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うつわ道楽

No.102 鰊の甘露煮

 春と秋に旬のある鰊(にしん)。一般的には春で知られている。産卵前で卵や白子を持って、脂の乗った時期だ。日本近海には、鰊の獲れる海流が大きく3つ有るのだそうだ。大規模回遊のサハリン系群と小規模沿岸回遊の石狩湾系群のふたつが春、1月から6月にかけて。もうひとつが北海道太平洋沿岸を回遊するもので、こちらは9月から11月下旬に旬を迎える。しかし秋の漁獲量は少なく、北海道以外に出回る機会が少ないため、旬は春とされる事が多いらしい。

この、秋に獲れる鰊は春に比べると脂は少なめだが、卵や白子が無い分、身そのものの旨味は強いと言う。そう言えば昔、釧路の市場で、ししゃもは雌の子持ちが珍重されるが、身を味わうには雄の方が美味しい、と教えられたのを思い出した。

先月、11月に地元の魚屋でよく鰊が出ていた。気候のせいか、魚屋に並ぶ魚が少しづつ変わって来ているのを感じる。ある日、塩焼きにしてその身の柔らかさ、淡白な旨味を美味しくいただいた。そして何でも自分でやってみたくなるのが癖で、鰊の甘露煮は作れるのだろうか、と思い付き魚屋で鰊を3枚におろしてもらって来た。酒で洗って暫く天日干し、干物にして甘露煮を作った。保存食品にするつもりはないので、身欠鰊ほどまでは乾かさず半生だったので、戻す手間なくそのまま甘露煮にした。好みで軽めに味付けし、結構満足の行く出来栄えだ。その鰊の甘露煮に針生姜を乗せて、酒のつまみの一品にした。

皿は青呉須。古染付けと同じく中国の磁器だ。時代も古染め付けと同じ頃だが、呉須(コバルト)は釉薬の下に彩色するが、この皿は輪郭を黒で入れ、釉薬を掛けた上に胆礬(たんばん 又は たんぱん)で彩色をしている。胆礬、原料は鉱物の硫酸銅で美しい青を発色する。呉須とは違った透明感が有って華やかな緑青。鳥と植物が描かれていて、地の白の空間が映える皿だ。

器 青呉須皿 径14cm 高3,5cm

作 不明

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No.101 アップルパイ

 林檎をいただいた。福島県の林檎農家のものだ。契約すると、林檎の木を一本所有することが出来て、その木になる実はその契約者が収穫できるのだと言う。その一家が、週末に林檎狩りに行って来たから、とお裾分けにあずかった。通常の流通ルートとは違うので、素朴で不揃い、少しキズも有ったりするがそれが自然な良さだ。一本の木で200個を超える林檎がなっていたと聞いて驚いた。

その林檎で、久しく作っていなかったアップルパイを焼いた。まず林檎を剥いてフィリングを作る。部屋中に甘酸っぱい良い香りが立ち込めた。その香りを胸いっぱいに吸い込んで、幸福感を噛み締める。世界には家も食料も無く、寒さに震えて他国で難民生活をしていたり、戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々が居ることを思うと胸が痛くなる。早く、こんな日常が取り戻せるように、と願いながら自らの恵まれた環境に感謝する。

パイは、冷凍のパイシートを使えば手軽に作る事ができる。焼き立て熱々のアップルパイを頬張り、今日もまた自然の恵みに感謝する。

皿は、No.96で林檎のケーキを盛った、Shelley(シェリー)のB&Bプレートの柄違い。この皿は優しい色使いで、見込みの中央にはアール・デコ調の可憐な花が描いてある。気に入っていて使いやすく、週末にサラダを盛ったりして楽しんでいる。

器 Shelley(シェリー) B&Bプレート 径25×21 高2,5cm

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No.100 白子の天麩羅

 暫く仕舞ってあった十字文の皿。とても気に入っているけれど、どこに仕舞ったのか見つからず、ずっと探していた。先日やっと見つかって嬉しくなって久しぶりに使ってみた。

この径の皿は和食器には少ない。少し深さのある見込みも、料理を盛るのにとても都合が良い。意匠だけでなく料理を盛るという実用にも適していて、作る側には料理を盛ってみたいという気持ちにさせる皿だ。北大路 魯山人の器は、食べる人にも料理人にもとても魅力的だ。

