カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.48 水菜とお揚げの煮浸し

 昔、京都を訪れた時に初めて知った水菜。おばん菜料理で、油揚げと一緒に出汁で炊いた煮浸しをいただいて、気に入ったのが最初だ。菜葉としては色が淡く、繊維がしっかりした茎の歯触りがシャキシャキして美味しかった。

当時、水菜はまだ関東に出回っておらず、関西では一般的に八百屋の店先に並んでいるのを見て、京都で帰りに買って、大きな株を一束抱えて新幹線に乗って帰って来た事がある。その、京都で見た水菜が馴染みの八百屋に最近出ている。今や水菜は関東でも当たり前に野菜売り場に並んでいるが、一株が細くて少ない。それが6〜8束ほど袋入って販売されているのが、今時の見慣れた水菜だ。流通や販売単位を考慮して、品種改良されたのかもしれない。当時見た、そして今回出ていた京都産の水菜は、両手で持っても余るほどに一株が大きく、まるで白菜ほどの大きさがある。だから、その八百屋でも白菜と同じように株を切り分けた単位で買えるようになっていた。いくら好きでも、とても一株は使い切れる量ではないので、私もその半株に分けられた水菜を買って帰った。久々に食べた大きい株の水菜は、生でサラダにしても、煮浸しにしても、味がしっかりしていて初めて京都で水菜をいただいた時の印象を思い出した。

見た目が控えめな煮浸しは、華やかな赤絵の小鉢に盛った。以前(No.25)も登場した 五代 清風与平 の作品で、四君子を描いている。薄手の作りで、小さめだが深さがあり、口と胴に鉄釉で線を回して、まるで漫画のコマ割りのように上下で場面を変えている。口のすぐ下、胴回りの上部には中国由来の四君子と呼ばれる、蘭、竹、菊、梅、が描かれている。それぞれが春夏秋冬の季節を表す植物だが、これを四君子と呼ぶ経緯が明確には解っていないらしい。中国で宋、玄の時代に文人画家達の間で流行った題材で、この四種は草木の中でも高潔で気品があり、君子のようだとして四君子、と言われたという説や古代王朝の家紋だった、と言う説などがある。その後日本にも伝わって、四季を表すおめでたいものとされているそうだ。

その下、鉢の下部には布袋様。物語として四君子と繋がりがあるのかは、不勉強ゆえ定かではない。が、鮮やかな色使いが白磁に映える、使って楽しい器だ。

器 赤絵 四君子小鉢 径 12cm 高 7,5cm

作 五代 清風与平 

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.47 カリフラワーのポタージュ

 冬が旬のカリフラワー。季節到来で店頭でもよく見掛けるようになった。それにしても、最近のカリフラワーはバリエーションに富んでいる。カリフラワーは白、と決まっていたが今は彩りも形状も色々有って楽しめる。サラダにするなら形状の変わった薄いグリーンのロマネスコ、オレンジイエローやパープルの色のカリフラワーも楽しいが、ポタージュにするならやはり白だろう。

調べてみたらカリフラワーは、アブラナ科アブラナ属で、発祥は地中海東部沿岸地辺り。元々はケールから分化し、ブロッコリーから改良されて生まれた野菜と考えられている、と。日本には明治初期に伝わったが、当時はあまり普及しなかったそうだ。確かに、当時の日本の食生活ではカリフラワーを美味しく活かすメニューは無かったのかもしれない。しかし、ブロッコリーが基と言うのは意外だった。私の記憶の中で、日本ではカリフラワーの方が前からよく食されていて、ブロッコリーは後になってからポピュラーになったという印象がある。

野菜のポタージュは好きで、季節の野菜でよく作る。玉葱と野菜をよく炒めてミルクで煮詰める。ミキサーにかけて濾して濃さを調節して味を整える。バターや生クリームを加えれば更にコクが増す。今頃の季節ならこのカリフラワーか南瓜が美味しい。アクセントのトッピングは、刻みパセリでも勿論良いけれど、今回は断面の形が魅力的なオクラにした。アスパラガスの穂先を繊維に沿ってスライスしたのもアクセントとしてはおもしろい。

両側に持ち手が付いた スープカップ&ソーサー は Susie Cooper (スージー クーパー)。大きさが手頃で気に入っている。ガラス質の釉薬に貫入(かんにゅう)が多く入っていて、ひび割れのように見えるが、これは傷ではない。その貫入に、盛った料理の色が入ると、滲みのように見える。古い食器は、*場合によって漂白剤を使ったり煮沸して綺麗に清潔を保つように気を配るが、このカップの貫入はこれ以上は色が抜けないようだ。あるがまま、今の姿で楽しませてもらおう。

