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No.162 苺大福

 間も無く立春。2月が始まったばかりで、まだまだ寒い日が続くけれど暦では春を迎える。自然の巡りは暦通り。庭の紅梅が開き始めて、良い香りを漂わせている。2本並んだ紅梅と白梅は、毎年必ず紅梅が先に開き、満開を過ぎた頃に白梅が開き始める。濃い紅の色が美しくて、開くと嬉しくなる。

開いた紅梅を眺めていて、この皿を思い出した。水月窯の紅梅白梅の小皿だ。水月窯の作品ではよく知られた模様だが、窯名のみで作者の名は入っていない。水月窯は、荒川 豊蔵が二つめに作った窯である。最初の窯は、豊蔵が志野焼の窯跡を発見し、美濃古窯跡群を調査した後の昭和8年(1933)に、務めていた北大路 魯山人の星岡窯を辞め、発見した志野焼の窯跡近く、牟田洞に作った。

水月窯は、志野や瀬戸黒を焼く牟田洞の窯とは別に、日常生活で使うための食器を作るため、昭和21年(1946)に虎渓山に開き、豊蔵の2人の息子が中心となって作陶、運営に当たった。先にも書いた通り、水月窯の器には窯名だけで作者名は無い。この梅の小皿は長い歴史を経て来た物ではいし、作者も判らないけれど、季節を感じて普段使いに楽しめる所が気に入っている。今日は食べたくなって、買って来た苺大福を盛った。

器 紅白梅小皿  径13cm 高1,5cm

作 水月窯

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No.161 鰤大根

 魚屋の店先で、富山県、氷見港で水揚げされた寒鰤のサクを見つけた。年明けに起きた能登半島の地震の被害は甚大で、今も辛い思いをされている方々を思うと心が痛む。能登半島の付け根近くにある氷見港では、漁が再開されているのだと知って少し安堵した。

店内を進むと大きなざるにひと皿、山に盛られた氷見の鰤のあらを見つけた。今日はこれで鰤大根にしようと思い付き、一皿しかないその鰤を逃すまいと魚屋の店員さんを待った。

 煮魚は苦手な方も多いけれど、私の家系は皆好きで、特に父は鰤大根が大好きだった。作ると喜んで食べてくれたのを思い出す。鰤は熱湯にくぐし、血などが残っていると臭みになるのできれいに洗う。今日は濃口醤油で甘辛く仕上げた。天然の鰤は養殖物に比べると脂が軽めで、季節によってはぱさつく事もあるけれど、この時期の寒鰤はさすがに脂が乗っている。旬の大根も柔らかく、味がよく沁みる。自宅で暖かい料理を作って食べられる生活。当たり前の事と思っているけれど、改めてその当たり前の生活に感謝を忘れないように、と思う。

 今回のような縁が広い形状の古染付の皿で、とてもよく似た物が我が家にもう一枚在る。以前、No.126(2023/5/26)で使った皿だ。今回の皿は前回とは別の機会に手に入れたのだけれど、繊細で、色の上がりも良く上手。呉須の発色は、その時の火の加減で窯の中の温度や火の回りが違う事で差が生じるそうだ。しかし同じ窯なのか、地域が近いのか、時代が少し違うのかは判らないが、この二枚はとてもよく似ている。遠い異国から、一枚ずつ別々な歴史を辿って長い年月残って来た皿が、我が家でまた一緒になるとは。受け継いで、残して行く事の重さをしみじみ思う。

器 古染付皿  径 20cm 高3cm

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No.160 新じゃがいもと蒟蒻の牛そぼろ煮

 この季節に出回る小さな新じゃがいも。一般的な新じゃがいもは春先からが旬だけれど、直径が3〜4センチほどの小さな粒は今頃の短い期間にしかお目にかかれない。

鹿児島産の出始めを見つけたので、丁度大きさが同じくらいの蒟蒻と一緒に、牛肉のそぼろで煮っころがしを作った。彩には絹さやを飾る。新じゃがいもは皮付きで使うと、よく煮込んでも煮崩れがなくて使いやすい。牛肉の風味と脂で味に深みが増し、食べ応えのある煮っ転がしになった。

