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うつわ道楽

No.58 恵方巻

 関東で人生の大半を過ごしている私は、節分に恵方巻を食べる習慣が無い。しかし近頃は商業的な狙いから、恵方巻が全国展開され、様々に工夫した恵方巻が店頭に並ぶ。少し前には作り過ぎた恵方巻の廃棄が社会問題になり、今年はロスを出さない事への関心も高まっている。

とは言え、お寿司屋さんや魚屋さんだけでなく、揚げ物屋さんなどにも通常には無い変わった恵方巻が並ぶと、店頭を見て回るだけでも楽しいものだ。その年の恵方に向かって、笑いながら、黙って丸齧りして食べ切る。というその儀式、私には無理そうなのでこれまで挑戦したことが無かった。そこで今年は小さいサイズを自分で作って試してみることにした。半分サイズの海苔で作るなら一本丸ごと食べ切る事ができる。

本来の恵方巻は具は7種類、などの決まり事も有るようだが、私の場合、中身の具は思い付き。3種類の恵方巻を作ってみた。まず、お寿司屋さんの手巻きでも定番の穴子と胡瓜は間違いなく美味しい。次に、お刺身としては逆輸入だが、今や日本でも人気の生サーモンに相性の良いチーズを合わせてチャレンジしてみた。これには海苔や酢飯との繋ぎ役を考えて大葉も加えた。3種類目は蟹。酢飯に白胡麻を混ぜ込んで、塩揉みした胡瓜と貝割れを一緒に巻いた。さっぱりして蟹の風味が引き立つ。家で手巻き寿司をする時の感覚で、思い付きの組み合わせで楽しんだ。

鮮やかな黄色の皿は、度々登場する 2代 川瀬 竹春 (1923~2007)。中国、南京で1700年代終わりから1800年半ば頃に作られた焼き物で、この黄色を使った磁気を黄南京(きなんきん)と呼ぶ。竹春もよくこの黄と緑を使い、黄南京の特徴を良く写したオリジナル作品を多く作った。我家に在る、オリジナルの黄南京の鉢と比べると、竹春の作は土の肌目が細やかできっちりと整い、端正な仕上がりが美しい。しかし、オリジナルの黄南京にはそれとは違った、ふわっとした素朴な良さが有る。どちらにも捨て難い、それぞれの良さが有る。オリジナルの黄南京ももちろん好きだが、竹春の皿の洗練された意匠やフォルム、ヘラで仕上げたシャープな質感は見る度に惚れ惚れする。

恵方巻は、いつものように切り分けて具の彩りを楽しむ訳には行かず、黒い海苔ばかりが目に付くので、黄と緑で新春を感じる華やかな器を使った。

器 黄地緑採菊花文八角皿 径23cm 高1,5cm

作 古余呂技窯 2代 川瀬 竹春(順一)

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No.57 餡かけうどん

 つゆに片栗粉や葛粉でとろみを付けると、麺や具によく絡んで美味しい。そして冷めにくい。寒い季節には、最後まで温かくいただけるのも嬉しい。餡かけうどんは時々食べたくなる。

餡かけにする時のつゆは、いつもより甘味を強く、そして麺につゆがよく絡む分、塩味は少し控えめにする。この、甘めの餡かけには、たっぷりのおろし生姜がピリリと辛味を加えて味が引き締まる。生姜は身体を温める効果があるし、この季節にはうってつけだ。

和食や中華、アジアの国々の料理でよく使うテクニックの餡かけは、葛(葛粉)や馬鈴薯(片栗粉)の澱粉でとろみを付けたものだ。片栗粉のとろみは中華料理のメニューにはよく使われる。私もよく使うが、和食には少し穏やかなとろみになる葛を使う事もある。

