えてくれたら良いなと思う。

器 青磁 手桶形小鉢  径6,5cm 高7cm(持手込)

作 不明

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No.227 シーザーサラダ

 よく行くパン屋さんで、食パンの端の切り落としを袋に詰めて売っていた。滅多に出会うことはないのでつい買ってしまう。家に帰って、クルトンを作る事にした。小さくサイコロ状に切ったつもりが、結構大きい食べ応えのあるクルトンになった。

本来なら油で揚げるところだけれど、カロリー控えめを考えて多めのオリーブオイルでゆっくり炒めた。完全に油が回っていないところもそれで良しとし、水分を飛ばしてカリっと。この、ボリュームのあるクルトンと、買って来たロメインレタスでシーザーサラダを作る事にした。

シーザーサラダは1924年にメキシコの ティフアナ にあるホテル“シーザーズプレイス“のシェフ、シーザー カルディーニが考案したものらしい。材料が足りなくなって、その時手元にあったロメインレタス、クルトン、パルメザンチーズで作ったのだそうだ。

自己流のシーザーサラダは、ビネガーに少しの砂糖、オリーブオイルで少量のフレンチドレッシングを作り、マヨネーズと粉チーズを加える。ドレッシングは、そのまま野菜を入れて和えるので、大きなボウルで作る。有れば生のにんにくの切り口を最初にボウルの内側に擦り付けておくと薄くにんにくの香りが加わって美味しい。洗って水気を取ったロメインレタスや好みで新玉葱や胡瓜、そしてクルトンを加えて手で和える。そのまま器に盛ったら出来上がり。クルトンは、和える少し前にもう一度炙っておくと、カリカリの食感が際立つ。レストランでいただくシーザーサラダならポーチドエッグがトッピングされているのだろうけれど、朝茹でた卵が有ったのでそれを飾った。

金の縁取りが輝くこのサラダボウルは、Susie Cooper (スージー クーパー)のもの。以前同じシリーズの皿を使った事がある(No.49  2021/12/3)。この皿のような白磁は、Susie Cooperの中でも後期で、初期の頃の厚手の皿 (No.9  2021/2/26)と、絵付けの柄やタッチはよく似ているけれど、素地の質感や色が違っているために雰囲気はとても現代的で、新しさを感じる。

器 手付きサラダボウル 径21cm 高6cm

作 Susie Cooper

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No.226 若竹煮

 今年も筍が届いた。大きな鍋2つ使って下茹でし、ひと晩置いた。たっぷりのお出汁で山ほどの若竹煮を作った。庭の山椒はかなり育っているけれど、まだ出立ての小さい葉を選んで香りを添えた。

緑釉のどら鉢に盛ってみようと、筍は大きめにした。この、北大路 魯山人 の鉢の迫力に見合うように盛り付けるのは難しい。大胆に、と鉢の声が聞こえたけれど、中々思うようには納まらない。考えていたよりはこじんまりとまとまった。試行錯誤しながらも、この鉢にどう盛ればもっと素敵だろう、と学ばせて貰った。

 箱書きには “織部 鉢” とだけある。見込みの向こう側に口から縦に “入” が有る。これは窯傷で、後から入ったものではなく金や銀の継で直しもせず、そのままを楽しんで使われて来たようだ。魯山人はこの器を鉢としているが、その後のどなたかがお抹茶の水指に見立てたようで、真塗りの漆の蓋が添っている。織部焼の緑の釉薬一色だけを使ったシンプルな鉢だけれど、口周りの釉薬は垂れて薄く、見込みの底の溜まった緑はとても深い。胴に幾重かに回された窪みや、見込みの渦巻の凹凸に釉薬の濃淡が美しい。

器 おり部 鉢  径21cm 高9,5cm

作 北大路 魯山人

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No.225 山椒の葉の佃煮

 少し前、4月になる頃だろうか、ただの棒のようだった小さな山椒の木のあちらこちらに小さい緑色の芽が出始めた。日に日に葉は育って生い茂り、料理に飾るには大きすぎるほどになった。とは言えまだ出たばかりの葉は柔らかい。思い立って両手に山になる程の葉を摘み取り、佃煮を作ってみた。