季節の鱈の白子を天麩羅にした。舞茸とししとうも盛り合わせ、塩とすだちを添えた。サクッとした衣にふわふわ、とろとろの白子は、ぽん酢や鍋でいただく時の食感とも違っていて美味しい。

 昨年の元旦から始めたこの『うつわ道楽』も今回100回を迎える事ができた。毎回、その器が生きる料理を目指してはいるのだが、後から見返すともっとああすれば良かった、とかこうが良かったか、と考える。でも料理はその時食べて無くなるもの。また次にその器を上手く使う事ができれば良いのだ、とも思う。道楽なのだから。これからも気の向くまま料理を盛って楽しみたい。

器 鵜班釉 十字文 平向付 五客  径19,5cm 高3,5cm

作 北大路 魯山人

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No.99 蕎麦

 収穫の秋。米も蕎麦も新物が出回る時期だ。よく比較される蕎麦派、饂飩派で言うと私は饂飩派だろうか。自宅で作ることを考えると、饂飩の方が頻度が高い。蕎麦も饂飩も家庭で食すには乾麺しか無かった時代とは違い、今や保存期間の長い冷凍や生麺の饂飩はクオリティがとても高く、食べる機会も増える。

でも、決して蕎麦は嫌いではないし、むしろ時々とても食べたくなる。自宅の近くに美味しい蕎麦屋があり、打ちたての蕎麦を食べに行く。家で、買ってきた乾麺や生麺で作る蕎麦とは格段に香りも味も美味しい。とは言え、時たまインスタントラーメンの味が恋しくなるように、乾麺の蕎麦を食べたくなった。いつもなら冷たい蕎麦は笊に盛るけれど、きめの細かいこの蕎麦は、皿に盛った。

染附の、とは言っても古染の柔らかい肌の染附ではなく、肌がシャープな富本 憲吉の白磁の染附だ。少し深さのある皿の形も蕎麦を盛るのにちょうど良い。天麩羅やとろろにする事が多いが、今日は蕎麦つゆと薬味だけの盛り蕎麦にした。見込みの絵は月の田舎家の風景だろうか。古染を使う事が多いからか、現代のきっちりした白磁が新鮮に映る。

器 染附皿  径20,5cm 高3,5cm

作 富本 憲吉

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No.98 栗の渋皮煮

 毎年、季節になると一度は栗ご飯を炊く。お料理屋さん風にシンプルに栗だけのものや、栗とお揚げを入れたもの、鶏や人参、椎茸も入れて五目にしたり、とその時の気分で具材や味を変える。栗は炊き込みご飯にしなくても、煮物の具材のひとつにしても美味しいし、気が向くと渋皮煮を作る。作った渋皮煮は容器を煮沸消毒してきちんと保存すれば、おせち料理の盛付けにも使える。

今年は、八百屋の店先で何度も栗を見掛けていながら中々手を出さずにいた。なぜだろう、皮剥きを考えて面倒臭さが勝ったのだろうか。もちろんそれも有るけれど、何故か買おうと思う意欲が掻き立てられなかった。

しかし、この栗を見つけた時は何も考えずに手が延びた。大粒で艶が良く、その姿を見た瞬間に手間は関係なくなり、どうやって食べようか、と考えていた。素材の魅力なのだろう。その夜は栗ご飯、翌日は栗のリゾットでいただき、買った時の半量程、大きくて形の良い栗を渋皮煮にした。煮る手間は掛かるけれど、鬼皮だけ剥けば良いので楽にさえ感じる。シロップに浸けたまま一晩置いて、さて今年の出来はどうだろう。

この染附の蓋物 (食蘢 じきろう 蘢は本来は竹冠)は、東光山 旭亭(亀屋 旭亭)(1825〜不明)のもの。力強い筆使いと鮮やかな呉須の色で、その絵に引き込まれる。唐物写を多くし、祥瑞を得意とする方だ。京都 五条坂で生まれ、25歳で独立、東光山を号として染附を始めた。この器にも祥瑞風の縁取りが施されている。蓋には唐人と思われる男性が2人、先に羽根のようなものがついた箒状の長い棒を持っている。何かの物語の一場面だろうか。

お抹茶の主菓子を入れる器、とされる食蘢にしては小振りだが、この時代の文人達が好んだお煎茶の道具かも知れない。この大きさの蓋物なら、香の物やお惣菜を盛って食卓にも使えそうだ。

器 染附写 蓋物  径13cm 高8,5cm(蓋込)

