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No.165 蕪の煮物

 大きくて、きめの細かい白い蕪。石川県の蕪だ。サラダや浅漬けで、そのまま食べて美味しい蕪だけれど、火を通すと甘くて舌の上で蕩けるように柔らかく、別な美味しさが有る。煮過ぎると崩れてしまうので注意が必要。崩れる寸前、ちょうど良い具合に仕上がった。油揚げと蕪の葉を盛り合わせた。

 器は京都、真葛窯の第4代 永誉 香齋(1897〜1987)の作。この乾山写の向付は絵柄違いの十脚組だけれど、我が家に来たのは七脚。いつか、どこかで壊れてしまったのだろう。それぞれに絵柄が違うので、ここに無い三脚はどんなだったのだろうか。絵柄違いは、季節や気分で使い分ける楽しさがある。

今日は白梅の柄を使った。清々しい梅の花が淡い桃色の肌に映える。金を載せた木の幹は、長く時を経た老木のような貫禄を滲ませている。冷たい雨の日の食卓に華やかさが加わった。

器 乾山写 絵がわり向付 径11x11cm 高6cm

作 真葛窯 4代 真葛 香齋

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No.164 ナッツとチョコレート

 古染付けかと見違えてしまいそうな、この小さな皿はオランダの陶器製。まだ、ヨーロッパに磁器を焼く技術が無かった頃、東洋の白い磁器に憧れて白い釉薬を掛けて作っていたのだそうだ。この皿も裏を返すと、釉薬の掛かっていない陶器の肌が覗いている。

それにしても小さい。小さきものはなんでも可愛いけれど、この皿は大きい方で直径が8センチ。普通のケーキ皿ほどの大きさがあっても、変わらず素敵だろうと想像してみる。この小さい皿に何を盛るのか迷って、ナッツとチョコレートを盛ってみた。お洒落に、優雅に、赤ワインかウイスキーと共に楽しむのが似合いそうだ。

 いつの時代に、どんな人が拵えたのだろう。この小皿は大小一枚ずつ、ヨーロッパ更紗で作られた、それぞれにぴったりな大きさの布の袋に入れられて、ひとつの箱に納められていた。こんなに小さな皿でも、与える感動と、大事に思う気持ちは人を大きく動かして来たのだなあ、と愛おしく思う。

器 オランダ 小皿  大 径8cm 高1,5cm   小 径6cm 高1cm

作 不明

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No.163 蕗のとうの天麩羅

 関東でも積雪があり、久しぶりに雪景色になった。そんな雪の下から蕗のとうが顔を出していたので、食べられそうな大きさに育ったものを選んで天麩羅にした。蕗のとうだけでは足りなくて、菜の花と茗荷、前日に出始めを買って茹でていた筍を一緒に揚げ、春の香りを味わった。

松林が描かれたこの扇面の皿は、尾形 乾女の作品。昭和51年(1976)8月、喜寿記念に日本橋三越で開催された作品展のカタログの表紙に掲載されているものと、同一ではないが同じ図柄の皿だ。今から46年前の事になる。

尾形 乾女(本名 奈美 1905〜1997)は、その名の通り尾形 乾山の血筋を継ぐ方で、元々日本画家であったが、自ら陶芸の世界を志したのだそうだ。父、6世 乾山は大正13年(1924)に73歳で亡くなっているが、その後40年ほど経ってからの方向転換だった。当時、乾山を名乗る縁もゆかりもない陶芸家が現れる事件が有ったため、乾山の名は6世の父をもって完結する事と決め、父の没後50年の年に乾女(けんにょ)と号して作品を発表した。本拠地は鎌倉だが、この皿のような乾山の流れの作品は、6世 乾山も作品を焼いたという、犬山の尾関窯にて作陶したものだそうだ。乾山の作風ではあるが、長く日本画家として活躍された個性だろうか、色の付け方や筆使いに柔らかさを感じる。乾山の世界を思いつつ、その血をひく乾女はどんな女性だったのだろうと想像がふくらむ。

