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うつわ道楽

No.61 ボンボンショコラ

 美しい色と愛らしい姿に眼を奪われる。まるで和菓子の練切りのように見えるがチョコレートだ。バレンタインに知人からいただいたもので、ホテル、レストランを併設する、結婚式場としても有名な所のものだ。華麗で雅な、訪れると都会の喧騒から別世界に脚を踏み入れたような感覚に陥る。

チョコとは解っていても、眼を奪われてすぐには手が出ない。何に、どう盛ったら素敵だろうかと暫く考えた。それぞれひと粒ごとの美しさが際立ち、でもこのボンボンショコラに負けない存在感の器。陶器、磁器、ガラス、どれも質感が際立たないなあ、と考えあぐねて結局、漆器に行き着いた。

この銀彩の漆の皿の作者は不明だ。作者の明記は本体にも箱にも無い。ただ、皿の裏、高台の中に書かれていたのは『和田酒宴の盃 鶴岡別當 所持の写』皿ではなく盃だ。和田の酒盛というのは、歌舞伎や浄瑠璃の演目にもなっているらしいが、三昼夜に及ぶ長いものだったと言われている。場所は、相模国山下宿河原、今の神奈川県平塚市山下の辺りだそうだ。

別當(べっとう)というのは鎌倉の鶴岡八幡宮の長官のことを指す役職名だそうなので、ここで言う別當が誰なのかは、私には判らない。少し調べたら、この盃(写の元となった原物)については、守貞漫稿(もりさだまんこう)という、江戸後期の三都、江戸、京都、大阪の風俗や事物を説明した辞典の様なものに、記載が載っている。著者は喜多川 守貞で、起稿は1837年(天保8年)、それから30年書き続けて全35巻にもなるらしい。その、守貞漫稿 後集 巻の一 にこの図柄の盃が絵入りで記載がある。その図には、径が五寸二分と有るので、大きさもほぼ同じだ。その後の歴史の中で、誰がどの時代にこの写を作ったのだろうか。江戸の頃か、新しくても明治だろうか。

少し調べただけで奥深いストーリーが浮かび上がり、私の手には負えないのでこの位にしておく。が、そんな盃の写しだったとは。漆の軽い盃ながら、そんな歴史物語を垣間見てしまうと、この盃の重みが何十倍にも感じられる。

真塗りに銀彩で波と兎、月と雲。漆黒の闇に、月の光に照らされて、立つ波頭の上を跳ねる兎が愛らしい。お菓子を盛って菓子皿として使ったが、本来は酒を注ぎ、この見込みの風景を眺めながら酒を酌み交わしたのだろう。恐れ多いけれど、いつか私も味わってみたいと思う。

器 銀彩蒔絵 盃 径15cm 高2,5cm

作 不明

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No.60 鰆の味噌漬

 立春が過ぎ、冷たい空気の中に少しだけ春の気配を感じる頃。気がつくと、いつの間にか夕方の時間が長くなり、庭の紅梅も開き始めている。

満開の梅を描いた角皿に、春の魚と書く鰆の味噌漬けを盛った。数日前に、蜂蜜味噌で漬けておいたものだ。蜂蜜味噌は、以前それを使ったアレンジ料理の本を見てから、自作の味噌で作って常備している。魚の切り身や肉、チーズなどを手軽に漬けるのに便利だ。

鰆。字を見て旬は春先と思っていたが、関東と関西で認識されている旬の時期が違うという。関東は12月から2月、関西では3月から5月。鰆は春、産卵のために外洋から瀬戸内海に集まって来るため、関西ではこの時期を旬としていたのだそうだ。分類ではスズキ目、サバ科、サワラ属。鱸も鯖も鰆も親戚という事なのだろうか、味は随分違うけれど。鰆は出世魚で名前も関東と関西で少し違う。関東では体長50cmを境に、サゴチとサワラを使い分け、関西ではサゴシ、ヤナギ、70cm以上をサワラと呼ぶ(旬の食材百科)らしい。

淡白な鰆は西京漬が多いけれど、コクのある味噌漬けの方が私は好きだ。付け合わせは、真白な石川の蕪で甘みを控えたなますにした。柚子の香りが味噌漬けの魚を引き立てる。

角皿は九谷焼で、絵は伊東 深水(1898-1972)が描いている。大正、昭和の日本画家。美人画が人気で、美人画の要望が多過ぎて他の画題に取り組めない時期もあったらしい。娘は宝塚歌劇団出身の舞踊家、歌手、女優でもあった朝岡 雪路さんだ。深水は、陶器の絵付けは本職ではないが、昔は絵師や僧侶などが焼き物に絵や文字を入れた合作もよく有った。これも深水が九谷を訪れた時の数少ない合作だろうか。

皿の裏、高台の中に見込みの梅と同じ朱で、九谷の青泉窯の名と共に『此君汀』(しくんてい)と入れている。此君汀は、深水が自分で出来が良く、気に入った美人画などの作品にのみ使う名だと言われている。この皿も、ご本人の満足の行く仕事だったのか、と有難い気持ちで眺める。見込みいっぱいに描かれた満開の花が華やかで、今にも梅の香が薫って来るようだ。