 作者も判らぬ祥瑞の鉢に盛った。時代は幕末か明治だろうか。繊細で緻密な花や幾何学模様が、鮮やかな呉須で正確に描き込まれている。絵を描いた職人さんの腕が良いのだろう。しかしこの、捻りの凹凸のある素地に、どうしてこんな細かい模様を描こうと思ったのだろう?外側の模様は捻りの凹凸に乗せて描いているが、内側の見込みはその凹凸に逆らって、交差するように絵が入っている。捻り模様になった山と谷のある上に描いた植物も美しく、すごいけれど、この幾何学模様。一体どうやって描いたのだろう。平面に描くのでさえ、祥瑞の幾何学模様を描くのは難しいのに、この模様を、このデコボコにどうやって描いたのか、と目を疑う。絵の力量もさることながら、この根気と集中力には賞賛を通り越して呆れてしまう。一体どんな職人ががこれを描いたのだろう、と想像が膨らむ。

器 祥瑞捻り鉢  径17cm 高8,5cm

作 不明

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No.159 干し柿

 ドライフルーツと聞いて思い浮かぶのは、パウンドケーキに入っている、あれ。歳が知れてしまいそうだけれど、子供の頃はドライフルーツというと、そのケーキに入っているイメージだった。私はあのケーキが苦手だった。そのためか、ドライフルーツにはあまり興味が無かった。とは言えレーズンは料理やお菓子によく使うし、杏やマンゴーなどは好きで時々食べる。昔に比べると種類も食し方も変わり、保存するための手段だけでなく、フルーツの味わい方のひとつ、として定着している。

『干し柿』を調べてみたら〝日本に古来からあるドライフルーツ”という説明を読んで、納得すると共に軽い衝撃を受けた。フレッシュな柿のままでは人が食せない渋柿を、干し柿にする事で、渋柿も美味しくいただく、昔の人の知恵の詰まったドライフルーツだった。

渋柿は、木に実った生の状態ではタンニンが強く、人の舌ではその名の通り渋味とそれによる刺激が強くて食べられない。それを乾燥させることにより、渋柿の水溶性のタンニンが不溶性に変わって(渋抜きがされて)渋味がなくなり、甘味が強く感じられるようになる。その甘さは砂糖の約1.5倍とも言われているそうだ。

 柿は、もちろんそのままで美味しくいただけるけれど、料理に使っても美味しい。生の柿には生ハムを、甘みが凝縮された加工した柿にはチーズがよく合う。以前、知人に美味しい柿のジャムをいただいた。クラッカーにカマンベールチーズとそのジャムを乗せて食べてみたらとても美味しく、そのジャムが無くなるまで、そのメニューにはまった事がある。干し柿を薄く切って、同じようにしたらきっと美味しいに違いない。この干し柿がある内に、カマンベールチーズを買って来て試してみよう。

 この塗りのお皿、原木からくり抜かれた木地は5弁の花の輪郭。裏側と華奢な縁は磨かれた艶のある漆だが、内側は漆でしぼ状に凹凸がついた仕上げになってる。その見込みには、同じく5弁の花形に切られた金属が貼ってある。素材は銅か砂張だろうか。七宝で菊の模様が描かれている。漆の盆に金属の板を貼り付ける、なんて面倒で手の込んだ手法は初めて見た。この七宝を見ていたら、干し柿を盛ってみたくなった。水分の残った柔らかい干し柿は美しい柿の色をそのまま残していて、菊の色とよく映る。

器 七寶入 菓子盆  径18x18cm 高3cm

作 不明

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No.158 烏賊の塩辛

 今年は辰年。十二支の中で、辰年の龍だけが実在しない架空の動物。そもそもこの十二支の動物がなぜ選ばれて順序が決められたのかは不明らしい。子供の頃十二支の覚え方で、丑の背に乗った鼠がずるをして先頭になった、と聞いていたけれど、虎、卯、辰とその後に続く物語は、有るのかもしれないけれど私は覚えていない。

その、想像上の生き物である龍は、古来より中国では権力の象徴で、縁起の良い生き物とされている。建築や絵画、器にも龍は多く描かれているが、その龍の爪は5本有る。

当時、中華思想の下では天下の中心である中華が、属国である朝鮮やベトナムには爪を1本少ない4本、属国とならなかった日本には2本少ない3本の爪の龍しか使わせなかった、という話も有る。深く調べたわけではないのだが、確かにこれまで見た龍の爪は、3本、4本、5本と様々だった。時代は変わり、自由に龍を描ける近代以降は描き手の好みだろうか。この器の龍は爪が4本有る。

4つの側面にそれぞれ色の異なる龍が描かれた、この小振りの蓋物は大好きな古余呂技窯、川瀬 竹春のもの。白磁で手捻りの素朴な造形は、前回の清風 与平と似たものが有る。真っ白い生地に呉須で縁取られて赤、青、黄、緑の4頭の龍。身をくねらせて牙を剥く龍も、この小さな空間では愛らしく見える。お正月のつまみの一品に、烏賊の塩辛を盛った。蓋を上げると柚子の香りが清々しい。

