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No.52 チキンのコンフィ

 クリスマスの定番メニューと言えばチキン。ありきたりだけれど、今や日本の風習として定着して久しい。毎年、どうしようかしらと考えるけれど、家族に季節を感じてもらうためにもやっぱりクリスマスイブにはチキンのメニューを用意する。

今年はチキンのコンフィ。コンフィ(Confit)はフランス料理の調理法で、食材の風味を良くし、保存性を高める効果がある。肉の場合は油で、果物は砂糖に浸して調理した料理の総称だそうだ。チキンは肉が完全に被る量の油で、低温でゆっくり加熱する。調理後も、そのまま素材が完全に油に浸っていれば保存が効く。フランスで、ヨーロッパで、冷凍庫や冷蔵庫の無かった時代に編み出された調理法だ。日本だったら昔からある保存法は、塩漬けか干物、燻製だけれど、と文化の違いを感じる。

今日は、コンフィしたチキンをオーブンでこんがり焼き色を付けて仕上げた。付け合わせはクリスマスカラーの野菜と、ハーブ風味のローストポテト。パンとワインを添えていただく。

角皿は萩焼。当代である 13代 三輪 休雪(きゅうせつ) が休雪を継ぐ前、三輪 和彦 の時代の作品だ。見込みにゴシック体で ‘KAZ’ と刻印されている。大きな名前を受け継ぐ前の作にはモダンさ、カジュアルさを感じる。350年続く三輪窯は代々 休雪を名乗り、継承して来た。13代は2019年に休雪を襲名したそうだ。この皿は休雪白と言われる、休雪ならではの白い釉薬が美しく、その厚味のある釉薬の間から、地の土の色が垣間見える。まるで風に舞い、大地に積もった雪を思わせ、皿の中に冬の風景が見えるようだ。

器 萩焼 白釉角皿  径 21,5cm 高 2,5cm

作 第13代 三輪 休雪(和彦)

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No.51 冬至かぼちゃ

 冬至は、北半球では一年の内で昼(太陽の出ている時間帯)が最も短い日だ。最も短いという事は、翌日からは少しずつ長くなるという事。この日を境に太陽の力が再び蘇るという前向きな解釈をするらしい。二十四節気では冬至を境に新しい年に切り替わり運気も上がる、とされているのだそうだ。

この日の食卓にはかぼちゃが上がり、柚子湯に入る。日本に伝わる冬至の過ごし方だ。かぼちゃを食べて栄養を付け、身体を温める柚子湯に入り、無病息災を願いながら寒い冬を乗り切る。生活に根付いた知恵だったのだろう。

かぼちゃの原産はアメリカ大陸だと言う。北も南も両方のアメリカ大陸。広大すぎてよくわからないが、紀元前4000年頃のペルーやメキシコで栽培して食されていた痕跡が見つかったため、その頃の発祥と思われていた。しかし1997年、それよりも数千年早くメソアメリカで栽培化がはじまっていたと思われる発見があり、かぼちゃの歴史は8000年とも言われるらしい。世界史の教科書で覚えた、古代四大文明より更に数千年以前に、一体どんな文明が有ったのだろう?新石器時代と呼ばれる頃のはずだ。昨今、かぼちゃはスウィーツの素材にも使われるくらい素材自体に甘味のある野菜だと私達は認識しているが、その頃のかぼちゃは一体どんな形でどんな味だったのだろう。

冬至のかぼちゃは、地方によって食べ方はまちまち。この通称 “いとこ煮” と呼ばれるかぼちゃと小豆の煮物は、東北と関西に伝わっているもので、他の地方にはかぼちゃ汁やかぼちゃ汁粉、かぼちゃ蕎麦などがあるそうだ。

いとこ煮は一般名称で、煮るのに時間のかかる小豆を先から煮ていて、そこに他の素材を “追い追い”加える事から “甥と甥”の語呂合わせで “いとこ” となったと言われている。かぼちゃと小豆の組み合わせに限った名称ではなく、鶏と卵、鮭といくら、の親子丼と同じようなものだろうか。このいとこ煮、私は冬至に限らず時々作る。初めは、何とも奇妙に思えたが、少し煮崩れたかぼちゃと小豆のマッチングが良く、かぼちゃに小豆の風味やこくが加わり食感と味わいの組み合わせの妙が美味しく、また食べたくなる味だ。

