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うつわ道楽

No.100 白子の天麩羅

 暫く仕舞ってあった十字文の皿。とても気に入っているけれど、どこに仕舞ったのか見つからず、ずっと探していた。先日やっと見つかって嬉しくなって久しぶりに使ってみた。

この径の皿は和食器には少ない。少し深さのある見込みも、料理を盛るのにとても都合が良い。意匠だけでなく料理を盛るという実用にも適していて、作る側には料理を盛ってみたいという気持ちにさせる皿だ。北大路 魯山人の器は、食べる人にも料理人にもとても魅力的だ。

季節の鱈の白子を天麩羅にした。舞茸とししとうも盛り合わせ、塩とすだちを添えた。サクッとした衣にふわふわ、とろとろの白子は、ぽん酢や鍋でいただく時の食感とも違っていて美味しい。

 昨年の元旦から始めたこの『うつわ道楽』も今回100回を迎える事ができた。毎回、その器が生きる料理を目指してはいるのだが、後から見返すともっとああすれば良かった、とかこうが良かったか、と考える。でも料理はその時食べて無くなるもの。また次にその器を上手く使う事ができれば良いのだ、とも思う。道楽なのだから。これからも気の向くまま料理を盛って楽しみたい。

器 鵜班釉 十字文 平向付 五客  径19,5cm 高3,5cm

作 北大路 魯山人

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うつわ道楽

No.99 蕎麦

 収穫の秋。米も蕎麦も新物が出回る時期だ。よく比較される蕎麦派、饂飩派で言うと私は饂飩派だろうか。自宅で作ることを考えると、饂飩の方が頻度が高い。蕎麦も饂飩も家庭で食すには乾麺しか無かった時代とは違い、今や保存期間の長い冷凍や生麺の饂飩はクオリティがとても高く、食べる機会も増える。

でも、決して蕎麦は嫌いではないし、むしろ時々とても食べたくなる。自宅の近くに美味しい蕎麦屋があり、打ちたての蕎麦を食べに行く。家で、買ってきた乾麺や生麺で作る蕎麦とは格段に香りも味も美味しい。とは言え、時たまインスタントラーメンの味が恋しくなるように、乾麺の蕎麦を食べたくなった。いつもなら冷たい蕎麦は笊に盛るけれど、きめの細かいこの蕎麦は、皿に盛った。

染附の、とは言っても古染の柔らかい肌の染附ではなく、肌がシャープな富本 憲吉の白磁の染附だ。少し深さのある皿の形も蕎麦を盛るのにちょうど良い。天麩羅やとろろにする事が多いが、今日は蕎麦つゆと薬味だけの盛り蕎麦にした。見込みの絵は月の田舎家の風景だろうか。古染を使う事が多いからか、現代のきっちりした白磁が新鮮に映る。

器 染附皿  径20,5cm 高3,5cm

作 富本 憲吉

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うつわ道楽

No.98 栗の渋皮煮

 毎年、季節になると一度は栗ご飯を炊く。お料理屋さん風にシンプルに栗だけのものや、栗とお揚げを入れたもの、鶏や人参、椎茸も入れて五目にしたり、とその時の気分で具材や味を変える。栗は炊き込みご飯にしなくても、煮物の具材のひとつにしても美味しいし、気が向くと渋皮煮を作る。作った渋皮煮は容器を煮沸消毒してきちんと保存すれば、おせち料理の盛付けにも使える。

今年は、八百屋の店先で何度も栗を見掛けていながら中々手を出さずにいた。なぜだろう、皮剥きを考えて面倒臭さが勝ったのだろうか。もちろんそれも有るけれど、何故か買おうと思う意欲が掻き立てられなかった。

しかし、この栗を見つけた時は何も考えずに手が延びた。大粒で艶が良く、その姿を見た瞬間に手間は関係なくなり、どうやって食べようか、と考えていた。素材の魅力なのだろう。その夜は栗ご飯、翌日は栗のリゾットでいただき、買った時の半量程、大きくて形の良い栗を渋皮煮にした。煮る手間は掛かるけれど、鬼皮だけ剥けば良いので楽にさえ感じる。シロップに浸けたまま一晩置いて、さて今年の出来はどうだろう。

この染附の蓋物 (食蘢 じきろう 蘢は本来は竹冠)は、東光山 旭亭(亀屋 旭亭)(1825〜不明)のもの。力強い筆使いと鮮やかな呉須の色で、その絵に引き込まれる。唐物写を多くし、祥瑞を得意とする方だ。京都 五条坂で生まれ、25歳で独立、東光山を号として染附を始めた。この器にも祥瑞風の縁取りが施されている。蓋には唐人と思われる男性が2人、先に羽根のようなものがついた箒状の長い棒を持っている。何かの物語の一場面だろうか。

お抹茶の主菓子を入れる器、とされる食蘢にしては小振りだが、この時代の文人達が好んだお煎茶の道具かも知れない。この大きさの蓋物なら、香の物やお惣菜を盛って食卓にも使えそうだ。

器 染附写 蓋物  径13cm 高8,5cm(蓋込)

作 東光山 旭亭

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うつわ道楽

No.97 ボルシチ

 ロシア料理と認識されていたボルシチは、実はウクライナの郷土料理だそうだ。ソビエト連邦の時代、日本にもロシア料理のレストランが出来て、ロシア料理の代表的なメニューとして知られるようになったのだと思う。

当時ウクライナは独立した国ではなく、ソ連のウクライナ地方。私が子供の頃読んでいた、山岸 涼子さんの『アラベスク』というバレエ漫画にこの地名が登場するので知った。当時、バレエの最高峰はソ連で、ボリショイバレエ団が有名だった。この『アラベスク』の主人公はバレエを志す少女で、ウクライナのキエフ(現在のキーウ)出身。レニングラードのバレエ学校に進み、ボリショイバレエ団とも競い合う。当時のレニングラードは、今のサンクトペテルブルクだ。世界地図は様変わりしている。

最近は、地元の八百屋でも生のビーツが手に入る。長野や北海道で生産されている国産だ。ボルシチの、トマトとは違う紫がかった深い赤の色はビーツの色だ。蕪ような形だが、さとう大根の仲間だそうで、少し甘味がある。仕上げにサワークリームを加える。コクが増し少しの酸味が加わり、味が完成する。ボルシチは、本来長く煮込む料理ではないらしい。レシピを探すと牛肉も薄切りを使い、野菜の切り方も小さめだ。でも、肉も野菜もよく煮込んだ方が好みなので、私流のボルシチはすね肉を使って煮込んだシチュー風に作る。肉も玉葱も、人参も馬鈴薯もキャベツも、具が全てビーツの色に染まる。

ボルシチを盛ったのは、Susie Cooper(スージー クーパー)のスープ皿だ。アール デコ調の手描きの愛らしい花柄で、見込みがたっぷりした皿だ。スージー クーパーは、ミート皿などはよく使われていて、経年のナイフのキズが有る物も多い。が、このスープ皿は使われる頻度が少なかったのだろう。キズも無く、良い状態で残っていた。少し厚めに掛かった釉薬に貫入が入っていて、最近の工場生産とは違う温もりを感じる。

器 Susie Cooper スープ皿  径25,5cm 高4cm