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No.245 味噌汁

 長い夏の暑さで身体が疲れた頃、やっと近づく秋の気配。気温が30度を下回ると急な涼しさに戸惑う。こんな時期には胃にも優しい野菜具沢山の味噌汁が食べたくなる。蕪やキャベツ、人参、玉葱、小松菜、そして南瓜が優しい甘みを加える。大きな椀にたっぷり注いだ。

 この椀は、四つ椀で組んでいる中の一番大きい飯椀。むさしの漆工芸の “なかにし 正” 作。作成年月は明記が無いが、昭和の後半と思われる。箱に入っている略歴によると、なかにし 正 は、東京都杉並区で制作活動をしていたが、岩手県岩手郡滝沢村に漆園があり、そこで漆を収穫して作品を作っていたようだ。詳しい情報は見つけられなかったのだが、岩手県の浄法寺漆の復興にも尽力されたそうだ。作品にはファンも多かったが、比較的若くして急に亡くなり、跡を継ぐ人が無く途絶えたらしい。

 四つ椀は我が家に来た時、傷も色焼けのあともなく綺麗な状態だった。薄い作りの木地にキリッと黒漆が載って、とてもすっきりした美しい椀だ。四つ椀を食卓で揃いで使う事は無いけれどその時その時、盛る料理で大きさを使い分けている。真塗りの器は潔く、何を盛っても受け止めてくれる。

器 利久型 小丸椀  四つ椀揃の中の飯椀 径13cm 高7cm

作 むさしの漆工芸 なかにし 正

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No.244 冷奴

 新生姜を買って来た。今年初めてで、旬が終わる前に数種類の保存食に加工しておかなくては、と思い出した。新生姜でいつも作るのは紅生姜。梅干しを漬けた副産物の赤紫蘇入り梅酢に漬けておく。ちらし寿司や焼きそばなどに少し飾ると味はもちろん、彩りにもなる。ジンジャエール用のシロップや、甘酢漬けを作る事もある。

生姜を洗って準備しているうちに、佃煮風に炊いてみたら美味しそう、と思い付いた。ご飯に混ぜても良いし焼いた肉や魚にも合いそうだ。生姜はみじん切りにして味付けは酒、砂糖、醤油とみりん。刻んでから軽く水で洗ったので辛味もえぐみも少なくて、思った通り美味しい佃煮が出来た。ご飯にこの佃煮と、蕪の葉と茎を刻んで軽く味つけた副菜を掛けて食べたらとても美味しい。きっと、おろし生姜が定番の冷奴にも合うはず、と思って試したら、こちらも大正解。生姜を煮詰めた時に汁を少し残していたのでその汁ごと載せて青葱を散らした。

 長かった暑い日の名残りにと思って久しぶりにこの切り子の小皿を使った。ダイヤ型の鋭い凹凸が外面を覆い尽くす。立ち上がった皿の淵にも鋭く尖った山型の突起。持つと手に痛いほど深く、鋭く尖っている。元は20枚の揃いだったようで箱は大きいが、壊れたり散逸したのだろう、現在はこの箱に5枚だけ。時代は明治の頃だろうか。個体差で厚く重い出来も有れば、今回使ったような薄手の皿もある。今思うガラスとは違って、純度のせいか少し茶がかった色だけれど今時の切り子には見られない鋭く切り立った彫りが素晴らしい。ついつい触って眺めて楽しむ。改めて自分は切り子が好きなのだと自覚した。

器 義山 切子 丸中皿  径10cm 高3,5cm

作 不明

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No.243 わらび餅

 食べたくなってわらび餅を買って来た。きなこをまぶし、黒蜜を掛けていただく。素朴な甘みが口に広がり、プルプルしたわらび餅の柔らかい弾力に顔がほころぶ。

食べていて、ふと気になった。この “わらび” と “葛” と “片栗”。どれも料理やお菓子の材料として、とろみをつけたり固めたりする植物の “根” の粉である事は知っている。何となく用途の違いも理解しているつもりだけれど、一体何が違うのだろう?と。

