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No.78 水茄子と胡瓜の塩揉み

 蒸し暑くなって来たこの時期は、身体がまだ暑さに慣れておらず怠さと共に食欲も下がり気味。汗をかいて暑さに対応できる身体にするためのトレーニングとして、ゆっくり湯船に浸かったり身体を動かして汗をかくと良いのだそうだ。食生活で、旬の野菜にはその季節に必要な栄養価が含まれ、夏野菜には熱のこもった身体を冷やす効果もあるそうだ。長い歴史に基づいた食文化の奥深さに感心する。

夏野菜を楽しむ手軽な料理だと、塩揉みが好きだ。漬物というほどには漬け込まず、ほんの10〜15分ほど塩をして軽く揉んで水気を絞っていただく。和食のサラダだ。酢の物の下拵えとしてもよく使われる調理法。少し灰汁のある野菜の時は軽く水で流すとえぐみが取れてさっぱりする。今日は皮も柔らかい水茄子と胡瓜、茗荷を塩揉みにした。紫色の皮に、白い果肉が美しい水茄子は柔らかくてジューシー。茗荷の風味が効いて食欲の落ちている時にもぴったりだ。削り鰹やすり胡麻を載せて、少し醤油を垂らすと味が締まる。

 4辺の縁が外側へくるりと反り返った向付は唐津焼で、西岡 小十(にしおか こじゅう 1917〜2006)の作と思われる。裏の高台内に十の字が彫られている。備前や唐津などの土物は書き名や印ではなく、作家さんの名前の一文字や印(しるし)などを彫って明記することが多い。小振りな向付だが使いやすく、何を盛っても馴染む優れた器だ。実際に盛り付けてみると、見た目よりも見込みが深くゆったりとしているので、思った以上に沢山の量をバランス良く盛れる、私にはぴったりの器だ。

器 唐津四方向付 5脚組 径11cm 高8cm

作 西岡 小十

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No.77 ちりめん山椒

 山椒は小粒でぴりりと辛い。と言うけれど、その辛さは独特だ。唐辛子とも山葵とも、生姜とも違う。口が痺れる中華で麻、と表現される、その字の通り麻痺の感覚。香りと共にこの痺れが病みつきになる。

山椒の実は、旬のこの時期に手軽に手に入るようになった。出回る今頃買って、下処理をして冷凍庫で保存すると一年間楽しめる。山椒の実は、大抵が軸に実が2つ付いている。この、細い茎が有ると口触りが良くないので、面倒だけれどひとつずつ取って、軽く茹で、水に晒して灰汁を取る。晒す時間が長いと辛味が減るらしい。山椒の実は通常小さいプラのパック詰めで販売されているが、数年前に箱で割安に売っているのを見つけ、思わず買ってしまった事があった。処理が大変だろうとは解っていた。が、つい欲張った。ところが、その量は思っていたよりとんでもなく沢山で、延々と軸を取り続けても終わらない。頑張りきれず、諦めて翌日に回し、結局二日間かかった。灰汁で指先は荒れるし、大変な思いをした。冷凍保存しても当然使い切れないと思って、知り合いにも貰っていただいた。欲張りは災いの元、と思い知った。それからは使い切れる程度を心掛けている。

そんな生の実山椒が、今年も出始めた。そろそろだろうと思って、ちりめんじゃこは既に買って準備していた。ちりめんじゃこは、広島の音戸ちりめん。広島県のアンテナショップに行くと、格安で良いちりめんじゃこが手に入る。軽く湯掻いて塩分を抜き、同時に乾いたじゃこを柔らかくする。味付けをして、山椒を加え、水分が無くなるまで少し煮る。ちりめん山椒は好きだから度々買うけれど、この時期は自分で好きなお店の味を真似て作っている。

