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うつわ道楽

No.174 コーヒータイム

 いつも行列の洋菓子店でフィナンシェを買って来た。以前、行列など無かった頃には時々買っていたけれど、近頃は並ぶのが面倒で滅多に買う事がなかった。この時は少しだけ列が短かかったので並ぶ気持ちになった。しっとりして口溶けが良く、バターの風味が広がる。深煎りの豆を濃く入れたコーヒーが良いバランスで、お互いを引き立てる。

 淡いピンクとブルーに軽やかな草花の絵柄。このアール・デコのカップ&ソーサーとケーキ皿のセットは Shelly (England)。以前 No.101 (2022/12/2) の回でアップルパイを盛った 同じShelly のB&Bプレートと呼ばれる菓子皿とは同じ絵柄だ。アール・デコのデザインから1920年代頃の物と思われる。その回でも書いのだが、我が家ではB&Bプレートの菓子皿を柄違いで集めている。その中でも、この柄は私の一番のお気に入りだ。

No.101を掲載した当時、今回のカップ&ソーサーとケーキ皿の3点セットはまだ我が家に来ていなかった。その後、新たにこの3点セットが加わったのはとても嬉しい事だ。長い時間と距離を経て、どれほどの人々の手を渡って来たのだろう。それぞれが違う道を辿って来た、この菓子皿とコーヒーセットが我が家で再び出逢えたのかと考えると、つい心が熱くなる。

器 カップ 径9cm 高7,5cm ソーサー 径4cm 高2cm ケーキ皿 径18cm 高1,5cm

作 Shelly (England)

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No.173 蛍烏賊

 小指の先ほどの大きさで、プリっと丸い身体に小さいイガイガの吸盤らしきものが付いた糸のように短い脚。その愛らしい見かけに、つい頬が緩む。旨味が強く、春の訪れを感じさせる蛍烏賊は、富山県を代表する海の幸のひとつ。富山に住む友人が、その地元の食材を誇らしげに話していたのを思い出す。

眼と軟骨を取り除き、軽く茹でたほたるいかを、生わかめと盛り合わせた。酢味噌を合わせるのが普通だし、美味しいのだけれど、白味噌を切らしていた事を思い出した。いつも自前の味噌しか使わないので、特に用途のある時しか味噌を買う事がない。家の味噌でも酢味噌は作れるけれど、この可愛らしい蛍烏賊には、色の濃い酢味噌はかけたくないないなあ、と考えていて味噌マヨネーズを思いついた。野菜のディップソースにする事はあるが、蛍烏賊に合わせるのは初めて。でも思った通り、マヨネーズのまろやかさで美味しくいただいた。

 人の肌感覚は敏感で、気温が上がってくると急に冷たい飲み物やサラダを欲するようになる。眼から入る情報も同じなのだろう。ガラスが使いたくなって、涼しげな切子の皿に盛った。

カットされた先端が尖っていて、皿の縁のギザギザは手に痛いほど。切子ガラスは人の手で削り出すこの深くて鋭いカットが命。手に取ってみれば、そのカットの良さがすぐに解る。切子細工の器を、義山(ギヤマン)と呼ぶ。箱を誂えて大事にされて来たこの皿の箱にも義山、と書かれている。

調べてみたら『江戸時代、オランダから伝えられたガラス細工の加工にダイヤモンド(オランダ語でディアマンテ )が使われたことから、後にガラス製品全般を”義山”と呼ぶようになった』とある。ギヤマン、日本語として聞いたら意味は理解出来ない異国の響きに、漠然とした憧れと浪漫を感じる。当時、薩摩や江戸で作られていた切子細工、腕の良い職人はどれほど居たのだろう。

器 義山 切子 丸中皿  径10,5cm 高3,5cm

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No.172 筍煮

 お花見と筍は春の楽しみ。今年は気温が低く、桜の開花がここ数年より遅く4月にずれ込んだのと同様、例年届く合馬の筍もいつもより遅く、やっと届いた。遅め、とはいえ大きく育った筍を、着いた日はまず糠と鷹の爪を入れて茹で、そのまま一晩置いて翌日さっそく頂いた。柔らかくて香りが良い。

