No.248 落ち鱧の梅肉添え

夏の幸、鱧は6〜7月の初夏と、9〜11月の2回、旬を迎えるらしい。鮎と一緒で、産卵前と産卵後。秋の鱧は産卵後の旺盛な食欲で太って脂が乗り、金色を帯びるため “落ち鱧” “名残鱧” と共に “金鱧(きんも)” とも呼ばれるそうだ。
湯引きした鱧には、そろそろ試してみようと思っていた今年の梅干で梅肉ソースを作った。我が家の裏庭の梅に実った梅で漬けた自家製の梅干だ。出来立ての梅干は酸っぱくてすっきり、まだ角が立った塩味を感じるけれど、赤紫蘇の色が鮮やか。綺麗な色のソースが出来た。
菊の花弁を模ったお皿は御菩薩(みぞろ)焼き。あの、野々村 仁清 が開いた窯との説が有る。御菩薩焼は、京都北区の御菩薩村(深泥池付近)で焼かれた京焼で、仁清が安政年間に開窯した。しかし、仁清の門人の陶工、あるいはまた別の陶工が開窯した、という説もあり、御菩薩焼の開祖が仁清かどうかはまだ判っていないらしい。
しかしこの皿、繊細な造形や色艶、上品な佇まいには仁清の雰囲気を感じる。誰が興した窯か定かでなくても、仁清に由来しているのではないか、と想像させる。薄く精巧に作られた花弁は、さすがに壊れやすいようで、5枚組の皿の内でどれも一箇所、二箇所、銀で直しが施されている。花弁には鉄薬で輪郭と筋が入れられ、その筋に沿って呉須の青が見え隠れする。焼き加減で殆ど青の見えない物も有るが、その呉須の色味が加わるだけで格段に洗練された趣が増す。
箱書は、江戸時代末期から明治にかけて活躍した京焼の陶工、泥中庵 蔵六(真清水 蔵六 1822(文政5年)〜1877(明治10年)が書いていて表には “御菩薩焼 向附 五客” と有り、蓋裏には御菩薩村の風景が描かれている。この皿が焼かれた時代は定かでないが、蔵六の箱書きを考えると江戸時代末期よりは前、と考えられる。長い年月、大事にされて来た菊の花の皿を目の前に、近づく秋を味わった。

器 御菩薩焼 向附五客 径 14,5cm 高 4cm
作 不明