よく洗ってから下茹でをして灰汁を取る。絞ると片手で握れるほどの量になった。初めてだし、試してみるにはこのくらいの量がちょうど良いかもしれない。葉が絡まない程度の大きさに包丁で切ってから出汁、醤油、酒、味醂と砂糖を併せた汁で数分煮て冷ます、を何度か繰り返して味を染み込ませつつ汁を煮詰める。

若い葉とは言え、葉の真ん中の細い茎は少し舌に触るけれど、えぐ味の少ない食べやすい佃煮が出来た。以前食べた山椒の葉の佃煮は、口の中がカッと痺れるほど強烈だった。最初の下煮の時間を短くすればきっともう少し刺激的な仕上がりだっただろうか、と思う。早速炊き立てのご飯で春の香りを味わった。

盛り付けた蓋物は第16代 永楽 善五郎(即全) の赤絵金蘭手。福禄寿の3文字が散りばめられ、小振りながら華やかな器だ。少し厚手の白磁で、蓋裏と見込みに絵は無い。見た目が地味な佃煮だから、こんな器に盛ってみるのも楽しい。

器 赤絵金蘭手 蓋物小鉢 径9,2cm 高6,5cm(9,5cm蓋込)

作 第16代 永楽 善五郎 即全

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No.224 人参しりしり

 子供の頃は嫌いな食材が沢山有って、人参もそのひとつだった。それが今では好きな野菜のひとつになった。人参を山で買って、沢山ある時はこの”人参しりしり”や”人参のラペ(No.33)”などを作り置きする。

”人参しりしり”は沖縄の料理。随分前に沖縄を訪れた時に知った。もうその頃には人参は好きになっていた。厳密に言うと、今回作ったのは”しりしり風”。沖縄には”しりしり器”と言う調理器具が有って、それで人参を”しりしり”して作るのが “人参しりしり”という料理だ。金属の板に加工がしてあって、その上を野菜をスライドする事で簡単に形の揃った千切りとかスライスが作れる、そんな器具のひとつ。しりしり器は持っていないので、チーズをおろす四面体の器具で作ってみたりもするのだけれど、今回はシンプルに包丁で千切りにした。包丁で切ると切り口が滑らかで、歯触りもシャープ。しりしり器で作ると、切り口に凹凸が多いので、味が滲みやすく歯触りも柔らかくなる。その時の気分で使い分けている。味付けはお出汁と酒、砂糖、少しの醤油で甘めに作る。最初に胡麻油で炒める事と、白胡麻を振り掛けるのがポイント。

 盛った小皿は古曾部焼(こそべやき)。裏の印から第3代 五十嵐 信平 (1833〜1882) の作と思われる。元々の古曾部焼は、平安時代の僧侶で俳人の 古曾部入道 能因(988-1050) が、古曾部(現在の大阪府高槻市)で手捻りで陶器を作ったのが始めらしい。その後、安土桃山時代〜江戸時代初期の寛永年間まで焼かれていて、小堀遠州による遠州七窯のひとつとされた、との言い伝えが有る。が、残念ながらこの頃の物は残っておらず、窯跡の所在も不明との事だ。

その後、江戸後期に京都で作陶を学んだ 五十嵐 新平 が高槻市古曾部に登り窯を開いて再興した。古曾部焼の窯は五十嵐の一軒だけなので、五十嵐の窯が古曾部窯となる。以降代々 ”古曾部” の印を使って高取、唐津、絵高麗、南蛮写などの作風で作陶した。初代、2代は”新平”との記載だが、3代から”信平”となっているので、理由は判らないが3代で名前の字を改めたと思われる。この五十嵐による古曾部窯は120年ほど続いて、5代の時に廃窯になっている。

この小皿、見込みの面だけに白い釉薬を掛け、呉須で波を描いている。厚めに掛かった釉薬に青の線が涼しげに見える。裏側は白の釉薬は掛けず土のまま、高台も無く底面は真っ平。底の円形を中心に、皿の縁まで等間隔で相似形の6つの円が彫られている。素朴な印象で愛着の沸く。

