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うつわ道楽

No.161 鰤大根

 魚屋の店先で、富山県、氷見港で水揚げされた寒鰤のサクを見つけた。年明けに起きた能登半島の地震の被害は甚大で、今も辛い思いをされている方々を思うと心が痛む。能登半島の付け根近くにある氷見港では、漁が再開されているのだと知って少し安堵した。

店内を進むと大きなざるにひと皿、山に盛られた氷見の鰤のあらを見つけた。今日はこれで鰤大根にしようと思い付き、一皿しかないその鰤を逃すまいと魚屋の店員さんを待った。

 煮魚は苦手な方も多いけれど、私の家系は皆好きで、特に父は鰤大根が大好きだった。作ると喜んで食べてくれたのを思い出す。鰤は熱湯にくぐし、血などが残っていると臭みになるのできれいに洗う。今日は濃口醤油で甘辛く仕上げた。天然の鰤は養殖物に比べると脂が軽めで、季節によってはぱさつく事もあるけれど、この時期の寒鰤はさすがに脂が乗っている。旬の大根も柔らかく、味がよく沁みる。自宅で暖かい料理を作って食べられる生活。当たり前の事と思っているけれど、改めてその当たり前の生活に感謝を忘れないように、と思う。

 今回のような縁が広い形状の古染付の皿で、とてもよく似た物が我が家にもう一枚在る。以前、No.126(2023/5/26)で使った皿だ。今回の皿は前回とは別の機会に手に入れたのだけれど、繊細で、色の上がりも良く上手。呉須の発色は、その時の火の加減で窯の中の温度や火の回りが違う事で差が生じるそうだ。しかし同じ窯なのか、地域が近いのか、時代が少し違うのかは判らないが、この二枚はとてもよく似ている。遠い異国から、一枚ずつ別々な歴史を辿って長い年月残って来た皿が、我が家でまた一緒になるとは。受け継いで、残して行く事の重さをしみじみ思う。

器 古染付皿  径 20cm 高3cm

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No.160 新じゃがいもと蒟蒻の牛そぼろ煮

 この季節に出回る小さな新じゃがいも。一般的な新じゃがいもは春先からが旬だけれど、直径が3〜4センチほどの小さな粒は今頃の短い期間にしかお目にかかれない。

鹿児島産の出始めを見つけたので、丁度大きさが同じくらいの蒟蒻と一緒に、牛肉のそぼろで煮っころがしを作った。彩には絹さやを飾る。新じゃがいもは皮付きで使うと、よく煮込んでも煮崩れがなくて使いやすい。牛肉の風味と脂で味に深みが増し、食べ応えのある煮っ転がしになった。

 作者も判らぬ祥瑞の鉢に盛った。時代は幕末か明治だろうか。繊細で緻密な花や幾何学模様が、鮮やかな呉須で正確に描き込まれている。絵を描いた職人さんの腕が良いのだろう。しかしこの、捻りの凹凸のある素地に、どうしてこんな細かい模様を描こうと思ったのだろう?外側の模様は捻りの凹凸に乗せて描いているが、内側の見込みはその凹凸に逆らって、交差するように絵が入っている。捻り模様になった山と谷のある上に描いた植物も美しく、すごいけれど、この幾何学模様。一体どうやって描いたのだろう。平面に描くのでさえ、祥瑞の幾何学模様を描くのは難しいのに、この模様を、このデコボコにどうやって描いたのか、と目を疑う。絵の力量もさることながら、この根気と集中力には賞賛を通り越して呆れてしまう。一体どんな職人ががこれを描いたのだろう、と想像が膨らむ。