輪花の赤絵の小鉢は、度々登場している川瀬 竹春のもの。少し厚手の白磁で輪花の縁が際立ち、見込みまで続く凹凸の陰影が美しい器だ。

器 赤絵 輪花鉢  径15cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春

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No.50 鱈子の煮物

 多分5年振り位になるだろうか、生鱈子を煮た。助惣鱈の子、いわゆる”たらこ”の塩をする前の生を、出汁で甘塩っぱく煮たものだ。佃煮ほど濃い味ではなく、煮込む時間も火が通って味が滲みる程度に。大好きで、生鱈子を魚屋で見つけると作っていたのだが、人も大人になると好きな物を好きなだけ食べられる訳ではなく、自重して控えるようになった。

しかし、この鉢に何を盛ろうかと考えた時この煮物が浮かんだ。尾形 乾山の鉢。本当は自分の料理を盛ること自体、恐れ多い。

尾形 乾山(1663~1743)は、寛文3年、京都の呉服屋の三男として生まれた。5歳上の兄は尾形 光琳。光琳は放蕩三昧だったとの話が伝わるが、乾山は対照的に学問に熱心な読書人で、堅実で質素を好んだようだ。そんな性格の違う兄弟だが、仲が良く兄が絵付け、弟が作陶と書で合作も残っている。

さすがに、盛り付けとなると緊張する。焼が甘く柔らかいので、生地が乾いた状態でいきなり料理を盛ると汁が沁み込み、色もついてしまう。だから使う前に暫くぬるま湯に浸けて、汁が入らないように予め湿らせておく。

200年を超える年月を経たこの器は、器自体に力が有って魅力的だ。時を経た事で付く重みも在るだろうが、元から人々を魅了する器だったからこそ、大事にされて使われて来たという事だ。写真でも判るが、何本もの入(にゅう)が入っている。口は釉薬が爆ぜて剥がれたところもある。今出来の器にそれらが有ったら、それは傷でしかないだろうが、この器には、それすらも器の歴史を感じさせる風格がある。

一方に小さな注ぎ口が有るこの形を、片口(かたくち)と言う。実際に酒を入れて、徳利と同じ用途に使う目的の片口もあるが、これで酒を注いだ人がいたとは、私は思えない。キュートなディテールの片口が有ることで、鉢としても一層魅力を増している。フォルムと絵付の完璧なバランスに見惚れるばかりだ。

器 秋草片口鉢 径14cm 高8cm

作 尾形 乾山

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No.49 ケークサレ

おしゃれなフランス料理、ケークサレ。手の込んだフランス料理を家で作ることはまずない。が、このパウンドケーキ型で焼くケークサレは思い付くと時々作る。メインの献立に、サラダとフランスパンだと少し寂しいかな、と言うときなどにサイドメニューとして最適だ。

パウンドケーキのように見えるが、お菓子ではないので砂糖は使わない。小麦粉にオリーブオイルで炒めた玉葱やベーコン、ブロッコリー、卵、おろしたチーズなどが入っていて、そのままでワインにぴったりの、フランス風惣菜パンのようなものだ。具は様々、好みで工夫次第と思うが、私はシンプルなこの組み合わせが気に入っている。残ったら、写真のようにサラダと盛り合わせてブランチにする。休日ならグラスワインを添えてカフェ気分も味わえる。

縁に金のラインが入ったこの皿は、Susie Cooper(スージー クーパー)がまだ自らのブランドを持つ前の Gray’s Pottery (A.E.Gray Ltd.)時代の作品だ。彼女は1929年、27歳の誕生日に自らの名を冠する陶器ブランドを立ち上げて独立しているので、それより以前ということになる。以前の回(No. 9, 33 )のものも同じ時代の作品で、モチーフの花や手描きのタッチが近い。しかし、Gray’s Pottery の前2回登場した器や、Susie Cooper ブランドの器はぽったりした暖かみのある肌だが、これは透明感のある、薄い白磁のクリアな質感でよそ行きのように少し気取って見える。