片栗粉は、そもそも百合科のカタクリという植物の根(球根)から採取した澱粉のこと。それが、名前はそのままに原料が馬鈴薯になったのは明治時代の事だそうだ。江戸時代から料理に使われていた片栗粉は、そもそも採取量が少ない上に、消化が良いことから滋養薬として多く飲まれるようになった。そのせいでカタクリが激減、絶滅危惧種のような状況に陥った。それが明治時代になって、その頃生産量が増えていた馬鈴薯の澱粉が、カタクリに非常に近い性質である事が発見され、名前はそのままで原料が馬鈴薯に置き換わったのだそうだ。そう言えば小学生の頃の理科の授業で、ジャガイモをすりおろし、水を加えて攪拌すると、底に白い澱粉が沈澱する、という実験をした事を思い出した。そのときは『ふうん』と思っただけだけれど、あれが片栗粉だったと言うわけだ。

シンプルな白磁の鉢。新渡(しんと)と呼ばれる中国のもの。清の時代に日本に渡ってきた焼き物だ。以前、No.20 伽羅蕗 の回に書いた。この鉢は見込みは白磁の無地、側面は淡い青磁の色が掛けてある。絵も刻印も無い。潔いほどすっきりした鉢だ。少し小振りで、麺を盛って片手で持っていただくのに、ちょうど良い大きさだ。

器 新渡 白磁鉢  径 16,5cm 高 8cm

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No.56 治部煮風

松に積もる雪を見て、この時期の金沢、兼六園を思い浮かべた。昔、一度訪れた事がある。とは言っても季節は真夏で、雪景色など想像もつかなかったはずだ。多分、そこで見た立派な松が印象に残っていたのだろう。雪の積もった松は、富山に住む友人の家に遊びに行った時に見た。確か3月頃で、雪はかなり少なくなっていたが、まだ時々降る雪が陽陰のあちらこちらに残っていた。その時に見た友人宅の松の木と、兼六園の松が重なったのかもしれない。

雪の多い地方では、松の枝を雪の重みから守るために、雪吊りを施すのだそうだ。その友人宅でも、毎年雪の季節が近付くと植木職人さんに雪吊りをしてもらうと聞いた。支柱を建て、雪の重みで折れないように、枝を綱で吊るして支えるのだ。雪の季節は、日常的に1日に何度も雪掻きし、季節の変わり目には庭木にも雪対策。ほんの数日滞在しただけだが、雪国の生活がいかに大変なものかと思いを巡らせた。

その、雪の積もった松の連想から加賀料理の治部煮を盛ってみたいと思い立った。大抵の材料は揃うけれど、金沢特産のすだれ麩は地元では手に入らない。今どきはネットで頼めば良いのだけれど、と思いながらも今日のところは手元にある粟麩で代用することにした。だから、治部煮に似せた治部煮風。私が知る治部煮の特徴は、このすだれ麩が入る事と、鶏は削ぎ切りにして粉をまぶして下煮し、つるんとした柔らかい食感。そしておろし山葵。撮った写真に山葵が載っていないのが残念だが、仕上げに山葵の香りが加わる事で、他の煮物とは異なる治部煮の完成だ。

 この、雪の松の絵の器は、8代 白井 半七。乾山写しをよくする人で、沢山いる大好きな陶芸家のひとりだ。初代 半七は江戸時代、1680年代に江戸で土風炉を中心に茶器を多く製作した。2代はその継承に加えて今戸焼 (隅田川焼) を生み出し、4代は伏見人形に影響されて、今戸人形を多く作ったそうだ。7代 半七の時、1923年 (大正12年)の関東大震災で窯が全壊、兵庫県伊丹市へ移窯した。そして 8代 半七 (1898〜1949) の時、小林 一三の招きで宝塚市に移り、仁清、乾山写しを得意として、華やかな作品を多く残している。料亭の吉兆はこの半七の器を好んで使ったそうだ。吉兆好み、として上客への配り物も多く残っている。

大胆な乾山風のタッチで松が描かれた、口の開いた浅めの鉢。轆轤目を残した凹凸の地に、薄い紅色の窯変が浮いて、風に舞う雪の白が映える。松の幹と同じ鉄釉が口にも回されて器を縁取り、盛った料理を引き立てる。

