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No.148 饅頭

 この、鶏の絵の可愛らしい皿は第11代 楽 吉左衛門(慶入)の作。昔のオランダ焼きに、鶏がモチーフの似た意匠の皿が有る。慶入はそれを模してこの絵皿を作ったと思われる。

 オランダ焼きは江戸時代、交易船で運ばれて来た陶器で、デルフトなどオランダ各地の窯で焼かれた陶器を積んで来たため、総称してオランダ焼きと呼ばれるそうだ。東洋ほど技術が進んでおらず、磁器が確立する以前のヨーロッパでは、土に白い釉薬を纏わせて磁器のような白を表現し、その上に絵付けして東洋磁器を真似ていた。それはそれ、素朴で温かみのある陶器で私は好きだ。イタリアやギリシャなど、今もぽってりと厚めの白い釉薬を掛け、その上に色で模様を付けた素朴な器を作る窯が各地に残っている。当時のヨーロッパは東洋を模して作った。それが逆輸入で交易船に乗って日本へ渡り、茶人や数奇者に大事にされていたのだろう。どこで慶入の目に留まったのだろうか。

この皿は、鮮やかな色の鶏の絵柄がまず目に飛び込んで来る。この乳白色の肌の楽焼は以前から有るけれど、この素朴な絵柄を見たのは初めてだった。

楽の器は焼きが甘いので柔らかく、色も染みやすいのでこの皿には気を使う。汁のある物には使えない。以前にもこの皿にお菓子を載せたことがあるけれど、中々しっくり来なかった。しかし、このお饅頭をいただいた時にこの皿が思い浮かんだ。盛ってみたら、艶のある黒糖色のお饅頭の存在感が、この皿の質感と色に良く似合う。ひとりでに笑顔が溢れた。

器 阿蘭陀写 鶏菓子皿  径13cm 高2,5cm

作 第11代 楽 吉左衛門(慶入)

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No.147 鰤大根

 鰤(ぶり)の旬には少し早いけれど、魚屋の店先で天然鰤のあらを見つけたら鰤大根が食べたくなった。昼間は秋晴れで金木犀が香る気持ちの良い日でも、朝晩は手足が冷えて急に暖かい煮込み料理が恋しくなる。

鰤は一度塩をして熱湯にくぐらせてから水洗い。血あいなどを除く事で臭みを取る。大根は切った時の包丁の通りが柔らかく、煮ると芯まで蕩けそうに柔らかい。鰤の旨味が沁みて美味しくなった。

厚手で力強い、交趾(こうち)焼の鉢は第12代 永楽 善五郎、和全の作。大きく鉢を二分する入(にゅう)は、焼成の過程で出来たものだろうか、金で直してある。箱も無いし、焼き上がりで傷が有るために外されたのを、何方かが直して使ったのかもしれない。長くこの金継ぎされた入と共に使われ、大事にされて来たのだろう。古い金直しもこの鉢の一部として馴染んで、鉢に風格を与えているように見える。

器 紫交趾 鉢  径19,5cm 高9cm

作 12代 永楽 善五郎 (和全)

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No.146 落ち鮎

 ちょっとしたご縁で知り合った方から、鮎を送っていただいた。岐阜で採れた天然の鮎。今時、天然の鮎はとても貴重。10年くらい前までは時々鮮魚店の店頭で見つける事もあったけれど、今時は並ぶのは養殖物ばかり。養殖の鮎も遜色なく美味しいけれど、天然の鮎は香りが違う。

この時期特有の、腹が蜜柑色に染まった落ち鮎は、鮎の旬とされる6月、7月の若い鮎とは違う美しさと味わいが有る。川を遡りこれから成長する鮎と、藻を沢山食べて大きくなり、今度は産卵のために川を下る鮎。美味しさでは賛否両論あるようで、その大きなお腹には卵や白子を抱えている。内臓はどこに行ったのかしら、と思うほどお腹は卵でいっぱい。香りが強く脂の載った若鮎を楽しむか、身と同じ程の卵を持った落ち鮎を味わうか、好みが別れる事もあるらしい。

私は、この卵を抱えた鮎で作る鮎ご飯が好きだ。塩焼きの鮎を多めに焼いて、何匹かを研いだお米に載せて炊く。頭や骨を外してご飯に混ぜ込んでいただく。いただいた鮎を贅沢に使って、塩焼きと共に鮎三昧にした。

塩焼きの鮎を乗せた呉須染付の大皿は、ホツ(欠け)や入(にゅう)の傷が有るけれど、堂々とした風格のある所が気に入っている。中国漳州窯、呉須赤絵などと同じ窯で、明末清初の頃の皿だ。土の上に白の釉薬を掛け、呉須で花が描かれている。呉須の色は少し濁っているけれど、それはそれで灰色がかった地の色と馴染んで美しい。

器 染付大皿  径27,5cm 高5cm

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No.145 栗ご飯

 10月になり、空が高く秋らしい晴天が訪れた。窓を開けるとどこからか金木犀が香る。この季節には栗ご飯。四季折々の旬の料理は私たちの生活に深く溶け込み、季節の移り変わりを感じさせてくれる。