作 東光山 旭亭

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No.97 ボルシチ

 ロシア料理と認識されていたボルシチは、実はウクライナの郷土料理だそうだ。ソビエト連邦の時代、日本にもロシア料理のレストランが出来て、ロシア料理の代表的なメニューとして知られるようになったのだと思う。

当時ウクライナは独立した国ではなく、ソ連のウクライナ地方。私が子供の頃読んでいた、山岸 涼子さんの『アラベスク』というバレエ漫画にこの地名が登場するので知った。当時、バレエの最高峰はソ連で、ボリショイバレエ団が有名だった。この『アラベスク』の主人公はバレエを志す少女で、ウクライナのキエフ(現在のキーウ)出身。レニングラードのバレエ学校に進み、ボリショイバレエ団とも競い合う。当時のレニングラードは、今のサンクトペテルブルクだ。世界地図は様変わりしている。

最近は、地元の八百屋でも生のビーツが手に入る。長野や北海道で生産されている国産だ。ボルシチの、トマトとは違う紫がかった深い赤の色はビーツの色だ。蕪ような形だが、さとう大根の仲間だそうで、少し甘味がある。仕上げにサワークリームを加える。コクが増し少しの酸味が加わり、味が完成する。ボルシチは、本来長く煮込む料理ではないらしい。レシピを探すと牛肉も薄切りを使い、野菜の切り方も小さめだ。でも、肉も野菜もよく煮込んだ方が好みなので、私流のボルシチはすね肉を使って煮込んだシチュー風に作る。肉も玉葱も、人参も馬鈴薯もキャベツも、具が全てビーツの色に染まる。

ボルシチを盛ったのは、Susie Cooper(スージー クーパー)のスープ皿だ。アール デコ調の手描きの愛らしい花柄で、見込みがたっぷりした皿だ。スージー クーパーは、ミート皿などはよく使われていて、経年のナイフのキズが有る物も多い。が、このスープ皿は使われる頻度が少なかったのだろう。キズも無く、良い状態で残っていた。少し厚めに掛かった釉薬に貫入が入っていて、最近の工場生産とは違う温もりを感じる。

器 Susie Cooper スープ皿  径25,5cm 高4cm

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No.96 林檎のケーキ

 林檎が店頭で目に付くようになった。最近は少なくなった紅玉を見つけて、久しぶりに林檎のケーキが食べたくなった。林檎をカラメルソースで煮て、生地に混ぜ込んで焼くだけの簡単レシピだ。以前、このレシピで林檎をバナナに変えて作ったバナナケーキも掲載したが、バナナなのか林檎なのか、残念ながら写真での見た目は変わらない。このタイプのケーキは焼いてすぐより、翌日の方がしっとりして美味しくなる。食べながら、次回はシナモンを少し加えてみようかと考えた。

この皿はShelley(シェリー)。イングランド、スタッフォードシャーの陶器メーカーのものだ。1853年に窯を開いて以来、シェリー窯になるまで、経営者が変わって、数回窯の名前が変わったらしい。このシェイプの皿はB&Bプレートと呼ばれる。色柄の違いでバリエーションが沢山ある。実は我が家にも4枚。多分このシェイプの皿は長く作られていて、時代によって絵付けの傾向が変わっているのだろう。草花をモチーフにした柔らかい色使いのものや、この皿のようにアール・デコのシャープなものなど、デザインは様々だ。この皿は、アール・デコ全盛期の1920-30年頃のものだろう。お菓子を盛ったり、果物やサラダに、と食卓によく登場する。

器 Shelley (シェリー) B&Bプレート 径25x21cm 高2,5cm

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No.95 茶碗蒸し

 急に肌寒くなって、熱々の茶碗蒸しが恋しくなった。百合根や銀杏も店頭に出始めている。具は、その百合根と銀杏、小海老に椎茸と彩りの三つ葉。出汁が多めで柔らかい口当たりが好みだ。大きめの器でたっぷりいただく。

この、捻紋の蓋物は白磁の地の部分が多く、涼しげな印象から蒸し物にはあまり使っていなかったのだが、見込みが大きくて良いかしら、と思って使ってみた。作者は初代の矢口 永寿(1870〜1952)。号を清々軒という。石川県の温泉宿の生まれだそうで、山中町に1904年(明治37年)に永寿窯を開いた。作品は東京や名古屋の数奇者などが買っていたようだ。作陶の他に書画や料理にも秀でた方で、魯山人とも交流があったらしい。山中温泉と言えば No.87の回で使った、辻 石斎の漆碗は山中塗。きっと同じ辺りだろうか。

