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No.62 雛祭りの押し寿司

 私が子供の頃、母が毎年雛祭りに作ってくれていた押し寿司がある。当時の私は食材の好き嫌いがとても多く、私が食べられる材料で、雛祭りらしく工夫してくれていたのだと思う。アイディアは、本か新聞などに載ったレシピだったのかも知れない。その押し寿司は、酢飯が二層になっていて、一層は白胡麻、もう一層は蟹が混ぜ込んであった。一番上は炒り卵。ケーキのような見かけが可愛らしく、苦手な食材も入っていない、年に一度の私の楽しみだった。作り手としては、もっと色々入れて作りたかったのだろうなあ、と今は思う。だがその頃は人参も椎茸も大葉も、生魚も食べなかった娘のために考えたのだろう。暫く前から、私は昨年の雛祭りで掲載したばら寿司 (No.10) を作っている。今や偏食も無くなり、何でも美味しくいただくので欲張りなばら寿司だ。 でも、今年はこの押し寿司を作ってみたくなった。

一層目は大葉と酢蓮根、二層目は蟹と白胡麻。酢飯も少しバリエーションを付けて、トッピングに海老も飾った。雛飾りにある菱餅ほどの色の差は付けられなかったけれど、当時のことを思い出しながら、今も健在な母と桃の節句を祝った。

この備前焼の銅羅鉢、備前の土を使っていながらこの薄さ。垂直に立ち上がった壁面も、底面もこの厚さなので備前の鉢とは思えないくらい軽量だ。持ってみるとその軽さに驚く。備前焼作家さんの作品だともう少し土を多く使ったものが多いが、これを作ったのは、北大路 魯山人。料理を盛る側の器作りの美意識、使い勝手の拘りを感じる。

器 備前土 銅羅鉢 切立形 径23,5cm 高6,5cm

作 北大路 魯山人

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No.61 ボンボンショコラ

 美しい色と愛らしい姿に眼を奪われる。まるで和菓子の練切りのように見えるがチョコレートだ。バレンタインに知人からいただいたもので、ホテル、レストランを併設する、結婚式場としても有名な所のものだ。華麗で雅な、訪れると都会の喧騒から別世界に脚を踏み入れたような感覚に陥る。

チョコとは解っていても、眼を奪われてすぐには手が出ない。何に、どう盛ったら素敵だろうかと暫く考えた。それぞれひと粒ごとの美しさが際立ち、でもこのボンボンショコラに負けない存在感の器。陶器、磁器、ガラス、どれも質感が際立たないなあ、と考えあぐねて結局、漆器に行き着いた。

この銀彩の漆の皿の作者は不明だ。作者の明記は本体にも箱にも無い。ただ、皿の裏、高台の中に書かれていたのは『和田酒宴の盃 鶴岡別當 所持の写』皿ではなく盃だ。和田の酒盛というのは、歌舞伎や浄瑠璃の演目にもなっているらしいが、三昼夜に及ぶ長いものだったと言われている。場所は、相模国山下宿河原、今の神奈川県平塚市山下の辺りだそうだ。

別當(べっとう)というのは鎌倉の鶴岡八幡宮の長官のことを指す役職名だそうなので、ここで言う別當が誰なのかは、私には判らない。少し調べたら、この盃(写の元となった原物)については、守貞漫稿(もりさだまんこう)という、江戸後期の三都、江戸、京都、大阪の風俗や事物を説明した辞典の様なものに、記載が載っている。著者は喜多川 守貞で、起稿は1837年(天保8年)、それから30年書き続けて全35巻にもなるらしい。その、守貞漫稿 後集 巻の一 にこの図柄の盃が絵入りで記載がある。その図には、径が五寸二分と有るので、大きさもほぼ同じだ。その後の歴史の中で、誰がどの時代にこの写を作ったのだろうか。江戸の頃か、新しくても明治だろうか。

少し調べただけで奥深いストーリーが浮かび上がり、私の手には負えないのでこの位にしておく。が、そんな盃の写しだったとは。漆の軽い盃ながら、そんな歴史物語を垣間見てしまうと、この盃の重みが何十倍にも感じられる。