器 古曾部焼 小皿  径10cm 高2cm

作 第3代 古曾部窯 五十嵐 信平

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No.223 ほたるいかの酢味噌掛け

 この時期は、ほたるいか漁の最盛期。魚屋の店先には連日プリっとした可愛らしい釜揚げが並んでいて、つい手が伸びてしまう。大きさを揃えて下処理をし、綺麗にパックして販売されているほたるいかは価格も高め。少し面倒でも自分で手間を掛ければその分割安に手に入る。

以前、魚屋さんにほたるいかの下処理の方法を教えてもらった。まず、左右の眼を取り、お腹側にある半透明な軟骨を抜く。そして脚に囲まれた中央にあるクチバシの奥側を親指と人差し指で摘むと、硬くて丸い口が押し出されるので取り除く。このクチバシまで取れば ”完璧” だそうだ。もっと大きい、やり烏賊などを捌いた経験から烏賊の構造は解っているけれど、ほたるいかはとにかく小さい。自分の指位の大きさしかないから、力を入れると潰れてしまう。小さすぎて軟骨を探し当てるコツを掴むのに苦労した。でも ”完璧” に下処理をするとその分美味しくいただける。

ほたるいかは菜の花と盛り合わせて酢味噌でいただいた。酸味を強くしたくないので、白味噌を出汁で伸ばしてから砂糖と酢で味を整えた。まろやかな白味噌と酸味が加わってほたるいかの濃い旨みが引き立つ。使った器は粟田焼、江戸時代後期の 岩倉山 吉兵衛作 の手塩皿。見込みには細い筆使いで風に揺れる撫子の花が描かれている。華奢で上品な器が多く、濃い色が染み込みやすいのが難点だけれど、気持ちの安らぐ焼き物だ。小さなほたるいかが象牙色の薄くて華奢な器に映える。

 粟田焼は初期の京焼のひとつ。箱には『御茶碗師 岩倉山造』の銘と共に『御菩薩 手塩皿』(みぞろ てしおざら)と有る。岩倉山 吉兵衛 は、初め洛北の岩倉で陶器を作っていたが宝暦以前に粟田に移り、元の窯の地名から岩倉山を名乗った、と言われている。岩倉山は江戸初期に洛北に有った御菩薩焼の流れを汲むのかもしれない。可憐な色絵の作風も御菩薩焼の特徴らしい。岩倉山の銘があるので、この器が粟田焼の 岩倉山 吉兵衛 の作であることは間違い無いが、御菩薩焼の作風を伝えるもの、という意味で『御菩薩』と書き加えられたのだろうか。想像が膨らむ。

岩倉山は、1755年に将軍家の名を受け、日常の器を納入、以降も将軍家や有力社寺の御用を勤めたそうだ。文政から天保(1815〜1844)にかけての吉兵衛は仁清風の作風の名手だったと伝えられている。初代から数えて何代続いたかは不明だが、岩倉山は明治7年頃に廃業したそうだ。

器 御菩薩 手塩皿  径9cm 高2,8cm

作 粟田焼 岩倉山 吉兵衛 (代は不明)

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No.222 サモサ風春巻き

 インド料理のサモサは大好きな料理で、メニューに有るお店ではよく頼む。サブジと呼ばれる、汁の無いカレー味の具を小麦粉で作ったサクサクの皮に餃子のように包んで揚げてある物で、辛味のあるトマトのソースが付いてくる。テトラポットのような三角錐で、丸味のあるころっとした形も可愛らしい。

そのサモサを家で作ろうとすると包む皮や包み方が独特で難しいだろうなあと思っていた。が、ある時思い付いたのが春巻にする事。元々春巻は好きで、中華春巻や昨年ここにも掲載したアスパラガスとハムの春巻など、春巻の皮を使う事はよくある。サモサとは皮の食感は違うけれど、包むのも簡単だし、と作ってみたら結構それなりのなんちゃってサモサが出来た。ソースはケチャップにタバスコを加えて混ぜるだけ。それ以来我が家の定番料理となった。