2段重ねの蓋物の上段には、お気に入りの大阪の昆布の佃煮を入れた。この器は木泉(もくせん)の作。明治、大正期の京焼きの陶工で、少し調べたが情報が少なくそれ以上は良くわからない。平安 木泉とも言われるが、この平安は、京都を指すので苗字ではないようだ。作者の情報は判らないが、この蓋物は実に良く出来ている。白磁の本体もきっちり、すっきり、明確な四角だ。2段の重ねや蓋もぴったり合っている。開けるたび、重ねるたび、その精巧な出来故の使い心地が気持ち良い。呉須の絵柄は花と風景、他の2面には漢詩かと思われる文字。しっかりした呉須の色も私の好み。使って、眺めて楽しい入れ物だ。

器 染付二段四方蓋物 径8x8cm角 高8,5cm

作 平安 木泉

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No.76 アメリカンチェリーの赤ワインコンポート

 和種のさくらんぼに先駆けて、今店頭に並んでいるアメリカンチェリー。初めて食べた時は果肉が厚く、その食べ応えに驚いた。味もしっかりしていて淡い色合いの和種のさくらんぼとはかなり違う果物だ。だから加熱して食すのに適しているのかもしれない。

思えばこの赤ワインでコンポートしたダークチェリー、私が好きなデニッシュパンにも昔から載っている。日本で初めて店舗で焼きたてのデニッシュパンを販売した、という今や全国展開のパン屋さんだ。その創始者がヨーロッパを訪れた際に、デンマークで焼きたてのデニッシュパンを初めて食べて魅了され、日本で始めたと聞いている。その時デンマークでダークチェリーのデニッシュパンを食べたかどうかは判らないけれど、今はその店を代表するメニューとなっている。

 地元で、昔から家族でよく行くイタリアンレストランがある。年に6回、隔月で料理教室を開いていて、数年前のこの季節にアメリカンチェリーを赤ワインで煮たこのコンポートを使ったデザートを教えていただいた。先日、美味しそうなアメリカンチェリーを店頭で見つけたら久しぶりに食べたくなって、レシピを探し出して作ってみた。そのレシピは、赤ワインとアマレットを使ったのだけれど、アマレットは手元に無かったのでワインと同じく葡萄が原料のブランデーで代用した。教えていただいたデザートはヨーグルトにホイップクリームを併せたものにチェリーを添えたのだけれど、今日はさっぱりと水切りしたヨーグルトだけ。ベランダの鉢植えからペパーミントの葉を摘んで飾った。

このガラスの鉢を使うのも久しぶりだ。ヨーロッパの物ではあるがメーカーや時代は定かでない。上部にぐるりと花と葉の模様がガラスの表面をカットで細工されて連なり、金粉が施されている。底にも花が一輪。器の口にもぐるりと金が回されている。使われて来たために金は所々薄れているが、モチーフが可憐で涼しげな印象だ。

器 金彩ガラス鉢 径13cm 高7cm

作 不明

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No.75 白海老と空豆のから揚げ

 衣を付けて油で揚げる、という調理法は食材を、特に野菜を加熱して食すには、その風味を最大限に味わうことが出来る手段ではないかと思う。衣が膜となって中の食材の旨味を逃さず、中は蒸された状態になっているのだそうだ。前に何かの番組か雑誌で、老舗の天麩羅屋さんのご主人が話しておられるのを見て知った。なるほど、と納得した。アスパラなどの野菜を天麩羅にしたら、風味がしっかり感じられてとても美味しい。

 今の時期、鮮魚店で白海老を見かけるとつい買ってしまう。白海老のかき揚げは間違いなく美味しいし、私はガーリックを効かせて白海老と空豆のパスタも気に入っている。だが、今日はその2種の食材をから揚げにした。空豆のから揚げは、以前とても凝って、毎日のように作った事がある。天麩羅と同じ原理で、揚げた空豆は茹でたり焼いたりしたのとは違った、ほくほく感と香りが楽しめる。衣を重くしたくなくて、片栗粉だけを軽く塗して揚げてみたら、食べたかった味に出来上がった。塩を少し付けて、揚げたての熱々を食べる。揚げたてに限る。それが気に入って、4、5日作り続けた記憶がある。生の空豆の鞘はともかく、一粒ごとの皮を剥くのはかなり面倒くさいのだが、食べたい一心。それを思い出して、久しぶりに作ってみた。

