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No.22 炊込みご飯

 糖質オフが人気のこのご時世に逆行するようだが、お米が大好きだ。白米はもちろんだが、時々、無性に炊込みご飯が食べたくなる時がある。季節によって具材は様々だが、牛蒡に人参、茸と鶏肉などを入れた炊込みご飯は年間を通してよく作る。その日のおかずによって、ご飯だけでいただくように味付けをしっかり目にしたり、おかずが充実しているときは出汁を強めにして薄味にしたり、気分とメニューで味付けが変わる。

 黒釉で、少し厚手のこのご飯茶碗は、色の付いた炊込みご飯がよく映える。No.16の回の若竹煮で大振りの鉢を使ったが、このご飯茶碗もあの鉢と同じく濱田庄司の作だ。焼きが甘めで生地に水分を含みやすいため、使って洗った後はよく乾かさなくてはならない。だがその分、これは私の主観だが熱いご飯を盛った時に余分な蒸気をお茶碗が吸収してくれて、ご飯がベタつかず美味しいように感じる。思い込みかもしれないけれど。

器 黒釉 ご飯茶碗 5脚組 径13,5cm 高6,5cm

作 濱田 庄司

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No.21 蕪とトマトのサラダ

 いつも行く八百屋に、今週やっと野辺地の蕪が並んだ。まだ少し小さめではあるけれど、綺麗な緑色の葉をつけた白い蕪。3月に石川の蕪(No.12の回で使った)が終わって2ヶ月、これからが旬の、この蕪が出るのを楽しみにしていた。野辺地の蕪に出逢ったのはもうかなり前になる。この八百屋のスタッフで、ずいぶん前に引退された、皆にちゃま様と呼ばれていたマダムに教えてもらったと記憶している。今やブランド野菜として有名な蕪だが、当時の私は見たことのない蕪だった。そして自分の蕪好きに目覚めたのも、この蕪に出逢ってからだ。『火を通さずに生で食べると美味しいのよ。葉と茎は胡麻和えが良いわよ』と、ちゃま様に教えられた。以来、蕪の葉の胡麻和えも定番メニューとなった。

 蕪は、瑞々しくきめの細かい食感を活かしてくし形に切った。この時期に出回る、これも楽しみにしている光輝トマトと共に、オリーブオイルとビネガーでマリネしてサラダにした。写真で見ると白い蕪がカプレーゼのモッツァレラチーズか、と見違える程のきめの細かさだ。

 気温が上がって来た今頃からは、そろそろガラスの器の出番。このリーフ柄のルネ ラリックの皿は、器を集め始めた最初の頃から使っているもの。5枚揃っているラリックの皿は珍しい。デザートやサラダ、ガラスの重ね使いのソーサーとして、ずっと使って来たものだ。改めて調べたら、ORMEAUX (オルモー 仏語で楡)という名前のシリーズで、1931年に作られたものらしい。楡の葉は実際に見た記憶がないが、調べたら確かにこのモチーフのように先が細く、葉脈が規則正しく並んでいる。ラリックの他の作品でも感じる事だが、モチーフはとても写実的だ。放射状に重なる葉が、中央に盛った料理を引き立ててくれる。

器 ルネ ラリック ORMEAUX 皿 径18,5cm

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No.20 伽羅蕗

 家の裏庭の蕗が、大きな葉を茂らせて育っている。以前、No.8の回で蕗のとうの天ぷらを作った、あの蕗だ。なるべく太く育った蕗を選んで収穫し、伽羅蕗を作ってみようとレシピを調べたら、すごく簡単で驚いた。作りたての伽羅蕗は、食感も香りもフレッシュで美味しい。日持ちもするのでしばらく楽しめそうだ。常備菜を食卓に載せるとき、ちょっとした蓋物の器を使うことが多い。基本的に、その食事で食べ切る程度の量を盛って出すのだが、その日のおかずのように全て食べ切ってしまうとは限らないから蓋があると乾燥も防げる。そして何よりこういうアイテムがあると食卓にも変化がつく。

