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No.168 フレンチトースト

 春めいた陽射しに誘われて、少し固くなったバゲットでフレンチトーストを作った。多めのバターとメープルシロップ、グリルした野菜とウィンナーを添えた。ワンプレートに使った皿は、フランスのカンペール焼。調べてみたらカンペール焼のHPに、その説明があったので以下、引用させていただく。

『フランス陶器の「大家」カンペール焼は、フランスで最も有名な手書き絵付けの陶器です。 総窯元であるアンリオ-カンペール社は、フランス ブルターニュ・カンペールの地で、 ルイ14世の時代に王家により設立されました。 その歴史は現存するフランス最古の企業としても有名です。 全てにおいてハンドメイドで製作されるノウハウは、フランス最上級の芸術品として認められており、その偉大な歴史と技巧は企業遺産の認定を受けております。 また、ゴーギャンやセザンヌ、ピカソ他、多くの画家がカンペール陶器でイマジネーションを高めた事でも有名です。』

 ベルサイユ宮殿を作ったブルボン王朝第3代のフランス国王、ルイ14世(1638〜1715)が生きた時代。日本は江戸時代で、寛永から元禄、正徳の頃。1716年から享保年間になる前年に77歳で亡くなっている。ルイ14世が50歳を過ぎた頃、1690年頃にカンペール焼を作ったとして、330年を超える歴史が有る事になる。この皿が作られた年代は不明。あまり古くはないが、新しくもない。日本でいうと昭和初期、といった辺りだろうか。

 暖かみのある象牙色、焼きが甘く柔らかい肌。縁を彩る黄色と青のラインは太陽と海を思わせる。見込みには南国風の鳥と実の付いたオリーブのような植物。鮮やかな色使いと筆のタッチに魅入ってしまう。眺めるだけでフランスの風景が浮かんで来るようだ。暖かい日差しの中、カフェのオープンテラスでいただくブランチを思い描いて楽しんだ。

器 鳥と植物図皿  径 21cm 高3,5cm

作 カンペール焼(フランス)

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No.167 蛤の酒蒸し

今年も三重に住む親類から蛤が届いた。大きくて新鮮。さっそく酒蒸しにしていただいた。

焼き蛤も美味しいけれど、近頃のガスコンロは優秀すぎて、高温になると自動的に消火されてしまい、料理によっては使い勝手が良くない事がある。カセットコンロを出して焼けばきっと出来るのかしら、と思う。次回は試してみよう。貝の下には旬の青菜を添え、蛤の汁を含んだ菜の花も美味しくいただいた。

使った皿は、村田 亀水(きすい)。8代の亀水が2018年に亡くなったそうだ。その後を継ぐ方はいらっしゃるのだろうか。この皿はその亀水の何代か前、幕末の頃に作られたもの。幕末期とは260年続いた江戸時代の最後の15年間を指すらしい。今からざっと160年前だから、4代とか5代の頃だろうか、確認は出来なかった。

鮮やかな呉須で細かく描かれた草花は生き生きとして、風に揺れる様が眼に浮かぶ。本体は厚手で、丸く作った皿のニ辺を切り取り、見込みにはその直線の縁に平行に、ヘラで抉り取ったような溝が数本。その大胆な作りにダイナミックさを感じる。裏には実と葉のついた枝の図が彫られ、その部分は土が見えている。その彫刻以外の肌には青磁色の釉薬がかけられていて、淡い緑青色の透明感が美しく映える。迫力が有りながら、繊細さと洒落感もあり、とても惹きつけられる。

器 染付草花紋 木瓜皿  径20x15cm 高4,5cm

作 村田 亀水

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No.166 ちらし寿司

 もうすぐ雛祭り。少し早いけれど恒例のちらし寿司を作った。家に伝わる大正時代の雛人形は、長い年月のうちに壊れたり紛失した飾物も有る。無いものは補いながら、壊れた所は直しながら、飾り方を工夫して今も変わらず私の宝物。昭和、平成、令和と時代は変わり、飾る場所も変わって来たけれど、年に一度飾って、再会するのを楽しみにしている。

雛祭りのちらし寿司はやっぱり華やかにしたい。今年は錦糸卵に菜の花といくら、海老を飾り、酢飯には穴子、酢蓮根、筍、白胡麻と大葉を混ぜた。この華やかなちらし寿司を青呉須の皿に盛った。料理も明るく華やかで、皿の染付の青の色が美しく映った。