真塗りに銀彩で波と兎、月と雲。漆黒の闇に、月の光に照らされて、立つ波頭の上を跳ねる兎が愛らしい。お菓子を盛って菓子皿として使ったが、本来は酒を注ぎ、この見込みの風景を眺めながら酒を酌み交わしたのだろう。恐れ多いけれど、いつか私も味わってみたいと思う。

器 銀彩蒔絵 盃 径15cm 高2,5cm

作 不明

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No.60 鰆の味噌漬

 立春が過ぎ、冷たい空気の中に少しだけ春の気配を感じる頃。気がつくと、いつの間にか夕方の時間が長くなり、庭の紅梅も開き始めている。

満開の梅を描いた角皿に、春の魚と書く鰆の味噌漬けを盛った。数日前に、蜂蜜味噌で漬けておいたものだ。蜂蜜味噌は、以前それを使ったアレンジ料理の本を見てから、自作の味噌で作って常備している。魚の切り身や肉、チーズなどを手軽に漬けるのに便利だ。

鰆。字を見て旬は春先と思っていたが、関東と関西で認識されている旬の時期が違うという。関東は12月から2月、関西では3月から5月。鰆は春、産卵のために外洋から瀬戸内海に集まって来るため、関西ではこの時期を旬としていたのだそうだ。分類ではスズキ目、サバ科、サワラ属。鱸も鯖も鰆も親戚という事なのだろうか、味は随分違うけれど。鰆は出世魚で名前も関東と関西で少し違う。関東では体長50cmを境に、サゴチとサワラを使い分け、関西ではサゴシ、ヤナギ、70cm以上をサワラと呼ぶ(旬の食材百科)らしい。

淡白な鰆は西京漬が多いけれど、コクのある味噌漬けの方が私は好きだ。付け合わせは、真白な石川の蕪で甘みを控えたなますにした。柚子の香りが味噌漬けの魚を引き立てる。

角皿は九谷焼で、絵は伊東 深水(1898-1972)が描いている。大正、昭和の日本画家。美人画が人気で、美人画の要望が多過ぎて他の画題に取り組めない時期もあったらしい。娘は宝塚歌劇団出身の舞踊家、歌手、女優でもあった朝岡 雪路さんだ。深水は、陶器の絵付けは本職ではないが、昔は絵師や僧侶などが焼き物に絵や文字を入れた合作もよく有った。これも深水が九谷を訪れた時の数少ない合作だろうか。

皿の裏、高台の中に見込みの梅と同じ朱で、九谷の青泉窯の名と共に『此君汀』(しくんてい)と入れている。此君汀は、深水が自分で出来が良く、気に入った美人画などの作品にのみ使う名だと言われている。この皿も、ご本人の満足の行く仕事だったのか、と有難い気持ちで眺める。見込みいっぱいに描かれた満開の花が華やかで、今にも梅の香が薫って来るようだ。

器 伊東 深水画 梅花角皿  径20cm 高5cm

作 九谷青泉窯

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No.59 チョコレート と コーヒー

街に美しいチョコレートが並ぶ季節。毎年バレンタインデーが近付くと見られる光景だ。どれも工夫を凝らした意匠とパッケージで目移りする。一時期の義理チョコの風習も薄れ、友達への気軽なプレゼントや、家族、自分で楽しむために選ぶ人が多くなったようだ。私は特にスウィーツ好きと言う訳ではないが、やはり時々美味しいチョコが食べたくなる。コーヒーを淹れて、口の中で蕩けるカカオの香りを楽しむのは、とても贅沢な時間だ。

人気店に行列するデパ地下も一通り見たけれど決められずに、結局、地元の蜂蜜を使ったスウィーツ屋さんのトリュフにした。トリュフを盛ったガラスの皿は日本のもの。特に名のあるガラス作家さんや、薩摩切り子や江戸切り子、と言う物ではなく、多分昭和初期頃の切り子細工だろう。どこかの古道具屋さんで大分以前に購入したもので、素朴な味わいの有る皿だ。