 この蓋物、本体は新渡(しんと)と言われる中国の磁器。古い時代の中国磁器を古染付(こそめつけ 1620〜40年代)と呼ぶので、それより新しい時代のものを、新しく海を渡って来た、という意味で新渡と言うのだそうだ。中国の清朝の頃に作られ、日本には江戸後期に渡ったとされる。古染付に比べると今どきの磁器に近く、古染付の土や釉薬の粗さによるムラや、器の縁の釉薬がはぜて素地が出てしまっている、いわゆる『虫食い』などもない。中国の焼物なので元々の用途は不明だが、日本に渡ってから、いつの時代かに手にした誰かが、本体に合わせて木の蓋を誂えたと思われる。茶道に詳しい家人の推測だが、お抹茶の薄茶器の茶粉を入れる『棗(なつめ)』の替茶器として使ったのではないか、と。棗に入る茶の量はそう多くない。人数の多い席で、棗のサブとして替茶器に『見立て』て茶道具として使ったのなら、これだけ手を掛けた蓋を作ったのも頷ける。普段は何気なく使っていた器も、いざちゃんと向き合うと歴史を感じる。どんな方の手で蓋が作られ、大切にされたのか。時代が過ぎ現代になって、使い方は違っても、今は私が大切にしよう。と改めて思う。

器 新渡 磁器蓋物 本体口径9,5cm 高さ6cm

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No.19 花酒 と ラフテー

しばらく前に、友人にお土産で貰った日本最南端、与那国島の泡盛を開けてみようと思った。花酒(はなざけ)と言われる蒸留酒で、日本では与那国島でしか作ることを許されていない、アルコール度数60度のお酒だ。琉球王国時代には、この酒が琉球王朝へ献上品として納められていたという。また、この島には古くからこの酒を冠婚葬祭に使用する文化が有り、そのひとつの代表的な儀式として『洗骨葬』という風習が有るらしい。この風習は、日本では鹿児島県と沖縄県の一部に限られたそうだが、世界では、中国、東南アジア、オセアニア、インド洋諸国、アフリカ、北米先住民と広く分布していると言われている。与那国島で行われていた『洗骨葬』は、亡くなった方を一度埋葬し、7年後にお骨を取り出して花酒で清める。こうして汚れ(けがれ)を取る事で、子孫に幸福と豊穣をもたらす祖霊に昇華する、と考えられているのだそうだ。

そんな歴史を持つこの貴重なお酒をいただくには、どんな料理が良いのだろう、と考えた。強い酒にはやはり水分の多い野菜や、淡い味では負けてしまうので、コクのある沖縄料理のラフテーを作ってみた。皮付きの豚の三枚肉はそうそう手に入らないので、断念して普通の豚バラブロック肉を使ったが、いつもは日本酒か焼酎を使って、結果『角煮』になってしまう所を、今回は花酒に敬意を表して普通の度数の泡盛を使って本格風ラフテーにした。

 花酒は海に囲まれた南の島を思い描き、ルネ ラリックの魚が群れて泳いでいる模様のショットグラスに注いだ。小さくひと口、口に含むと、舌に刺さる強い刺激とアルコールが鼻に抜けるツンとした衝撃。やはり普通の泡盛とはパンチが違う。度数の強いお酒は、50度程度の中国の白酒を飲んだ経験が有ったので、そうそうこんな感じ。と思い出した。こんなお酒には、とろける脂としっかりした味のラフテーが良いバランスで、食とお酒の、長い歴史の中で完成されたバツグンの相性に感心する。

 ラフテーは南西諸島を思い浮かべて、安南(現在のベトナム)焼の器に盛った。安南焼は、古いものは桃山時代から江戸初期にかけて日本に輸入され、茶人に好まれたそうだ。染付の模様は釉薬に流れて不鮮明なところも特徴だ。この器はその安南を、日本の廣永(ひろなが)窯が写したもの。時代と作者は不明。厚手の素地におおらかな絵付けと、青みを帯びた釉薬の調和が気に入っていて、使いやすい。

器 安南写 染付小鉢(廣永窯)

グラス ルネ ラリック魚紋脚付きショットグラス

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No.18 柏餅

 肉厚で、ゆるやかな曲線の輪郭がユーモラスな柏の葉が、大きな手のひらのように中の餅を包む柏餅。端午の節句の和菓子に使われる柏は、新芽が育つまで古い葉が落ちない『葉守りの神』が宿る良い木とされ、家系が途切れないという縁起を担いだものらしい。この餅は、徳川9代将軍の家重から次の家治の頃、江戸で生まれたとされる。同じく端午の節句に食されるちまきは、中国が起源で歴史が古く、日本には奈良時代から平安の頃伝わったのだそうだ。今は5月5日の節句には柏餅が主流になっているが、元々は柏餅は関東、ちまきは主に関西で食されていたとか。この時期、敷地の広いお宅では、庭に棒を立てて大きな鯉のぼりが掲げれていたものだったが、近頃の住宅事情ではその光景も見かけなくなったのは少し寂しい。