 白海老の淡いピンクと空豆のグリーンが、土臭さのある素朴な陶器の皿に良く映える。皿は黄瀬戸。隅入り(すみいり)と呼ばれる角を落とした意匠は、隅入り角紋と言って家紋のデザインでも縁取りなどで使われている。平皿なのだが、底面の両端が少し浮いている。裏を見ると中央に丸く釉薬の掛からない切り取られたような部分があって、その丸い部分が卓に接地する。不思議な作りだと思ったが、これは角皿ではあるが轆轤で作った名残りだと言う。もしかしたら、桃山時代?などと期待と夢が膨らむ。

器 黄瀬戸角皿 径20x11cm 高3,5cm

作 不明

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No.74 糠漬け

 私は大人になるまで、いわゆる漬物はほとんど食べたことがなかった。前にも書いたが、私の母は漬物が苦手で、家では母が作る軽く塩で揉んだだけの浅漬けしか出て来なかった。私も自然としば漬け、糠漬け、たくあんの類は食わず嫌いとなっていた。が、働き始めて外食の機会が増え、国内外問わず出張で色々な地域の食を知るようになり、漬物だけでなく殆どの好き嫌いが無くなった。

とは言え、漬物は自分で漬けたことはなかった。しば漬けや水茄子の漬物は好きで、買って食べてはいた。でも、糠漬けは特に好きだった訳ではない。それがなぜか1年ほど前から時々食べたくなる事があった。酸味が強いのは苦手で、売っている糠漬けには手を出せずにいた。そんな時、MUJIで糠床がパックで売られているのを見つけた。容量の多いものの他に、その補充用に売られている少量のパックが有り、試してみる事にした。お弁当箱ほどの容器に丁度良いくらいの少量の糠は、糠床として完成しているので、野菜をただ漬けるだけ。最初の糠漬けステップとしては気軽に始められる。それを何度か繰り返していた頃、筍の季節がやって来た。送られてくる筍を茹でる準備として、お米を注文するタイミングでお米屋さんに米糠を分けてもらえるか聞いてみたら、最小単位で500g。筍を茹でるのに使うには多すぎる量だけれど仕方がない。筍が来ても準備万端、と思って待っていたら到着した筍には茹でる時に使う米糠がちゃんと入っていた。とても親切だ。結局、筍は一緒に来た米糠で茹で、使わなかった500gの米糠をどうしたものか、と考えながら数日経った頃、この際、糠床を作ってみてはどうだろう。と思い付いた。

ネットで糠床の作り方を調べたら、米糠、塩、水の他に煮干しや昆布、鷹の爪、実山椒を混ぜて、捨て漬けなどしながら三週間ほどかかる。保存食作りは好きだし材料も有る。何よりやってみたい気持ちが高まり、早速トライした。そして無事、レシピ通りに初めての糠床が出来上がり、本漬けを始めて早くも数週間が経った。まだまだ好みの味も定まらず、迷いながらだけれど、塩も馴染んでまろやかになって来た糠床。少量ずつ色々な野菜を漬けて楽しんでいる。食卓に一皿増え、彩りと味覚のバリエーションが加わって楽しい。

