カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.57 餡かけうどん

 つゆに片栗粉や葛粉でとろみを付けると、麺や具によく絡んで美味しい。そして冷めにくい。寒い季節には、最後まで温かくいただけるのも嬉しい。餡かけうどんは時々食べたくなる。

餡かけにする時のつゆは、いつもより甘味を強く、そして麺につゆがよく絡む分、塩味は少し控えめにする。この、甘めの餡かけには、たっぷりのおろし生姜がピリリと辛味を加えて味が引き締まる。生姜は身体を温める効果があるし、この季節にはうってつけだ。

和食や中華、アジアの国々の料理でよく使うテクニックの餡かけは、葛(葛粉)や馬鈴薯(片栗粉)の澱粉でとろみを付けたものだ。片栗粉のとろみは中華料理のメニューにはよく使われる。私もよく使うが、和食には少し穏やかなとろみになる葛を使う事もある。

片栗粉は、そもそも百合科のカタクリという植物の根(球根)から採取した澱粉のこと。それが、名前はそのままに原料が馬鈴薯になったのは明治時代の事だそうだ。江戸時代から料理に使われていた片栗粉は、そもそも採取量が少ない上に、消化が良いことから滋養薬として多く飲まれるようになった。そのせいでカタクリが激減、絶滅危惧種のような状況に陥った。それが明治時代になって、その頃生産量が増えていた馬鈴薯の澱粉が、カタクリに非常に近い性質である事が発見され、名前はそのままで原料が馬鈴薯に置き換わったのだそうだ。そう言えば小学生の頃の理科の授業で、ジャガイモをすりおろし、水を加えて攪拌すると、底に白い澱粉が沈澱する、という実験をした事を思い出した。そのときは『ふうん』と思っただけだけれど、あれが片栗粉だったと言うわけだ。

シンプルな白磁の鉢。新渡(しんと)と呼ばれる中国のもの。清の時代に日本に渡ってきた焼き物だ。以前、No.20 伽羅蕗 の回に書いた。この鉢は見込みは白磁の無地、側面は淡い青磁の色が掛けてある。絵も刻印も無い。潔いほどすっきりした鉢だ。少し小振りで、麺を盛って片手で持っていただくのに、ちょうど良い大きさだ。

器 新渡 白磁鉢  径 16,5cm 高 8cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.56 治部煮風

松に積もる雪を見て、この時期の金沢、兼六園を思い浮かべた。昔、一度訪れた事がある。とは言っても季節は真夏で、雪景色など想像もつかなかったはずだ。多分、そこで見た立派な松が印象に残っていたのだろう。雪の積もった松は、富山に住む友人の家に遊びに行った時に見た。確か3月頃で、雪はかなり少なくなっていたが、まだ時々降る雪が陽陰のあちらこちらに残っていた。その時に見た友人宅の松の木と、兼六園の松が重なったのかもしれない。

雪の多い地方では、松の枝を雪の重みから守るために、雪吊りを施すのだそうだ。その友人宅でも、毎年雪の季節が近付くと植木職人さんに雪吊りをしてもらうと聞いた。支柱を建て、雪の重みで折れないように、枝を綱で吊るして支えるのだ。雪の季節は、日常的に1日に何度も雪掻きし、季節の変わり目には庭木にも雪対策。ほんの数日滞在しただけだが、雪国の生活がいかに大変なものかと思いを巡らせた。

その、雪の積もった松の連想から加賀料理の治部煮を盛ってみたいと思い立った。大抵の材料は揃うけれど、金沢特産のすだれ麩は地元では手に入らない。今どきはネットで頼めば良いのだけれど、と思いながらも今日のところは手元にある粟麩で代用することにした。だから、治部煮に似せた治部煮風。私が知る治部煮の特徴は、このすだれ麩が入る事と、鶏は削ぎ切りにして粉をまぶして下煮し、つるんとした柔らかい食感。そしておろし山葵。撮った写真に山葵が載っていないのが残念だが、仕上げに山葵の香りが加わる事で、他の煮物とは異なる治部煮の完成だ。

 この、雪の松の絵の器は、8代 白井 半七。乾山写しをよくする人で、沢山いる大好きな陶芸家のひとりだ。初代 半七は江戸時代、1680年代に江戸で土風炉を中心に茶器を多く製作した。2代はその継承に加えて今戸焼 (隅田川焼) を生み出し、4代は伏見人形に影響されて、今戸人形を多く作ったそうだ。7代 半七の時、1923年 (大正12年)の関東大震災で窯が全壊、兵庫県伊丹市へ移窯した。そして 8代 半七 (1898〜1949) の時、小林 一三の招きで宝塚市に移り、仁清、乾山写しを得意として、華やかな作品を多く残している。料亭の吉兆はこの半七の器を好んで使ったそうだ。吉兆好み、として上客への配り物も多く残っている。