 この漆の皿は仕舞い放しだったのを思い出して、久しぶりに使ってみた。透けて見える木目が美しい。松の生地に透き漆をかけたもので、皿の縁にぐるりと一周、銀をつけている。木のものに金属を組み合わせるのは難しそうだが、縁に銀を盛った事で輪郭が際立ち、漆の柔らかい印象を引き締めている。

器 銀覆輪 ため塗り菓子皿 (径14cm)

作 不明

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No.17 新玉葱のムース

 地元の、昔馴染みのイタリアンレストランの料理教室で何年か前に習ったレシピ。瑞々しくて甘味のある新玉葱の旨味が凝縮されたピュレをゼラチンで固めてムースにした、お洒落なオードブル。実はいつもはここまで手を掛けず、ポタージュとして、温めたり冷やしたりして頂くことが多い。でも、たまには教わったレシピでと思い、器にこの氷コップを思い付いた。

氷コップ。初めてこの名を聞いた時『なるほど。かき氷のためのコップ』とすぐにその用途に結びついたが、なんともレトロな響きの可愛い名称が気に入った。今回のような浅くて口の開いた氷コップにはアイスクリームやかき氷、と用途を限っていたのだが、ムースを盛ってみたら気に入った。淡い緑のガラスはウランガラス。この淡い緑の色を出すために放射性のあるウランを微量混ぜ込んだもので、ボヘミア地方(現在のチェコ西部)で発明されたそうだ。日本でも大正時代から昭和にかけて食器や工芸品が製造されていたそうで、この氷コップもその頃のものと思われる。当時は単純に色を付けるための手法だったとしても、作る過程での健康被害に対する配慮も無い時代だったのだろう。ウランガラス製品は製造されてから今も、人体には影響を及ぼさない程度(体内の必須ミネラルに含まれる程度との事)の放射線量を発し続けていると言われる。そう聞くと、紫外線を当てた時の美しく光る発光現象も妖しさを帯びて見える。

ソーサーに組み合わせたのは、英国の Royal Albert (ロイヤル アルバート) のカップ&ソーサーの皿。色とサイズで選んだのだが、このアールデコの図柄から見ておそらく1920〜30年代のものと思われる。ウランガラスについて調べて、日本ではウランガラスが大正 (1912~1926) から昭和にかけて製造されたと知った。と、いう事は日本と英国で同時代に造られた可能性がある。古い器や道具を使っていると、思いがけない組み合わせや発見が有って面白い。

器 ウランガラス 氷コップ(日本 径10cm)

皿 Royal Albert (英国 径14,5cm)

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No.16 若竹煮

 旬の幸を自宅で楽しめるとはコロナ禍の今、なんて贅沢な事だろうと思う。今回の筍は、家人の福岡出身の母が毎年送ってくれる福岡県、合馬のもの。この合馬の筍、いつも新鮮で柔らかく、香りの良いものが届くが、今年の筍は例年にも増して柔らかい。料理によって、根に近く繊維の硬い部分と穂先に近いところと使い分けたりするが、今年は硬い部分が全く無く、炒め物や好きな筍のキンピラにまでは回らず、ほとんどを煮物でいただいた。 季節を同じく旬を迎えるわかめとの組み合わせは『春先の出会いもの』と言われるそうだが、季節が一緒と言うだけではない絶妙な組み合わせだと思う。わかめは保存食として年中流通しているが、今の時期の生わかめは歯ざわりも色も良くて好きだ。これに木の芽を添える。出始めた山椒の若芽は、香りでも盛り付けにも彩りを添えるので欠かせない。このメニューを完成させた人はすごいと感心する。

 筍は毎回盛り付けに悩む。香りを生かして大きめに切るので、盛るのが難しい。もっと平たい鉢を使うと格好良いのだが、更にハードルが上がるので、今回は厚手でどっしりした濱田庄司の深めの鉢を使った。明治27年(1894)に生まれ、学校でも2年先輩という河井寛次郎と共に民藝運動に師事し、主に昭和に活躍した陶芸家だ。丸く抜い素地に大らかで素朴な草を描いた、力強い鉢だ。

