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うつわ道楽

No.244 冷奴

 新生姜を買って来た。今年初めてで、旬が終わる前に数種類の保存食に加工しておかなくては、と思い出した。新生姜でいつも作るのは紅生姜。梅干しを漬けた副産物の赤紫蘇入り梅酢に漬けておく。ちらし寿司や焼きそばなどに少し飾ると味はもちろん、彩りにもなる。ジンジャエール用のシロップや、甘酢漬けを作る事もある。

生姜を洗って準備しているうちに、佃煮風に炊いてみたら美味しそう、と思い付いた。ご飯に混ぜても良いし焼いた肉や魚にも合いそうだ。生姜はみじん切りにして味付けは酒、砂糖、醤油とみりん。刻んでから軽く水で洗ったので辛味もえぐみも少なくて、思った通り美味しい佃煮が出来た。ご飯にこの佃煮と、蕪の葉と茎を刻んで軽く味つけた副菜を掛けて食べたらとても美味しい。きっと、おろし生姜が定番の冷奴にも合うはず、と思って試したら、こちらも大正解。生姜を煮詰めた時に汁を少し残していたのでその汁ごと載せて青葱を散らした。

 長かった暑い日の名残りにと思って久しぶりにこの切り子の小皿を使った。ダイヤ型の鋭い凹凸が外面を覆い尽くす。立ち上がった皿の淵にも鋭く尖った山型の突起。持つと手に痛いほど深く、鋭く尖っている。元は20枚の揃いだったようで箱は大きいが、壊れたり散逸したのだろう、現在はこの箱に5枚だけ。時代は明治の頃だろうか。個体差で厚く重い出来も有れば、今回使ったような薄手の皿もある。今思うガラスとは違って、純度のせいか少し茶がかった色だけれど今時の切り子には見られない鋭く切り立った彫りが素晴らしい。ついつい触って眺めて楽しむ。改めて自分は切り子が好きなのだと自覚した。

器 義山 切子 丸中皿  径10cm 高3,5cm

作 不明

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No.243 わらび餅

 食べたくなってわらび餅を買って来た。きなこをまぶし、黒蜜を掛けていただく。素朴な甘みが口に広がり、プルプルしたわらび餅の柔らかい弾力に顔がほころぶ。

食べていて、ふと気になった。この “わらび” と “葛” と “片栗”。どれも料理やお菓子の材料として、とろみをつけたり固めたりする植物の “根” の粉である事は知っている。何となく用途の違いも理解しているつもりだけれど、一体何が違うのだろう?と。

わらび粉は和菓子のわらび餅しか知らないけれど、葛と片栗は自分でも使い分けている。そのふたつを料理で分けるなら、葛粉は和食、片栗粉は中華料理。しかし葛の根から作られる本葛粉は高価で、片栗粉で代用する事も多い。さらさらしていて、キュッキュッとした指触りが特徴の片栗粉は、馬鈴薯のでんぷんから出来ているのも知っている。本葛粉は箱を開けると、粉の中に角が鋭角に尖った塊が有ったりする。すぐに崩れるのだけれど、他の粉類では見たことのない特徴に思える。

調べてみたら、その3種の粉は原料が違うために性質の違いが有る。わらび粉はわらびの根から採るでんぷんなので、希少で高価。そのためお菓子として珍重されるのだろう。とは言え、現在市販されている “わらび餅” や “わらび粉” の多くは、わらび粉に芋などのでんぷんを混ぜた物が多いらしい。

わらび粉はプルプルした弾力と滑らかな食感で、食物繊維が豊富、整腸作用が有る。本葛粉は透明感があり、とろりとして滑らかだが、冷やすともっちりとした食感になる。身体を温める性質が有るそうだ。そして一番身近な片栗粉は、加熱すると滑らかなとろみがつく。葛粉とは逆に身体を冷やす性質が有るそうだ。話が大きく逸れたけれど、またちょっとだけ知恵が付いた。

 わらび餅を盛った三嶋模様の皿は古曽部焼 (こそべやき) 。古曽部焼は、現在の大阪府高槻市で江戸時代後期から大正時代、五十嵐家によって焼かれていた陶器で、鄙びた味わいが特徴とされる。当初は庶民使いの器が多かったが後に茶人、文人に好まれ、一時期は遠州七窯にも数えられるほどとなった。大正時代に一時期途絶えるが、寒川 義崇 によって復興され、現在に続いている。寒川氏は、古曽部焼の伝統的な要素を残しつつ、現在の時代に活きる器を作り続けているそうだ。

この皿には裏に “古曽部焼” の刻印があるだけで時代や作者は不明だが、そう古いものではない。昭和の中頃だろうか。三嶋模様に白い釉薬が薄くかかり、全体に靄が掛かったような柔らかさが有る。しかし丸く作った皿の縁を切った断面が鋭く、素朴さの中に心地良い緊張感が感じられる。