器 松濱千鳥 扇面皿 上幅38cm 下14cm 縦27cm 高3,5cm

作 尾形 乾女

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No.162 苺大福

 間も無く立春。2月が始まったばかりで、まだまだ寒い日が続くけれど暦では春を迎える。自然の巡りは暦通り。庭の紅梅が開き始めて、良い香りを漂わせている。2本並んだ紅梅と白梅は、毎年必ず紅梅が先に開き、満開を過ぎた頃に白梅が開き始める。濃い紅の色が美しくて、開くと嬉しくなる。

開いた紅梅を眺めていて、この皿を思い出した。水月窯の紅梅白梅の小皿だ。水月窯の作品ではよく知られた模様だが、窯名のみで作者の名は入っていない。水月窯は、荒川 豊蔵が二つめに作った窯である。最初の窯は、豊蔵が志野焼の窯跡を発見し、美濃古窯跡群を調査した後の昭和8年(1933)に、務めていた北大路 魯山人の星岡窯を辞め、発見した志野焼の窯跡近く、牟田洞に作った。

水月窯は、志野や瀬戸黒を焼く牟田洞の窯とは別に、日常生活で使うための食器を作るため、昭和21年(1946)に虎渓山に開き、豊蔵の2人の息子が中心となって作陶、運営に当たった。先にも書いた通り、水月窯の器には窯名だけで作者名は無い。この梅の小皿は長い歴史を経て来た物ではいし、作者も判らないけれど、季節を感じて普段使いに楽しめる所が気に入っている。今日は食べたくなって、買って来た苺大福を盛った。

器 紅白梅小皿  径13cm 高1,5cm

作 水月窯

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No.161 鰤大根

 魚屋の店先で、富山県、氷見港で水揚げされた寒鰤のサクを見つけた。年明けに起きた能登半島の地震の被害は甚大で、今も辛い思いをされている方々を思うと心が痛む。能登半島の付け根近くにある氷見港では、漁が再開されているのだと知って少し安堵した。

店内を進むと大きなざるにひと皿、山に盛られた氷見の鰤のあらを見つけた。今日はこれで鰤大根にしようと思い付き、一皿しかないその鰤を逃すまいと魚屋の店員さんを待った。

 煮魚は苦手な方も多いけれど、私の家系は皆好きで、特に父は鰤大根が大好きだった。作ると喜んで食べてくれたのを思い出す。鰤は熱湯にくぐし、血などが残っていると臭みになるのできれいに洗う。今日は濃口醤油で甘辛く仕上げた。天然の鰤は養殖物に比べると脂が軽めで、季節によってはぱさつく事もあるけれど、この時期の寒鰤はさすがに脂が乗っている。旬の大根も柔らかく、味がよく沁みる。自宅で暖かい料理を作って食べられる生活。当たり前の事と思っているけれど、改めてその当たり前の生活に感謝を忘れないように、と思う。

 今回のような縁が広い形状の古染付の皿で、とてもよく似た物が我が家にもう一枚在る。以前、No.126(2023/5/26)で使った皿だ。今回の皿は前回とは別の機会に手に入れたのだけれど、繊細で、色の上がりも良く上手。呉須の発色は、その時の火の加減で窯の中の温度や火の回りが違う事で差が生じるそうだ。しかし同じ窯なのか、地域が近いのか、時代が少し違うのかは判らないが、この二枚はとてもよく似ている。遠い異国から、一枚ずつ別々な歴史を辿って長い年月残って来た皿が、我が家でまた一緒になるとは。受け継いで、残して行く事の重さをしみじみ思う。

器 古染付皿  径 20cm 高3cm

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No.160 新じゃがいもと蒟蒻の牛そぼろ煮

 この季節に出回る小さな新じゃがいも。一般的な新じゃがいもは春先からが旬だけれど、直径が3〜4センチほどの小さな粒は今頃の短い期間にしかお目にかかれない。

鹿児島産の出始めを見つけたので、丁度大きさが同じくらいの蒟蒻と一緒に、牛肉のそぼろで煮っころがしを作った。彩には絹さやを飾る。新じゃがいもは皮付きで使うと、よく煮込んでも煮崩れがなくて使いやすい。牛肉の風味と脂で味に深みが増し、食べ応えのある煮っ転がしになった。

