カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.95 茶碗蒸し

 急に肌寒くなって、熱々の茶碗蒸しが恋しくなった。百合根や銀杏も店頭に出始めている。具は、その百合根と銀杏、小海老に椎茸と彩りの三つ葉。出汁が多めで柔らかい口当たりが好みだ。大きめの器でたっぷりいただく。

この、捻紋の蓋物は白磁の地の部分が多く、涼しげな印象から蒸し物にはあまり使っていなかったのだが、見込みが大きくて良いかしら、と思って使ってみた。作者は初代の矢口 永寿(1870〜1952)。号を清々軒という。石川県の温泉宿の生まれだそうで、山中町に1904年(明治37年)に永寿窯を開いた。作品は東京や名古屋の数奇者などが買っていたようだ。作陶の他に書画や料理にも秀でた方で、魯山人とも交流があったらしい。山中温泉と言えば No.87の回で使った、辻 石斎の漆碗は山中塗。きっと同じ辺りだろうか。

透き通った白い地肌に、濁りのない呉須の青が清々しい。朝顔か夕顔か、花弁のように開いた輪郭は、文字通り花びらの縁のように波打ち、弧を描いている。5客有るが、本体にも蓋にも動きがあるので、収まりの良い蓋を合わせるのにいつも頭を悩ませる。

器 白磁捻紋 蓋付向付 5客 径10,5cm 高8cm(蓋込10cm)

作 初代 矢口 永寿 

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.94 無花果の胡麻だれ

 無花果は夏が季節と思いがちだが、秋にも旬が有るそうだ。ちょうど今頃も、美味しそうな無花果が八百屋の店先に出ている。以前、無花果の生ハム載せを作って、魯山人の織部釉の皿に盛った(No.40)。調べてみたらちょうど一年前、昨年の10月だった。生ハムを載せるのも美味しいけれど、この胡麻だれをかけた無花果も好きでよく作る。白の練り胡麻を出汁で伸ばして、少しの砂糖と薄口醤油で味を付ける。甘くて柔らかい無花果の果肉に、薄い塩味の胡麻だれが不思議と合う。生ハムを載せてイタリアンに、胡麻だれをかけると和風の献立になる。食卓に一品加えると、ちょっとお洒落なアクセントになる。

片口の萩焼の向付は六客揃いで、第13代 坂田 泥華(さかた でいか 1915〜2010)の作。とても気に入っていて長く使っている。不思議と、何を盛っても良く映る。素朴な萩焼の肌で、窯の火の当たり具合で、ピンク色に発色している所とグレーに沈んだ部分がひとつの器に同居する。片口の小さな口は、後から本体に付けた時の指の跡が残る。手で持って釉薬をかけた時の指跡も。どんな風に持ったのだろう、と、指跡に倣って試してみたりする。色の発色も、釉薬の掛かり方も六つがそれぞれに違っていて、個性が有って楽しめる。

器 萩焼 片口向付 六客組  径15cm 高7,5cm

作 第13代 坂田 泥華

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.93 鈴の最中

 猫の首に鈴を付ける。これは日本の寓話かと思っていたが、実はイソップ物語なのだそうだ。天敵の猫が近づくのを察知するために、鼠たちが考え出した知恵だ。アイディアは秀逸だけれど、実際に猫に鈴を付けに行く鼠が居なかった。その事から良い思いつきでも実行出来ない事の例えとしても使われる。

我が家の猫の首にも鈴が付いている。販売されている猫の首輪には、元から鈴付きのものが多い。今どき、家の中に鼠は居ないし、もし居たら困るから飼い猫に鈴を付けるのは考えもの。とは言っても鈴を鳴らして歩く姿は愛らしく、毛繕いの動きで鳴る鈴の音には気持ちが和む。我が家の猫も最初は少し戸惑っていたけれど直ぐに慣れて、あながち嫌でもなさそうだ。

鈴は、金属の薄い殻のような外形の中に球が入っていて、振動で鳴るというとてもシンプルな楽器だ。古代、胡桃や団栗などの実で、中に隙間がある個体を振ると音が出る、という事に気付いた先祖が、それを祈祷や踊りで楽器として使い、やがて土鈴が出来、金属へと進化して行った。今でも、神社でお参りする時には大きな鈴を鳴らす。日本でも昔から神事と深い結び付きがある。

