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No.92 秋鮭の吹き寄せ風

 金継ぎ、直し、と言ってもここまでやるの?と思うほどばりばりに割れた破片を繋ぎ合わせた器。一客だけでもすごいと思うのだが、この志野焼の向付は五客組で、その全てがこれと同じように破片を組み合わされたもの。ここまでの手間を掛けたのは何処の何方で、何のために?と考えてしまう。が、元の姿に近いこの姿に生き返らせた誰かと、その労力に賞賛と感謝を送りたい。志野焼の窯跡で不出来故か廃棄され、埋もれていた器を掘り起こし、パズルのように組み合わせて再構成したのだろう。志野焼きの釉薬の掛かったパーツの中に、独特の素朴な絵が描かれた部分も組み合わされ、そこに厚く盛られた金継ぎの線が走る。四方の角に集まる金のラインが華やかさを添えている。

窓を開けると、どこからか金木犀の甘い香りが漂って来る。茶道の世界では10月は“名残“。11月は“口切り“と呼ばれ、その年に摘まれた新茶をいただく、茶道の世界では新しい一年の始まりの月だ。だから、10月は残り僅かになった前年の茶を名残惜しんでいただくのだ。そして5月から夏の間に湯を沸かしていた風炉の季節も10月で終わり、炉に変わる最後の月となる。また半年先まで、風炉との別れの気持ちも重なって名残と言われるのだそうだ。この時期は詫びた風情を好み、直しのある器や花器を使う。9月の終わりに、実りの季節を思って名残の器に秋の味覚を盛り合わせた。

器 志野向附 五客  径12cm 高7cm

作 不明

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No.91 隠元豆のピーナッツだれ

 緑が鮮やかな隠元豆を濱田 庄司の小鉢に盛った。いかにも濱田 庄司らしい、黒釉に緑のラインが映える器だ。力強い、厚味のある素地なのだが、六角形の作りや縁の作りはとてもシャープだ。5客の揃いで、茶の発色、緑の釉薬の流れや溜りの調子が個々に違っていて、それぞれに風景がある。白和えなど、和え物に使う事が多いが、四角い胡麻豆腐や卵豆腐を盛ってもこの六角形の器によく似合う。

いつもは胡麻だれで作る事が多いけれど、今日は甘味の無いピーナッツバターを使ってピーナッツのたれにした。出汁で溶いて砂糖と塩、少しの酢を加えて甘味を引き締めている。

器 黒釉六角小鉢 五客  径11,5(13)cm 高3,8cm

作 濱田 庄司

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No.90 生菓子

 西の方へ出掛ける事があって、その帰りに京都で新幹線を途中下車。久しぶりの京都だ。以前は年に何回か行っていたのだが、思いもよらない感染症の流行で、国内の移動も規制されていた。久しぶり過ぎて、京都でどこへ行きたいのか思い浮かばない程だった。でも、目的はひとつあった。昨年、御実家のある京都へ越した友人に会う事。先方も忙しくしているだろう、顔を見て少し話して失礼するつもりが、話し始めたら止まらない。気が付いたら帰りの乗り継ぎの新幹線の時間が迫っていた。

この生菓子はその友人がお土産に、と用意してくれていた和菓子だ。今時の京都で行列になるというお菓子屋さんのもので、たまたま空いていたから、と。まだ残暑は残るけれど、お菓子は秋を感じさせる菊の花。この、白の『饅頭菊』は焼き物の絵付けにもよく登場する菊の花の表現だ。白の丸に中央の黄。一枚ずつの花弁の表現は無くても菊の花と解る。意匠のモチーフ化、デザイン化のすごさに感心する。日本だけでなく、西洋や東洋を問わず、動植物の意匠化は古い時代に確立されていて、近年はその膨大な過去のモチーフの遺産の上に成り立っている、と言っても良いのではないかとさえ思う。衣食住の生活に、実用だけでなく装飾を加えるゆとりを持った縄文の時代から、実物を捉える観察眼が磨かれて、優れた物が現代に残り、私達を楽しませてくれているのだろう。この白菊はふっくらとして、中の漉し餡も美味しく、眼でも舌でも楽しませてもらった。