器 龍紋蓋物  径5,5cm x 5,5cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春

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No.157 玄米茶

 今年もあと数日。気持ち良く新年を迎えるための大掃除の手を止めて、少し休憩。玄米茶の香りが芳ばしく立ち上る。

普段はぐい呑としても使っている、このちょっと変わった湯呑みは5代 清風 与平の作品。大好きな陶芸家さんで、もう何度も登場している。白磁に呉須や色絵で、余白も残らないほどにくまなく描き込む。この湯呑は手捻りで、稚拙に見えるほどに形も歪。しっかりした鮮やかな呉須の色を背景に、花が白く表現されている。

玄米茶を注いで、この茶碗を眺めていた。花が描かれているはずなのに、そのひとつが龍の顔に見えて来た。次の年が辰年なのが頭の隅にあったからだろうか。龍と言ってもアニメに出て来そうなお茶目で可愛らしい顔立ち。家族に聞いても『いや。花でしょう』と一掃された。確かに、顔だけで身体は見当たらない。でも、一度そう思ってしまうと何度見ても私には可愛らしい龍の顔に見える。いくら遊び心の有る方だったとは言え、清風さんが花の中に龍を紛れ込ませた、なんて事は無いだろうけれど、私の中で、この湯呑にまた別な愛着が生まれた。

器 染付湯呑  径6cm 高8,5cm

作 第5代 清風 与平

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No.156 冬至のオードブルプレート

 今日は冬至。冬至に食する風習の南瓜、煮物にする事が多いけれど、今年は少し趣向を変えてマッシュドパンプキンにしてオードブル風に盛り合わせた。皮を取って柔らかく茹でた南瓜は、熱いうちに軽く潰して、塩、胡椒、バターで味付けし、温かいうちにレーズンを加える。南瓜の優しい甘さとレーズンの甘酸っぱさ、トッピングに軽くローストしたスライスアーモンドを乗せると、更に香りと食感にアクセントが付いて美味しい。

トマト、プルドポーク、明太子とサワークリームの3種のブルスケッタや温野菜と盛り合わせたのは、Rene Lalique(ルネ ラリック)の『COQUILLE(コキーユ)』と呼ばれる貝をモチーフにした皿。調べてみたら作られたのは1924年。時代を反映したアール デコの、ラリックの代表的なデザインのひとつとなっている。オパルセントと呼ばれる青く乳白色に光るガラスで作られた物と透明ガラスの物が有るらしい。この皿は、オパルセントではあるようだけれど、色の出方がとても淡く、光の具合で淡く色が浮かぶ事もあるが、殆ど透明のように見える。

幾何学的に並んだ帆立貝の様な貝殻、殻頂(かくちょう)と呼ばれる二枚貝の繋がった頂点が中央に集まり、その厚みのある4個の突起が皿の脚となっている。この大きさの皿に中央に寄った4点の脚は不安定そうに思えるが、ガラスの厚みが重さになって、とても安定感が有り、貝の立体感も上手く表現されている。厚みを感じさせないガラスの透明感を活かしたデザインに感心する。

器 COQUILLE(コキーユ) 径30cm 高4cm

作 Rene Lalique(ルネ ラリック)

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No.155 茹で卵

 ひとり用の、なんとも可愛いエッグスタンド。脚の付いた小さいタンブラーの様な形のエッグスタンドは見た事が有ったけれど、このソルト&ペッパー入れまでセットされたエッグスタンドは見た事がなかった。英国人はこんなお洒落な器で茹で卵を食べるのかしら、と驚いた。小振りのソルト&ペッパーは、底に穴が開いていて、そこからそれぞれ塩、胡椒を入れて、コルク栓で蓋をするように作られている。

このSusie Cooperは、1936年に作られた〝GREY LEAF“というシリーズのもの。調べると、ミート皿の大きい皿も作られていたようだが、我が家に有るのはひとり用の朝食用としてまとめられたワンセット。このエッグスタンドの他に、ティーポット、ミルクピッチャー、カップ&ソーサー、パン用の皿とサラダボウル。元々、これが揃いで作られていたのかは判らないが、ロンドンのアンティークマーケットで見つけた時は、これがワンセットで売られていた。

 柔らかい青空のようなブルーが美しい。淡いグレーの細い線で繊細に描かれた葉は、最初鳥の羽かしら、と思ったほど軽やか。どんなレディー、またはジェントルマンがこれで朝食を摂っていたのだろう、と想像が膨らむ。

