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No.99 蕎麦

 収穫の秋。米も蕎麦も新物が出回る時期だ。よく比較される蕎麦派、饂飩派で言うと私は饂飩派だろうか。自宅で作ることを考えると、饂飩の方が頻度が高い。蕎麦も饂飩も家庭で食すには乾麺しか無かった時代とは違い、今や保存期間の長い冷凍や生麺の饂飩はクオリティがとても高く、食べる機会も増える。

でも、決して蕎麦は嫌いではないし、むしろ時々とても食べたくなる。自宅の近くに美味しい蕎麦屋があり、打ちたての蕎麦を食べに行く。家で、買ってきた乾麺や生麺で作る蕎麦とは格段に香りも味も美味しい。とは言え、時たまインスタントラーメンの味が恋しくなるように、乾麺の蕎麦を食べたくなった。いつもなら冷たい蕎麦は笊に盛るけれど、きめの細かいこの蕎麦は、皿に盛った。

染附の、とは言っても古染の柔らかい肌の染附ではなく、肌がシャープな富本 憲吉の白磁の染附だ。少し深さのある皿の形も蕎麦を盛るのにちょうど良い。天麩羅やとろろにする事が多いが、今日は蕎麦つゆと薬味だけの盛り蕎麦にした。見込みの絵は月の田舎家の風景だろうか。古染を使う事が多いからか、現代のきっちりした白磁が新鮮に映る。

器 染附皿  径20,5cm 高3,5cm

作 富本 憲吉

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No.98 栗の渋皮煮

 毎年、季節になると一度は栗ご飯を炊く。お料理屋さん風にシンプルに栗だけのものや、栗とお揚げを入れたもの、鶏や人参、椎茸も入れて五目にしたり、とその時の気分で具材や味を変える。栗は炊き込みご飯にしなくても、煮物の具材のひとつにしても美味しいし、気が向くと渋皮煮を作る。作った渋皮煮は容器を煮沸消毒してきちんと保存すれば、おせち料理の盛付けにも使える。

今年は、八百屋の店先で何度も栗を見掛けていながら中々手を出さずにいた。なぜだろう、皮剥きを考えて面倒臭さが勝ったのだろうか。もちろんそれも有るけれど、何故か買おうと思う意欲が掻き立てられなかった。

しかし、この栗を見つけた時は何も考えずに手が延びた。大粒で艶が良く、その姿を見た瞬間に手間は関係なくなり、どうやって食べようか、と考えていた。素材の魅力なのだろう。その夜は栗ご飯、翌日は栗のリゾットでいただき、買った時の半量程、大きくて形の良い栗を渋皮煮にした。煮る手間は掛かるけれど、鬼皮だけ剥けば良いので楽にさえ感じる。シロップに浸けたまま一晩置いて、さて今年の出来はどうだろう。

この染附の蓋物 (食蘢 じきろう 蘢は本来は竹冠)は、東光山 旭亭(亀屋 旭亭)(1825〜不明)のもの。力強い筆使いと鮮やかな呉須の色で、その絵に引き込まれる。唐物写を多くし、祥瑞を得意とする方だ。京都 五条坂で生まれ、25歳で独立、東光山を号として染附を始めた。この器にも祥瑞風の縁取りが施されている。蓋には唐人と思われる男性が2人、先に羽根のようなものがついた箒状の長い棒を持っている。何かの物語の一場面だろうか。

お抹茶の主菓子を入れる器、とされる食蘢にしては小振りだが、この時代の文人達が好んだお煎茶の道具かも知れない。この大きさの蓋物なら、香の物やお惣菜を盛って食卓にも使えそうだ。

器 染附写 蓋物  径13cm 高8,5cm(蓋込)

作 東光山 旭亭

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No.97 ボルシチ

 ロシア料理と認識されていたボルシチは、実はウクライナの郷土料理だそうだ。ソビエト連邦の時代、日本にもロシア料理のレストランが出来て、ロシア料理の代表的なメニューとして知られるようになったのだと思う。

当時ウクライナは独立した国ではなく、ソ連のウクライナ地方。私が子供の頃読んでいた、山岸 涼子さんの『アラベスク』というバレエ漫画にこの地名が登場するので知った。当時、バレエの最高峰はソ連で、ボリショイバレエ団が有名だった。この『アラベスク』の主人公はバレエを志す少女で、ウクライナのキエフ(現在のキーウ)出身。レニングラードのバレエ学校に進み、ボリショイバレエ団とも競い合う。当時のレニングラードは、今のサンクトペテルブルクだ。世界地図は様変わりしている。