庭では、細いただの棒のようだった小さい山椒の木から、一週間ほど前に文字通り木の芽が出始めた。日々驚く速さで葉が育ち、筍をいただく時に丁度よく柔らかい葉が育った。筍と山椒の葉、昔から味覚や見た目の相性は、旬を迎えるタイミングが揃う事から結び付いたのだろうけれど、今や”つきもの”。その年によって生育が遅かったり早かったりするけれど、結果的にほぼ足並みが揃う。自然の摂理ってこういう事、と思う。

 器は初代 三浦 竹泉(ちくせん 1853~1915)の鉢。初代 竹泉は13歳で3代 高橋 道八に弟子入り、1883年(明治16年)に独立して、京都五条坂に窯を構えた。ヨーロッパの色彩を磁器に取り入れるなど、京焼の改良に貢献した。染付、祥瑞、吹墨、色絵、金蘭手など作品は繊細で多彩。書画を好み、煎茶道具を多く作っていて煎茶の世界では良く知られている。5代 竹泉は2021年に亡くなっていて、6代襲名はまだされていない。

 この鉢は、薄手の白磁で使い勝手の良い大きさだ。外側は華やかな色、見込は白磁の白。何を盛っても良く映えて、とても使いやすい。明るい緑と黄色は菜の花を思い起こさせ、やはり春に使いたい器だ。盛り付けが難しい筍を欲張って山に盛り、掌で軽く叩いて香りを立てた木の芽を乗せた。見た目も香りも春を感じる一品になった。

器 緑瓷黄釉文 盂(う 鉢) 径17,5cm 高9cm

作 篩月庵 初代 三浦 竹泉

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No.171 飛龍頭

 飛龍頭と書いて “ひりょうず“ または “ひろうす“ と読む。これは主に関西圏の呼び方で、関東では “がんもどき“ 或いは省略して “がんも“ の名で、おでんや煮物の具として一般的に料理に使われる。豆腐料理だから、油揚げと共に豆腐屋さんで買い求めることが出来る。なぜ、関西と関東で全く呼び名が違うのか、少し調べてみた。

『ひりょうず(飛龍頭)はポルトガル語の ”Filhós(フィリョース)” に日本語の音を当て、漢字で表記したもの。“Filhós” はポルトガルの伝統菓子で、戦国時代に日本に伝わったとされる』とある。材料は小麦粉で、大豆由来の飛龍頭とは全く違う食べ物だったはずが、おそらく見た目と油で揚げた共通点からこう呼ばれるようになった、と考えられているらしい。

一方 ”がんもどき“ は、『江戸時代に考案された精進料理で、もともと材料は豆腐ではなくコンニャクで、味が雁(ガン)の肉に似ているからそう呼ばれるようになったと言われています。しかし、いつからコンニャクが豆腐に変わったのか、なぜ ”がんもどき“ と ”ひろうす” が同じものになったのかなど、はっきりした由来は現在も謎のままのようです』

“がんもどき” とはそのままの意味だったのか、と驚いた。そもそも昔は、鶴も食べていたと聞くから雁も今で言うジビエで、猟師が仕留めたもので、一般に流通していた訳では無さそうだし、きっと貴重な動物性たんぱく質として高級な食材だったのだろうと推測する。しかしその頃の材料は蒟蒻、となると当時の “がんもどき” の味は知る由もない。

と、由来の話が長くなったが、揚げたての飛龍頭を食べたくなって、前日に煮たひじきと銀杏を入れて作ってみた。木綿豆腐の水をよく切って裏漉しし、すりおろした山芋、卵とひじきを加えて混ぜて丸めて揚げる。おろし生姜と醤油で揚げたてをいただいた。果たして鴈の肉はどんな味だったのだろう。

 盛った器は、我が家ではかなり初期から在る古染付の皿。少し縁高で、取り皿としても果物やお菓子を盛るにも使いやすい。見込みの絵は、花が咲いて実がなって、鹿が居て長閑な自然の森を思わせる。もしここに鴈が飛んでいたら面白いのに、なんて考える。

器 古染付皿  径13,5cm 高3cm