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うつわ道楽

No.109 焙じ茶

 一月も残り少なくなった。空気は冷たく乾いている。お正月の鏡餅でかき餅を作った。餅は乾燥させておいたものを細かく砕いて油で揚げる。初めて作った時は一粒が大きくて中まで火が通らず、芯が残ってしまった経験が有る。それに、揚げると倍ほどの大きさに膨らむから小さいかしらと思うくらいがちょうど良い。一度に油に入れる量も欲張らない。膨らんで揚げ油に浸からなくなってしまうので、少なめにして回数を分けて揚げるのが肝心と学んだ。

このかき餅の味付けにはあじ塩がいちばん。普段、料理にあじ塩を使う事はないけれど、かき餅にはただの塩だと物足りない。シンプルにあじ塩だけ、が基本でそれに青海苔を散らしたり、醤油を少し回しかけたりして味を加えるとそれぞれに美味しく、飽きずに食べられる。味付けは油から揚げたら熱いうちに和えてしまわないと馴染まない。醤油を振りかけるとジュッと音がして良い香りが立ち上る。

そんなかき餅には焙じ茶が欲しくなる。土瓶は永楽の赤絵を使った。元々、土瓶は急須と違って直火に掛けて使うので、持ち手は熱が伝わらないように植物の蔓を使うのだそうだ。その場合の土瓶は土ものの陶器で、磁器の、それも色絵の土瓶は直火に掛けるべきではない。焙じ茶や玄米茶を熱い湯でたっぷり淹れるのに適している。白磁の艶やかな本体に色鮮やかな絵付け、持ち手にごわごわした葡萄の蔓が付くことで素朴さと愛嬌を感じる。

この土瓶の作者は第15代 永楽 善五郎(正全 1880-1932)。早逝した14代の得全亡き後、19年に渡って永楽を支えた得全の妻、妙全(1852-1927)の甥(山本 治三郎)にあたり、事実上、当時妙全に代わって作品を作っていたと言う。妙全が74歳で亡くなった後、得全と妙全の息子、16代 善五郎に代を譲るまでの5年間を15代善五郎として活躍した。妙全の時代同様、私にとって正全の作風が好ましいのも当たり前と思う。(妙全の器は2021/6/4 No.23、2022/3/25 No.65でも使用)

器 赤絵土瓶  径15cm 高 17cm

作 第15代 永楽 善五郎(正全)

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No.108 焼き油揚げ

 今日からは二十四節気で言う大寒。文字通り冬でいちばん寒い頃を指す言葉で、1月の初め頃から今までが小寒で今日から半月ほどが大寒、そして次の立春へと移って行く。いちばん寒いと言うと『激寒』とか『極寒』が思い浮かぶけれど、寒さを大小で表すのは二十四節気を作った中国に倣ったのだろうか。二十四節気は古代中国で作られた暦。太陽暦は既に有ったが、四季の移り変わりに準じて季節を知る目安に、と長い年月かかって確立されたという。種まきの時期や狩猟採集のための暦が必要だったのだろう。

寒い時期は生姜を食すると良い。これも中国で確立した漢方の考え方で、生姜は身体を温める食材の代表格だから。日本でも生姜は一般的で良く使う食材だが、中国やインド、タイランド、などアジア全域で使われている。様々なスパイスや、その国の特色ある調味料、例えばタイのナンプラーなどによって生姜の風味も違った味わいになる。日本なら醤油。生姜醤油は大豆製品ととても相性が良い。冷奴や湯豆腐、飛龍頭。私は炙った油揚げと生姜醤油の組み合わせが気に入っている。

細かい輪花の皿は南京赤絵。花と蝶が色鮮やかに描かれていて、輪花の縁取りにも赤が使われ、とても繊細な印象を与える。私がとても大事にしているお気に入りのひとつだ。ところが、以前の地震で大きく揺れた時、棚の中で隣の器と当たって輪花の縁が所々欠けてしまった。5枚有る皿がそれぞれ少しずつ被害に合った。残念だけれど、大きく壊れなかったのが不幸中の幸いと感謝したい。