器 冬の松図 小鉢 径17cm 高5cm

作 8代 白井 半七

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No.55 おでん

 寒い季節には食べたくなるおでん。汁がしみた熱々のおでんは身体も心も温まる。今どきはコンビニにもとても美味しいおでんが有るが、冬には何度か家で作る。

私が一番好きな具財は大根。大根を美味しくするためには牛すじも欠かせない。美味しいお出汁になれば、蒟蒻もしらたきも、卵も美味しくなる。今回の巾着は、お正月の残りのお餅を入れようかと考えたが、鶏の挽肉に山芋、銀杏などを入れて新作にトライしてみた。

子供の頃の家のおでんには、様々な種類のさつま揚げが沢山入っていた。地元に手作りのさつま揚げ専門店が有って、そこのさつま揚げはおでんに限らず度々食卓に登場していた。炙ったさつま揚げを大根おろしでいただくのが好きだった。もう、随分前に閉店して、今は食べられなくなってしまった。その頃は関東で牛すじは一般的ではなく手に入らなかったし、その分さつま揚げがお出汁を美味しくするのに一役買っていたのだと思う。今回も写真には無いが、さつま揚げや厚揚げを後から加えて楽しんだ。

青味を帯びた白磁の肌が美しい古染付の皿。呉須の絵が有るが余白が広い。この皿なら、おでんの大きめの具材を盛り合わせても映える。見込みの余白部分、右側には印刻で蓮が彫られている。呉須で描かれた菊も大輪で見事だ。見込みには茎から見えているが、皿の裏面にこの茎が続き、地面から生えている様が描かれている。菊と蓮、何か古い中国の物語が有るのだろうか。大地に根を張って花を咲かせている菊が頼もしく見える。

器 古染付皿 径20,5cm 高3,5cm

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No.54 お正月の盛合わせ

 昨年の元旦からスタートしたこの『うつわ道楽』。初回もお節だった。私が作るお節はお決まりの品揃えとは違うが、自分や家族が好きな料理を作ってお正月風に盛り合わせる。そうは言っても黒豆や数の子、見栄えの海老は外せない。昨年と同じメニューの他に今年は百合根の金団とサーモンのサワークリーム添えを新しく加えた。

お正月料理は甘味の強い料理が多い。長い歴史で、甘味自体がご馳走だった時代もあっただろう。そして日持ちの為の知恵も。しかし今のこの贅沢な時代には、少しそぐわない事も事実だ。お酒やご飯にも合う味付けのメニューなら、お節料理としてだけでなく、常備菜として単品で食卓にも出せるので、無駄なく最後まで美味しくいただける。私の今年の目標は、我が家でのフードロスを無くすこと。もちろん、これまでも心掛けていたけれど、うっかり使い忘れてしまったり、ついつい買いすぎてしまう事があった。美味しいうちに美味しくいただき使い切る、を理想としたい。

今年の器は、お重ではなく縁高(ふちだか)。縁高、と言ってもお濃茶の主菓子を盛る、あれよりかなり大きい。一辺の長さがほぼ倍なので、普通の縁高を4つ並べた大きさだ。高さも倍。かなり大きな空間だ。縁高の外側面と割蓋は鏡面そのもの。歪みなく鮮明に映す、研ぎ澄まされた表面が美しい。しかし見込みにはその跳ね返すような緊張はなく、磨かれてはいるが木目が少し透けて見えるような暖かみのある塗りだ。

これは、初代 佐野 長寛(ちょうかん 1794〜1856)の作品。長寛は、幕末の京都の塗蒔絵師で、三代前から塗師として長濱屋を称する家に生まれた。先代の父を21歳で亡くし家名を継いだが、その翌年から諸国の漆工を歴訪し、5年後に京都に戻り名を長寛とした。作品は茶道具、家具、膳椀などを作り、多作で同じ意匠のものも多く在るが、全く同じではなく、必ず図や技法を異にしていたそうだ。若い頃から奇行が多かったとの記録もあるが、一体どんな人だったのだろう。

 なんとも迫力のある縁高だ。深みを増した真塗りの、沈んだ漆の質感に圧倒される。文字通り使う私が試されているように感じる。まだまだ、と言われて当たり前。勉強させていただこう。