青呉須は、染付の藍色の呉須とは異なり、呉須赤絵などに使われる緑ががった透明感のある色で、この青呉須だけで描かれた陶器を『タンパン』とも言う。見込みの中央に漁師を乗せた舟が描かれ、私には読めないけれど詩も書かれている。素朴な筆使いと絵が暖かい。

縁が付いた平皿にはよく有る作りで、裏には低い高台が有るのだけれど、この高台よりも皿の中央が下がっていて、机に置くと高台が浮いてしまって収まりが悪い。きっと窯の中で何かと重ねて焼いていて、皿の底が下がってしまったのだろう。こんな器は、机や折敷を傷つけるので、少し厚みのある布や繊維で出来た敷物を使う。今の時代では皿として商品にはならないけれど、古い器を使うにはこんな不都合も楽しめる心のゆとりが必要だ。使った時の美しさと満足感には代え難い物があるのだから。

器 青呉須 舟図平皿  径21,5cm 高4cm

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No.165 蕪の煮物

 大きくて、きめの細かい白い蕪。石川県の蕪だ。サラダや浅漬けで、そのまま食べて美味しい蕪だけれど、火を通すと甘くて舌の上で蕩けるように柔らかく、別な美味しさが有る。煮過ぎると崩れてしまうので注意が必要。崩れる寸前、ちょうど良い具合に仕上がった。油揚げと蕪の葉を盛り合わせた。

 器は京都、真葛窯の第4代 永誉 香齋(1897〜1987)の作。この乾山写の向付は絵柄違いの十脚組だけれど、我が家に来たのは七脚。いつか、どこかで壊れてしまったのだろう。それぞれに絵柄が違うので、ここに無い三脚はどんなだったのだろうか。絵柄違いは、季節や気分で使い分ける楽しさがある。

今日は白梅の柄を使った。清々しい梅の花が淡い桃色の肌に映える。金を載せた木の幹は、長く時を経た老木のような貫禄を滲ませている。冷たい雨の日の食卓に華やかさが加わった。

器 乾山写 絵がわり向付 径11x11cm 高6cm

作 真葛窯 4代 真葛 香齋

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No.164 ナッツとチョコレート

 古染付けかと見違えてしまいそうな、この小さな皿はオランダの陶器製。まだ、ヨーロッパに磁器を焼く技術が無かった頃、東洋の白い磁器に憧れて白い釉薬を掛けて作っていたのだそうだ。この皿も裏を返すと、釉薬の掛かっていない陶器の肌が覗いている。

それにしても小さい。小さきものはなんでも可愛いけれど、この皿は大きい方で直径が8センチ。普通のケーキ皿ほどの大きさがあっても、変わらず素敵だろうと想像してみる。この小さい皿に何を盛るのか迷って、ナッツとチョコレートを盛ってみた。お洒落に、優雅に、赤ワインかウイスキーと共に楽しむのが似合いそうだ。

 いつの時代に、どんな人が拵えたのだろう。この小皿は大小一枚ずつ、ヨーロッパ更紗で作られた、それぞれにぴったりな大きさの布の袋に入れられて、ひとつの箱に納められていた。こんなに小さな皿でも、与える感動と、大事に思う気持ちは人を大きく動かして来たのだなあ、と愛おしく思う。

器 オランダ 小皿  大 径8cm 高1,5cm   小 径6cm 高1cm

作 不明

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No.163 蕗のとうの天麩羅

 関東でも積雪があり、久しぶりに雪景色になった。そんな雪の下から蕗のとうが顔を出していたので、食べられそうな大きさに育ったものを選んで天麩羅にした。蕗のとうだけでは足りなくて、菜の花と茗荷、前日に出始めを買って茹でていた筍を一緒に揚げ、春の香りを味わった。

松林が描かれたこの扇面の皿は、尾形 乾女の作品。昭和51年(1976)8月、喜寿記念に日本橋三越で開催された作品展のカタログの表紙に掲載されているものと、同一ではないが同じ図柄の皿だ。今から46年前の事になる。