この、銀彩の皿の作者は北大路 魯山人。備前の土に櫛彫で草が彫られ、その上に銀が載っている。五枚有る皿の形は、手で叩いて伸ばしているので不揃い。素朴な作りだけれど、彼の手に掛かるとこんなに洗練された仕上がりになるから不思議だ。さすが天才。五枚の皿は、火の当たりによって土が赤く発色せず、白っぽい上りの物も有るけれど、それぞれに味がある。枯れ葉の庭に咲く白菊のようだ。

器  銀彩 草文櫛彫 備前土小皿 五枚 径12cm 高1,5cm

作  北大路 魯山人

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No.89 だだちゃ豆

今では当たり前に関東でも流通しているだだちゃ豆。山形県の名産で、夏の終わりに出回る枝豆だ。鞘の毛は茶色っぽくて、実は小振りだが味が濃くてとても美味しい。

たっぷりの塩で揉み洗いして少し置き、そのまま沸騰した鍋に入れて茹でる。茹だる湯気に豆の良い香りが立ち上り、食欲をそそる。まだ、陽の残る夕暮れ時に冷えたビールといただく。昔から変わらない夏の醍醐味だ。豆自体にはあまり塩をせず、食べながら気分で塩をつけたり、つけなかったりする。

今日の主役はこの、兎の手塩皿。おおまかに兎を象った白磁の地に、呉須で絵と吹き墨で色を付けている。柔らかくて長い耳と、小さな眼が優しい。皿には小さな脚が3本。中央が大きく窪んでいるので、少量の調味料を入れるのに使いやすい。

作者は、加藤 静允(きよのぶ 1936〜)さん。京都の小児科医で、陶芸家でもある。陶芸は趣味で、一時期は販売もしたらしいが、今では知人に贈る程度だそうだ。磁器を作り、伊万里の写しをよくされる。兎のモチーフは伊万里で多く作られていて、加藤氏の作品にも兎の絵柄が多いようだ。私も加藤氏の他の作品は実際に見たことはない。が、この小皿は縁あって我が家に迎えることが出来た。大事に、楽しんで使わせていただこう。

器 白磁兎染付小皿 径7x5cm 高1,5cm

作 加藤 静允

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No.88 冷奴

 京都の老舗のひとつ、たる源。寿司桶や御櫃、湯豆腐桶などが主な商品で、樽や桶を作り続けるお店だ。この小さな片手桶と猪口は、組ではなく別々に求めた物。桶は銅、猪口は銀の針金で締められている。9月とはいえまだ残暑の日に冷奴を盛った。塩でいただいても良いし、醤油なら別な小皿に。色の無い食材であっても木地のままの器はすぐ染みになるので気を使う。部分的に濡れると染みが出来るので、桶も猪口も使う前に全体を水に潜らせると染みになりにくく、綺麗に使うことが出来る。

冷酒は、4代清水 六兵衛の燗鍋に入れた。燗鍋は、その字の通り酒を入れてお燗する器の事だ。鉄や錫などの金属製の燗鍋も多く、焼物であっても昔はそのまま火にかけてお燗したそうだ。燗鍋はお茶事で使う懐石道具で、その素材に関わらず組み合わせるお猪口は漆と決まっている。今回は少し崩して、燗ではなく冷やした酒を入れ、猪口も漆ではなく木地のものを使い、涼しさを演出してみた。

六兵衛の燗鍋は、京焼らしいきめの細かい土で、薄手で優雅な作りが上品さを、丸いフォルムと小さな3本の脚が愛らしさを感じさせる。若松の図柄は新春向きと思うが、涼しげな絵柄が気に入って冷酒にしてみた。燗鍋はお燗が前提の器なので、持ち手が付く。この持ち手には葡萄の蔓が巻かれていた。古くなって朽ちていたので外したが、使い手を思いやった素敵な工夫だった。

器 燗鍋 幅14cm(口含) 高18cm(持ち手含)

作 燗鍋 四代 清水 六兵衛

器 片手桶 径9,5cm 高10cm 猪口 径4,5cm 高4,5cm

作 片手桶、猪口 たる源