盛付けを考えるのに時間を要した。こんなに大きくて深さもある器には、テクスチャーの違う器を嵌め込むとメリハリがついてまとまりやすい。今回は、白磁の蕎麦猪口に黒豆を、ガラスの小鉢(No.4にも使用)には数の子、紅白なます、百合根の金団、と水分のある物や形のまとまりにくい料理を器に入れて盛り込んだ。これを見たら縁高の作者、長寛は何と言うだろう。

器 光悦面取 真塗割蓋引重  30cmx30cm角 高15cm

作 初代 佐野 長寛 (塗匠 長寛造)

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No.53 年越し蕎麦

 大晦日に縁起を担いで食す年越し蕎麦。一般的には日本蕎麦が主流だが、細くて長い麺という括りからか、特産の地方ではうどんだったり沖縄そばだったりするそうだ。

家族で集い側(そば)に居るという語呂合わせという説や、蕎麦の細長い形体から長い寿命を希うという説もあるそうだが、いずれにしても願いの意味を込めた食習慣だ。添える薬味の葱は一年の苦労を労う(ねぎらう)という思いも込めた、とこれは少々こじつけのようにも感じるが、何にしても蕎麦に葱は欠かせない。私は、薬味にはかなり執着する方だと自覚している。私にとって麺類の葱は、顔で言えば眉のような物で、無いととても奇妙で間抜けな印象を受けるのだ。

洋風のハーブも好きでよく使う。使いこなすと言える程ではないが、鉢植えで数種類育てていて、重宝する。ハーブに関する文章を読んでいた時に、ジャパニーズハーブという文字を見つけた。葱は野菜としての食し方も有るが、薬味としての葱や紫蘇、芹や茗荷はジャパニーズハーブだと。ハーブと言うと西洋料理にイメージが固定されていた私は確かに、と妙に納得してしまった。近所のスーパーでも手に入るほど流通量も多く、日本人にとってそれだけ身近なハーブと言うことだろう。

好きな蕎麦屋で、大根おろしと山葵に生湯葉が添えられた蕎麦がある。丼に盛られていて、蕎麦つゆを掛けていただく。今年はそれを真似てみた。山葵は香りを、辛味は大根おろしで、これが蕎麦とよく合う。

器は、薄い作りの漆塗りの鉢。箱は無く、本体に名も無い。どなたの作か判らないし、入手の経緯も覚えていないのだが、よく使っている。とても薄く、木目が透けた生地に挽いた轆轤目の凹凸が有り、かかる漆が滑らかだ。手にすると見た目よりずっと軽い。暖かみのある漆で、冷たい蕎麦を盛っても温もりを感じる器だ。

今年の元旦から始まったこの『うつわ道楽』もちょうど一年を迎える事ができた。お節で始まり、年越し蕎麦で締めくくり。来年はどんな料理、どんな器で楽しもうか。

器 漆鉢  径 18cm 高 8,5cm

作 不明

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No.52 チキンのコンフィ

 クリスマスの定番メニューと言えばチキン。ありきたりだけれど、今や日本の風習として定着して久しい。毎年、どうしようかしらと考えるけれど、家族に季節を感じてもらうためにもやっぱりクリスマスイブにはチキンのメニューを用意する。

今年はチキンのコンフィ。コンフィ(Confit)はフランス料理の調理法で、食材の風味を良くし、保存性を高める効果がある。肉の場合は油で、果物は砂糖に浸して調理した料理の総称だそうだ。チキンは肉が完全に被る量の油で、低温でゆっくり加熱する。調理後も、そのまま素材が完全に油に浸っていれば保存が効く。フランスで、ヨーロッパで、冷凍庫や冷蔵庫の無かった時代に編み出された調理法だ。日本だったら昔からある保存法は、塩漬けか干物、燻製だけれど、と文化の違いを感じる。

今日は、コンフィしたチキンをオーブンでこんがり焼き色を付けて仕上げた。付け合わせはクリスマスカラーの野菜と、ハーブ風味のローストポテト。パンとワインを添えていただく。