尾形 乾女(本名 奈美 1905〜1997)は、その名の通り尾形 乾山の血筋を継ぐ方で、元々日本画家であったが、自ら陶芸の世界を志したのだそうだ。父、6世 乾山は大正13年(1924)に73歳で亡くなっているが、その後40年ほど経ってからの方向転換だった。当時、乾山を名乗る縁もゆかりもない陶芸家が現れる事件が有ったため、乾山の名は6世の父をもって完結する事と決め、父の没後50年の年に乾女(けんにょ)と号して作品を発表した。本拠地は鎌倉だが、この皿のような乾山の流れの作品は、6世 乾山も作品を焼いたという、犬山の尾関窯にて作陶したものだそうだ。乾山の作風ではあるが、長く日本画家として活躍された個性だろうか、色の付け方や筆使いに柔らかさを感じる。乾山の世界を思いつつ、その血をひく乾女はどんな女性だったのだろうと想像がふくらむ。

器 松濱千鳥 扇面皿 上幅38cm 下14cm 縦27cm 高3,5cm

作 尾形 乾女

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No.162 苺大福

 間も無く立春。2月が始まったばかりで、まだまだ寒い日が続くけれど暦では春を迎える。自然の巡りは暦通り。庭の紅梅が開き始めて、良い香りを漂わせている。2本並んだ紅梅と白梅は、毎年必ず紅梅が先に開き、満開を過ぎた頃に白梅が開き始める。濃い紅の色が美しくて、開くと嬉しくなる。

開いた紅梅を眺めていて、この皿を思い出した。水月窯の紅梅白梅の小皿だ。水月窯の作品ではよく知られた模様だが、窯名のみで作者の名は入っていない。水月窯は、荒川 豊蔵が二つめに作った窯である。最初の窯は、豊蔵が志野焼の窯跡を発見し、美濃古窯跡群を調査した後の昭和8年(1933)に、務めていた北大路 魯山人の星岡窯を辞め、発見した志野焼の窯跡近く、牟田洞に作った。

水月窯は、志野や瀬戸黒を焼く牟田洞の窯とは別に、日常生活で使うための食器を作るため、昭和21年(1946)に虎渓山に開き、豊蔵の2人の息子が中心となって作陶、運営に当たった。先にも書いた通り、水月窯の器には窯名だけで作者名は無い。この梅の小皿は長い歴史を経て来た物ではいし、作者も判らないけれど、季節を感じて普段使いに楽しめる所が気に入っている。今日は食べたくなって、買って来た苺大福を盛った。

器 紅白梅小皿  径13cm 高1,5cm

作 水月窯

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No.161 鰤大根

 魚屋の店先で、富山県、氷見港で水揚げされた寒鰤のサクを見つけた。年明けに起きた能登半島の地震の被害は甚大で、今も辛い思いをされている方々を思うと心が痛む。能登半島の付け根近くにある氷見港では、漁が再開されているのだと知って少し安堵した。

店内を進むと大きなざるにひと皿、山に盛られた氷見の鰤のあらを見つけた。今日はこれで鰤大根にしようと思い付き、一皿しかないその鰤を逃すまいと魚屋の店員さんを待った。

 煮魚は苦手な方も多いけれど、私の家系は皆好きで、特に父は鰤大根が大好きだった。作ると喜んで食べてくれたのを思い出す。鰤は熱湯にくぐし、血などが残っていると臭みになるのできれいに洗う。今日は濃口醤油で甘辛く仕上げた。天然の鰤は養殖物に比べると脂が軽めで、季節によってはぱさつく事もあるけれど、この時期の寒鰤はさすがに脂が乗っている。旬の大根も柔らかく、味がよく沁みる。自宅で暖かい料理を作って食べられる生活。当たり前の事と思っているけれど、改めてその当たり前の生活に感謝を忘れないように、と思う。

 今回のような縁が広い形状の古染付の皿で、とてもよく似た物が我が家にもう一枚在る。以前、No.126(2023/5/26)で使った皿だ。今回の皿は前回とは別の機会に手に入れたのだけれど、繊細で、色の上がりも良く上手。呉須の発色は、その時の火の加減で窯の中の温度や火の回りが違う事で差が生じるそうだ。しかし同じ窯なのか、地域が近いのか、時代が少し違うのかは判らないが、この二枚はとてもよく似ている。遠い異国から、一枚ずつ別々な歴史を辿って長い年月残って来た皿が、我が家でまた一緒になるとは。受け継いで、残して行く事の重さをしみじみ思う。