今回の主役はシェリー(Shelley)のカップアンドソーサー。主張の強いアール・デコの特徴的なデザインで、1930年頃のものだ。シェリーは、それまでの紆余曲折を経て、Percy Shelleyが経営者となり、1910年にイングランドで誕生した窯だ。最盛期は1925〜1940年とされ、第二次世界大戦前までだったらしい。このカップアンドソーサーはシェリーの最盛期で、時代もアール・デコの真只中の頃に作られた、ということになる。

シェリー窯が全てアール・デコデザインと言う訳ではなく、もっと優美な花柄のモチーフの物も多く有る。カップアンドソーサーにはシェイプで名前が付けられていて、同じシェイプで違う絵柄や色を纏ったバリエーションが作られていた。この、鋭角的なシェイプと前衛的な持ち手のカップアンドソーサーは、ヴォーグシェイプと呼ばれる。

器 Shelley(England) VOGUE shape カップアンドソーサー カップ径7,5cm 高6,5cm ソーサー径12cm

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No.58 恵方巻

 関東で人生の大半を過ごしている私は、節分に恵方巻を食べる習慣が無い。しかし近頃は商業的な狙いから、恵方巻が全国展開され、様々に工夫した恵方巻が店頭に並ぶ。少し前には作り過ぎた恵方巻の廃棄が社会問題になり、今年はロスを出さない事への関心も高まっている。

とは言え、お寿司屋さんや魚屋さんだけでなく、揚げ物屋さんなどにも通常には無い変わった恵方巻が並ぶと、店頭を見て回るだけでも楽しいものだ。その年の恵方に向かって、笑いながら、黙って丸齧りして食べ切る。というその儀式、私には無理そうなのでこれまで挑戦したことが無かった。そこで今年は小さいサイズを自分で作って試してみることにした。半分サイズの海苔で作るなら一本丸ごと食べ切る事ができる。

本来の恵方巻は具は7種類、などの決まり事も有るようだが、私の場合、中身の具は思い付き。3種類の恵方巻を作ってみた。まず、お寿司屋さんの手巻きでも定番の穴子と胡瓜は間違いなく美味しい。次に、お刺身としては逆輸入だが、今や日本でも人気の生サーモンに相性の良いチーズを合わせてチャレンジしてみた。これには海苔や酢飯との繋ぎ役を考えて大葉も加えた。3種類目は蟹。酢飯に白胡麻を混ぜ込んで、塩揉みした胡瓜と貝割れを一緒に巻いた。さっぱりして蟹の風味が引き立つ。家で手巻き寿司をする時の感覚で、思い付きの組み合わせで楽しんだ。

鮮やかな黄色の皿は、度々登場する 2代 川瀬 竹春 (1923~2007)。中国、南京で1700年代終わりから1800年半ば頃に作られた焼き物で、この黄色を使った磁気を黄南京(きなんきん)と呼ぶ。竹春もよくこの黄と緑を使い、黄南京の特徴を良く写したオリジナル作品を多く作った。我家に在る、オリジナルの黄南京の鉢と比べると、竹春の作は土の肌目が細やかできっちりと整い、端正な仕上がりが美しい。しかし、オリジナルの黄南京にはそれとは違った、ふわっとした素朴な良さが有る。どちらにも捨て難い、それぞれの良さが有る。オリジナルの黄南京ももちろん好きだが、竹春の皿の洗練された意匠やフォルム、ヘラで仕上げたシャープな質感は見る度に惚れ惚れする。

恵方巻は、いつものように切り分けて具の彩りを楽しむ訳には行かず、黒い海苔ばかりが目に付くので、黄と緑で新春を感じる華やかな器を使った。

器 黄地緑採菊花文八角皿 径23cm 高1,5cm

作 古余呂技窯 2代 川瀬 竹春(順一)

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No.57 餡かけうどん

 つゆに片栗粉や葛粉でとろみを付けると、麺や具によく絡んで美味しい。そして冷めにくい。寒い季節には、最後まで温かくいただけるのも嬉しい。餡かけうどんは時々食べたくなる。

