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うつわ道楽

No.70 鰹の漬け丼

 初鰹と呼ばれる春先の鰹は、3月から5月にかけてが季節。鰹には二度旬が有って、初鰹と秋口の脂が乗った戻り鰹。どちらも美味しいのだが、私は調理法として、たたきよりお刺身が好きなので、どちらかと言うとさっぱりした赤身の初鰹が好きだ。

きれいな赤身の鰹が手に入ったので漬け丼にした。刺身を丼にする時は、少なめに酢の入った寿司飯にするのが好みだ。酢漬けの蓮根を刻んだものと白胡麻を混ぜた寿司飯に、刻んだ大葉と細葱、おろし生姜。鰹をたっぷりと載せた。しっとりとして舌触りも良く、大きな鰹の切り身があっと言う間に無くなった。

この呉須赤絵の、豪快な力強さを感じる鉢は、12代 永楽 善五郎(永楽 和全 1823-1896)のもの。和全は、明治に入った頃から息子で、当時既に善五郎を譲っていた14代の善五郎(永楽 得全 。No.23,65で使った永楽 妙全は、得全の妻)と共に多くの作品を作ったとされるが、その中でも特に呉須赤絵の評価が高かったと言う。この鉢が息子、得全と共に作陶した頃の物かどうかは不明だが、そう聞くと得全の作、ひいては代々の永楽の呉須赤絵を並べて見てみたくなる。

我が家では、本家の中国の呉須赤絵も所持している。勿論それはそれでとても良いのだけれど、この鉢にはまるで違った美しさが有る。地肌にかかる白い釉薬の透明感、赤と緑の色の鮮やかさ、かなり薄れてはいるが金も所々に残っている。曲線を描きながら、緩やかな八角形の輪郭。高さのある高台も八角形で、まるで李朝の皿を思わせるが、本家の呉須赤絵には無いディテールで作者の独創性が生きている。器を真横から見ると、高台から上に向かって柔らかい膨らみで開いて口へと繋がる。見込みには底に呉須で大らかな筆使いの大輪の花が描かれていて、ほっ。と優しい暖かみを感じる。

器 呉須赤絵 鉢 径15cm 高10cm

作 12代 永楽 善五郎(和全)

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No.69 うどのきんぴら

 うど(独活)を一本買うと、一度では全部食べ切る事が出来ないので、何度かに分けて使うことになる。その度に剥いた皮を取っておいて、一本分が溜まったところできんぴらを作る。うどの香りを楽しめる春にしか味わえない料理だ。皮は身の部分より繊維が硬いので、細く切って水に晒して灰汁を取る。加熱してもシャキシャキした食感はそのままだ。この色なので見た目に春らしさは無いけれど、有ると食卓が楽しくなる。

この初代 清風 与平の鉢は深さがあって、白磁の透明感のある肌が、見た目の地味なうどのきんぴらを明るく引き立ててくれる。しっかりとした呉須の色。少し流れて滲んでいるが、返ってこの絵の印象を柔らかくしている。

この絵は何を描いているのか、定かではない。が、絵の中に『記礼』の文字が見える。調べてみると『記礼』『礼記』とは、中国の戦国時代から前漢時代の頃の礼学関係の文献をまとめた、とされる経典で五経のひとつらしい。『記』は『経』に対する補足、注釈の意味が有る、と。詳しい内容は難しくて解らないが、その礼記に登場するどこかの場面を描いたものと推測出来る。

清風 与平はいわゆる文人だ。文人とは、ウィキペディアによると、中国の伝統社会に生じたひとつの人間類型であり、「学問をよく修め文章をよくする人」とある。清風 与平は煎茶道具を多く作っていて、精通した儒教の書物の物語を題材にした絵付けも多い。不勉強の私には想像することしか出来ないが、煎茶は中国から日本に伝わったという事を考えると、その背景にある文化の奥深さを感じる。

器 染付け 鉢 径13cm 高8cm

作 初代 清風 与平

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No.68 筍のバターソテー

 筍の季節。毎年届く福岡県合馬のものだ。今年の筍も柔らかくて香り高い。筍ご飯や、お出汁で炊いた筍をいただくと、風味と歯触りが格別だ。たくさん炊いて一度に食べ切ることができなくても、翌日はしっかり味の沁みた筍が味わえる。その筍の煮物を朝食にバターソテーにしてみた。筍には味がついているからバターだけで少し焦げ目が付くくらいにゆっくりソテーする。バターの風味と筍についた焼き色の香ばしさで、思った通りの美味しさだ。

半月前までまるで針金のように細いただの棒だった庭の山椒の木。小さい緑の粒のような葉の芽が出始めたのが10日程前だったろうか。その粒が少し大きくなり、葉の形になり、日々眼を見張る速さで料理に使える大きさの葉に育った。今年は家の山椒は筍には間に合わないだろうと思っていた。その私の諦めを感じたのだろうか、自然のパワーには驚かされる。おかげで摘みたての山椒の香りを添えた、贅沢な筍料理を味わった。

 蓮の葉を象った古染付の皿。目立たないが、表面に印刻で葉の葉脈が入っている。呉須で描かれているのは風景。崖のような山肌と、小さい丘に向かい合って座る二人の人物。見込みには上手く窪みが作られて料理が盛りやすい。皿は左側が右側より大きく張り出している分、右側は少し高く、まるで持ち手のように皿の端が柔らかく反り、料理を盛った時の左右のバランスが良いと感じる。