その可愛らしい鈴の形の最中は、博多で90年続く和菓子屋さんのもの。東京の百貨店の催事に出店していたので購入した。鈴が屋号にもなっている、その和菓子屋さんの名物最中だそうだ。さて、何に盛ったら似合うかしら。と考えたらこの赤楽が浮かんだ。楽 吉左衛門の十代で、江戸後期に活躍した旦入(1795-1855)の皿だ。楽焼は柔らかいので水分が入り易く、いつも使うのを躊躇うのだけれど、この最中なら安心して使える。思った通り、いや思った以上によく似合う。見込みの指跡の渦巻き状の窪みが柔らかい陰影を作る。楽焼は轆轤を使わない。どうやったらこんなに綺麗な渦巻きが出来るのだろう、と思いを巡らす。裏には小さな突起の脚が3つ。表情の有る皿だ。

器 赤楽小皿 五枚組  径12cm 高2cm

作 10代 楽 吉左衛門(旦入)

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.92 秋鮭の吹き寄せ風

 金継ぎ、直し、と言ってもここまでやるの?と思うほどばりばりに割れた破片を繋ぎ合わせた器。一客だけでもすごいと思うのだが、この志野焼の向付は五客組で、その全てがこれと同じように破片を組み合わされたもの。ここまでの手間を掛けたのは何処の何方で、何のために?と考えてしまう。が、元の姿に近いこの姿に生き返らせた誰かと、その労力に賞賛と感謝を送りたい。志野焼の窯跡で不出来故か廃棄され、埋もれていた器を掘り起こし、パズルのように組み合わせて再構成したのだろう。志野焼きの釉薬の掛かったパーツの中に、独特の素朴な絵が描かれた部分も組み合わされ、そこに厚く盛られた金継ぎの線が走る。四方の角に集まる金のラインが華やかさを添えている。

窓を開けると、どこからか金木犀の甘い香りが漂って来る。茶道の世界では10月は“名残“。11月は“口切り“と呼ばれ、その年に摘まれた新茶をいただく、茶道の世界では新しい一年の始まりの月だ。だから、10月は残り僅かになった前年の茶を名残惜しんでいただくのだ。そして5月から夏の間に湯を沸かしていた風炉の季節も10月で終わり、炉に変わる最後の月となる。また半年先まで、風炉との別れの気持ちも重なって名残と言われるのだそうだ。この時期は詫びた風情を好み、直しのある器や花器を使う。9月の終わりに、実りの季節を思って名残の器に秋の味覚を盛り合わせた。

器 志野向附 五客  径12cm 高7cm

作 不明

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.91 隠元豆のピーナッツだれ

 緑が鮮やかな隠元豆を濱田 庄司の小鉢に盛った。いかにも濱田 庄司らしい、黒釉に緑のラインが映える器だ。力強い、厚味のある素地なのだが、六角形の作りや縁の作りはとてもシャープだ。5客の揃いで、茶の発色、緑の釉薬の流れや溜りの調子が個々に違っていて、それぞれに風景がある。白和えなど、和え物に使う事が多いが、四角い胡麻豆腐や卵豆腐を盛ってもこの六角形の器によく似合う。

いつもは胡麻だれで作る事が多いけれど、今日は甘味の無いピーナッツバターを使ってピーナッツのたれにした。出汁で溶いて砂糖と塩、少しの酢を加えて甘味を引き締めている。

器 黒釉六角小鉢 五客  径11,5(13)cm 高3,8cm

作 濱田 庄司

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.90 生菓子

 西の方へ出掛ける事があって、その帰りに京都で新幹線を途中下車。久しぶりの京都だ。以前は年に何回か行っていたのだが、思いもよらない感染症の流行で、国内の移動も規制されていた。久しぶり過ぎて、京都でどこへ行きたいのか思い浮かばない程だった。でも、目的はひとつあった。昨年、御実家のある京都へ越した友人に会う事。先方も忙しくしているだろう、顔を見て少し話して失礼するつもりが、話し始めたら止まらない。気が付いたら帰りの乗り継ぎの新幹線の時間が迫っていた。

この生菓子はその友人がお土産に、と用意してくれていた和菓子だ。今時の京都で行列になるというお菓子屋さんのもので、たまたま空いていたから、と。まだ残暑は残るけれど、お菓子は秋を感じさせる菊の花。この、白の『饅頭菊』は焼き物の絵付けにもよく登場する菊の花の表現だ。白の丸に中央の黄。一枚ずつの花弁の表現は無くても菊の花と解る。意匠のモチーフ化、デザイン化のすごさに感心する。日本だけでなく、西洋や東洋を問わず、動植物の意匠化は古い時代に確立されていて、近年はその膨大な過去のモチーフの遺産の上に成り立っている、と言っても良いのではないかとさえ思う。衣食住の生活に、実用だけでなく装飾を加えるゆとりを持った縄文の時代から、実物を捉える観察眼が磨かれて、優れた物が現代に残り、私達を楽しませてくれているのだろう。この白菊はふっくらとして、中の漉し餡も美味しく、眼でも舌でも楽しませてもらった。