まず、中に包むサブジを作る。今回は、ちょうど今頃が甘くて柔らかい春キャベツとグリーンピース、カリフラワー。これらの具材をクッタリ柔らかくなるまでカレー粉で蒸し炒めにする。最初にオイルを入れた冷たいフライパンでゆっくり加熱し、クミンシードの香りを立たせる。にんにくや生姜のみじん切りを加え、それから野菜を加える。少しの砂糖と塩、カレー粉で味付ける。食べた時に時々弾けるクミンシードの香りが本格的なインド料理っぽく、気に入っている。サブジとしてカレー料理の一品に食べるのも好きだけれど、残った翌日などにサモサ風の春巻にして楽しんでいる。

 盛り付けたのは、1735年創業のイタリア、フィレンツェの陶器メーカー、Richard Ginoli (リチャード ジノリ)の皿で、Vecchio Ginoli (ベッキオ ジノリ)いう白磁の代表的なシリーズのピクルス皿。「ベッキオ」とはイタリア語で「古い」を意味する。18世紀に誕生した最も古い柄ののひとつで、バロック様式の繊細なレリーフが美しい。この皿自体は時代のある物ではなく、現代の材料と技術で作られているけれど、このデザインか数世紀の間、長く愛されて受け継がれ、今でも作られている。そんな器は日本には存在しないのではないだろうか。移り変わる儚き物を大事にする日本の文化と、変わらない姿を保ち続ける欧米の石の文化の違い、なのかもしれない。

器 Vecchio Ginoli ピクルス皿 径25x13cm 高3,5cm

作 Richard Ginoli

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No.221 蛸と胡瓜の酢の物

 魚屋を覗くと、近頃は蛸をよく見かける。真蛸、それも明石産だとすごく高いけれど、今は三陸だったり海外からの輸入もあって価格の幅が広い。烏賊の刺身は昔から大好きだった。けれど烏賊刺しを別にしたら、他の料理の烏賊や蛸の類いは特に好きでも嫌いでもなく、自分で買う事も少なかった。それが近頃は食べたくなる。蛸の美味しさにやっと気が付いたのだろうか。私の母は、烏賊と蛸が好物だった。歳を経て味覚も似てくるのかもしれない。

 春先の少し暖かい日には、さっぱりした酢の物が食べたくなる。茹でた蛸を削ぎ切りにして盛り合わせた。深いコバルトの青を使ったガラスの鉢に盛ると、胡瓜の緑と蛸の赤と白が瑞々しく、春めいて見える。

これは切り子の鉢。確証は無いが江戸切り子と思われる。深くカットされた凹凸が際立って、持つと見た目で測った通りの重さ、手に馴染む丸味が心地良く、つい使いたくなる。これからの季節、食卓に登場する機会が多くなりそうだ。

器 切り子小鉢  径12cm 高5cm

作 不明

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No.220 鶏ささみと三つ葉の山葵醤油和え

 先日、八百屋の店先で根三つ葉を売っていて、店主が誰にともなくお薦め料理をあげて、根三つ葉をアピールしていた。その料理が『鶏ささ身と三つ葉の山葵醤油和え』。それを聞いて、その大好きな料理を思い出した。長い間、すっかり忘れていた。自分でも驚くほど、綺麗さっぱり忘れていたのが、店主の話で甦った。思い出したら食べたくなって、ここの所、何度か作って食べている。

 鮮度の良い鶏のささ身を、表面だけ火を通す、いわゆる『たたき』の状態に茹でる。すぐ冷水に取って冷ましておく。三つ葉は軽く湯がいて和える用に切って、水気を絞る。ささ身も、たたきになった切り口がきれいに見えるように食べやすい大きさに削ぎ切りに。後はこの2つを山葵醤油で和えるだけ。しっとりしたささ身と三つ葉の香、ピリッとした山葵の辛味が堪らない。

 使った器は 仁阿弥 道八 の三嶋茶碗。三嶋にしては少し厚みのある本体で、小振りな割に持つと手に重さを感じる。三嶋は、鉄分の多い鼠色の土に窪みをつけ、白の化粧土をつけて窪みにだけ白を残す、その細かい連続の象嵌模様が特徴的。三島大社(静岡県三島市)から出されていた暦(こよみ)の文字に似ていたことから、三島手と名付けられたのだそうだ。好きな料理を盛って向付として楽しんだ。

器 三嶋茶盌  径13cm 高5cm

作 仁阿弥 道八