器 ソルト&ペッパー付エッグスタンド  幅8cm 奥行8cm 高4,5cm

作 Susie Cooper (England)

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No.154 揚げ出し豆腐

 もう、随分前に放送されたTVドラマで、現代の医者が階段から落ちた拍子に江戸時代にタイムスリップしてしまうドラマがあった。原作は漫画で、調べてみたらドラマが放送されたのは2009年、続編となる完結編が2011年の事。タイトルは『JIN-仁』。主人公のタイムスリップしてしまう医師、南方 仁は、抗生物質も無い時代に、その時代でも医師として奮闘する。坂本 龍馬や勝海舟なども登場して、とても面白かった。

江戸時代にタイムスリップしてしまった仁先生は、若い武士に助けられ、その一家の居候となる。その家で仁先生の好物が揚げ出し豆腐。前置きが長くなったけれど、それ以来、私の中で揚げ出し豆腐はそのドラマと結び付き、つい仁先生を思い出してしまう。

そもそも江戸の終わり頃に揚げ物料理が有ったのか、と調べてみたら、あのドラマを観て私と同じように感じた方が居たらしい。その回答は、『江戸中期に出た豆腐料理の本に、揚げ出し豆腐は掲載されていたので、この物語の江戸後期には一般の食卓にも出ていただろう』と。食用油なんて貴重だったのでは、と思ってしまう。カリッと上がった衣に漬け汁が沁みて、中は熱々の豆腐。当時とは違ってメイン料理にはならないけれど、今でも作りたての揚げ出し豆腐は心温まるご馳走だ。

 この器は呉須染付。五つ組の向附けで、所々ホツ(欠け)の直しがある。少し不恰好だけれど、鳳凰と思われる鳥が見込みにもに描かれている。

呉須染付は、呉須赤絵と呼ばれる中国の陶器の中で呉須の青だけを使った、古染付のような見え方のものを指す。漳州窯(しょうしゅうよう)で焼かれていたこの呉須赤絵や呉須染付は、格調高い特別なものではなく、むしろ大量生産の雑器で、形状も多くは皿や平鉢などに限られている。同じ時代に景徳鎮で作られ、日本に運ばれて来た古染付や祥瑞とは性格も格も違う焼き物だった。とは言え、長い年月を経て今に残っている。作られた頃の位置付けは別として、古染付と共に呉須染付も日本で長く大事にされて来たのだ、と嬉しく思う。

器 呉須藍絵端反 五脚組  径12cm 高6cm

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No.153 粕汁

 奈良漬の残りの酒粕が、ほんの少し残っていたのでひとり分の粕汁を作った。在る材料で、具沢山のけんちん汁に粕を加えたようなものだ。お出汁で煮た根菜、きのこと揚げに、味付けは薄口醤油と味噌を少し。最後に酒粕を溶かして完成。少し酒の香りが漂う。酒に弱い方ならそれだけで酔ってしまうかもしれない。でもその分、身体は温まる。

この根来(ねごろ)の椀、特に名のある方の作品ではないけれど、温もりと素朴さが有って使いやすい。根来塗は、今の和歌山県岩出市の根来寺に由来する。漆椀の発祥とも言われているそうだ。木地に生漆を掛け、口周りを布で補強し、黒漆を掛けた上に朱漆を薄くかける。使って行くうちに表面の朱漆が薄くなり下の層の黒漆が透けて見えて来る。

 根来塗の発祥は鎌倉時代。高野山での対立により、本拠地を根来寺に移した新義真言宗の僧たちが、寺での食事に使う器として作ったのが始まりらしい。だから、日常の使用のための耐久性が求められ、その使いやすさから寺の外へ広まって行った。しかし、その後の1585年、豊臣 秀吉の紀州根来攻めで、漆の職人達が散り散りになり、根来塗は長く忘れられていた。その後復興され、高度成長期にはプラスチックの下地に根来塗の漆を施した椀を多く作っていたそうだ。現在では、手の掛かる漆塗りの下地をプラスチックに、なんて考える事は無いだろうけれど、価格を安くするために考えられた、生き残るための苦肉の策だったのだろう。

 椀の縁に薄く黒漆が透けて見え、朱一色の椀には無いアクセントと表情が生まる。少しカジュアルな雰囲気が増し、普段使いの気軽さを感じる。久しぶりに使ってみて、改めて好きになった。

器 根来塗 椀  径12cm 高6cm(蓋込8cm)