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うつわ道楽

No.139 だだ茶豆

 枝豆の中でも、味が濃くて美味しいただ茶豆。昨年の9月、No.89の回でも登場したのだが、夏が終わりに近づいた今頃からがただ茶豆の旬で、いつもこの豆が出始めるのを楽しみにしている。もう20年程前だろうか、まだ関東の八百屋の店頭で、ただ茶豆は出回っていなかった。山形県の知り合いから頂いたという豆を少し分けて貰ったのが初めてだった。普通の枝豆より鞘は小さく、鞘の毛が強く、全体に茶色っぽい。今にして思えば、それは原種に近い物だったのだろう。

見た目は決して良くなかったけれど、食べてみて驚いた。こんなに美味しい枝豆を食べたことはなかった。最近の山形県のただ茶豆は見た目も綺麗になった。品種改良や、育て方など随分と気を使われたのだろうと思う。枝豆は、どれも大豆になる前の成長過程を収穫したもの。茶豆の名前の由来は、鞘の中の薄皮が茶色っぽいのと、豆によっては鞘の毛も茶色をしているからだそうだ。そして鞘の状態で豆の形が浮き出ていて、凹凸がはっきりしているのも特徴。今年もこの豆の季節が来たと感じる。

 器にした手付きの桶は、たる源のもの。江戸末期に京都で始まった桶屋で、創業の頃は風呂桶や酒樽などを使っていたそうだが、その後は器や酒器、花器などの工芸的要素の強い、繊細な作品を作るようになった。

『桶』とは短冊形の板を円筒形に並べた外側を、竹や金属の箍(たが)で締めた器のこと。プラスティック製の台所やお風呂用品が出来る以前は、生活の必需品だった。安価で扱い易いプラスティック製品が出回る中で、今や木の温もりを求める人達の贅沢品のようになっている。

この手付の桶はいつだったか、ぐい呑と一緒に我が家に来た。とても木目の細かい木材を削り、継ぎ目が判らないほど精密に組み合わせてある。そしてそれを止めている『箍』の繊細さにも目を目張る。綱状の美しい細工はアクセサリーにしても良さそうなほど。冷奴を盛っても映えるだろう。夏の涼を感じさせる器で贅沢なひと時を過ごした。

器 手付き桶  径9,5cm 高4,5cm(手込10cm)

作 たる源

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No.138 万願寺とうがらし

 大きくて厚めの果肉が特徴の万願寺とうがらし。この形と色から、辛そうな印象があるけれど、甘みのある優しい味わいで美味しい。グリルで焼いて、少し焦げ目が付くくらいが香ばしく、削り鰹にお醤油を少し垂らしていただく。煮浸しにしても美味しいけれど、私はこの食べ方が好きだ。

小鹿田焼(おんたやき)は、こんな素朴な料理が似合う。この皿は、30年ほど前に購入した物。近頃は、関東でもよく出回るようになった。それもファッションビルにあるオシャレな和食器や雑貨を扱うお店だったりする。若い年代層の眼にも触れるようになり、意匠やアイテムも増えたが、鉋や指で独特の模様を作り出す丁寧な手仕事は、小鹿田ならでは、の持ち味と思う。

小鹿田焼は、320年近く前に大分県日田市で始まった。宝永2年(1705年)幕府直轄領内の生活雑貨を供給するために作られた窯で、現在でも日田天領の地に10軒の窯元が存在するそうだ。元々、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼の分窯として始まり、小石原焼に用いられる技法の影響を強く受けている。昭和6年には日本の民藝運動の主唱者である柳 宗悦、29年にバーナード・リーチも訪れ、小鹿田焼の魅力を絶賛したと伝えられている。

素朴な普段使いの『民陶(みんとう)』ではありながら、開窯当時からの焼き物の技術や伝統は未だに一子相伝で、かたくなに守り続けられていると聞く。そんな歴史の有る焼き物だけれど、古い物が残っていない。少なくとも私は見たことがなく、普段使いの食器は消耗品だから、なのだろうか。数百年前の小鹿田焼、残っていたら見てみたい。

器 小鹿田焼 飛び鉋 櫛描き 皿  径15cm  高3,5cm

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No.137 焼き餃子

 餃子は好きで、よく焼いて食べる。皮に包んで自分で作ることもあるし、有名店の冷凍や、専門店の生餃子を買ってくることもある。今日は、近隣の専門店の餃子を焼いた。家で作る時、皮から作る事は滅多にないけれど、作りたての皮はもちもちしていて市販の皮を使うのとはやはり違う。この専門店の餃子は自家製の皮が美味しい。それもそのはず。買いに行くと、脇の厨房では小さい綿棒で皮を伸ばしながら餡を包んでいる。その作業を横目で見ながらレジで購入する。

説明書通りに焼く。皮はふっくら、底はカリカリで箸が止まらない。やはり白いご飯が欲しくなる。日本では焼き餃子はご飯のおかずで定着しているけれど、本国の食べ方は違っている。小麦粉の皮は、言わば麺類と同じだから、餃子だけでおかずと炭水化物が完結している、と。確かにその通りと納得する。でも、欲しいものは欲しい。日本の文化では、ラーメンライスや、お好み焼きとご飯などもアリ。何でも白いご飯のおかずになる所がおもしろい。

この皿は真葛窯のもの。しっかりした呉須で描かれた五本爪の龍が立ち上がり、皿いっぱいに身体をくねらせている。皿の見込みは緩く湾曲して少し深さが有るが、縁は少し広めの幅で水平に張り出している。この形状だと中華料理を盛りたくなるから不思議。冷めないうちに、と頬張る。

器 龍染付皿 径22cm 高3,5cm

作 真葛窯 六代 宮川 香齋

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No.136 鯛と帆立の昆布締め

 笹の葉を模した青磁の長皿。色や葉先の切れ込みで、見た目は軽やかだけれど持ってみると厚手でどっしりした安定感が有る。

実家で昔から使っているこの皿は、刺身を盛って食卓に載る事が多く、数種類の刺身を盛り合わせるのに丁度良くて使いやすい。特に今頃の時期にはこの青磁の色と、水滴が似合いそうな笹の葉の意匠が涼しさを感じさせてくれる。

この皿は、二代 宮永 東山(1907-1995)のものと思われる。初代 宮永 東山(1868-1941)は、石川県の藩士の家の生まれで、東京ドイツ全修学校(東京横浜独逸学園1904年9月20日開校 の事だろうか。詳細は不明)卒業後、海外貿易に従事。その後フランス語も学んで東京美術学校校長 岡倉 天心の助手を務め西欧諸国の美術施設の調査にも従事したという。帰国後京都に移り、後に自身で窯を開くに至る。東山の名は、岸田 露伴によって命名され、これを陶号としたらしい。初代 東山は青磁を得意とし、二代もそれを継いで青磁、染付け、色絵などを得意とし『食器の東山』と呼ばれたそうだ。

 盛り合わせたのは、鯛と帆立貝柱の昆布締め。鯛はひと晩、帆立は数時間だけ昆布に挟んだ。水分が適度に抜けるので甘味が引き立ち、昆布の旨味が加わる。冷蔵庫で冷やしておいたお皿に盛り合わせ、冷酒と共にいただくと、少し汗も引いてほっとする。

器 青磁 笹の葉長皿  径27x11cm 高2,5cm

作 宮永窯 二代 宮永 東山