角皿は萩焼。当代である 13代 三輪 休雪(きゅうせつ) が休雪を継ぐ前、三輪 和彦 の時代の作品だ。見込みにゴシック体で ‘KAZ’ と刻印されている。大きな名前を受け継ぐ前の作にはモダンさ、カジュアルさを感じる。350年続く三輪窯は代々 休雪を名乗り、継承して来た。13代は2019年に休雪を襲名したそうだ。この皿は休雪白と言われる、休雪ならではの白い釉薬が美しく、その厚味のある釉薬の間から、地の土の色が垣間見える。まるで風に舞い、大地に積もった雪を思わせ、皿の中に冬の風景が見えるようだ。

器 萩焼 白釉角皿  径 21,5cm 高 2,5cm

作 第13代 三輪 休雪(和彦)

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No.51 冬至かぼちゃ

 冬至は、北半球では一年の内で昼(太陽の出ている時間帯)が最も短い日だ。最も短いという事は、翌日からは少しずつ長くなるという事。この日を境に太陽の力が再び蘇るという前向きな解釈をするらしい。二十四節気では冬至を境に新しい年に切り替わり運気も上がる、とされているのだそうだ。

この日の食卓にはかぼちゃが上がり、柚子湯に入る。日本に伝わる冬至の過ごし方だ。かぼちゃを食べて栄養を付け、身体を温める柚子湯に入り、無病息災を願いながら寒い冬を乗り切る。生活に根付いた知恵だったのだろう。

かぼちゃの原産はアメリカ大陸だと言う。北も南も両方のアメリカ大陸。広大すぎてよくわからないが、紀元前4000年頃のペルーやメキシコで栽培して食されていた痕跡が見つかったため、その頃の発祥と思われていた。しかし1997年、それよりも数千年早くメソアメリカで栽培化がはじまっていたと思われる発見があり、かぼちゃの歴史は8000年とも言われるらしい。世界史の教科書で覚えた、古代四大文明より更に数千年以前に、一体どんな文明が有ったのだろう?新石器時代と呼ばれる頃のはずだ。昨今、かぼちゃはスウィーツの素材にも使われるくらい素材自体に甘味のある野菜だと私達は認識しているが、その頃のかぼちゃは一体どんな形でどんな味だったのだろう。

冬至のかぼちゃは、地方によって食べ方はまちまち。この通称 “いとこ煮” と呼ばれるかぼちゃと小豆の煮物は、東北と関西に伝わっているもので、他の地方にはかぼちゃ汁やかぼちゃ汁粉、かぼちゃ蕎麦などがあるそうだ。

いとこ煮は一般名称で、煮るのに時間のかかる小豆を先から煮ていて、そこに他の素材を “追い追い”加える事から “甥と甥”の語呂合わせで “いとこ” となったと言われている。かぼちゃと小豆の組み合わせに限った名称ではなく、鶏と卵、鮭といくら、の親子丼と同じようなものだろうか。このいとこ煮、私は冬至に限らず時々作る。初めは、何とも奇妙に思えたが、少し煮崩れたかぼちゃと小豆のマッチングが良く、かぼちゃに小豆の風味やこくが加わり食感と味わいの組み合わせの妙が美味しく、また食べたくなる味だ。

輪花の赤絵の小鉢は、度々登場している川瀬 竹春のもの。少し厚手の白磁で輪花の縁が際立ち、見込みまで続く凹凸の陰影が美しい器だ。

器 赤絵 輪花鉢  径15cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春

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No.50 鱈子の煮物

 多分5年振り位になるだろうか、生鱈子を煮た。助惣鱈の子、いわゆる”たらこ”の塩をする前の生を、出汁で甘塩っぱく煮たものだ。佃煮ほど濃い味ではなく、煮込む時間も火が通って味が滲みる程度に。大好きで、生鱈子を魚屋で見つけると作っていたのだが、人も大人になると好きな物を好きなだけ食べられる訳ではなく、自重して控えるようになった。