最近は、地元の八百屋でも生のビーツが手に入る。長野や北海道で生産されている国産だ。ボルシチの、トマトとは違う紫がかった深い赤の色はビーツの色だ。蕪ような形だが、さとう大根の仲間だそうで、少し甘味がある。仕上げにサワークリームを加える。コクが増し少しの酸味が加わり、味が完成する。ボルシチは、本来長く煮込む料理ではないらしい。レシピを探すと牛肉も薄切りを使い、野菜の切り方も小さめだ。でも、肉も野菜もよく煮込んだ方が好みなので、私流のボルシチはすね肉を使って煮込んだシチュー風に作る。肉も玉葱も、人参も馬鈴薯もキャベツも、具が全てビーツの色に染まる。

ボルシチを盛ったのは、Susie Cooper(スージー クーパー)のスープ皿だ。アール デコ調の手描きの愛らしい花柄で、見込みがたっぷりした皿だ。スージー クーパーは、ミート皿などはよく使われていて、経年のナイフのキズが有る物も多い。が、このスープ皿は使われる頻度が少なかったのだろう。キズも無く、良い状態で残っていた。少し厚めに掛かった釉薬に貫入が入っていて、最近の工場生産とは違う温もりを感じる。

器 Susie Cooper スープ皿  径25,5cm 高4cm

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No.96 林檎のケーキ

 林檎が店頭で目に付くようになった。最近は少なくなった紅玉を見つけて、久しぶりに林檎のケーキが食べたくなった。林檎をカラメルソースで煮て、生地に混ぜ込んで焼くだけの簡単レシピだ。以前、このレシピで林檎をバナナに変えて作ったバナナケーキも掲載したが、バナナなのか林檎なのか、残念ながら写真での見た目は変わらない。このタイプのケーキは焼いてすぐより、翌日の方がしっとりして美味しくなる。食べながら、次回はシナモンを少し加えてみようかと考えた。

この皿はShelley(シェリー)。イングランド、スタッフォードシャーの陶器メーカーのものだ。1853年に窯を開いて以来、シェリー窯になるまで、経営者が変わって、数回窯の名前が変わったらしい。このシェイプの皿はB&Bプレートと呼ばれる。色柄の違いでバリエーションが沢山ある。実は我が家にも4枚。多分このシェイプの皿は長く作られていて、時代によって絵付けの傾向が変わっているのだろう。草花をモチーフにした柔らかい色使いのものや、この皿のようにアール・デコのシャープなものなど、デザインは様々だ。この皿は、アール・デコ全盛期の1920-30年頃のものだろう。お菓子を盛ったり、果物やサラダに、と食卓によく登場する。

器 Shelley (シェリー) B&Bプレート 径25x21cm 高2,5cm

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No.95 茶碗蒸し

 急に肌寒くなって、熱々の茶碗蒸しが恋しくなった。百合根や銀杏も店頭に出始めている。具は、その百合根と銀杏、小海老に椎茸と彩りの三つ葉。出汁が多めで柔らかい口当たりが好みだ。大きめの器でたっぷりいただく。

この、捻紋の蓋物は白磁の地の部分が多く、涼しげな印象から蒸し物にはあまり使っていなかったのだが、見込みが大きくて良いかしら、と思って使ってみた。作者は初代の矢口 永寿(1870〜1952)。号を清々軒という。石川県の温泉宿の生まれだそうで、山中町に1904年(明治37年)に永寿窯を開いた。作品は東京や名古屋の数奇者などが買っていたようだ。作陶の他に書画や料理にも秀でた方で、魯山人とも交流があったらしい。山中温泉と言えば No.87の回で使った、辻 石斎の漆碗は山中塗。きっと同じ辺りだろうか。

透き通った白い地肌に、濁りのない呉須の青が清々しい。朝顔か夕顔か、花弁のように開いた輪郭は、文字通り花びらの縁のように波打ち、弧を描いている。5客有るが、本体にも蓋にも動きがあるので、収まりの良い蓋を合わせるのにいつも頭を悩ませる。

器 白磁捻紋 蓋付向付 5客 径10,5cm 高8cm(蓋込10cm)

