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うつわ道楽

No.2

 おせち料理のルーツは意外に古く、奈良時代、朝廷内で行われていた節会(せちえ)に由来すると言う。季節の節目に開かれていた宴を正月に限定して『御節』おせちと呼ぶようになったのは江戸後期の事だそうだ。現代のおせちは江戸時代に雑煮に添えられた肴が進化して今の形になった。江戸時代、18C頃には今もおせちの定番である数の子、田作り、黒豆などが御節のメニューとして存在していたそうだ。

写真の古清水(こきよみず)焼の扇面の器はちょうどその頃、江戸時代18Cのものと推察されている。軽く当たっただけでも欠けたりヒビが入る甘い焼きの器が、美しい形で今も在るとは。  一体どれだけ大事にされてきたのだろう。作者不明の松竹梅が描かれたこの皿は、何も盛らずにそのもので眺めた方が美しいとも思える。が、これにお正月料理を盛って器と料理を肴に新年を祝えるとは何と贅沢で幸せな事かと感じる。因みに箱書きの銘には仁清と有るが、仁清の作とは思えない。いつの時代に誰が作ったものかは不明。

この器のように焼きが甘い場合は、そのまま使うと汁が染み込みシミとなって汚れが残るので色の濃い料理は避けるべきと思う。更に盛り付ける前に水かぬるま湯に入れて予め水分を含ませて色が入らないように、と気遣う。黒豆は、絵柄にちなんで梅の豆皿を使って盛り合わせた。

器 仁清松竹梅 地紙菓子皿(箱書きそのまま 箱の時代は不明)作 不明

料理 紅白なます 紅白蒲鉾 山葵漬け 黒豆

文中のおせちの歴史については、サライ公式サイト 伝承料理研究家  奥村彪生さんの記事を参考にさせていただいた。

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