皿の裏には脚ではなく、渦巻き状に付けられた高台がある。ゆるく舞いた蚊取り線香のようだ。蓮の茎は真っ直ぐだけれど、この高台は葉から続く茎を表現したものか、と思ったりしている。

器 古染付蓮葉向皿 五枚  径19,5×12,5cm 高3,5cm

 

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No.67 苺のタルト

 今月が誕生月の私。ひさしぶりにこのタルトが恋しくなって買いに行ってきた。昔から、このお店の一番のお目当てはブルーベリーだった。以前はいつも有ったのだけれど近頃は季節の一時期にしか作らなくなってしまっていて、残念ながら買えなかった。それで今回は今が旬の苺のタルトにした。鮮やかな赤い苺は見ているだけでも元気が出る。サクサクの生地に軽めのカスタードクリームが載って、甘酸っぱい苺を引き立てる。

普通のケーキ皿では窮屈そうなので、マイセン(MEISSEN)のミート皿に盛った。アンティークと言うほど時代を経てはいないけれど、ドイツがまだ壁によって東と西に隔てられていた頃のものだ。色とりどりの可憐な手描きの花、縁の優雅な曲線を金で縁取取ったこの皿は、軽やかで普遍的な美しさを感じる。マイセンでは『散らし小花』と呼ばれるこの柄、我が家でカップアンドソーサーも所持している。近年作られたそのカップアンドソーサーとこのミート皿を比べると、同じ柄でも時代の違いで雰囲気が異なる。職人固有の筆使いの差も有るだろうが、絵付けの色使いや発色、モチーフの花のディテールが柔らかい。

以前、No.24の回でもケーキ皿を使ったが、マイセン窯の歴史は300年以上前、17世紀に始まる。マイセンの日本語版公式HPによると、当時まだヨーロッパには磁器を焼く技術が無く、中国や日本の伊万里焼が珍重され、人気が高かった。ヨーロッパ諸国の王侯貴族や実業家は、白くて薄く、艶やかな硬質磁器の製法を見つけようと知恵を絞っていたそうだ。

中でも、元々東洋磁器の蒐集家でもあったドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王が最も熱心で、錬金術師のヨハン フリードリヒ ベトガーを監禁して、その製法を研究させた。ベトガーは1709年に遂に白磁の製法を解明し、翌年の1710年、ヨーロッパ初の硬質磁器 マイセン窯が誕生した。その後、アウグスト強王は、交易品として価値のある硬質磁器の製法が他国に漏れないようにと、功労者であるベトガーを幽閉してしまった。監禁されて成果を出して、解明した挙句にまた幽閉とは、なんと辛い話だろう。

アウグスト強王の情熱と、功労者で犠牲者でもあったベトガー。マイセン窯には食器だけでなく食卓や室内を飾る精巧で美しい彫刻も多く、長い歴史を経てその意匠と技術が今に伝えられている。何気なく使っている陶器や磁器にも、その開発や発展に携わった人達の情熱と努力、そして犠牲も有ったのか、とそれを成し遂げてきた先人達の苦労を思う。

器 散らし小花 ミート皿  径23cm 高3cm

作 MEISSEN

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No.66 花見酒

 昨夜の強風で飛ばされたのであろう桜が一輪、家の裏庭に落ちていた。散り始めた桜の花びらが風に舞い、この季節ならではの優雅な風景を楽しんでいたら、この盃を思い出した。風に舞い踊る花弁のように筆が動くのだろうか、朱で書かれた花の字が美しい。こんなに華やかで優しい器を作る、小山 冨士夫という人はどんな陶芸家だろうかと調べてみた。

陶磁研究家で陶芸家 小山 冨士夫(1900〜1975)は、亡くなられた頃には日本陶磁協会理事、東洋陶磁学会常任委員長という肩書きを持つ、お堅い研究者という印象だった。

1900年(明33)岡山に生まれ、幼少期に東京 麻布に転居し、家族と共に教会にも親しんだという。東京商科大学(現 一橋大学)在学中に、社会主義運動に共鳴し、中退して一時期カムチャツカへ渡ったが、大正12年の関東大震災で帰国。教会の救済事業に従事した後、志願して一年間、近衛歩兵部隊に入隊した。私が調べた内容としては、ここで知った人の影響で陶器に興味を持った、という。これまで陶芸とは無縁だったと思われる小山 冨士夫の、その後の人生を陶芸とその研究に向かわせたきっかけとはどんなものだったのだろう。除隊後、京都 山科の真清水 蔵六(ましみず ぞうろく)に弟子入りし、京の古い窯跡の調査や朝鮮半島、中国への旅を経て自らも独立して作陶を始める。そしてその後も多くの陶工や陶磁研究者との交流を経て日本や東洋の陶磁器の研究を進め、多くの研究書や古陶磁全集などをまとめた。と、かなり堅い話になってしまったが、この作者はそういう方だったらしい。

それを知って、改めてこの酒器を見ると作者の小山 冨士夫さんはどんな方だったのだろう、と興味が湧いてくる。細かい調査や山のような資料に囲まれている研究者と、この優しい酒器を作った陶芸家がなかなか重ならない。

器 花酒器 径8,5cm 高3,3cm

作 小山 冨士夫