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うつわ道楽

No.259 祇園坊

 粉を吹いた干し柿を模ったこのお菓子の名前は “祇園坊”。和菓子店の季節の生菓子だ。飴餡を求肥で包み、表面の粉は和三盆糖をまぶしてある。干し柿その物もお菓子として好まれるけれど、それを他の材料で作ってしまう辺りが日本の文化だろうか。

長い歴史を持つその和菓子屋の説明を見ると、この和菓子が初めて作られたのはなんと、天保11年(1840) 。柿の品種名の祇園坊から “祇園坊柿形” の名で売られたそうだ。200年近く昔にオリジナルが作られたお菓子を現在も作り続ける店の歴史もすごいけれど、今見ても遜色無く、魅力を感じさせるお菓子が作られていたことに感動する。

それは器にも通じる。材料や道具が入手困難で水道やガスや電気も無い時代に作られた物が、この今の世に生きる私達にも感動を与え、輝きを放ち続ける。昔の意匠が優れていたからだけではなくて、時代が変わっても、本質的に美しい物を感じる私達 “人間の感性” は普遍なのだろう。

 この祇園坊には上野(あがの)焼の皿を使った。上野焼は現在の福岡県田川郡、当時の豊前国上野に開かれた。豊臣 秀吉の朝鮮出兵の引き上げの際に、加藤 清正が連れ帰った陶工、金 尊楷 (上野 喜蔵)が、細川 忠興の小倉城入城の際に招かれ、この地に窯を開いたのだそうだ。最初の窯は皿山窯(本窯)、釜の口窯、岩谷窯(唐人窯)の3つで、これらは上野古窯と呼ばれる。江戸時代には茶人にも好まれ、遠州七窯のひとつに数えられた。明治時代に一度衰退したが、1902年に復興、現在は指定伝統的工芸品の指定を受けている。

上野焼の特徴は、生地が薄くて軽い事と釉薬の色が多く、窯変によって千差万別の模様を作り出す事で、基本的に絵付けはされない。この皿も、釉薬が厚く溜まって盛り上がり、部分的に素地が見えている、この手法は紫蘇手と呼ばれる。紫蘇手は江戸時代後期に多く作られたらしいのと、裏の印からこの皿も江戸後期の物と推定される。5枚組で、それぞれの釉薬の模様はことごとく違っていて面白い。この、黒の紫蘇皿には祇園坊が良く似合う。

器 上野焼 紫蘇皿 5枚組  径12cm 高3cm

作 不明