カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.50 鱈子の煮物

 多分5年振り位になるだろうか、生鱈子を煮た。助惣鱈の子、いわゆる”たらこ”の塩をする前の生を、出汁で甘塩っぱく煮たものだ。佃煮ほど濃い味ではなく、煮込む時間も火が通って味が滲みる程度に。大好きで、生鱈子を魚屋で見つけると作っていたのだが、人も大人になると好きな物を好きなだけ食べられる訳ではなく、自重して控えるようになった。

しかし、この鉢に何を盛ろうかと考えた時この煮物が浮かんだ。尾形 乾山の鉢。本当は自分の料理を盛ること自体、恐れ多い。

尾形 乾山(1663~1743)は、寛文3年、京都の呉服屋の三男として生まれた。5歳上の兄は尾形 光琳。光琳は放蕩三昧だったとの話が伝わるが、乾山は対照的に学問に熱心な読書人で、堅実で質素を好んだようだ。そんな性格の違う兄弟だが、仲が良く兄が絵付け、弟が作陶と書で合作も残っている。

さすがに、盛り付けとなると緊張する。焼が甘く柔らかいので、生地が乾いた状態でいきなり料理を盛ると汁が沁み込み、色もついてしまう。だから使う前に暫くぬるま湯に浸けて、汁が入らないように予め湿らせておく。

200年を超える年月を経たこの器は、器自体に力が有って魅力的だ。時を経た事で付く重みも在るだろうが、元から人々を魅了する器だったからこそ、大事にされて使われて来たという事だ。写真でも判るが、何本もの入(にゅう)が入っている。口は釉薬が爆ぜて剥がれたところもある。今出来の器にそれらが有ったら、それは傷でしかないだろうが、この器には、それすらも器の歴史を感じさせる風格がある。

一方に小さな注ぎ口が有るこの形を、片口(かたくち)と言う。実際に酒を入れて、徳利と同じ用途に使う目的の片口もあるが、これで酒を注いだ人がいたとは、私は思えない。キュートなディテールの片口が有ることで、鉢としても一層魅力を増している。フォルムと絵付の完璧なバランスに見惚れるばかりだ。

器 秋草片口鉢 径14cm 高8cm

作 尾形 乾山

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です