カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.44 銀杏

 東京都の木、銀杏。もう少し気温が下がり、青空に黄金色の葉が映える頃、毎年銀杏並木にかなり臭いの強い銀杏の実が落ちていて拾っている方の姿を見掛ける。雨の後などは落ちたばかりの実を見つけて私も拾ったことがある。臭いの原因、周りについた身の部分をきれいに除いて洗って、種にして乾かす。店頭で売っているのはこの状態のものだ。しかし、ここからも手の掛かる作業で、季節の風味を味わいたい一心でその面倒な皮剥きをする。

もちっとした独特の食感。いつ頃から銀杏を美味しいと思うようになったのだったろう。子供の頃は好きではなかった。茶碗蒸しに入っていても、無い方が良いいのに。その分、とろとろの卵の部分が沢山あった方が良いのに、と思っていた。今は自分で作る茶碗蒸しには欠かせない具材だ。銀杏は、軽く焼いたり殻ごと煎って、塩でいただくと美味しい。大人の味。銀杏そのものの味を楽しめる。栄養的な効能も多いが、食べ過ぎは禁物。有害な成分が含まれていて、ビタミンB6の働きを阻害するのだそうだ。食べ過ぎると気分が悪くなったりお腹を壊したりするらしい。季節を味わう食材として楽しむ程度が適量、という事か。

見込みが狭く存在感のあるこの小皿は、北大路 魯山人の作品。土の味が活きて、ヘラで切った縁が勢いと鋭さを感じる。見込みに櫛目の十文字、裏には3箇所の目跡と中央にカタカナのロ。魯山人らしさ溢れる小皿だ。小さいながら迫力のある皿で、大粒で翡翠色の銀杏が映える。

器 瀬戸摺鉢文小皿 径11cm 高2,5cm

作 北大路 魯山人

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.43 牛すじ煮込

 東京で生まれ育ったので、大人になるまで牛すじという食材を知らなかった。初めて口にしたのは広島を訪れた時、お好み焼き屋さんでの事だった。よく煮込まれて味が染みて、牛すじはとろけるようでとても美味しかった。西日本では昔から好まれていたようだが、その頃でも東京の精肉店の店頭で牛すじは見たことがなかった。部位として一般的ではなかったから、店頭に並ばず飲食店に卸されていたのだろうか。おでんの具材として売っている乾燥の牛すじを買ってみたこともあったが、私が食べたかった牛すじとは違った。それから何年か経って、少し高級なスーパーで生の牛すじを見かけるようになり、買い求めて、みよう見真似で料理するようになった。茹でこぼして灰汁をしっかり取って、圧力鍋で柔らかくしてから料理する。煮込みやおでん、カレーも美味しい。今では地元で手に入るのでありがたい。

私は義務教育の年代に、父の転勤で数年間だけ兵庫県に住んだ事がある。その時、関西と関東、こんなに狭い日本でも文化の違いが大きくあることを知った。親戚関係も関東より北だったので、西に行ったのは初めての事だった。当時、母が作るカレーは豚が普通。関東で肉といえば豚か鶏、精肉店のショーケースに並ぶ牛肉のスペースは狭かった。兵庫に越して、母と買い物に行った時、いつものように豚肉を探したが見当たらない。鶏肉も見つからない。その精肉店のショーケースの殆どが牛肉で、様々なランクと部位が並んでいた。よくよく母と探したら、ケースの端に僅かに豚肉と鶏肉を見つけ、ほっとした思い出がある。そんな大袈裟な、と思われるかも知れない。今では関東でも関西でもそこまで極端な品揃えはしないはずだ。でも昭和50年頃の日本はそんな感じだった。当時、新幹線で3時間の距離で、こんなにも違いがある事を知った。移動時間も短くなり、情報も地球規模で瞬時に伝わる現在では遠い昔のことに感じる。

 厚手の古染めの鉢に牛すじと盛り合わせたのは、大根と比婆の蒟蒻。私が好んで作る牛すじ煮込みの組み合わせだ。味の染みた大根と、とろとろの牛すじ。秋も深まって、熱々の煮込みが美味しい季節になった。

器 古染め鉢  径17cm 高7,5cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.42 栗ご飯

この形態の器を、信玄弁当箱と呼ぶ。あの武田信玄に何か関係するのだろうかと調べてみたら、信玄の部隊が巾着袋にこの弁当を入れて持ち歩いた、と言う説を見つけた。陶器だと割れるし、重いので、素材は漆塗りのものだったと思われるが、巾着袋と言えば信玄袋にも繋がる。情報が少ないので定かではないが、名前の由来は、おそらくそういった経緯だったのだろう。