しかし、この鉢に何を盛ろうかと考えた時この煮物が浮かんだ。尾形 乾山の鉢。本当は自分の料理を盛ること自体、恐れ多い。

尾形 乾山(1663~1743)は、寛文3年、京都の呉服屋の三男として生まれた。5歳上の兄は尾形 光琳。光琳は放蕩三昧だったとの話が伝わるが、乾山は対照的に学問に熱心な読書人で、堅実で質素を好んだようだ。そんな性格の違う兄弟だが、仲が良く兄が絵付け、弟が作陶と書で合作も残っている。

さすがに、盛り付けとなると緊張する。焼が甘く柔らかいので、生地が乾いた状態でいきなり料理を盛ると汁が沁み込み、色もついてしまう。だから使う前に暫くぬるま湯に浸けて、汁が入らないように予め湿らせておく。

200年を超える年月を経たこの器は、器自体に力が有って魅力的だ。時を経た事で付く重みも在るだろうが、元から人々を魅了する器だったからこそ、大事にされて使われて来たという事だ。写真でも判るが、何本もの入(にゅう)が入っている。口は釉薬が爆ぜて剥がれたところもある。今出来の器にそれらが有ったら、それは傷でしかないだろうが、この器には、それすらも器の歴史を感じさせる風格がある。

一方に小さな注ぎ口が有るこの形を、片口(かたくち)と言う。実際に酒を入れて、徳利と同じ用途に使う目的の片口もあるが、これで酒を注いだ人がいたとは、私は思えない。キュートなディテールの片口が有ることで、鉢としても一層魅力を増している。フォルムと絵付の完璧なバランスに見惚れるばかりだ。

器 秋草片口鉢 径14cm 高8cm

作 尾形 乾山

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No.49 ケークサレ

おしゃれなフランス料理、ケークサレ。手の込んだフランス料理を家で作ることはまずない。が、このパウンドケーキ型で焼くケークサレは思い付くと時々作る。メインの献立に、サラダとフランスパンだと少し寂しいかな、と言うときなどにサイドメニューとして最適だ。

パウンドケーキのように見えるが、お菓子ではないので砂糖は使わない。小麦粉にオリーブオイルで炒めた玉葱やベーコン、ブロッコリー、卵、おろしたチーズなどが入っていて、そのままでワインにぴったりの、フランス風惣菜パンのようなものだ。具は様々、好みで工夫次第と思うが、私はシンプルなこの組み合わせが気に入っている。残ったら、写真のようにサラダと盛り合わせてブランチにする。休日ならグラスワインを添えてカフェ気分も味わえる。

縁に金のラインが入ったこの皿は、Susie Cooper(スージー クーパー)がまだ自らのブランドを持つ前の Gray’s Pottery (A.E.Gray Ltd.)時代の作品だ。彼女は1929年、27歳の誕生日に自らの名を冠する陶器ブランドを立ち上げて独立しているので、それより以前ということになる。以前の回(No. 9, 33 )のものも同じ時代の作品で、モチーフの花や手描きのタッチが近い。しかし、Gray’s Pottery の前2回登場した器や、Susie Cooper ブランドの器はぽったりした暖かみのある肌だが、これは透明感のある、薄い白磁のクリアな質感でよそ行きのように少し気取って見える。

古い器は、絵付けやラインの金が剥がれたり、擦れて薄くなっている事が多いのだが、この皿は金も比較的良く残っているし、皿自体にもナイフなどで付いた傷がほとんどない。綺麗に、大事に使われていたのだろう。金色は、色の釉薬とは違って、金の粉をガラス質に混ぜて焼き付けると言う。金属として柔らかい金は、使って洗う度に擦られて剥がれてしまうのだ。新しい器ならそう簡単に剥がれることはないが、100年近く使われていれば、大事に扱ってもこの位は致し方ないと思う。むしろ、大事に使われてこの状態で残っている事がすごいなあ、と感謝の思いだ。

器 花柄 皿 径 22,5cm 高 1,8cm

作 Susie Cooper (Gray’s Pottery)