わらび粉は和菓子のわらび餅しか知らないけれど、葛と片栗は自分でも使い分けている。そのふたつを料理で分けるなら、葛粉は和食、片栗粉は中華料理。しかし葛の根から作られる本葛粉は高価で、片栗粉で代用する事も多い。さらさらしていて、キュッキュッとした指触りが特徴の片栗粉は、馬鈴薯のでんぷんから出来ているのも知っている。本葛粉は箱を開けると、粉の中に角が鋭角に尖った塊が有ったりする。すぐに崩れるのだけれど、他の粉類では見たことのない特徴に思える。

調べてみたら、その3種の粉は原料が違うために性質の違いが有る。わらび粉はわらびの根から採るでんぷんなので、希少で高価。そのためお菓子として珍重されるのだろう。とは言え、現在市販されている “わらび餅” や “わらび粉” の多くは、わらび粉に芋などのでんぷんを混ぜた物が多いらしい。

わらび粉はプルプルした弾力と滑らかな食感で、食物繊維が豊富、整腸作用が有る。本葛粉は透明感があり、とろりとして滑らかだが、冷やすともっちりとした食感になる。身体を温める性質が有るそうだ。そして一番身近な片栗粉は、加熱すると滑らかなとろみがつく。葛粉とは逆に身体を冷やす性質が有るそうだ。話が大きく逸れたけれど、またちょっとだけ知恵が付いた。

 わらび餅を盛った三嶋模様の皿は古曽部焼 (こそべやき) 。古曽部焼は、現在の大阪府高槻市で江戸時代後期から大正時代、五十嵐家によって焼かれていた陶器で、鄙びた味わいが特徴とされる。当初は庶民使いの器が多かったが後に茶人、文人に好まれ、一時期は遠州七窯にも数えられるほどとなった。大正時代に一時期途絶えるが、寒川 義崇 によって復興され、現在に続いている。寒川氏は、古曽部焼の伝統的な要素を残しつつ、現在の時代に活きる器を作り続けているそうだ。

この皿には裏に “古曽部焼” の刻印があるだけで時代や作者は不明だが、そう古いものではない。昭和の中頃だろうか。三嶋模様に白い釉薬が薄くかかり、全体に靄が掛かったような柔らかさが有る。しかし丸く作った皿の縁を切った断面が鋭く、素朴さの中に心地良い緊張感が感じられる。

器 古曽部焼 三嶋角皿  径11,2cm角 高1,8cm

作 不明

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No.242 天麩羅の塩

 団扇を模った手塩皿。我が家には5枚在って、小さい見込みに絵替りで色々な植物が描かれている。箱には10枚と書かれているので、元は10枚揃いで作られたようだ。器の形の夏らしい意匠に拘らず、描かれている花や実の季節は様々。今日は夏らしく朝顔を選んだ。天麩羅は茄子、玉蜀黍、南瓜、桜海老と三つ葉のかき揚げ。冷たい素麺と共にいただいた。

見ていて飽きない、とても素敵なお皿だけれど、何を盛ろうかと考えると難しい。小さなお菓子か佃煮、などと考えるけれど、枝豆や天麩羅に添えて文字通り “塩” を盛るのが似合う気がする。

 この皿は乾山焼。元禄時代(1688〜1704)、尾形 乾山 が京都の鳴滝 (なるたき) に窯を作った。この皿は時代も作者の名前も明記が無いので不明だが、その窯の陶工が作ったものだろう。丸くて大きい団扇の持ち手が愛らしい。少し立ち上がった皿の縁から、焼きが甘く柔らかい事が伝わる。見込み全体には実際の団扇に倣って少し盛り上がった細くシャープな骨があり、その上に描かれた朝顔も本当に団扇に描かれた絵のように骨の上に浮き上がる。手の込んだ作り方だと感心する。