古い器は、絵付けやラインの金が剥がれたり、擦れて薄くなっている事が多いのだが、この皿は金も比較的良く残っているし、皿自体にもナイフなどで付いた傷がほとんどない。綺麗に、大事に使われていたのだろう。金色は、色の釉薬とは違って、金の粉をガラス質に混ぜて焼き付けると言う。金属として柔らかい金は、使って洗う度に擦られて剥がれてしまうのだ。新しい器ならそう簡単に剥がれることはないが、100年近く使われていれば、大事に扱ってもこの位は致し方ないと思う。むしろ、大事に使われてこの状態で残っている事がすごいなあ、と感謝の思いだ。

器 花柄 皿 径 22,5cm 高 1,8cm

作 Susie Cooper (Gray’s Pottery)

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No.48 水菜とお揚げの煮浸し

 昔、京都を訪れた時に初めて知った水菜。おばん菜料理で、油揚げと一緒に出汁で炊いた煮浸しをいただいて、気に入ったのが最初だ。菜葉としては色が淡く、繊維がしっかりした茎の歯触りがシャキシャキして美味しかった。

当時、水菜はまだ関東に出回っておらず、関西では一般的に八百屋の店先に並んでいるのを見て、京都で帰りに買って、大きな株を一束抱えて新幹線に乗って帰って来た事がある。その、京都で見た水菜が馴染みの八百屋に最近出ている。今や水菜は関東でも当たり前に野菜売り場に並んでいるが、一株が細くて少ない。それが6〜8束ほど袋入って販売されているのが、今時の見慣れた水菜だ。流通や販売単位を考慮して、品種改良されたのかもしれない。当時見た、そして今回出ていた京都産の水菜は、両手で持っても余るほどに一株が大きく、まるで白菜ほどの大きさがある。だから、その八百屋でも白菜と同じように株を切り分けた単位で買えるようになっていた。いくら好きでも、とても一株は使い切れる量ではないので、私もその半株に分けられた水菜を買って帰った。久々に食べた大きい株の水菜は、生でサラダにしても、煮浸しにしても、味がしっかりしていて初めて京都で水菜をいただいた時の印象を思い出した。

見た目が控えめな煮浸しは、華やかな赤絵の小鉢に盛った。以前(No.25)も登場した 五代 清風与平 の作品で、四君子を描いている。薄手の作りで、小さめだが深さがあり、口と胴に鉄釉で線を回して、まるで漫画のコマ割りのように上下で場面を変えている。口のすぐ下、胴回りの上部には中国由来の四君子と呼ばれる、蘭、竹、菊、梅、が描かれている。それぞれが春夏秋冬の季節を表す植物だが、これを四君子と呼ぶ経緯が明確には解っていないらしい。中国で宋、玄の時代に文人画家達の間で流行った題材で、この四種は草木の中でも高潔で気品があり、君子のようだとして四君子、と言われたという説や古代王朝の家紋だった、と言う説などがある。その後日本にも伝わって、四季を表すおめでたいものとされているそうだ。

その下、鉢の下部には布袋様。物語として四君子と繋がりがあるのかは、不勉強ゆえ定かではない。が、鮮やかな色使いが白磁に映える、使って楽しい器だ。

器 赤絵 四君子小鉢 径 12cm 高 7,5cm

作 五代 清風与平 

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No.47 カリフラワーのポタージュ

 冬が旬のカリフラワー。季節到来で店頭でもよく見掛けるようになった。それにしても、最近のカリフラワーはバリエーションに富んでいる。カリフラワーは白、と決まっていたが今は彩りも形状も色々有って楽しめる。サラダにするなら形状の変わった薄いグリーンのロマネスコ、オレンジイエローやパープルの色のカリフラワーも楽しいが、ポタージュにするならやはり白だろう。

調べてみたらカリフラワーは、アブラナ科アブラナ属で、発祥は地中海東部沿岸地辺り。元々はケールから分化し、ブロッコリーから改良されて生まれた野菜と考えられている、と。日本には明治初期に伝わったが、当時はあまり普及しなかったそうだ。確かに、当時の日本の食生活ではカリフラワーを美味しく活かすメニューは無かったのかもしれない。しかし、ブロッコリーが基と言うのは意外だった。私の記憶の中で、日本ではカリフラワーの方が前からよく食されていて、ブロッコリーは後になってからポピュラーになったという印象がある。