透き通った白い地肌に、濁りのない呉須の青が清々しい。朝顔か夕顔か、花弁のように開いた輪郭は、文字通り花びらの縁のように波打ち、弧を描いている。5客有るが、本体にも蓋にも動きがあるので、収まりの良い蓋を合わせるのにいつも頭を悩ませる。

器 白磁捻紋 蓋付向付 5客 径10,5cm 高8cm(蓋込10cm)

作 初代 矢口 永寿 

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No.94 無花果の胡麻だれ

 無花果は夏が季節と思いがちだが、秋にも旬が有るそうだ。ちょうど今頃も、美味しそうな無花果が八百屋の店先に出ている。以前、無花果の生ハム載せを作って、魯山人の織部釉の皿に盛った(No.40)。調べてみたらちょうど一年前、昨年の10月だった。生ハムを載せるのも美味しいけれど、この胡麻だれをかけた無花果も好きでよく作る。白の練り胡麻を出汁で伸ばして、少しの砂糖と薄口醤油で味を付ける。甘くて柔らかい無花果の果肉に、薄い塩味の胡麻だれが不思議と合う。生ハムを載せてイタリアンに、胡麻だれをかけると和風の献立になる。食卓に一品加えると、ちょっとお洒落なアクセントになる。

片口の萩焼の向付は六客揃いで、第13代 坂田 泥華(さかた でいか 1915〜2010)の作。とても気に入っていて長く使っている。不思議と、何を盛っても良く映る。素朴な萩焼の肌で、窯の火の当たり具合で、ピンク色に発色している所とグレーに沈んだ部分がひとつの器に同居する。片口の小さな口は、後から本体に付けた時の指の跡が残る。手で持って釉薬をかけた時の指跡も。どんな風に持ったのだろう、と、指跡に倣って試してみたりする。色の発色も、釉薬の掛かり方も六つがそれぞれに違っていて、個性が有って楽しめる。

器 萩焼 片口向付 六客組  径15cm 高7,5cm

作 第13代 坂田 泥華

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No.93 鈴の最中

 猫の首に鈴を付ける。これは日本の寓話かと思っていたが、実はイソップ物語なのだそうだ。天敵の猫が近づくのを察知するために、鼠たちが考え出した知恵だ。アイディアは秀逸だけれど、実際に猫に鈴を付けに行く鼠が居なかった。その事から良い思いつきでも実行出来ない事の例えとしても使われる。

我が家の猫の首にも鈴が付いている。販売されている猫の首輪には、元から鈴付きのものが多い。今どき、家の中に鼠は居ないし、もし居たら困るから飼い猫に鈴を付けるのは考えもの。とは言っても鈴を鳴らして歩く姿は愛らしく、毛繕いの動きで鳴る鈴の音には気持ちが和む。我が家の猫も最初は少し戸惑っていたけれど直ぐに慣れて、あながち嫌でもなさそうだ。

鈴は、金属の薄い殻のような外形の中に球が入っていて、振動で鳴るというとてもシンプルな楽器だ。古代、胡桃や団栗などの実で、中に隙間がある個体を振ると音が出る、という事に気付いた先祖が、それを祈祷や踊りで楽器として使い、やがて土鈴が出来、金属へと進化して行った。今でも、神社でお参りする時には大きな鈴を鳴らす。日本でも昔から神事と深い結び付きがある。

その可愛らしい鈴の形の最中は、博多で90年続く和菓子屋さんのもの。東京の百貨店の催事に出店していたので購入した。鈴が屋号にもなっている、その和菓子屋さんの名物最中だそうだ。さて、何に盛ったら似合うかしら。と考えたらこの赤楽が浮かんだ。楽 吉左衛門の十代で、江戸後期に活躍した旦入(1795-1855)の皿だ。楽焼は柔らかいので水分が入り易く、いつも使うのを躊躇うのだけれど、この最中なら安心して使える。思った通り、いや思った以上によく似合う。見込みの指跡の渦巻き状の窪みが柔らかい陰影を作る。楽焼は轆轤を使わない。どうやったらこんなに綺麗な渦巻きが出来るのだろう、と思いを巡らす。裏には小さな突起の脚が3つ。表情の有る皿だ。

器 赤楽小皿 五枚組  径12cm 高2cm

作 10代 楽 吉左衛門(旦入)