器 乾山焼 絵替 団扇皿  径10x8cm 高1cm

作 不明

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No.241 いさきの刺身

 今が旬のいさき。地元の魚屋では近頃お刺身で出ている。塩焼きにして美味しく、好きな魚だ。大きい魚ではないので、身はさほど厚くないけれど、旬の時にしか出ない刺身は適度に脂がのっていてとても美味しい。胡瓜と大葉、茗荷を刻んで盛り合わせた。

 文を結んだ形を模った皿は、幕末から明治時代に活躍した 幹山 伝七(かんざん でんしち 1821〜1890) のもの。近江の出身だが、文久2年に京都へ行き、後に清水に窯を開く。明治5年頃からこの 幹山 伝七 の名を使っている。西洋の絵具や技法を取り入れた斬新な作品で知られ、宮内省御用達となるなど高い評価を受けた。

この結び文の皿は古染に本家が在り、その写。この器自体は、皿と呼んだ方が良さそうな大きさ、深さだけれど “鉢” と名がつくという事は本家はもっと大きいのかもしれない。

結んだ文の面ごとに絵柄が書き分けられていて、力強いながらも楽しさがある。しっかりした呉須の色も美しい。今や手書きの手紙でさえ少なくなっているけれど、結び文は紙だからこその “折ってたたむ” 造形。それを器に模ってしまう遊び心がすごいと思う。

器 羅漢図 結び文 平鉢  径26,5cmx15cm 高2cm

作 乾山 伝七

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No.240 白玉あずき

 小豆を茹でた。お正月に用意してそのままになっていた大納言。料理は好きだけれどお菓子はたまにしか作らないのでハードルが高い。でも久しぶりに白玉が食べたくなって、残っていた大納言を炊いてみた。やはり難しい。目指した茹で具合より固く、残念な事に白玉との一体感が感じられない。煮崩れを警戒して、砂糖を入れるタイミングを早まったのだ。一朝一夕には出来ないわね、と反省しまた挑戦しようと思う。

 白玉は母が好きだったので時々作っていたけれど、その時は缶の茹で小豆を使っていた。美味しいし手軽、失敗は無い。白玉は白玉粉を水で溶いて丸めて茹でるだけ。シンプルだから、水の量さえ間違わなければ問題無いけれど、形に迷う。まん丸の球状にするのは難しいし、盛り付けた時も見栄えが良いとは思えない。

昔、新年に集まりがあって白玉を作った時、ある人が “白玉は、真ん中を少し窪ませてヘモグロビンの形にすると良いのよ” と。彼女は裏千家の茶道の先生。お菓子として使うから白玉の形も研究していたのだと思う。それにしても “ヘモグロビン” って、一般人は思いもつかない説明だ。実は彼女の本業は病院の検査技師。それを知っている私は、なるほど、と面白いながらも上手い説明だわと納得した。それ以来、白玉を作る時は “ヘモグロビン” 形を目指している。

 このクリスタルガラスの器の作者は不明。実家に在ったもので使う機会がなかった。カップの部分は手吹で作られていて5脚有る器はガラスの厚さが薄かったり厚かったり、かなり違いがある。今回使ったのは薄手のものだ。脚の部分は正方形の柱形でそれぞれの角を面取りして8角形。透き通ったクリスタルガラスの脚の重みが器の安定感を作り出している。

果物やアイスクリームなら間違い無いけれど、何を盛ったら楽しいかしら、とずっと考えていて白玉を思い付いた。冷たく冷やしたあずきと白玉を氷のように見えるガラスの器に盛ったらとても涼しげ。炊いた小豆はまだ少し残っているけれど、みつ豆に入れたらえんどう豆の代わりになるかしら、とか南瓜と煮ようかしら、と考えている。