器 古曽部焼 三嶋角皿  径11,2cm角 高1,8cm

作 不明

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No.242 天麩羅の塩

 団扇を模った手塩皿。我が家には5枚在って、小さい見込みに絵替りで色々な植物が描かれている。箱には10枚と書かれているので、元は10枚揃いで作られたようだ。器の形の夏らしい意匠に拘らず、描かれている花や実の季節は様々。今日は夏らしく朝顔を選んだ。天麩羅は茄子、玉蜀黍、南瓜、桜海老と三つ葉のかき揚げ。冷たい素麺と共にいただいた。

見ていて飽きない、とても素敵なお皿だけれど、何を盛ろうかと考えると難しい。小さなお菓子か佃煮、などと考えるけれど、枝豆や天麩羅に添えて文字通り “塩” を盛るのが似合う気がする。

 この皿は乾山焼。元禄時代(1688〜1704)、尾形 乾山 が京都の鳴滝 (なるたき) に窯を作った。この皿は時代も作者の名前も明記が無いので不明だが、その窯の陶工が作ったものだろう。丸くて大きい団扇の持ち手が愛らしい。少し立ち上がった皿の縁から、焼きが甘く柔らかい事が伝わる。見込み全体には実際の団扇に倣って少し盛り上がった細くシャープな骨があり、その上に描かれた朝顔も本当に団扇に描かれた絵のように骨の上に浮き上がる。手の込んだ作り方だと感心する。

器 乾山焼 絵替 団扇皿  径10x8cm 高1cm

作 不明

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No.241 いさきの刺身

 今が旬のいさき。地元の魚屋では近頃お刺身で出ている。塩焼きにして美味しく、好きな魚だ。大きい魚ではないので、身はさほど厚くないけれど、旬の時にしか出ない刺身は適度に脂がのっていてとても美味しい。胡瓜と大葉、茗荷を刻んで盛り合わせた。

 文を結んだ形を模った皿は、幕末から明治時代に活躍した 幹山 伝七(かんざん でんしち 1821〜1890) のもの。近江の出身だが、文久2年に京都へ行き、後に清水に窯を開く。明治5年頃からこの 幹山 伝七 の名を使っている。西洋の絵具や技法を取り入れた斬新な作品で知られ、宮内省御用達となるなど高い評価を受けた。

この結び文の皿は古染に本家が在り、その写。この器自体は、皿と呼んだ方が良さそうな大きさ、深さだけれど “鉢” と名がつくという事は本家はもっと大きいのかもしれない。

結んだ文の面ごとに絵柄が書き分けられていて、力強いながらも楽しさがある。しっかりした呉須の色も美しい。今や手書きの手紙でさえ少なくなっているけれど、結び文は紙だからこその “折ってたたむ” 造形。それを器に模ってしまう遊び心がすごいと思う。

器 羅漢図 結び文 平鉢  径26,5cmx15cm 高2cm

作 乾山 伝七

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No.240 白玉あずき

 小豆を茹でた。お正月に用意してそのままになっていた大納言。料理は好きだけれどお菓子はたまにしか作らないのでハードルが高い。でも久しぶりに白玉が食べたくなって、残っていた大納言を炊いてみた。やはり難しい。目指した茹で具合より固く、残念な事に白玉との一体感が感じられない。煮崩れを警戒して、砂糖を入れるタイミングを早まったのだ。一朝一夕には出来ないわね、と反省しまた挑戦しようと思う。

 白玉は母が好きだったので時々作っていたけれど、その時は缶の茹で小豆を使っていた。美味しいし手軽、失敗は無い。白玉は白玉粉を水で溶いて丸めて茹でるだけ。シンプルだから、水の量さえ間違わなければ問題無いけれど、形に迷う。まん丸の球状にするのは難しいし、盛り付けた時も見栄えが良いとは思えない。

昔、新年に集まりがあって白玉を作った時、ある人が “白玉は、真ん中を少し窪ませてヘモグロビンの形にすると良いのよ” と。彼女は裏千家の茶道の先生。お菓子として使うから白玉の形も研究していたのだと思う。それにしても “ヘモグロビン” って、一般人は思いもつかない説明だ。実は彼女の本業は病院の検査技師。それを知っている私は、なるほど、と面白いながらも上手い説明だわと納得した。それ以来、白玉を作る時は “ヘモグロビン” 形を目指している。

 このクリスタルガラスの器の作者は不明。実家に在ったもので使う機会がなかった。カップの部分は手吹で作られていて5脚有る器はガラスの厚さが薄かったり厚かったり、かなり違いがある。今回使ったのは薄手のものだ。脚の部分は正方形の柱形でそれぞれの角を面取りして8角形。透き通ったクリスタルガラスの脚の重みが器の安定感を作り出している。

果物やアイスクリームなら間違い無いけれど、何を盛ったら楽しいかしら、とずっと考えていて白玉を思い付いた。冷たく冷やしたあずきと白玉を氷のように見えるガラスの器に盛ったらとても涼しげ。炊いた小豆はまだ少し残っているけれど、みつ豆に入れたらえんどう豆の代わりになるかしら、とか南瓜と煮ようかしら、と考えている。

器 クリスタルガラス 脚付コンポート皿  径9,5cm 高8cm

作 不明