*土物や繊細な器の場合は、薬品や高温を避けるべき物もある。

器 スープカップ & ソーサー  カップ径12,4cm 高4,5cm 皿径17cm

作 Susie Cooper

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.46 蓮根のきんぴら

 和食のメニューとして定番のきんぴら。中でも牛蒡と人参のきんぴらが一番ポピュラーだろう。私も大好きだ。でも、季節ごとの旬の素材で作ったきんぴらも、とても美味しい副菜になる。

春なら筍。穂先に近い柔らかい部分は何にしても美味しいけれど、繊維が硬く根に近い太い部分は、繊維に沿って細切りできんぴらにしたら適度なシャキシャキ感が良い。独活(うど)も剥いた皮の部分だけをきんぴらにする。どちらも春の香りのきんぴらだ。そして、これからの冬の季節なら蓮根。蓮根は一年を通して手に入るが、旬を迎えた乳白色の瑞々しい蓮根は、酢にしてもきんぴらにしてもシャリシャリの食感が楽しめる。胡麻油に少し唐辛子で辛味を付けて、トッピングにすり胡麻をかけるのが好きだ。この鉢は古染付。このタイプの鉢は比較的多く在るようだ。少し大振りの鉢も我が家で所有している。

少し青みを帯びた薄作りの白磁に、呉須の絵付けが美しい。一段開いた口の作りも広がりがあって、盛った料理が美しく目に飛び込んで来る。地味なお惣菜も器で楽しむ贅沢だ。

器 古染付小鉢 径13cm 高7,2cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.45 ローストビーフ

 ちょっとしたお祝い事で、久しぶりにローストビーフを作った。もっと若い頃は脂の乗った部位を好んで食べていた時もあったが、近頃は赤身肉が美味しい。少し奮発して材料を揃えたら、手を掛けて料理した甲斐のある期待通りの美味しいローストビーフが出来た。

火入れの具合も良かったようで切り分けた肉の色も程よい。が、問題はこのスライス。自分で切るとどうしても厚めになってしまう。お箸でいただくなら本当はもう少し薄めが好ましいと思う。ソースは、ガーリックやバルサミコ酢を使って作る事が多いが、今回は和風に、肉を焼いた時の肉汁に黒酢と醤油で味付けた。付け合わせには野菜のローストを盛り合わせた。

この柘榴を象った染付の皿、石楠花を描いた上に吹墨を散らし、輪郭にも呉須で縁取りをとって際立たせている。私が好きな作家さん、初代 川瀬 竹春の作品だ。箱は二代 竹春の極めになっている。きっと、古染め皿に在るものの写しと思われるが、私はその元祖の方は見た事がなのでよく判らない。竹春がいつも色絵に使うしっかりした呉須の色とは違って、淡いトーンの呉須を使い、優しい表情の皿だ。

器 染付ざくろ皿 五客 径17cm 高3cm

作 初代 川瀬 竹春

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.44 銀杏

 東京都の木、銀杏。もう少し気温が下がり、青空に黄金色の葉が映える頃、毎年銀杏並木にかなり臭いの強い銀杏の実が落ちていて拾っている方の姿を見掛ける。雨の後などは落ちたばかりの実を見つけて私も拾ったことがある。臭いの原因、周りについた身の部分をきれいに除いて洗って、種にして乾かす。店頭で売っているのはこの状態のものだ。しかし、ここからも手の掛かる作業で、季節の風味を味わいたい一心でその面倒な皮剥きをする。

もちっとした独特の食感。いつ頃から銀杏を美味しいと思うようになったのだったろう。子供の頃は好きではなかった。茶碗蒸しに入っていても、無い方が良いいのに。その分、とろとろの卵の部分が沢山あった方が良いのに、と思っていた。今は自分で作る茶碗蒸しには欠かせない具材だ。銀杏は、軽く焼いたり殻ごと煎って、塩でいただくと美味しい。大人の味。銀杏そのものの味を楽しめる。栄養的な効能も多いが、食べ過ぎは禁物。有害な成分が含まれていて、ビタミンB6の働きを阻害するのだそうだ。食べ過ぎると気分が悪くなったりお腹を壊したりするらしい。季節を味わう食材として楽しむ程度が適量、という事か。

見込みが狭く存在感のあるこの小皿は、北大路 魯山人の作品。土の味が活きて、ヘラで切った縁が勢いと鋭さを感じる。見込みに櫛目の十文字、裏には3箇所の目跡と中央にカタカナのロ。魯山人らしさ溢れる小皿だ。小さいながら迫力のある皿で、大粒で翡翠色の銀杏が映える。