器 古染付皿  径 20cm 高3cm

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No.160 新じゃがいもと蒟蒻の牛そぼろ煮

 この季節に出回る小さな新じゃがいも。一般的な新じゃがいもは春先からが旬だけれど、直径が3〜4センチほどの小さな粒は今頃の短い期間にしかお目にかかれない。

鹿児島産の出始めを見つけたので、丁度大きさが同じくらいの蒟蒻と一緒に、牛肉のそぼろで煮っころがしを作った。彩には絹さやを飾る。新じゃがいもは皮付きで使うと、よく煮込んでも煮崩れがなくて使いやすい。牛肉の風味と脂で味に深みが増し、食べ応えのある煮っ転がしになった。

 作者も判らぬ祥瑞の鉢に盛った。時代は幕末か明治だろうか。繊細で緻密な花や幾何学模様が、鮮やかな呉須で正確に描き込まれている。絵を描いた職人さんの腕が良いのだろう。しかしこの、捻りの凹凸のある素地に、どうしてこんな細かい模様を描こうと思ったのだろう?外側の模様は捻りの凹凸に乗せて描いているが、内側の見込みはその凹凸に逆らって、交差するように絵が入っている。捻り模様になった山と谷のある上に描いた植物も美しく、すごいけれど、この幾何学模様。一体どうやって描いたのだろう。平面に描くのでさえ、祥瑞の幾何学模様を描くのは難しいのに、この模様を、このデコボコにどうやって描いたのか、と目を疑う。絵の力量もさることながら、この根気と集中力には賞賛を通り越して呆れてしまう。一体どんな職人ががこれを描いたのだろう、と想像が膨らむ。

器 祥瑞捻り鉢  径17cm 高8,5cm

作 不明

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No.159 干し柿

 ドライフルーツと聞いて思い浮かぶのは、パウンドケーキに入っている、あれ。歳が知れてしまいそうだけれど、子供の頃はドライフルーツというと、そのケーキに入っているイメージだった。私はあのケーキが苦手だった。そのためか、ドライフルーツにはあまり興味が無かった。とは言えレーズンは料理やお菓子によく使うし、杏やマンゴーなどは好きで時々食べる。昔に比べると種類も食し方も変わり、保存するための手段だけでなく、フルーツの味わい方のひとつ、として定着している。

『干し柿』を調べてみたら〝日本に古来からあるドライフルーツ”という説明を読んで、納得すると共に軽い衝撃を受けた。フレッシュな柿のままでは人が食せない渋柿を、干し柿にする事で、渋柿も美味しくいただく、昔の人の知恵の詰まったドライフルーツだった。

渋柿は、木に実った生の状態ではタンニンが強く、人の舌ではその名の通り渋味とそれによる刺激が強くて食べられない。それを乾燥させることにより、渋柿の水溶性のタンニンが不溶性に変わって(渋抜きがされて)渋味がなくなり、甘味が強く感じられるようになる。その甘さは砂糖の約1.5倍とも言われているそうだ。

 柿は、もちろんそのままで美味しくいただけるけれど、料理に使っても美味しい。生の柿には生ハムを、甘みが凝縮された加工した柿にはチーズがよく合う。以前、知人に美味しい柿のジャムをいただいた。クラッカーにカマンベールチーズとそのジャムを乗せて食べてみたらとても美味しく、そのジャムが無くなるまで、そのメニューにはまった事がある。干し柿を薄く切って、同じようにしたらきっと美味しいに違いない。この干し柿がある内に、カマンベールチーズを買って来て試してみよう。

 この塗りのお皿、原木からくり抜かれた木地は5弁の花の輪郭。裏側と華奢な縁は磨かれた艶のある漆だが、内側は漆でしぼ状に凹凸がついた仕上げになってる。その見込みには、同じく5弁の花形に切られた金属が貼ってある。素材は銅か砂張だろうか。七宝で菊の模様が描かれている。漆の盆に金属の板を貼り付ける、なんて面倒で手の込んだ手法は初めて見た。この七宝を見ていたら、干し柿を盛ってみたくなった。水分の残った柔らかい干し柿は美しい柿の色をそのまま残していて、菊の色とよく映る。

器 七寶入 菓子盆  径18x18cm 高3cm

作 不明