胡瓜、人参、蕪の糠漬けを盛ったのは、仁阿弥 道八の鉄絵の小皿(No.28の回で刷毛目のぐい呑みを使用)。素焼きの素地に白薬を掛け、それに鉄釉の濃茶で絵を描き、更に釘で線描きをして下の層の白を出す。色を加えるのではなく、削るのだ。そう言えば昔、図工の授業でクレヨンを塗り重ねて釘で絵を描いた事があった。あの技法だ。絵高麗(えごうらい)と呼ばれるこの皿は、中国や朝鮮で作られていたものが日本に伝わった。伝わって来たのが朝鮮からだったために、この名が付いたそうだ。柔らかい表面感と大らかな絵柄に、瑞々しい漬物が美味しいそうに映る。さて、次は何を漬けよう。出始めた泉州の水茄子を買って来ようか。

器 絵高麗小皿 径11,5cm 高2,5cm

作 仁阿弥 道八

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No.73 アスパラガス

 柏の葉を模った皿。葉脈がくっきりと盛り上がり浮き出している。裏には脚が3本。葉の縁が抱え込むように立ち上がり、葉脈に沿って緩く弧を描く。皿だけ見るとまるで彫刻のようだ。これは、交趾(こうち)と呼ばれる技法の陶器で永楽 妙全(14代 善五郎である得全の妻で本名は悠。以前No.23,65の回でも使用)のものだ。

交趾の名前の由来は江戸時代中頃、交趾船という現在のベトナムのコーチシナ(交趾支那)から東南アジアを結ぶ貿易船によって長崎にもたらされたのでこう呼ばれるようになったらしい。そのため、長い間ベトナムから来た陶器と思われていたのが、近年になって中国福建省南部で作られていた事が判ったそうだ。

当時、貿易船によってもたらされる最先端の中国文化は京都の公家や僧侶、文化人に大きな影響を与えた。交趾焼は茶人に好まれお茶席で使われるようになり、その頃生産が増えて来ていた京焼きがその技法を模して、その後京焼のひとつの手法として定着したものらしい。広くは、中国の三彩などで建築物を飾る陶器の人物像なども交趾と呼ぶらしいが、日本では器や花器の表面に、生地で盛り上がる細い線の模様を作り、そこに黄、緑、青、紫、白を使って彩色したものを指すことが多い。この皿は、彩色はせずに一色で仕上げている。

この柏の意匠の皿は、永楽 善五郎の他の代でもよく作られていて、大きさが少し違ったり、色が違う。本で調べたら、11代 永楽 善五郎、保全のもので萌黄色の五枚組のものを見つけたが、それはこの皿に比べてひと回り大きい。

我が家のこの皿は揃いではないが、一枚だけ見ても迫力がある。今が旬の太くて色鮮やかなアスパラを盛ってみたら思った通り、この深い紫色に映える。軽く茹でたアスパラは、そのままでも美味しいけれど、今日は茹で卵とケッパーを細かく刻んでタルタルソースを作った。鮮やかな色と鼻に抜けるアスパラの香りを楽しんだ。

器 紫交趾釉柏葉皿 長25,5cm 幅14cm 高5cm

作 永楽 妙全

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No.72 ピクルス

 昔、就職して働き始めて少しした頃、同期の仲良し4人でいつもお昼休みにお弁当を食べていた。地方出身のひとりを除いて私達3人は実家組。母親が作ってくれたお弁当だ。その実家組の中のひとりのお弁当に、時々ピクルスが入っていた。胡瓜のピクルスだ。私の母は漬物嫌いで、ピクルスどころか和食の漬物さえ食卓には出て来ない。一切れ貰って食べてみたら作ってみたくなり、その友人に頼んでお母様にレシピを教えていただいた。

そのレシピは、砂糖を使わずさっぱりしたものだったが、好みで砂糖を、と添書きがあり、少し甘めの味付けに工夫して我が家の定番となった。時代と共にピクルスもメジャーになり、様々なレシピや、ピクルス用にブレンドしたハーブ&スパイスも出回っているが、私が作るのはいつもこのシンプルな味だ。漬ける野菜は昔に比べて種類が増えた。胡瓜はもちろん、カリフラワーにセロリ、人参、今の時期だけ出回るヤングコーンはピクルスにしてもシャキシャキの歯触りで美味しい。色とりどりのパプリカを入れることも多い。ガラスの瓶に彩り良く詰めると、見た目も美しく冷蔵庫を開けて目に入った時も楽しめる。