大胆な乾山風のタッチで松が描かれた、口の開いた浅めの鉢。轆轤目を残した凹凸の地に、薄い紅色の窯変が浮いて、風に舞う雪の白が映える。松の幹と同じ鉄釉が口にも回されて器を縁取り、盛った料理を引き立てる。

器 冬の松図 小鉢 径17cm 高5cm

作 8代 白井 半七

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.55 おでん

 寒い季節には食べたくなるおでん。汁がしみた熱々のおでんは身体も心も温まる。今どきはコンビニにもとても美味しいおでんが有るが、冬には何度か家で作る。

私が一番好きな具財は大根。大根を美味しくするためには牛すじも欠かせない。美味しいお出汁になれば、蒟蒻もしらたきも、卵も美味しくなる。今回の巾着は、お正月の残りのお餅を入れようかと考えたが、鶏の挽肉に山芋、銀杏などを入れて新作にトライしてみた。

子供の頃の家のおでんには、様々な種類のさつま揚げが沢山入っていた。地元に手作りのさつま揚げ専門店が有って、そこのさつま揚げはおでんに限らず度々食卓に登場していた。炙ったさつま揚げを大根おろしでいただくのが好きだった。もう、随分前に閉店して、今は食べられなくなってしまった。その頃は関東で牛すじは一般的ではなく手に入らなかったし、その分さつま揚げがお出汁を美味しくするのに一役買っていたのだと思う。今回も写真には無いが、さつま揚げや厚揚げを後から加えて楽しんだ。

青味を帯びた白磁の肌が美しい古染付の皿。呉須の絵が有るが余白が広い。この皿なら、おでんの大きめの具材を盛り合わせても映える。見込みの余白部分、右側には印刻で蓮が彫られている。呉須で描かれた菊も大輪で見事だ。見込みには茎から見えているが、皿の裏面にこの茎が続き、地面から生えている様が描かれている。菊と蓮、何か古い中国の物語が有るのだろうか。大地に根を張って花を咲かせている菊が頼もしく見える。

器 古染付皿 径20,5cm 高3,5cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.54 お正月の盛合わせ

 昨年の元旦からスタートしたこの『うつわ道楽』。初回もお節だった。私が作るお節はお決まりの品揃えとは違うが、自分や家族が好きな料理を作ってお正月風に盛り合わせる。そうは言っても黒豆や数の子、見栄えの海老は外せない。昨年と同じメニューの他に今年は百合根の金団とサーモンのサワークリーム添えを新しく加えた。

お正月料理は甘味の強い料理が多い。長い歴史で、甘味自体がご馳走だった時代もあっただろう。そして日持ちの為の知恵も。しかし今のこの贅沢な時代には、少しそぐわない事も事実だ。お酒やご飯にも合う味付けのメニューなら、お節料理としてだけでなく、常備菜として単品で食卓にも出せるので、無駄なく最後まで美味しくいただける。私の今年の目標は、我が家でのフードロスを無くすこと。もちろん、これまでも心掛けていたけれど、うっかり使い忘れてしまったり、ついつい買いすぎてしまう事があった。美味しいうちに美味しくいただき使い切る、を理想としたい。

今年の器は、お重ではなく縁高(ふちだか)。縁高、と言ってもお濃茶の主菓子を盛る、あれよりかなり大きい。一辺の長さがほぼ倍なので、普通の縁高を4つ並べた大きさだ。高さも倍。かなり大きな空間だ。縁高の外側面と割蓋は鏡面そのもの。歪みなく鮮明に映す、研ぎ澄まされた表面が美しい。しかし見込みにはその跳ね返すような緊張はなく、磨かれてはいるが木目が少し透けて見えるような暖かみのある塗りだ。

これは、初代 佐野 長寛(ちょうかん 1794〜1856)の作品。長寛は、幕末の京都の塗蒔絵師で、三代前から塗師として長濱屋を称する家に生まれた。先代の父を21歳で亡くし家名を継いだが、その翌年から諸国の漆工を歴訪し、5年後に京都に戻り名を長寛とした。作品は茶道具、家具、膳椀などを作り、多作で同じ意匠のものも多く在るが、全く同じではなく、必ず図や技法を異にしていたそうだ。若い頃から奇行が多かったとの記録もあるが、一体どんな人だったのだろう。

 なんとも迫力のある縁高だ。深みを増した真塗りの、沈んだ漆の質感に圧倒される。文字通り使う私が試されているように感じる。まだまだ、と言われて当たり前。勉強させていただこう。

盛付けを考えるのに時間を要した。こんなに大きくて深さもある器には、テクスチャーの違う器を嵌め込むとメリハリがついてまとまりやすい。今回は、白磁の蕎麦猪口に黒豆を、ガラスの小鉢(No.4にも使用)には数の子、紅白なます、百合根の金団、と水分のある物や形のまとまりにくい料理を器に入れて盛り込んだ。これを見たら縁高の作者、長寛は何と言うだろう。

器 光悦面取 真塗割蓋引重  30cmx30cm角 高15cm

作 初代 佐野 長寛 (塗匠 長寛造)