器 瀬戸摺鉢文小皿 径11cm 高2,5cm

作 北大路 魯山人

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.43 牛すじ煮込

 東京で生まれ育ったので、大人になるまで牛すじという食材を知らなかった。初めて口にしたのは広島を訪れた時、お好み焼き屋さんでの事だった。よく煮込まれて味が染みて、牛すじはとろけるようでとても美味しかった。西日本では昔から好まれていたようだが、その頃でも東京の精肉店の店頭で牛すじは見たことがなかった。部位として一般的ではなかったから、店頭に並ばず飲食店に卸されていたのだろうか。おでんの具材として売っている乾燥の牛すじを買ってみたこともあったが、私が食べたかった牛すじとは違った。それから何年か経って、少し高級なスーパーで生の牛すじを見かけるようになり、買い求めて、みよう見真似で料理するようになった。茹でこぼして灰汁をしっかり取って、圧力鍋で柔らかくしてから料理する。煮込みやおでん、カレーも美味しい。今では地元で手に入るのでありがたい。

私は義務教育の年代に、父の転勤で数年間だけ兵庫県に住んだ事がある。その時、関西と関東、こんなに狭い日本でも文化の違いが大きくあることを知った。親戚関係も関東より北だったので、西に行ったのは初めての事だった。当時、母が作るカレーは豚が普通。関東で肉といえば豚か鶏、精肉店のショーケースに並ぶ牛肉のスペースは狭かった。兵庫に越して、母と買い物に行った時、いつものように豚肉を探したが見当たらない。鶏肉も見つからない。その精肉店のショーケースの殆どが牛肉で、様々なランクと部位が並んでいた。よくよく母と探したら、ケースの端に僅かに豚肉と鶏肉を見つけ、ほっとした思い出がある。そんな大袈裟な、と思われるかも知れない。今では関東でも関西でもそこまで極端な品揃えはしないはずだ。でも昭和50年頃の日本はそんな感じだった。当時、新幹線で3時間の距離で、こんなにも違いがある事を知った。移動時間も短くなり、情報も地球規模で瞬時に伝わる現在では遠い昔のことに感じる。

 厚手の古染めの鉢に牛すじと盛り合わせたのは、大根と比婆の蒟蒻。私が好んで作る牛すじ煮込みの組み合わせだ。味の染みた大根と、とろとろの牛すじ。秋も深まって、熱々の煮込みが美味しい季節になった。

器 古染め鉢  径17cm 高7,5cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.42 栗ご飯

この形態の器を、信玄弁当箱と呼ぶ。あの武田信玄に何か関係するのだろうかと調べてみたら、信玄の部隊が巾着袋にこの弁当を入れて持ち歩いた、と言う説を見つけた。陶器だと割れるし、重いので、素材は漆塗りのものだったと思われるが、巾着袋と言えば信玄袋にも繋がる。情報が少ないので定かではないが、名前の由来は、おそらくそういった経緯だったのだろう。

以前京都のお料理屋さん、美濃幸で店の名前の入った信玄弁当の器に盛り付けられたお昼のお弁当をいただいた事がある。もう、かなり昔の話だ。手を掛けたお料理がバランス良く2枚の大小の皿に盛り付けられていて、楽しくいただいた。信玄弁当を知ったのはその時。入れ子になったコンパクトさになるほど、と感心した。いちばん大きい下の器にご飯、2枚の皿を向付として使い、蓋は食べる時に汁物を入れる。中々合理的に出来ている。

この器は、4代 清水六兵衛のもの。四つの揃いで、それぞれに絵変わりで植物を描いているのだが、その鉄絵を使った画風や、大胆な轆轤目の凹凸に六兵衛らしさを感じる。

日中の陽射しは強いが秋風が吹き、栗の季節。毎年、季節になると一度は作る栗ご飯をこのお弁当に詰めてみた。今年の栗は小布施のもの。色は薄めだが粒が大きく、ほっくりしていて美味しい。向付の皿には常備菜のあれやこれやを盛り合わせ、これを持って紅葉狩りでもしたら風情があって優雅だろう、と想いを馳せる。

器 絵変わり信玄弁当 4揃 径12cm 高15cm

作 4代 清水 六兵衛

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.41 鶏の手羽先

 かなり虫食いだらけ。日本人が好む、古染め特有のぽってりした少し厚手の作り、四方の縁のきっちりした立ち上がりと平らな面の力強いフォルム。高温で焼かれても大した歪みも無く、四隅の脚に支えられて安定して居る。素地の作りだけ見てもすごい。

これが明末清初 1600年代に中国で作られ、日本に渡り、これまで割れも欠けもせず人の手を渡って来たのか、と感心する。少し沈んだ呉須の色も私好みだ。中央に3人の男性が顔を寄せている。何かのストーリーを絵にしたものか、私には解らない。見込みに嵌め込まれたこの絵の周りは花と、唐草調の葉と茎で埋められている。縁に白く盛り上がった突起が並び、更に表情を豊かにしている。