野菜のポタージュは好きで、季節の野菜でよく作る。玉葱と野菜をよく炒めてミルクで煮詰める。ミキサーにかけて濾して濃さを調節して味を整える。バターや生クリームを加えれば更にコクが増す。今頃の季節ならこのカリフラワーか南瓜が美味しい。アクセントのトッピングは、刻みパセリでも勿論良いけれど、今回は断面の形が魅力的なオクラにした。アスパラガスの穂先を繊維に沿ってスライスしたのもアクセントとしてはおもしろい。

両側に持ち手が付いた スープカップ&ソーサー は Susie Cooper (スージー クーパー)。大きさが手頃で気に入っている。ガラス質の釉薬に貫入(かんにゅう)が多く入っていて、ひび割れのように見えるが、これは傷ではない。その貫入に、盛った料理の色が入ると、滲みのように見える。古い食器は、*場合によって漂白剤を使ったり煮沸して綺麗に清潔を保つように気を配るが、このカップの貫入はこれ以上は色が抜けないようだ。あるがまま、今の姿で楽しませてもらおう。

*土物や繊細な器の場合は、薬品や高温を避けるべき物もある。

器 スープカップ & ソーサー  カップ径12,4cm 高4,5cm 皿径17cm

作 Susie Cooper

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No.46 蓮根のきんぴら

 和食のメニューとして定番のきんぴら。中でも牛蒡と人参のきんぴらが一番ポピュラーだろう。私も大好きだ。でも、季節ごとの旬の素材で作ったきんぴらも、とても美味しい副菜になる。

春なら筍。穂先に近い柔らかい部分は何にしても美味しいけれど、繊維が硬く根に近い太い部分は、繊維に沿って細切りできんぴらにしたら適度なシャキシャキ感が良い。独活(うど)も剥いた皮の部分だけをきんぴらにする。どちらも春の香りのきんぴらだ。そして、これからの冬の季節なら蓮根。蓮根は一年を通して手に入るが、旬を迎えた乳白色の瑞々しい蓮根は、酢にしてもきんぴらにしてもシャリシャリの食感が楽しめる。胡麻油に少し唐辛子で辛味を付けて、トッピングにすり胡麻をかけるのが好きだ。この鉢は古染付。このタイプの鉢は比較的多く在るようだ。少し大振りの鉢も我が家で所有している。

少し青みを帯びた薄作りの白磁に、呉須の絵付けが美しい。一段開いた口の作りも広がりがあって、盛った料理が美しく目に飛び込んで来る。地味なお惣菜も器で楽しむ贅沢だ。

器 古染付小鉢 径13cm 高7,2cm

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No.45 ローストビーフ

 ちょっとしたお祝い事で、久しぶりにローストビーフを作った。もっと若い頃は脂の乗った部位を好んで食べていた時もあったが、近頃は赤身肉が美味しい。少し奮発して材料を揃えたら、手を掛けて料理した甲斐のある期待通りの美味しいローストビーフが出来た。

火入れの具合も良かったようで切り分けた肉の色も程よい。が、問題はこのスライス。自分で切るとどうしても厚めになってしまう。お箸でいただくなら本当はもう少し薄めが好ましいと思う。ソースは、ガーリックやバルサミコ酢を使って作る事が多いが、今回は和風に、肉を焼いた時の肉汁に黒酢と醤油で味付けた。付け合わせには野菜のローストを盛り合わせた。

この柘榴を象った染付の皿、石楠花を描いた上に吹墨を散らし、輪郭にも呉須で縁取りをとって際立たせている。私が好きな作家さん、初代 川瀬 竹春の作品だ。箱は二代 竹春の極めになっている。きっと、古染め皿に在るものの写しと思われるが、私はその元祖の方は見た事がなのでよく判らない。竹春がいつも色絵に使うしっかりした呉須の色とは違って、淡いトーンの呉須を使い、優しい表情の皿だ。