 ペイズリーの様な形の皿はPOOLE(プール)。POOLEは、1873年、イングランド南西部の海沿いドーセット(Dorset)地方のプール港近くの岸壁に作られた陶器メーカーだそうだ。Susie Cooper(スージー・クーパー)ほど日本では知られていないが、同時代にイングランドの陶器メーカーとして生産されていたブランドだ。時代背景もあり、1920年代の頃はPOOLEもデザイナーを入れてアール・デコのデザインの皿や花器を作っている。私はこのアール・デコ期のものが好きで、他のPOOLEの製品はよく知らないのだが、調べてみたらロンドンの地下鉄の駅のホームの壁に使われ、駅名を示すタイルなども作っていたと言うから、食器や花器だけでなく幅広い意味での陶器メーカーなのだろう。

厚手の滑らかな素地、ぽってりした重量感、マットな表面が特徴で、簡素ながら可愛らしい花が描かれている。見ているだけで気持ちが温かくなる。食物を盛らなくても、テーブルに置いて小物入れとして眺めるのも楽しい。

器 花柄小皿  径18cmx8,5 高2cm

作 POOLE

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No.71 中華粽(ちまき)

 端午の節句。五節句のひとつで、菖蒲の節句とも言われるそうだ。端、は最初という意味があり、5月の最初の午の日を指す。現在はグレゴリオ暦で毎年5月5日と決まっている。女の子の雛祭りに対して男の子の成長を願う日として定着しているが、今の時代、子供とはいえここまではっきり男女の区別をするのは躊躇したりもする。が、これらは日本で奈良時代に始まった風習だ。文化として深くこだわらずに受け継いで行きたいものだ。

この日に食すのは、柏餅や餅を甘く味付けて笹の葉で巻いたちまき。これは日本の風習で、中国では餅米を竹の皮で包んだ粽を食べることも有るらしい。昔、よく作った中華粽を久しぶりに作ってみた。餅米と豚肉、筍、干し椎茸、干し海老、中心にはうずらの卵。簡単に出来るつもりが、竹の皮で包む所まで来て苦戦した。包み方は覚えているのだが中々上手くいかず、料理も普段からの訓練なのだと感じる。

この脚付きの青磁の鉢。箱には『青磁石菖鉢』と有り、以前の持ち主が札を付けている。このような鉢は、本来食物を盛るのではなく立花など花を生けるためのもの。中国、元の時代の物で、根津美術館蔵のものとよく似ている。花器なのは解っているけれど、粽を盛ってみたくなった。ちょうど食べたいと思っていたところだ。

3本の脚に支えられて、大きく開いたこの青磁の鉢は、天竜寺青磁とよばれるものだ。天竜寺船によって日本に渡って来たことに由来してそう呼ばれると言う説が一般的だ。そういえば日本史の教科書でその名が出て来た記憶がある。調べると、中国浙江省の竜泉窯(りゅうせんよう)で作られた青磁のひとつの様式で、室町幕府が、天竜寺造営のため明に派遣した貿易船が、この種の青磁を大量に持ち帰った事からこう呼ばれるようになったと。だが一説には、夢窓国師が天竜寺に伝えた香炉が高名だったため、との説もあるらしい。どちらにしても危険な船旅ではるばる大陸から海を渡って来て、長く大事に扱われて来たのだと思うと感慨深い。