縁に立ち上がりのある四方は、意外と盛り付けが難しいと感じている。縁のない器以上に盛り付けに高さを作らないと、平坦に並んだ料理は食欲をそそらない。いつもは長皿などに盛ることが多い手羽先を盛ってみた。ひとりで楽しむならこれも良いか。ぱりっと芳ばしく焼けた皮、少しの塩とかぼすが骨回りの鶏肉を甘く引き立てる。焼きたてだからこそ、のご馳走だ。

器 古染め付 四方鉢 径15cm 高4,5cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.40 生ハムと無花果

 深い緑の織部釉が美しいこの皿。北大路 魯山人のもの。何を盛っても映えそうだが器負けだろうか、納得できる盛り付けが難しい皿だ。皿の周囲の輪花に緑の釉薬が溜まり、その深い色と土肌を見せた中央部分の色のコントラストが美しい。

前回、果物を盛り合わせた時にも書いたが、これは近頃気に入っている無花果。一番のお気に入りは生ハムを載せた前菜だ。無花果の甘味に生ハムの塩味。ひと昔かふた昔前に主流だったイタリアンの定番のオードブルはマスクメロンに生ハムを載せたものだったが、元々本国イタリアでもメロンだけでなく、フルーツとの組み合わせは古くから有るレシピだ。私は無花果か、よく熟して柔らかく、香りが強くなった洋梨との組み合わせが好きだ。水分が多めのフレッシュタイプの生ハムを使って、無花果の柔らかい果肉と共に口に入れると香りと果汁が広がって思わず頬が緩む。合わせるなら、私はよく冷えた白ワイン。生ハムだから赤ワインでも良いけれど、赤なら軽くてさっぱりしたタイプを選ぶ。

北大路魯山人。多彩な才能を持つ類い稀な人だったそうだ。陶芸だけでなく、書、絵画、篆刻と多方面に才能を発揮し、その作品は多く残されていて現代でも私達を魅了する。器好きなら誰しも使ってみたいと思う。作家としてだけでなく、美食家としても知られ、プロデューサーとしても一流の人だったようだ。しかし天才はやはり変人。常人には理解できない我儘な行動で周囲の人は振り回され、諍いも多かった、と彼について書かれた本で読んだ。個人的には私も彼の作品にはとても魅了されるが、本人は身近に居たら苦労しそうだ。

器 織部釉 輪花取り皿 径16cm

作 北大路 魯山人

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.39 果物盛合せ

 よく行く八百屋の店先で、ふと眼に留まった小粒で透き通るような淡い緑の葡萄。近頃の葡萄の品種の多さと、大粒で高級感に溢れた堂々とした姿に圧倒されていた私の眼に、その葡萄はまるで画家が静物画の題材を選ぶような、そんな視点で飛び込んできた。前から果物を盛りたいと思っていた、ラリックの鉢がある。昼顔の花軸が鉢の脚に繋がる、なんとも優雅なフォルムで、セピアがかった色から盛るなら秋の果物と思っていた。翡翠色の小粒の葡萄を見つけた時、私の頭の中でその鉢と繋がった。

この小粒の葡萄は、名前をナイアガラと言う。その名の通りアメリカ、ニューヨーク州で1872年に生まれた白葡萄で、主にワインに使われる品種なので、食用に流通するのは珍しいのだそうだ。どうりで見たことがなかった。迷わず買い求め、少し考えて最近気に入って度々買っている無花果も一緒に買った。この無花果は同じ八百屋に出ていて、今年見つけた品種だ。比較的小粒で、甘味はそれほど強くなく、さっぱりした味わいが好きでそのまま食べるのではなく、料理に使うことが多い。

葡萄の表面に付いている白い粉のように見えるのはブルームと言うのだそうだ。葡萄が自らの果肉を乾燥から防ぐために、表面に付着させている蝋の成分だそうで、人が食して問題のないものらしい。粒ごと口に入れて、果肉を吸って皮と種を出す。最近の大粒の葡萄だと口の中で持て余すほどだけれど、子供の頃は主流だったデラウェアやこのナイアガラくらいの粒だと、その食べ方が適している。これは、つい最近のTV番組で知った情報だが、葡萄は食べ易さで人気の有る種無しよりも、本来の種の有る葡萄の方が糖度が高く、美味しいそうだ。実際に食べ比べ、糖度を測って検証していた。出始めた頃は、種が無いなんて食べ易くて画期的と思ったが、美味しいものをいただくには手間を惜しんでいては駄目と言うことか、と納得する。

買って帰ると、さっそく鉢に盛ってみたくなった。もう一種類、一緒に盛り合わせたのは梨。瑞々しく、柔らかい乳白色の果肉、歯触りの良さは独特の食感だ。恵みの秋、収穫の秋。次はこのガラス鉢に毬栗を盛ってみたくなった。

器 ルネ ラリック ガラス鉢 (1921年 VOLUBILIS イエローガラス) 径22cm 高6cm