 作者も判らぬ祥瑞の鉢に盛った。時代は幕末か明治だろうか。繊細で緻密な花や幾何学模様が、鮮やかな呉須で正確に描き込まれている。絵を描いた職人さんの腕が良いのだろう。しかしこの、捻りの凹凸のある素地に、どうしてこんな細かい模様を描こうと思ったのだろう?外側の模様は捻りの凹凸に乗せて描いているが、内側の見込みはその凹凸に逆らって、交差するように絵が入っている。捻り模様になった山と谷のある上に描いた植物も美しく、すごいけれど、この幾何学模様。一体どうやって描いたのだろう。平面に描くのでさえ、祥瑞の幾何学模様を描くのは難しいのに、この模様を、このデコボコにどうやって描いたのか、と目を疑う。絵の力量もさることながら、この根気と集中力には賞賛を通り越して呆れてしまう。一体どんな職人ががこれを描いたのだろう、と想像が膨らむ。

器 祥瑞捻り鉢  径17cm 高8,5cm

作 不明

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No.159 干し柿

 ドライフルーツと聞いて思い浮かぶのは、パウンドケーキに入っている、あれ。歳が知れてしまいそうだけれど、子供の頃はドライフルーツというと、そのケーキに入っているイメージだった。私はあのケーキが苦手だった。そのためか、ドライフルーツにはあまり興味が無かった。とは言えレーズンは料理やお菓子によく使うし、杏やマンゴーなどは好きで時々食べる。昔に比べると種類も食し方も変わり、保存するための手段だけでなく、フルーツの味わい方のひとつ、として定着している。

『干し柿』を調べてみたら〝日本に古来からあるドライフルーツ”という説明を読んで、納得すると共に軽い衝撃を受けた。フレッシュな柿のままでは人が食せない渋柿を、干し柿にする事で、渋柿も美味しくいただく、昔の人の知恵の詰まったドライフルーツだった。

渋柿は、木に実った生の状態ではタンニンが強く、人の舌ではその名の通り渋味とそれによる刺激が強くて食べられない。それを乾燥させることにより、渋柿の水溶性のタンニンが不溶性に変わって(渋抜きがされて)渋味がなくなり、甘味が強く感じられるようになる。その甘さは砂糖の約1.5倍とも言われているそうだ。

 柿は、もちろんそのままで美味しくいただけるけれど、料理に使っても美味しい。生の柿には生ハムを、甘みが凝縮された加工した柿にはチーズがよく合う。以前、知人に美味しい柿のジャムをいただいた。クラッカーにカマンベールチーズとそのジャムを乗せて食べてみたらとても美味しく、そのジャムが無くなるまで、そのメニューにはまった事がある。干し柿を薄く切って、同じようにしたらきっと美味しいに違いない。この干し柿がある内に、カマンベールチーズを買って来て試してみよう。

 この塗りのお皿、原木からくり抜かれた木地は5弁の花の輪郭。裏側と華奢な縁は磨かれた艶のある漆だが、内側は漆でしぼ状に凹凸がついた仕上げになってる。その見込みには、同じく5弁の花形に切られた金属が貼ってある。素材は銅か砂張だろうか。七宝で菊の模様が描かれている。漆の盆に金属の板を貼り付ける、なんて面倒で手の込んだ手法は初めて見た。この七宝を見ていたら、干し柿を盛ってみたくなった。水分の残った柔らかい干し柿は美しい柿の色をそのまま残していて、菊の色とよく映る。

器 七寶入 菓子盆  径18x18cm 高3cm

作 不明

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No.158 烏賊の塩辛

 今年は辰年。十二支の中で、辰年の龍だけが実在しない架空の動物。そもそもこの十二支の動物がなぜ選ばれて順序が決められたのかは不明らしい。子供の頃十二支の覚え方で、丑の背に乗った鼠がずるをして先頭になった、と聞いていたけれど、虎、卯、辰とその後に続く物語は、有るのかもしれないけれど私は覚えていない。