餡かけにする時のつゆは、いつもより甘味を強く、そして麺につゆがよく絡む分、塩味は少し控えめにする。この、甘めの餡かけには、たっぷりのおろし生姜がピリリと辛味を加えて味が引き締まる。生姜は身体を温める効果があるし、この季節にはうってつけだ。

和食や中華、アジアの国々の料理でよく使うテクニックの餡かけは、葛(葛粉)や馬鈴薯(片栗粉)の澱粉でとろみを付けたものだ。片栗粉のとろみは中華料理のメニューにはよく使われる。私もよく使うが、和食には少し穏やかなとろみになる葛を使う事もある。

片栗粉は、そもそも百合科のカタクリという植物の根(球根)から採取した澱粉のこと。それが、名前はそのままに原料が馬鈴薯になったのは明治時代の事だそうだ。江戸時代から料理に使われていた片栗粉は、そもそも採取量が少ない上に、消化が良いことから滋養薬として多く飲まれるようになった。そのせいでカタクリが激減、絶滅危惧種のような状況に陥った。それが明治時代になって、その頃生産量が増えていた馬鈴薯の澱粉が、カタクリに非常に近い性質である事が発見され、名前はそのままで原料が馬鈴薯に置き換わったのだそうだ。そう言えば小学生の頃の理科の授業で、ジャガイモをすりおろし、水を加えて攪拌すると、底に白い澱粉が沈澱する、という実験をした事を思い出した。そのときは『ふうん』と思っただけだけれど、あれが片栗粉だったと言うわけだ。

シンプルな白磁の鉢。新渡(しんと)と呼ばれる中国のもの。清の時代に日本に渡ってきた焼き物だ。以前、No.20 伽羅蕗 の回に書いた。この鉢は見込みは白磁の無地、側面は淡い青磁の色が掛けてある。絵も刻印も無い。潔いほどすっきりした鉢だ。少し小振りで、麺を盛って片手で持っていただくのに、ちょうど良い大きさだ。

器 新渡 白磁鉢  径 16,5cm 高 8cm

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No.56 治部煮風

松に積もる雪を見て、この時期の金沢、兼六園を思い浮かべた。昔、一度訪れた事がある。とは言っても季節は真夏で、雪景色など想像もつかなかったはずだ。多分、そこで見た立派な松が印象に残っていたのだろう。雪の積もった松は、富山に住む友人の家に遊びに行った時に見た。確か3月頃で、雪はかなり少なくなっていたが、まだ時々降る雪が陽陰のあちらこちらに残っていた。その時に見た友人宅の松の木と、兼六園の松が重なったのかもしれない。

雪の多い地方では、松の枝を雪の重みから守るために、雪吊りを施すのだそうだ。その友人宅でも、毎年雪の季節が近付くと植木職人さんに雪吊りをしてもらうと聞いた。支柱を建て、雪の重みで折れないように、枝を綱で吊るして支えるのだ。雪の季節は、日常的に1日に何度も雪掻きし、季節の変わり目には庭木にも雪対策。ほんの数日滞在しただけだが、雪国の生活がいかに大変なものかと思いを巡らせた。

その、雪の積もった松の連想から加賀料理の治部煮を盛ってみたいと思い立った。大抵の材料は揃うけれど、金沢特産のすだれ麩は地元では手に入らない。今どきはネットで頼めば良いのだけれど、と思いながらも今日のところは手元にある粟麩で代用することにした。だから、治部煮に似せた治部煮風。私が知る治部煮の特徴は、このすだれ麩が入る事と、鶏は削ぎ切りにして粉をまぶして下煮し、つるんとした柔らかい食感。そしておろし山葵。撮った写真に山葵が載っていないのが残念だが、仕上げに山葵の香りが加わる事で、他の煮物とは異なる治部煮の完成だ。