器 クリスタルガラス 脚付コンポート皿  径9,5cm 高8cm

作 不明

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No.239 夏野菜の梅おかか和え

 きめが細かく、透き通るような白磁の器は長崎県三川内町にある三川内焼のもので、平戸焼とも呼ばれる。

今から約400年前、戦国時代から江戸にかけて活躍した、肥前国平戸藩の初代藩主である松浦 鎮信 (1549〜1614)が、朝鮮から陶工を連れて帰った。そしてその中の1人、巨関(こせき)に平戸・中野で窯を築かせ、平戸焼とした。この、最初の窯が平戸だった事で、平戸焼とも呼ばれているらしい。しかしこの地には良い陶石が無く、巨関は息子と共に三川内へ移り住み、この地で平戸藩御用窯として庇護を受ける。

陶工たちは損得や利害を超えてひたすら優品を作ることに没頭し、青磁、白磁、染付をはじめとして錦手、彫刻物、盛上物、捻り物など多種多様の技を極めるようになる。それらはオランダや中国に輸出され海外の王侯貴族にも珍重されたそうだ。その後、三川内焼は40ほどの窯元によって受け継がれて来た。

この白磁の器は三川内焼の嘉久房(かくふさ)窯、平戸 悦山 のもの。昭和後期の物で、時代のある物ではないけれど、きめ細やかな白磁の肌と、ゆったりとした膨らみのあるフォルムが美しい。悦山が大事にしたのは、白磁の “白の色へのこだわり” だそうだ。この器の透き通る白を見ていると、その拘りが伝わって来る。

 口が三つに大きく割れた形の器を “割山椒” という。山椒の実が弾けた姿をなぞらえている。この形は、陶器、磁器を問わず向付には割と多く有る。陶器の、厚さと温かみのある割山椒も良いけれど、この白磁の割山椒はすっきりと美しく、なんとも涼やか。今が旬の水茄子と胡瓜、茗荷、大葉を梅肉とおかかで和えて盛り付けた。

器 白磁 割山椒向付  径9cm 高7cm

作 三川内焼 嘉久房窯 平戸 悦山

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No.238 紫蘇ジュース

 今年、裏庭の梅の木にかつてない程の数の実がなって、梅仕事に追われた事は No.234 の 梅ジャム の回で書いた。いつもお願いしている植木屋さんに聞いたら、梅の実が豊作だったお宅は多かったらしい。気温や日照時間、受粉などのタイミングが良かったのでしょう、との話だった。たまたま我が家の梅が多かった訳ではなく、近隣の地域で同じ現象だったのだとすると確かに気候条件に拠るものなのだろう。こんな身近にも気候変動の影響、恩恵が起こるのかと驚く。気温の上昇は弊害が多く、確かに大問題では有るけれど、自然界で考えると収穫が増えるメリットもある。知ってはいたけれど、なるほど、と実感する出来事だった。

その梅の実の豊作で今年は作る気のなかった梅干しを漬け、その為に買った赤紫蘇が余って紫蘇ジュースを作った。紫蘇ジュースは疲労回復や夏バテにも良く、以前にもよく作っていた。汗をかいて外出から帰った時に、炭酸水で割って飲むととても美味しい。

 赤紫蘇は大きな枝から葉を外し、洗って水気を切る。もし有れば緑の紫蘇、大葉も少し加えると一層美味しい。紫蘇の量に見合う分量の湯が沸騰したら鍋で煮出す。粗熱が取れたら葉を取り除いて濾す。分量の砂糖を加えて溶かし、最後にクエン酸を入れる。清潔な瓶に入れて冷蔵庫で保管すれば夏の間楽しめる。

 紫蘇ジュースを注いだ可愛らしい花柄のタンブラーは、私が子供の頃から実家に有ったもの。昭和を感じる素朴な色と柄に愛着を感じる。夏場にミルクやカルピス、麦茶などを飲む時によく使う。器としての価値は高くないけれど、私にとっては思い出のある、大切な一品だ。