その、想像上の生き物である龍は、古来より中国では権力の象徴で、縁起の良い生き物とされている。建築や絵画、器にも龍は多く描かれているが、その龍の爪は5本有る。

当時、中華思想の下では天下の中心である中華が、属国である朝鮮やベトナムには爪を1本少ない4本、属国とならなかった日本には2本少ない3本の爪の龍しか使わせなかった、という話も有る。深く調べたわけではないのだが、確かにこれまで見た龍の爪は、3本、4本、5本と様々だった。時代は変わり、自由に龍を描ける近代以降は描き手の好みだろうか。この器の龍は爪が4本有る。

4つの側面にそれぞれ色の異なる龍が描かれた、この小振りの蓋物は大好きな古余呂技窯、川瀬 竹春のもの。白磁で手捻りの素朴な造形は、前回の清風 与平と似たものが有る。真っ白い生地に呉須で縁取られて赤、青、黄、緑の4頭の龍。身をくねらせて牙を剥く龍も、この小さな空間では愛らしく見える。お正月のつまみの一品に、烏賊の塩辛を盛った。蓋を上げると柚子の香りが清々しい。

器 龍紋蓋物  径5,5cm x 5,5cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春

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No.157 玄米茶

 今年もあと数日。気持ち良く新年を迎えるための大掃除の手を止めて、少し休憩。玄米茶の香りが芳ばしく立ち上る。

普段はぐい呑としても使っている、このちょっと変わった湯呑みは5代 清風 与平の作品。大好きな陶芸家さんで、もう何度も登場している。白磁に呉須や色絵で、余白も残らないほどにくまなく描き込む。この湯呑は手捻りで、稚拙に見えるほどに形も歪。しっかりした鮮やかな呉須の色を背景に、花が白く表現されている。

玄米茶を注いで、この茶碗を眺めていた。花が描かれているはずなのに、そのひとつが龍の顔に見えて来た。次の年が辰年なのが頭の隅にあったからだろうか。龍と言ってもアニメに出て来そうなお茶目で可愛らしい顔立ち。家族に聞いても『いや。花でしょう』と一掃された。確かに、顔だけで身体は見当たらない。でも、一度そう思ってしまうと何度見ても私には可愛らしい龍の顔に見える。いくら遊び心の有る方だったとは言え、清風さんが花の中に龍を紛れ込ませた、なんて事は無いだろうけれど、私の中で、この湯呑にまた別な愛着が生まれた。

器 染付湯呑  径6cm 高8,5cm

作 第5代 清風 与平

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No.156 冬至のオードブルプレート

 今日は冬至。冬至に食する風習の南瓜、煮物にする事が多いけれど、今年は少し趣向を変えてマッシュドパンプキンにしてオードブル風に盛り合わせた。皮を取って柔らかく茹でた南瓜は、熱いうちに軽く潰して、塩、胡椒、バターで味付けし、温かいうちにレーズンを加える。南瓜の優しい甘さとレーズンの甘酸っぱさ、トッピングに軽くローストしたスライスアーモンドを乗せると、更に香りと食感にアクセントが付いて美味しい。

トマト、プルドポーク、明太子とサワークリームの3種のブルスケッタや温野菜と盛り合わせたのは、Rene Lalique(ルネ ラリック)の『COQUILLE(コキーユ)』と呼ばれる貝をモチーフにした皿。調べてみたら作られたのは1924年。時代を反映したアール デコの、ラリックの代表的なデザインのひとつとなっている。オパルセントと呼ばれる青く乳白色に光るガラスで作られた物と透明ガラスの物が有るらしい。この皿は、オパルセントではあるようだけれど、色の出方がとても淡く、光の具合で淡く色が浮かぶ事もあるが、殆ど透明のように見える。

幾何学的に並んだ帆立貝の様な貝殻、殻頂(かくちょう)と呼ばれる二枚貝の繋がった頂点が中央に集まり、その厚みのある4個の突起が皿の脚となっている。この大きさの皿に中央に寄った4点の脚は不安定そうに思えるが、ガラスの厚みが重さになって、とても安定感が有り、貝の立体感も上手く表現されている。厚みを感じさせないガラスの透明感を活かしたデザインに感心する。

器 COQUILLE(コキーユ) 径30cm 高4cm

作 Rene Lalique(ルネ ラリック)