 この、雪の松の絵の器は、8代 白井 半七。乾山写しをよくする人で、沢山いる大好きな陶芸家のひとりだ。初代 半七は江戸時代、1680年代に江戸で土風炉を中心に茶器を多く製作した。2代はその継承に加えて今戸焼 (隅田川焼) を生み出し、4代は伏見人形に影響されて、今戸人形を多く作ったそうだ。7代 半七の時、1923年 (大正12年)の関東大震災で窯が全壊、兵庫県伊丹市へ移窯した。そして 8代 半七 (1898〜1949) の時、小林 一三の招きで宝塚市に移り、仁清、乾山写しを得意として、華やかな作品を多く残している。料亭の吉兆はこの半七の器を好んで使ったそうだ。吉兆好み、として上客への配り物も多く残っている。

大胆な乾山風のタッチで松が描かれた、口の開いた浅めの鉢。轆轤目を残した凹凸の地に、薄い紅色の窯変が浮いて、風に舞う雪の白が映える。松の幹と同じ鉄釉が口にも回されて器を縁取り、盛った料理を引き立てる。

器 冬の松図 小鉢 径17cm 高5cm

作 8代 白井 半七

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No.55 おでん

 寒い季節には食べたくなるおでん。汁がしみた熱々のおでんは身体も心も温まる。今どきはコンビニにもとても美味しいおでんが有るが、冬には何度か家で作る。

私が一番好きな具財は大根。大根を美味しくするためには牛すじも欠かせない。美味しいお出汁になれば、蒟蒻もしらたきも、卵も美味しくなる。今回の巾着は、お正月の残りのお餅を入れようかと考えたが、鶏の挽肉に山芋、銀杏などを入れて新作にトライしてみた。

子供の頃の家のおでんには、様々な種類のさつま揚げが沢山入っていた。地元に手作りのさつま揚げ専門店が有って、そこのさつま揚げはおでんに限らず度々食卓に登場していた。炙ったさつま揚げを大根おろしでいただくのが好きだった。もう、随分前に閉店して、今は食べられなくなってしまった。その頃は関東で牛すじは一般的ではなく手に入らなかったし、その分さつま揚げがお出汁を美味しくするのに一役買っていたのだと思う。今回も写真には無いが、さつま揚げや厚揚げを後から加えて楽しんだ。

青味を帯びた白磁の肌が美しい古染付の皿。呉須の絵が有るが余白が広い。この皿なら、おでんの大きめの具材を盛り合わせても映える。見込みの余白部分、右側には印刻で蓮が彫られている。呉須で描かれた菊も大輪で見事だ。見込みには茎から見えているが、皿の裏面にこの茎が続き、地面から生えている様が描かれている。菊と蓮、何か古い中国の物語が有るのだろうか。大地に根を張って花を咲かせている菊が頼もしく見える。

器 古染付皿 径20,5cm 高3,5cm

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No.54 お正月の盛合わせ

 昨年の元旦からスタートしたこの『うつわ道楽』。初回もお節だった。私が作るお節はお決まりの品揃えとは違うが、自分や家族が好きな料理を作ってお正月風に盛り合わせる。そうは言っても黒豆や数の子、見栄えの海老は外せない。昨年と同じメニューの他に今年は百合根の金団とサーモンのサワークリーム添えを新しく加えた。

お正月料理は甘味の強い料理が多い。長い歴史で、甘味自体がご馳走だった時代もあっただろう。そして日持ちの為の知恵も。しかし今のこの贅沢な時代には、少しそぐわない事も事実だ。お酒やご飯にも合う味付けのメニューなら、お節料理としてだけでなく、常備菜として単品で食卓にも出せるので、無駄なく最後まで美味しくいただける。私の今年の目標は、我が家でのフードロスを無くすこと。もちろん、これまでも心掛けていたけれど、うっかり使い忘れてしまったり、ついつい買いすぎてしまう事があった。美味しいうちに美味しくいただき使い切る、を理想としたい。