器 鐡砂丸紋鉢 径21,5cm

作 濱田 庄司 

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No.15

 『その手は桑名の焼き蛤』 これは、最近では聞かなくなった江戸時代の洒落言葉だ。私が子供の頃は、蛤が食卓にのぼると年長の男性がよく口にしたものだ。今や蛤は高級食材。現在日本で流通している蛤のうち国産は一割程度しかないそうだ。その日本の蛤には外洋性と内湾性の2種類があり、千葉県から茨城県の太平洋沿岸で獲れる外洋性と、三重県や熊本県などの内湾、淡水と海水の混じる汽水域に生息する内湾性。三重県特産の内湾性の蛤は桑名だけではなく、その一帯の名物として昔から名高い食材だったようだが『その手は くわない』との語呂合わせから桑名が冒頭の洒落言葉となり、多くの人に広まったらしい。

その桑名の蛤。嬉しいことに三重県在住の親類が、毎年季節になると送ってくれる。蛤は料理に入れても美味い出汁が出て良いのだが、そのものの美味しさを楽しむのは、やはり焼き蛤か酒蒸しだろう。出来立てはもっと艶やかでふっくらしていた身が、撮影した時には少し冷めてしぼんでしまったのが残念だ。

 器は萩焼。10代 三輪休雪のもの。沓形で、内側の上部に入った三島(柄)様の釘彫がさり気無く、広い見込みのアクセントになっている。萩焼のやさしい色合いとろくろ目が器に表情を付けていて、あたたか味がある。

器 萩焼 鉢 (径18cm)

作 三輪 休雪 (10代) 隠居名 休和

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No.14

 香りでも桜を楽しもうと、桜餅を買いに近くの和菓子店へ行った。お目当ての道明寺を頼んでふと見ると、最近見かけないと思っていた3色のお団子が有るではないか。それなら、と、思わず花屋に寄って、切り花で売られている啓翁桜を飾って家でこじんまりとお花見団子をいただいた。

 お花見団子、花より団子という言葉もあるが、お花見とお団子の結びつきはどこから来たのだろう?と思って調べてみたら、豊臣秀吉が晩年、贅を尽くして開いたとされる『醍醐の花見』に由来する。らしい。10年ほど前だろうか。京都をお花見で訪れた時に、この醍醐寺の桜を見た。この辺りは平安時代から『花の醍醐』と呼ばれる桜の名所だとか。広い境内には紅白の幕が張られ、とても華やかで優雅で、秀吉の時代もこんなだったのだろうかと思いを馳せた記憶がある。そこで、買って来たお花見団子を秀吉の時代はどんなだったろう、と私なりに再現してみた。

 美しい塗りの輪花皿は、長野 横笛 (おうてき) 初代のもの。 江戸後期、享和年間に漆器、蒔絵の製作を始めたとされる。年月が経った漆の、真塗りの落ち着いた美しい色。しっとりとした皿の面には、そこに盛ったお団子と満開の桜を、まるで鏡のように鮮明に映している。

器 真塗 輪花皿 5枚

作 長野 横笛

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No.13


 毎年、自宅から近い川沿いの桜並木に、お弁当を持ってお花見に出かけていた。が、去年は、当時まだよく得体の知れなかった感染症、新型コロナウィルスが世界中に恐怖をもたらしていて疑心暗鬼。出かけるのを断念して、お隣のお宅の庭の桜を二階のベランダから拝見しながら、作ったお弁当でお花見をした。まさか一年経ってもあまり状況が変わっていないなどとは思いもしなかったが。今年はどうしたものか。でも取りあえず、本物の桜はお預けにして、古余呂技の桜の箸置きでお花見しながらお弁当を頂こう。

 今回の主役は箸置き。花筏 と優雅な名がつく川瀬 竹春の箸置きだ。柔らかい生地の質感に、古余呂技窯の特徴的な黄、緑、青を使いふっくらした桜の花が華やかに手元を明るくする。使い古した塗りの俵型弁当箱には、鶏そぼろご飯と具入りの卵焼き、彩りのブロッコリ、そして甘みのある雪の下人参は、沖縄風にしりしりにして詰め合わせた。

箸置き 花筏 (はないかだ)

作 古余呂技窯 川瀬 竹春