青磁の色味は、もっと青が強かったり、黄味にに濁っていたりする物も多いけれど、この鉢の沈んだ緑の透明感と深味のある色合いが美しい。

器 青磁石菖鉢 径27cm 高9,5cm

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No.70 鰹の漬け丼

 初鰹と呼ばれる春先の鰹は、3月から5月にかけてが季節。鰹には二度旬が有って、初鰹と秋口の脂が乗った戻り鰹。どちらも美味しいのだが、私は調理法として、たたきよりお刺身が好きなので、どちらかと言うとさっぱりした赤身の初鰹が好きだ。

きれいな赤身の鰹が手に入ったので漬け丼にした。刺身を丼にする時は、少なめに酢の入った寿司飯にするのが好みだ。酢漬けの蓮根を刻んだものと白胡麻を混ぜた寿司飯に、刻んだ大葉と細葱、おろし生姜。鰹をたっぷりと載せた。しっとりとして舌触りも良く、大きな鰹の切り身があっと言う間に無くなった。

この呉須赤絵の、豪快な力強さを感じる鉢は、12代 永楽 善五郎(永楽 和全 1823-1896)のもの。和全は、明治に入った頃から息子で、当時既に善五郎を譲っていた14代の善五郎(永楽 得全 。No.23,65で使った永楽 妙全は、得全の妻)と共に多くの作品を作ったとされるが、その中でも特に呉須赤絵の評価が高かったと言う。この鉢が息子、得全と共に作陶した頃の物かどうかは不明だが、そう聞くと得全の作、ひいては代々の永楽の呉須赤絵を並べて見てみたくなる。

我が家では、本家の中国の呉須赤絵も所持している。勿論それはそれでとても良いのだけれど、この鉢にはまるで違った美しさが有る。地肌にかかる白い釉薬の透明感、赤と緑の色の鮮やかさ、かなり薄れてはいるが金も所々に残っている。曲線を描きながら、緩やかな八角形の輪郭。高さのある高台も八角形で、まるで李朝の皿を思わせるが、本家の呉須赤絵には無いディテールで作者の独創性が生きている。器を真横から見ると、高台から上に向かって柔らかい膨らみで開いて口へと繋がる。見込みには底に呉須で大らかな筆使いの大輪の花が描かれていて、ほっ。と優しい暖かみを感じる。

器 呉須赤絵 鉢 径15cm 高10cm

作 12代 永楽 善五郎(和全)

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No.69 うどのきんぴら

 うど(独活)を一本買うと、一度では全部食べ切る事が出来ないので、何度かに分けて使うことになる。その度に剥いた皮を取っておいて、一本分が溜まったところできんぴらを作る。うどの香りを楽しめる春にしか味わえない料理だ。皮は身の部分より繊維が硬いので、細く切って水に晒して灰汁を取る。加熱してもシャキシャキした食感はそのままだ。この色なので見た目に春らしさは無いけれど、有ると食卓が楽しくなる。

この初代 清風 与平の鉢は深さがあって、白磁の透明感のある肌が、見た目の地味なうどのきんぴらを明るく引き立ててくれる。しっかりとした呉須の色。少し流れて滲んでいるが、返ってこの絵の印象を柔らかくしている。

この絵は何を描いているのか、定かではない。が、絵の中に『記礼』の文字が見える。調べてみると『記礼』『礼記』とは、中国の戦国時代から前漢時代の頃の礼学関係の文献をまとめた、とされる経典で五経のひとつらしい。『記』は『経』に対する補足、注釈の意味が有る、と。詳しい内容は難しくて解らないが、その礼記に登場するどこかの場面を描いたものと推測出来る。

清風 与平はいわゆる文人だ。文人とは、ウィキペディアによると、中国の伝統社会に生じたひとつの人間類型であり、「学問をよく修め文章をよくする人」とある。清風 与平は煎茶道具を多く作っていて、精通した儒教の書物の物語を題材にした絵付けも多い。不勉強の私には想像することしか出来ないが、煎茶は中国から日本に伝わったという事を考えると、その背景にある文化の奥深さを感じる。

器 染付け 鉢 径13cm 高8cm

作 初代 清風 与平