以前京都のお料理屋さん、美濃幸で店の名前の入った信玄弁当の器に盛り付けられたお昼のお弁当をいただいた事がある。もう、かなり昔の話だ。手を掛けたお料理がバランス良く2枚の大小の皿に盛り付けられていて、楽しくいただいた。信玄弁当を知ったのはその時。入れ子になったコンパクトさになるほど、と感心した。いちばん大きい下の器にご飯、2枚の皿を向付として使い、蓋は食べる時に汁物を入れる。中々合理的に出来ている。

この器は、4代 清水六兵衛のもの。四つの揃いで、それぞれに絵変わりで植物を描いているのだが、その鉄絵を使った画風や、大胆な轆轤目の凹凸に六兵衛らしさを感じる。

日中の陽射しは強いが秋風が吹き、栗の季節。毎年、季節になると一度は作る栗ご飯をこのお弁当に詰めてみた。今年の栗は小布施のもの。色は薄めだが粒が大きく、ほっくりしていて美味しい。向付の皿には常備菜のあれやこれやを盛り合わせ、これを持って紅葉狩りでもしたら風情があって優雅だろう、と想いを馳せる。

器 絵変わり信玄弁当 4揃 径12cm 高15cm

作 4代 清水 六兵衛

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.41 鶏の手羽先

 かなり虫食いだらけ。日本人が好む、古染め特有のぽってりした少し厚手の作り、四方の縁のきっちりした立ち上がりと平らな面の力強いフォルム。高温で焼かれても大した歪みも無く、四隅の脚に支えられて安定して居る。素地の作りだけ見てもすごい。

これが明末清初 1600年代に中国で作られ、日本に渡り、これまで割れも欠けもせず人の手を渡って来たのか、と感心する。少し沈んだ呉須の色も私好みだ。中央に3人の男性が顔を寄せている。何かのストーリーを絵にしたものか、私には解らない。見込みに嵌め込まれたこの絵の周りは花と、唐草調の葉と茎で埋められている。縁に白く盛り上がった突起が並び、更に表情を豊かにしている。

縁に立ち上がりのある四方は、意外と盛り付けが難しいと感じている。縁のない器以上に盛り付けに高さを作らないと、平坦に並んだ料理は食欲をそそらない。いつもは長皿などに盛ることが多い手羽先を盛ってみた。ひとりで楽しむならこれも良いか。ぱりっと芳ばしく焼けた皮、少しの塩とかぼすが骨回りの鶏肉を甘く引き立てる。焼きたてだからこそ、のご馳走だ。

器 古染め付 四方鉢 径15cm 高4,5cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.40 生ハムと無花果

 深い緑の織部釉が美しいこの皿。北大路 魯山人のもの。何を盛っても映えそうだが器負けだろうか、納得できる盛り付けが難しい皿だ。皿の周囲の輪花に緑の釉薬が溜まり、その深い色と土肌を見せた中央部分の色のコントラストが美しい。

前回、果物を盛り合わせた時にも書いたが、これは近頃気に入っている無花果。一番のお気に入りは生ハムを載せた前菜だ。無花果の甘味に生ハムの塩味。ひと昔かふた昔前に主流だったイタリアンの定番のオードブルはマスクメロンに生ハムを載せたものだったが、元々本国イタリアでもメロンだけでなく、フルーツとの組み合わせは古くから有るレシピだ。私は無花果か、よく熟して柔らかく、香りが強くなった洋梨との組み合わせが好きだ。水分が多めのフレッシュタイプの生ハムを使って、無花果の柔らかい果肉と共に口に入れると香りと果汁が広がって思わず頬が緩む。合わせるなら、私はよく冷えた白ワイン。生ハムだから赤ワインでも良いけれど、赤なら軽くてさっぱりしたタイプを選ぶ。

北大路魯山人。多彩な才能を持つ類い稀な人だったそうだ。陶芸だけでなく、書、絵画、篆刻と多方面に才能を発揮し、その作品は多く残されていて現代でも私達を魅了する。器好きなら誰しも使ってみたいと思う。作家としてだけでなく、美食家としても知られ、プロデューサーとしても一流の人だったようだ。しかし天才はやはり変人。常人には理解できない我儘な行動で周囲の人は振り回され、諍いも多かった、と彼について書かれた本で読んだ。個人的には私も彼の作品にはとても魅了されるが、本人は身近に居たら苦労しそうだ。

器 織部釉 輪花取り皿 径16cm

作 北大路 魯山人