器 伊東 深水画 梅花角皿  径20cm 高5cm

作 九谷青泉窯

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No.59 チョコレート と コーヒー

街に美しいチョコレートが並ぶ季節。毎年バレンタインデーが近付くと見られる光景だ。どれも工夫を凝らした意匠とパッケージで目移りする。一時期の義理チョコの風習も薄れ、友達への気軽なプレゼントや、家族、自分で楽しむために選ぶ人が多くなったようだ。私は特にスウィーツ好きと言う訳ではないが、やはり時々美味しいチョコが食べたくなる。コーヒーを淹れて、口の中で蕩けるカカオの香りを楽しむのは、とても贅沢な時間だ。

人気店に行列するデパ地下も一通り見たけれど決められずに、結局、地元の蜂蜜を使ったスウィーツ屋さんのトリュフにした。トリュフを盛ったガラスの皿は日本のもの。特に名のあるガラス作家さんや、薩摩切り子や江戸切り子、と言う物ではなく、多分昭和初期頃の切り子細工だろう。どこかの古道具屋さんで大分以前に購入したもので、素朴な味わいの有る皿だ。

今回の主役はシェリー(Shelley)のカップアンドソーサー。主張の強いアール・デコの特徴的なデザインで、1930年頃のものだ。シェリーは、それまでの紆余曲折を経て、Percy Shelleyが経営者となり、1910年にイングランドで誕生した窯だ。最盛期は1925〜1940年とされ、第二次世界大戦前までだったらしい。このカップアンドソーサーはシェリーの最盛期で、時代もアール・デコの真只中の頃に作られた、ということになる。

シェリー窯が全てアール・デコデザインと言う訳ではなく、もっと優美な花柄のモチーフの物も多く有る。カップアンドソーサーにはシェイプで名前が付けられていて、同じシェイプで違う絵柄や色を纏ったバリエーションが作られていた。この、鋭角的なシェイプと前衛的な持ち手のカップアンドソーサーは、ヴォーグシェイプと呼ばれる。

器 Shelley(England) VOGUE shape カップアンドソーサー カップ径7,5cm 高6,5cm ソーサー径12cm

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No.58 恵方巻

 関東で人生の大半を過ごしている私は、節分に恵方巻を食べる習慣が無い。しかし近頃は商業的な狙いから、恵方巻が全国展開され、様々に工夫した恵方巻が店頭に並ぶ。少し前には作り過ぎた恵方巻の廃棄が社会問題になり、今年はロスを出さない事への関心も高まっている。

とは言え、お寿司屋さんや魚屋さんだけでなく、揚げ物屋さんなどにも通常には無い変わった恵方巻が並ぶと、店頭を見て回るだけでも楽しいものだ。その年の恵方に向かって、笑いながら、黙って丸齧りして食べ切る。というその儀式、私には無理そうなのでこれまで挑戦したことが無かった。そこで今年は小さいサイズを自分で作って試してみることにした。半分サイズの海苔で作るなら一本丸ごと食べ切る事ができる。

本来の恵方巻は具は7種類、などの決まり事も有るようだが、私の場合、中身の具は思い付き。3種類の恵方巻を作ってみた。まず、お寿司屋さんの手巻きでも定番の穴子と胡瓜は間違いなく美味しい。次に、お刺身としては逆輸入だが、今や日本でも人気の生サーモンに相性の良いチーズを合わせてチャレンジしてみた。これには海苔や酢飯との繋ぎ役を考えて大葉も加えた。3種類目は蟹。酢飯に白胡麻を混ぜ込んで、塩揉みした胡瓜と貝割れを一緒に巻いた。さっぱりして蟹の風味が引き立つ。家で手巻き寿司をする時の感覚で、思い付きの組み合わせで楽しんだ。

鮮やかな黄色の皿は、度々登場する 2代 川瀬 竹春 (1923~2007)。中国、南京で1700年代終わりから1800年半ば頃に作られた焼き物で、この黄色を使った磁気を黄南京(きなんきん)と呼ぶ。竹春もよくこの黄と緑を使い、黄南京の特徴を良く写したオリジナル作品を多く作った。我家に在る、オリジナルの黄南京の鉢と比べると、竹春の作は土の肌目が細やかできっちりと整い、端正な仕上がりが美しい。しかし、オリジナルの黄南京にはそれとは違った、ふわっとした素朴な良さが有る。どちらにも捨て難い、それぞれの良さが有る。オリジナルの黄南京ももちろん好きだが、竹春の皿の洗練された意匠やフォルム、ヘラで仕上げたシャープな質感は見る度に惚れ惚れする。

恵方巻は、いつものように切り分けて具の彩りを楽しむ訳には行かず、黒い海苔ばかりが目に付くので、黄と緑で新春を感じる華やかな器を使った。

器 黄地緑採菊花文八角皿 径23cm 高1,5cm

作 古余呂技窯 2代 川瀬 竹春(順一)