器 花柄タンブラー  径6,8cm 高12cm

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No.237 バナナケーキ

 つい最近オーブンレンジを買い替えた。配置するスペースの問題で暫く悩んでいたのだが、下見していた家電量販店で販売員に相談している時に、お勧めの機種を値引き出来ると言われ、その機種に決めた。結果的に予定していたより大きく、機能的にも優れたオーブンレンジになった。

 新しいオーブンが手に入ると使ってみたくなるもの。久しぶりにバナナケーキを焼いた。生地にキャラメルとバターで煮たバナナを混ぜ込んで焼く、簡単なレシピだ。焼き立てはそれはそれで美味しいけれど、むしろ1日置いて冷蔵庫で冷やした方がしっとりして美味しくなる。ホイップした生クリームを添えて盛り付けた。

 この四角いケーキ皿はShelley (シェリー) 。”ブルーアイリス” と呼ばれる模様のシリーズで、ケーキ皿単体で6枚組で所持している。Shelley 特有の四隅に輪花のような切り込みの輪郭と中央に向かう細い峰のような凹凸。こんな造形の白い皿に、アール デコ調の繊細なアイリスが描かれている。和の器、特に角の場合は正面の向きが決まって作られている意匠の物が多いけれど、洋食器にはほとんど無い。この Shelley の皿もどの方向からから見ても写実と具象化されたモチーフのバランスの良い美しい皿だ。英国の、どんな家庭のティータイムを飾って来たのだろう。

器 ブルーアイリス ケーキ皿  径18x18cm 高1,8cm

作 Shelley (England)

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No.236 キンパ

 色とりどりの具材を巻いた太巻き。海苔でしっかり巻いて、切り分けた断面が美しく、食欲をそそる。見た目がそっくりな日本の太巻きと韓国料理のキンパは食べると味はずいぶん違う。お寿司の一種で酢飯を巻く太巻きに対してキンパのご飯の味付けは胡麻油と塩。

雑誌に、キンパの作り方が載っていた。冷蔵庫に少しずつ残った食材が上手く使えそう、と気が付いて初めて作ってみることにした。食べた事はあるけれど、作ろうと思ったのは初めてだ。そこに載っていた “基本のキンパ” とされた具材は、カニカマ、人参のナムル、ほうれん草のナムル、きんぴらごぼう、錦糸卵、べったら漬け。カニカマの残りときんぴらごぼうは有るし、人参とほうれん草も有る。錦糸卵もすぐに作れる。べったら漬けは無いけれど、頂き物のたくあんで代用出来そうだ。肉ではなくカニカマを使う所も初心者には嬉しい。かなり具沢山になって巻くのが難しかったけれど、色も栄養バランスも良い、初めてのキンパが完成した。

見た目に海苔が艶々なのは韓国海苔を使っているのかと思っていたけれど、巻いた後に胡麻油を塗るのだそうだ。見た目がそっくりな両国の海苔巻、日本の海苔巻きが韓国に伝わったものが起源という説も有るが、韓国独自の食文化として発展したという説もあるらしい。古代から交流が有った最も近い隣国だから、食文化も影響を与え合っていても不思議はない。

 存在感のある叩きのお皿は伊賀焼、谷本 景 (1948〜2024)の作。伊賀焼の復興と普及に尽力した 谷本 光生 の長男で、若い頃に欧州各地を美術研修で巡り、パリで銅版画を学んだ後、1977年に三田窯を継ぐ。伝統的な古伊賀を踏まえながらも、絵画的要素も取り入れて独自の作風を作ったとされる。叩いて平たくした土板に三脚で高さを出し、中央は重みで垂れて自然な窪みが出来ている。荒い粒の混った土が整えていない縁に強い印象を与える。窪んだ皿中央と縁に回された円模様に釉薬が溜まり、伊賀の緑釉と火色のコントラストが美しい。

器 伊賀焼 叩き皿  径 22x20cm 高 4,5cm

作 三田窯 谷本 景