器 南京赤絵 輪花皿  径14,5cm 高3,5cm

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No.107 きな粉餅

近頃はいつでも手軽にお餅が食べられる。大手メーカーのパックで日持ちのするお餅がスーパーで手に入るからだ。私が子供の頃は、年末年始となるとどこの商店もお休みだった。24時間年中無休のコンビニやスーパーなんて無かったし、生鮮商品はもちろん食パンも買い溜めをしてその期間のために備えたものだ。言うまでもなく飲食店も営業はしていない。だから当時は食料の確保が重要だった。その頃の親の世代は大変だったと思うが、私は年に一度のその不自由もお正月の儀式の一環として子供ながらに理解していた。『おせちも良いけどカレーもね』と言うCMの時代だ。今は元旦から営業している店舗もあり、返ってその不自由さが懐かしい。

その頃のお餅は今とは意味が違っていた。私の家は餅つきをする事はなかったので、お餅はいつも買っているお米屋さんに頼んでいた。予めお餅の注文表が来て年末に届けられる。関東育ちだからのし餅だ。今でもお正月のお餅は同じお米屋さんのつき立てを買っている。届きたてはまだ柔らかく、一晩置いて適度に硬くなってから切り分ける。当時は家族も多く、お正月のお餅の量も多かったから、切り分けるのもひと仕事。当時それは兄の仕事だった。その頃のお餅はお正月の特別感のあるご馳走だった。

当時、我が家で食べていたのは、焼いた餅を砂糖水のシロップに潜らせて、きな粉と白砂糖を併せたものを掛けたものだった。広辞苑に拠ると、これは正しいきな粉餅のレシピのようで、一般的にきな粉の餅を総称する安倍川餅は、きな粉をまぶした餅の上に白砂糖を掛けたもの、だそうだ。砂糖を別に掛けるか、きな粉と混ぜるか、の違いらしい。そうすると黒蜜好きな私が作るこの餅は、さしずめ安倍川餅の黒蜜バージョン、と言ったところか。

皿は古染付。古染には多く有る『芙蓉手』と呼ばれる模様で、このように少し縁が立ち上がった皿か鉢が多い。我が家は古染付が好きで、この芙蓉手の皿や鉢も大小様々有る。その中でもこの皿は古くから持っている物で、取り皿として使い勝手の良い大きさだ。

器 古染付芙蓉手皿 径15cm 高3,5cm

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No.106 おせち

 新しい年の始まりを飾るおせち料理。今年も好きな料理をいくつか用意した。三が日も過ぎ、まだ残っている料理を今年の干支の皿に盛り合わせてみた。

今年のローストビーフは和風に仕上げた。焼いてから出汁ベースのたれに漬け込んでいるので、日持ちもしてお正月には重宝する。卵は伊達巻きの生地だけれど、焼いて巻かずに型に入れて蒸している。楽に作れてしっとり柔らかく仕上がる。年末に忙しい思いはするけれど、あれこれ作って迎えた新年の食卓は楽しい。

この器は写し物の名人と呼ばれたと伝わる、横井 米衾(よこい べいきん 1885〜1941)の皿で、古染を写したものと思われる。その元となった古染は不明だが、兎の絵柄は人気が有るので有ったら希少だと思う。米衾は、本業は古美術商だったのだそうだ。商品を扱ううちに、自ら作陶するようになり、大正13年に東雲焼の窯を譲り受け、朝鮮系の焼物から日本の土ものまで幅広く写しを作ったそうだ。

この皿、見込みは中央の兎以外は吹き墨で埋められ、縁の白磁の肌が残る部分が白く抜けて、額縁のような効果で料理が映える。最後に現れる兎は少しシュールで不思議な趣が有る。

器 染付 兎吹き墨皿  径 14cm 高 2,5cm

作 横井 米衾