器 染付ざくろ皿 五客 径17cm 高3cm

作 初代 川瀬 竹春

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No.44 銀杏

 東京都の木、銀杏。もう少し気温が下がり、青空に黄金色の葉が映える頃、毎年銀杏並木にかなり臭いの強い銀杏の実が落ちていて拾っている方の姿を見掛ける。雨の後などは落ちたばかりの実を見つけて私も拾ったことがある。臭いの原因、周りについた身の部分をきれいに除いて洗って、種にして乾かす。店頭で売っているのはこの状態のものだ。しかし、ここからも手の掛かる作業で、季節の風味を味わいたい一心でその面倒な皮剥きをする。

もちっとした独特の食感。いつ頃から銀杏を美味しいと思うようになったのだったろう。子供の頃は好きではなかった。茶碗蒸しに入っていても、無い方が良いいのに。その分、とろとろの卵の部分が沢山あった方が良いのに、と思っていた。今は自分で作る茶碗蒸しには欠かせない具材だ。銀杏は、軽く焼いたり殻ごと煎って、塩でいただくと美味しい。大人の味。銀杏そのものの味を楽しめる。栄養的な効能も多いが、食べ過ぎは禁物。有害な成分が含まれていて、ビタミンB6の働きを阻害するのだそうだ。食べ過ぎると気分が悪くなったりお腹を壊したりするらしい。季節を味わう食材として楽しむ程度が適量、という事か。

見込みが狭く存在感のあるこの小皿は、北大路 魯山人の作品。土の味が活きて、ヘラで切った縁が勢いと鋭さを感じる。見込みに櫛目の十文字、裏には3箇所の目跡と中央にカタカナのロ。魯山人らしさ溢れる小皿だ。小さいながら迫力のある皿で、大粒で翡翠色の銀杏が映える。

器 瀬戸摺鉢文小皿 径11cm 高2,5cm

作 北大路 魯山人

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No.43 牛すじ煮込

 東京で生まれ育ったので、大人になるまで牛すじという食材を知らなかった。初めて口にしたのは広島を訪れた時、お好み焼き屋さんでの事だった。よく煮込まれて味が染みて、牛すじはとろけるようでとても美味しかった。西日本では昔から好まれていたようだが、その頃でも東京の精肉店の店頭で牛すじは見たことがなかった。部位として一般的ではなかったから、店頭に並ばず飲食店に卸されていたのだろうか。おでんの具材として売っている乾燥の牛すじを買ってみたこともあったが、私が食べたかった牛すじとは違った。それから何年か経って、少し高級なスーパーで生の牛すじを見かけるようになり、買い求めて、みよう見真似で料理するようになった。茹でこぼして灰汁をしっかり取って、圧力鍋で柔らかくしてから料理する。煮込みやおでん、カレーも美味しい。今では地元で手に入るのでありがたい。

私は義務教育の年代に、父の転勤で数年間だけ兵庫県に住んだ事がある。その時、関西と関東、こんなに狭い日本でも文化の違いが大きくあることを知った。親戚関係も関東より北だったので、西に行ったのは初めての事だった。当時、母が作るカレーは豚が普通。関東で肉といえば豚か鶏、精肉店のショーケースに並ぶ牛肉のスペースは狭かった。兵庫に越して、母と買い物に行った時、いつものように豚肉を探したが見当たらない。鶏肉も見つからない。その精肉店のショーケースの殆どが牛肉で、様々なランクと部位が並んでいた。よくよく母と探したら、ケースの端に僅かに豚肉と鶏肉を見つけ、ほっとした思い出がある。そんな大袈裟な、と思われるかも知れない。今では関東でも関西でもそこまで極端な品揃えはしないはずだ。でも昭和50年頃の日本はそんな感じだった。当時、新幹線で3時間の距離で、こんなにも違いがある事を知った。移動時間も短くなり、情報も地球規模で瞬時に伝わる現在では遠い昔のことに感じる。

 厚手の古染めの鉢に牛すじと盛り合わせたのは、大根と比婆の蒟蒻。私が好んで作る牛すじ煮込みの組み合わせだ。味の染みた大根と、とろとろの牛すじ。秋も深まって、熱々の煮込みが美味しい季節になった。

器 古染め鉢  径17cm 高7,5cm