作 初代 矢口 永寿 

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No.94 無花果の胡麻だれ

 無花果は夏が季節と思いがちだが、秋にも旬が有るそうだ。ちょうど今頃も、美味しそうな無花果が八百屋の店先に出ている。以前、無花果の生ハム載せを作って、魯山人の織部釉の皿に盛った(No.40)。調べてみたらちょうど一年前、昨年の10月だった。生ハムを載せるのも美味しいけれど、この胡麻だれをかけた無花果も好きでよく作る。白の練り胡麻を出汁で伸ばして、少しの砂糖と薄口醤油で味を付ける。甘くて柔らかい無花果の果肉に、薄い塩味の胡麻だれが不思議と合う。生ハムを載せてイタリアンに、胡麻だれをかけると和風の献立になる。食卓に一品加えると、ちょっとお洒落なアクセントになる。

片口の萩焼の向付は六客揃いで、第13代 坂田 泥華(さかた でいか 1915〜2010)の作。とても気に入っていて長く使っている。不思議と、何を盛っても良く映る。素朴な萩焼の肌で、窯の火の当たり具合で、ピンク色に発色している所とグレーに沈んだ部分がひとつの器に同居する。片口の小さな口は、後から本体に付けた時の指の跡が残る。手で持って釉薬をかけた時の指跡も。どんな風に持ったのだろう、と、指跡に倣って試してみたりする。色の発色も、釉薬の掛かり方も六つがそれぞれに違っていて、個性が有って楽しめる。

器 萩焼 片口向付 六客組  径15cm 高7,5cm

作 第13代 坂田 泥華

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No.93 鈴の最中

 猫の首に鈴を付ける。これは日本の寓話かと思っていたが、実はイソップ物語なのだそうだ。天敵の猫が近づくのを察知するために、鼠たちが考え出した知恵だ。アイディアは秀逸だけれど、実際に猫に鈴を付けに行く鼠が居なかった。その事から良い思いつきでも実行出来ない事の例えとしても使われる。

我が家の猫の首にも鈴が付いている。販売されている猫の首輪には、元から鈴付きのものが多い。今どき、家の中に鼠は居ないし、もし居たら困るから飼い猫に鈴を付けるのは考えもの。とは言っても鈴を鳴らして歩く姿は愛らしく、毛繕いの動きで鳴る鈴の音には気持ちが和む。我が家の猫も最初は少し戸惑っていたけれど直ぐに慣れて、あながち嫌でもなさそうだ。

鈴は、金属の薄い殻のような外形の中に球が入っていて、振動で鳴るというとてもシンプルな楽器だ。古代、胡桃や団栗などの実で、中に隙間がある個体を振ると音が出る、という事に気付いた先祖が、それを祈祷や踊りで楽器として使い、やがて土鈴が出来、金属へと進化して行った。今でも、神社でお参りする時には大きな鈴を鳴らす。日本でも昔から神事と深い結び付きがある。

その可愛らしい鈴の形の最中は、博多で90年続く和菓子屋さんのもの。東京の百貨店の催事に出店していたので購入した。鈴が屋号にもなっている、その和菓子屋さんの名物最中だそうだ。さて、何に盛ったら似合うかしら。と考えたらこの赤楽が浮かんだ。楽 吉左衛門の十代で、江戸後期に活躍した旦入(1795-1855)の皿だ。楽焼は柔らかいので水分が入り易く、いつも使うのを躊躇うのだけれど、この最中なら安心して使える。思った通り、いや思った以上によく似合う。見込みの指跡の渦巻き状の窪みが柔らかい陰影を作る。楽焼は轆轤を使わない。どうやったらこんなに綺麗な渦巻きが出来るのだろう、と思いを巡らす。裏には小さな突起の脚が3つ。表情の有る皿だ。

器 赤楽小皿 五枚組  径12cm 高2cm

作 10代 楽 吉左衛門(旦入)