この、銀彩の皿の作者は北大路 魯山人。備前の土に櫛彫で草が彫られ、その上に銀が載っている。五枚有る皿の形は、手で叩いて伸ばしているので不揃い。素朴な作りだけれど、彼の手に掛かるとこんなに洗練された仕上がりになるから不思議だ。さすが天才。五枚の皿は、火の当たりによって土が赤く発色せず、白っぽい上りの物も有るけれど、それぞれに味がある。枯れ葉の庭に咲く白菊のようだ。

器  銀彩 草文櫛彫 備前土小皿 五枚 径12cm 高1,5cm

作  北大路 魯山人

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.89 だだちゃ豆

今では当たり前に関東でも流通しているだだちゃ豆。山形県の名産で、夏の終わりに出回る枝豆だ。鞘の毛は茶色っぽくて、実は小振りだが味が濃くてとても美味しい。

たっぷりの塩で揉み洗いして少し置き、そのまま沸騰した鍋に入れて茹でる。茹だる湯気に豆の良い香りが立ち上り、食欲をそそる。まだ、陽の残る夕暮れ時に冷えたビールといただく。昔から変わらない夏の醍醐味だ。豆自体にはあまり塩をせず、食べながら気分で塩をつけたり、つけなかったりする。

今日の主役はこの、兎の手塩皿。おおまかに兎を象った白磁の地に、呉須で絵と吹き墨で色を付けている。柔らかくて長い耳と、小さな眼が優しい。皿には小さな脚が3本。中央が大きく窪んでいるので、少量の調味料を入れるのに使いやすい。

作者は、加藤 静允(きよのぶ 1936〜)さん。京都の小児科医で、陶芸家でもある。陶芸は趣味で、一時期は販売もしたらしいが、今では知人に贈る程度だそうだ。磁器を作り、伊万里の写しをよくされる。兎のモチーフは伊万里で多く作られていて、加藤氏の作品にも兎の絵柄が多いようだ。私も加藤氏の他の作品は実際に見たことはない。が、この小皿は縁あって我が家に迎えることが出来た。大事に、楽しんで使わせていただこう。

器 白磁兎染付小皿 径7x5cm 高1,5cm

作 加藤 静允

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.88 冷奴

 京都の老舗のひとつ、たる源。寿司桶や御櫃、湯豆腐桶などが主な商品で、樽や桶を作り続けるお店だ。この小さな片手桶と猪口は、組ではなく別々に求めた物。桶は銅、猪口は銀の針金で締められている。9月とはいえまだ残暑の日に冷奴を盛った。塩でいただいても良いし、醤油なら別な小皿に。色の無い食材であっても木地のままの器はすぐ染みになるので気を使う。部分的に濡れると染みが出来るので、桶も猪口も使う前に全体を水に潜らせると染みになりにくく、綺麗に使うことが出来る。

冷酒は、4代清水 六兵衛の燗鍋に入れた。燗鍋は、その字の通り酒を入れてお燗する器の事だ。鉄や錫などの金属製の燗鍋も多く、焼物であっても昔はそのまま火にかけてお燗したそうだ。燗鍋はお茶事で使う懐石道具で、その素材に関わらず組み合わせるお猪口は漆と決まっている。今回は少し崩して、燗ではなく冷やした酒を入れ、猪口も漆ではなく木地のものを使い、涼しさを演出してみた。

六兵衛の燗鍋は、京焼らしいきめの細かい土で、薄手で優雅な作りが上品さを、丸いフォルムと小さな3本の脚が愛らしさを感じさせる。若松の図柄は新春向きと思うが、涼しげな絵柄が気に入って冷酒にしてみた。燗鍋はお燗が前提の器なので、持ち手が付く。この持ち手には葡萄の蔓が巻かれていた。古くなって朽ちていたので外したが、使い手を思いやった素敵な工夫だった。

器 燗鍋 幅14cm(口含) 高18cm(持ち手含)