今年の器は、お重ではなく縁高(ふちだか)。縁高、と言ってもお濃茶の主菓子を盛る、あれよりかなり大きい。一辺の長さがほぼ倍なので、普通の縁高を4つ並べた大きさだ。高さも倍。かなり大きな空間だ。縁高の外側面と割蓋は鏡面そのもの。歪みなく鮮明に映す、研ぎ澄まされた表面が美しい。しかし見込みにはその跳ね返すような緊張はなく、磨かれてはいるが木目が少し透けて見えるような暖かみのある塗りだ。

これは、初代 佐野 長寛(ちょうかん 1794〜1856)の作品。長寛は、幕末の京都の塗蒔絵師で、三代前から塗師として長濱屋を称する家に生まれた。先代の父を21歳で亡くし家名を継いだが、その翌年から諸国の漆工を歴訪し、5年後に京都に戻り名を長寛とした。作品は茶道具、家具、膳椀などを作り、多作で同じ意匠のものも多く在るが、全く同じではなく、必ず図や技法を異にしていたそうだ。若い頃から奇行が多かったとの記録もあるが、一体どんな人だったのだろう。

 なんとも迫力のある縁高だ。深みを増した真塗りの、沈んだ漆の質感に圧倒される。文字通り使う私が試されているように感じる。まだまだ、と言われて当たり前。勉強させていただこう。

盛付けを考えるのに時間を要した。こんなに大きくて深さもある器には、テクスチャーの違う器を嵌め込むとメリハリがついてまとまりやすい。今回は、白磁の蕎麦猪口に黒豆を、ガラスの小鉢(No.4にも使用)には数の子、紅白なます、百合根の金団、と水分のある物や形のまとまりにくい料理を器に入れて盛り込んだ。これを見たら縁高の作者、長寛は何と言うだろう。

器 光悦面取 真塗割蓋引重  30cmx30cm角 高15cm

作 初代 佐野 長寛 (塗匠 長寛造)

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No.53 年越し蕎麦

 大晦日に縁起を担いで食す年越し蕎麦。一般的には日本蕎麦が主流だが、細くて長い麺という括りからか、特産の地方ではうどんだったり沖縄そばだったりするそうだ。

家族で集い側(そば)に居るという語呂合わせという説や、蕎麦の細長い形体から長い寿命を希うという説もあるそうだが、いずれにしても願いの意味を込めた食習慣だ。添える薬味の葱は一年の苦労を労う(ねぎらう)という思いも込めた、とこれは少々こじつけのようにも感じるが、何にしても蕎麦に葱は欠かせない。私は、薬味にはかなり執着する方だと自覚している。私にとって麺類の葱は、顔で言えば眉のような物で、無いととても奇妙で間抜けな印象を受けるのだ。

洋風のハーブも好きでよく使う。使いこなすと言える程ではないが、鉢植えで数種類育てていて、重宝する。ハーブに関する文章を読んでいた時に、ジャパニーズハーブという文字を見つけた。葱は野菜としての食し方も有るが、薬味としての葱や紫蘇、芹や茗荷はジャパニーズハーブだと。ハーブと言うと西洋料理にイメージが固定されていた私は確かに、と妙に納得してしまった。近所のスーパーでも手に入るほど流通量も多く、日本人にとってそれだけ身近なハーブと言うことだろう。

好きな蕎麦屋で、大根おろしと山葵に生湯葉が添えられた蕎麦がある。丼に盛られていて、蕎麦つゆを掛けていただく。今年はそれを真似てみた。山葵は香りを、辛味は大根おろしで、これが蕎麦とよく合う。

器は、薄い作りの漆塗りの鉢。箱は無く、本体に名も無い。どなたの作か判らないし、入手の経緯も覚えていないのだが、よく使っている。とても薄く、木目が透けた生地に挽いた轆轤目の凹凸が有り、かかる漆が滑らかだ。手にすると見た目よりずっと軽い。暖かみのある漆で、冷たい蕎麦を盛っても温もりを感じる器だ。

今年の元旦から始まったこの『うつわ道楽』もちょうど一年を迎える事ができた。お節で始まり、年越し蕎麦で締めくくり。来年はどんな料理、どんな器で楽しもうか。

器 漆鉢  径 18cm 高 8,5cm

作 不明