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No.92 秋鮭の吹き寄せ風

 金継ぎ、直し、と言ってもここまでやるの?と思うほどばりばりに割れた破片を繋ぎ合わせた器。一客だけでもすごいと思うのだが、この志野焼の向付は五客組で、その全てがこれと同じように破片を組み合わされたもの。ここまでの手間を掛けたのは何処の何方で、何のために?と考えてしまう。が、元の姿に近いこの姿に生き返らせた誰かと、その労力に賞賛と感謝を送りたい。志野焼の窯跡で不出来故か廃棄され、埋もれていた器を掘り起こし、パズルのように組み合わせて再構成したのだろう。志野焼きの釉薬の掛かったパーツの中に、独特の素朴な絵が描かれた部分も組み合わされ、そこに厚く盛られた金継ぎの線が走る。四方の角に集まる金のラインが華やかさを添えている。

窓を開けると、どこからか金木犀の甘い香りが漂って来る。茶道の世界では10月は“名残“。11月は“口切り“と呼ばれ、その年に摘まれた新茶をいただく、茶道の世界では新しい一年の始まりの月だ。だから、10月は残り僅かになった前年の茶を名残惜しんでいただくのだ。そして5月から夏の間に湯を沸かしていた風炉の季節も10月で終わり、炉に変わる最後の月となる。また半年先まで、風炉との別れの気持ちも重なって名残と言われるのだそうだ。この時期は詫びた風情を好み、直しのある器や花器を使う。9月の終わりに、実りの季節を思って名残の器に秋の味覚を盛り合わせた。

器 志野向附 五客  径12cm 高7cm

作 不明

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No.91 隠元豆のピーナッツだれ

 緑が鮮やかな隠元豆を濱田 庄司の小鉢に盛った。いかにも濱田 庄司らしい、黒釉に緑のラインが映える器だ。力強い、厚味のある素地なのだが、六角形の作りや縁の作りはとてもシャープだ。5客の揃いで、茶の発色、緑の釉薬の流れや溜りの調子が個々に違っていて、それぞれに風景がある。白和えなど、和え物に使う事が多いが、四角い胡麻豆腐や卵豆腐を盛ってもこの六角形の器によく似合う。

いつもは胡麻だれで作る事が多いけれど、今日は甘味の無いピーナッツバターを使ってピーナッツのたれにした。出汁で溶いて砂糖と塩、少しの酢を加えて甘味を引き締めている。

器 黒釉六角小鉢 五客  径11,5(13)cm 高3,8cm

作 濱田 庄司

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No.90 生菓子

 西の方へ出掛ける事があって、その帰りに京都で新幹線を途中下車。久しぶりの京都だ。以前は年に何回か行っていたのだが、思いもよらない感染症の流行で、国内の移動も規制されていた。久しぶり過ぎて、京都でどこへ行きたいのか思い浮かばない程だった。でも、目的はひとつあった。昨年、御実家のある京都へ越した友人に会う事。先方も忙しくしているだろう、顔を見て少し話して失礼するつもりが、話し始めたら止まらない。気が付いたら帰りの乗り継ぎの新幹線の時間が迫っていた。

この生菓子はその友人がお土産に、と用意してくれていた和菓子だ。今時の京都で行列になるというお菓子屋さんのもので、たまたま空いていたから、と。まだ残暑は残るけれど、お菓子は秋を感じさせる菊の花。この、白の『饅頭菊』は焼き物の絵付けにもよく登場する菊の花の表現だ。白の丸に中央の黄。一枚ずつの花弁の表現は無くても菊の花と解る。意匠のモチーフ化、デザイン化のすごさに感心する。日本だけでなく、西洋や東洋を問わず、動植物の意匠化は古い時代に確立されていて、近年はその膨大な過去のモチーフの遺産の上に成り立っている、と言っても良いのではないかとさえ思う。衣食住の生活に、実用だけでなく装飾を加えるゆとりを持った縄文の時代から、実物を捉える観察眼が磨かれて、優れた物が現代に残り、私達を楽しませてくれているのだろう。この白菊はふっくらとして、中の漉し餡も美味しく、眼でも舌でも楽しませてもらった。

この、銀彩の皿の作者は北大路 魯山人。備前の土に櫛彫で草が彫られ、その上に銀が載っている。五枚有る皿の形は、手で叩いて伸ばしているので不揃い。素朴な作りだけれど、彼の手に掛かるとこんなに洗練された仕上がりになるから不思議だ。さすが天才。五枚の皿は、火の当たりによって土が赤く発色せず、白っぽい上りの物も有るけれど、それぞれに味がある。枯れ葉の庭に咲く白菊のようだ。

器  銀彩 草文櫛彫 備前土小皿 五枚 径12cm 高1,5cm

作  北大路 魯山人