作 燗鍋 四代 清水 六兵衛

器 片手桶 径9,5cm 高10cm 猪口 径4,5cm 高4,5cm

作 片手桶、猪口 たる源

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.87 鱧と冬瓜のお吸い物

 冬瓜。夏に収穫され、夏が旬なのになぜ冬の瓜なのか不思議に思っていた。収穫して数ヶ月保存が効くので、冬でも食べられる事からこう呼ばれたらしい。私が初めて冬瓜を知ったのは、若い頃に出張で行った香港だ。取引先に連れて行ってもらったチャイニーズレストランでいただいた冬瓜のスープ。中身をくり抜いた冬瓜本体を器にして、干し海老や貝柱を使った、深みのある美味な中華の出汁で煮込んだ冬瓜が入っている。見た目のインパクトも衝撃的で、また初めて食べるスープの沁みた冬瓜が美味しくて強く印象に残っている。思えば、とても景気の良い時代だったのだ。普通に陶器の器に入った同じメニューも有るが、多分プラスアルファの価格で器を冬瓜で供するサービスが有ったのだ、と何年も経ってから気が付いた。

その後、暫くして地元の八百屋でも冬瓜を見掛けるようになった。和食でもよく使われる食材だと知り、好んで使うようになった。あの、最初に口にした冬瓜のスープの味は無理だけれど、和風のお出汁で煮たり、鶏挽肉で餡掛けにしたり。暑い日はそれを冷やしても美味しくいただける。冬瓜自体にはほとんど味が無いので、味付け次第で色々楽しめる。加熱すると半透明になるので、見た目の涼しさも夏向きだ。

その冬瓜と鱧でお吸い物を作った。お料理屋さんならもう少しお上品に盛るはずだけれど、どうしても欲張る。冬瓜も鱧もたっぷり盛り、吸い口にかぼすを添えた。鱧の上品な味わいとほんの少しの脂が加わり、とても美味だ。

使った器は溜塗の漆の碗。石川県の山中温泉辺りで作られているので、山中塗の名で通っている。作者の辻 石斎は、初代が天保11年(1840)に木地師(漆を掛ける前の下地作り。木を削って造形する職人)としてスタートしたが、後に漆に転向したのだそうだ。この碗は、二代の作かと思われるがはっきりしない。加賀藩という土地柄、茶道との繋がりが有り、関連のお道具も多く作ったらしい。この碗も、茶懐石に使われる懐石道具だ。箱には虎渓好みの飯碗と書かれている。虎渓についても調べてみたが、解らなかった。その時代の数奇者だろうか。茶懐石で言う飯碗とは、一文字のご飯を盛るための碗という事だが、大振りの汁物碗として使った。

器 虎渓好飯碗 五客

作 辻 石斎

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.86 鱧

 関東で生まれ育った私が鱧を知ったのは、父の転勤で数年の間、関西に引っ越した頃だったろうか。住んだのは京都ではなかったのでそれほど身近ではなかったけれど、関東にいるよりは鱧に関する情報は多かった。数年で生まれ育った実家に戻って来たので、実際に鱧を口にしたのは大人になってからだったと思う。今や地元の魚屋で、開いて骨切りした鱧が買えるようになった。今年も季節になってから既に何回かいただいているけれど、今日は湯引きした鱧に梅肉のたれを掛けた。京料理でも定番の料理ではないだろうか、お料理屋さんで何度もいただいたことがある。

鱧の骨切りは、専用の鱧切り包丁を使用し、一寸(約3cm)に26筋の切り目を入れられるようになると料理人として一人前、と言われるのだそうだ。その骨切りの技術を持たないため、鱧は京都以外の地域で中々出回らなかったという。今はその技術も広まって来たということだろうか。

 近頃人気のある習い事の中に、金継ぎがあると知って驚いた。サステナビリティの流れに加えて、直しがアクセントになってお洒落、と若年層にも受け入れられているようだ。古い器やお道具に直しは付き物で、金継ぎ職人が居られて、古くからの技術が受け継がれている。ホツ(欠け)や入(にゅう、ひび割れ)の修理として漆に金や銀を使って直す。今は、漆に代わる樹脂などが有って、素人でも手軽に出来る手法、という事だと思う。が、それが習い事と呼ばれていることには少し戸惑った。もちろん大事なもの、気に入った器を修理して使い続けることはとても歓迎出来る事だし、そうして残って来た器を好んで使っている私にとっても喜ばしいことだ。器やお道具だけでなく、ニットや布の衣服にも、ダーニングという金継ぎと同じニュアンスの修理があり、最近は人気が有るようだ。

この、金継ぎのある小皿は唐津。そこそこ古い物ではあると思うが、いつの、誰の、というような能書のある皿ではない。素朴な唐津焼の皿だったのかもしれない。が、いつの時代だろうか新しくはない、しっかりした厚みのある金の直しが、更にこの皿の風格を増している。これぞ金継ぎの魅力、と思う。

器 唐津焼小皿  径11,5cm x10,5cm 高3,5cm