器 祥瑞捻り鉢  径17cm 高8,5cm

作 不明

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No.159 干し柿

 ドライフルーツと聞いて思い浮かぶのは、パウンドケーキに入っている、あれ。歳が知れてしまいそうだけれど、子供の頃はドライフルーツというと、そのケーキに入っているイメージだった。私はあのケーキが苦手だった。そのためか、ドライフルーツにはあまり興味が無かった。とは言えレーズンは料理やお菓子によく使うし、杏やマンゴーなどは好きで時々食べる。昔に比べると種類も食し方も変わり、保存するための手段だけでなく、フルーツの味わい方のひとつ、として定着している。

『干し柿』を調べてみたら〝日本に古来からあるドライフルーツ”という説明を読んで、納得すると共に軽い衝撃を受けた。フレッシュな柿のままでは人が食せない渋柿を、干し柿にする事で、渋柿も美味しくいただく、昔の人の知恵の詰まったドライフルーツだった。

渋柿は、木に実った生の状態ではタンニンが強く、人の舌ではその名の通り渋味とそれによる刺激が強くて食べられない。それを乾燥させることにより、渋柿の水溶性のタンニンが不溶性に変わって(渋抜きがされて)渋味がなくなり、甘味が強く感じられるようになる。その甘さは砂糖の約1.5倍とも言われているそうだ。

 柿は、もちろんそのままで美味しくいただけるけれど、料理に使っても美味しい。生の柿には生ハムを、甘みが凝縮された加工した柿にはチーズがよく合う。以前、知人に美味しい柿のジャムをいただいた。クラッカーにカマンベールチーズとそのジャムを乗せて食べてみたらとても美味しく、そのジャムが無くなるまで、そのメニューにはまった事がある。干し柿を薄く切って、同じようにしたらきっと美味しいに違いない。この干し柿がある内に、カマンベールチーズを買って来て試してみよう。

 この塗りのお皿、原木からくり抜かれた木地は5弁の花の輪郭。裏側と華奢な縁は磨かれた艶のある漆だが、内側は漆でしぼ状に凹凸がついた仕上げになってる。その見込みには、同じく5弁の花形に切られた金属が貼ってある。素材は銅か砂張だろうか。七宝で菊の模様が描かれている。漆の盆に金属の板を貼り付ける、なんて面倒で手の込んだ手法は初めて見た。この七宝を見ていたら、干し柿を盛ってみたくなった。水分の残った柔らかい干し柿は美しい柿の色をそのまま残していて、菊の色とよく映る。

器 七寶入 菓子盆  径18x18cm 高3cm

作 不明

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No.158 烏賊の塩辛

 今年は辰年。十二支の中で、辰年の龍だけが実在しない架空の動物。そもそもこの十二支の動物がなぜ選ばれて順序が決められたのかは不明らしい。子供の頃十二支の覚え方で、丑の背に乗った鼠がずるをして先頭になった、と聞いていたけれど、虎、卯、辰とその後に続く物語は、有るのかもしれないけれど私は覚えていない。

その、想像上の生き物である龍は、古来より中国では権力の象徴で、縁起の良い生き物とされている。建築や絵画、器にも龍は多く描かれているが、その龍の爪は5本有る。

当時、中華思想の下では天下の中心である中華が、属国である朝鮮やベトナムには爪を1本少ない4本、属国とならなかった日本には2本少ない3本の爪の龍しか使わせなかった、という話も有る。深く調べたわけではないのだが、確かにこれまで見た龍の爪は、3本、4本、5本と様々だった。時代は変わり、自由に龍を描ける近代以降は描き手の好みだろうか。この器の龍は爪が4本有る。

4つの側面にそれぞれ色の異なる龍が描かれた、この小振りの蓋物は大好きな古余呂技窯、川瀬 竹春のもの。白磁で手捻りの素朴な造形は、前回の清風 与平と似たものが有る。真っ白い生地に呉須で縁取られて赤、青、黄、緑の4頭の龍。身をくねらせて牙を剥く龍も、この小さな空間では愛らしく見える。お正月のつまみの一品に、烏賊の塩辛を盛った。蓋を上げると柚子の香りが清々しい。

器 龍紋蓋物  径5,5cm x 5,5cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春