No.56 治部煮風
松に積もる雪を見て、この時期の金沢、兼六園を思い浮かべた。昔、一度訪れた事がある。とは言っても季節は真夏で、雪景色など想像もつかなかったはずだ。多分、そこで見た立派な松が印象に残っていたのだろう。雪の積もった松は、富山に住む友人の家に遊びに行った時に見た。確か3月頃で、雪はかなり少なくなっていたが、まだ時々降る雪が陽陰のあちらこちらに残っていた。その時に見た友人宅の松の木と、兼六園の松が重なったのかもしれない。
雪の多い地方では、松の枝を雪の重みから守るために、雪吊りを施すのだそうだ。その友人宅でも、毎年雪の季節が近付くと植木職人さんに雪吊りをしてもらうと聞いた。支柱を建て、雪の重みで折れないように、枝を綱で吊るして支えるのだ。雪の季節は、日常的に1日に何度も雪掻きし、季節の変わり目には庭木にも雪対策。ほんの数日滞在しただけだが、雪国の生活がいかに大変なものかと思いを巡らせた。
その、雪の積もった松の連想から加賀料理の治部煮を盛ってみたいと思い立った。大抵の材料は揃うけれど、金沢特産のすだれ麩は地元では手に入らない。今どきはネットで頼めば良いのだけれど、と思いながらも今日のところは手元にある粟麩で代用することにした。だから、治部煮に似せた治部煮風。私が知る治部煮の特徴は、このすだれ麩が入る事と、鶏は削ぎ切りにして粉をまぶして下煮し、つるんとした柔らかい食感。そしておろし山葵。撮った写真に山葵が載っていないのが残念だが、仕上げに山葵の香りが加わる事で、他の煮物とは異なる治部煮の完成だ。
この、雪の松の絵の器は、8代 白井 半七。乾山写しをよくする人で、沢山いる大好きな陶芸家のひとりだ。初代 半七は江戸時代、1680年代に江戸で土風炉を中心に茶器を多く製作した。2代はその継承に加えて今戸焼 (隅田川焼) を生み出し、4代は伏見人形に影響されて、今戸人形を多く作ったそうだ。7代 半七の時、1923年 (大正12年)の関東大震災で窯が全壊、兵庫県伊丹市へ移窯した。そして 8代 半七 (1898〜1949) の時、小林 一三の招きで宝塚市に移り、仁清、乾山写しを得意として、華やかな作品を多く残している。料亭の吉兆はこの半七の器を好んで使ったそうだ。吉兆好み、として上客への配り物も多く残っている。
大胆な乾山風のタッチで松が描かれた、口の開いた浅めの鉢。轆轤目を残した凹凸の地に、薄い紅色の窯変が浮いて、風に舞う雪の白が映える。松の幹と同じ鉄釉が口にも回されて器を縁取り、盛った料理を引き立てる。
器 冬の松図 小鉢 径17cm 高5cm
作 8代 白井 半七