栗は、剥く作業も大変ながら火の通し加減が難しい。硬めに仕上げれば見た目が綺麗だけれど、食感は柔らかい方がご飯と馴染む。でも柔らかすぎると栗が崩れてしまって見栄えが良くない。適度に柔らかく形良く作るのが難しい。今回は大きくて立派な栗だったので少し硬めに仕上がった。

この真塗りの漆の椀は、箱に八田 円斎(はった えんさい)の名が入っている。陶芸家で、漆をする人ではないはずなのに、と不思議に思った。

八田 円斎は1863年石川県で生まれ1936年(昭和11年)73歳で亡くなった。東京に出て古美術商を商いながら戸越銀座の藤井 長作の窯を受け継ぎ、八田窯を立ち上げた。裏千家13代、円能斎の円の字を賜り、円斎としたそうだ。京焼風の上品な茶道具や器を作る方で、我が家にもいくつかお気に入りの器が在る。

で、この漆の椀。当時は自作でなくても八田 円斎の名で出す事が有ったのだそうだ。事情は詳しく解らない。箱にはこの漆椀が誰の作かの明記は無い。今で言うと、セレクトショップが他社の商品を自社ブランドを付けて販売する、ようなものだろうか。しかしながらこの漆椀、木地や塗りの薄さと共に、時代を経て少し透ける真塗りはとても美しく、当時『西の宗哲、東の喜三郎』と言われた同時代の塗り師、渡辺 喜三郎の作かと思われる。

器 黒小丸椀  径 13cm 高 6cm (8,5cm 蓋込み)

作 八田 円斎

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No.144 栗と鶏の煮物

 例年になく特別に暑かった夏は、まだ暑さを保ったまま。とは言えもうすぐ10月で今日は中秋の名月。生鮮食品の店頭には秋の味覚が並んでいる。とにかく皮を剥くのが大変な栗だけれど、やはり秋には食べたい、と頑張って皮を剥いた。月のように丸くて黄色い栗を、丸くて黄色い南京の鉢に盛った。

 今年の中秋の名月は、昨年、一昨年に続き3年連続で実際の満月と重なるそうで、次は2030年、7年後になるそうだ。宇宙の運びは私には難しくてよく解らないが、その神秘的な星の並びのストーリーには心惹かれる。地球では太古の昔から、どう頑張っても手の届かない月を見上げ続けて来た。その月に人類が一歩を刻んだのが50年ほど前だろうか。今や移住計画まであるほど、謎が解き明かされて来たけれど、見上げる月は昔も今も変わらず、宇宙の物語の壮大さに夢を感じる。

 黄南京とは、中国磁器でこの黄色い釉薬を掛けたものの事を言う。当時、中国を南京と呼んでいた頃の日本人が付けた呼び名だろう。多くは清朝の時代に作られたものが多いそうで、それより以前の時代となると、滅多にお目にかかる事は出来ない。

この鉢は本家(ほんか)の中国、時代は清朝の物と思われる。日本の陶芸家にもこの美しい配色に倣って、作品を上手く作られる方々がいらっしゃる。そのおひとり、古余呂技窯の川瀬 竹春は私の大好きな作家さんで、この黄南京に倣った色使いの素敵な作品を多く残している。以前No.58(2022/2/4)の回では、我が家にある八角皿を使った。

この鉢は大きく緩やかな輪花の曲線を描く。少し肉厚で粗さの透ける土肌に、発色の良い黄色と緑の釉薬が美しい。食卓に載るだけで、気持ちも明るく、暖かくなるような、そんな器で今夜の月を楽しむのも良いだろう。

器 黄南京 輪花鉢  径21cm 高8cm

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No.143 南瓜のケークサレ

 久しぶりにケークサレを焼いた。南瓜(かぼちゃ)を入れたら美味しいかしら。と試してみたら、生地に混ぜ込んだ粉チーズやベーコンの塩味と南瓜の甘さが良いバランスで、秋らしいケークサレになった。カリフラワーとウィンナーのグリルやサラダと盛り合わせてブランチ用のひと皿にした。

 この器はPOOLE。1873年創業のEnglandの陶器メーカーのもので、時代は重ならないかも知れないが、以前No.72  (2022/5/13 )とNo.127 (2023/6/2)の回で登場している小皿と同じメーカーだ。

ベースの色が薄いサーモンピンクをしているこの皿は、盛る料理によって色が馴染み過ぎ、美味しそうに見えなかったりする事があるのだけれど、この位ボリュームたっぷりに料理を盛り合わせると美しく引き立つようだ。器は、使う度ごとに違う表情が現れて楽しませてくれる。

この見込みの絵柄の鹿は、同じ頃 England を代表する人気の陶器のブランドだった Susie Cooper のアイコンとよく似ている。初めて見た時、裏を返すまでは Susie Cooper かと勘違いした記憶がある。この皿の作られた年代や経緯は不明だけれど、我が家では同じサイズの Susie Cooper の皿と棚の中で重なり合い、その時の気分とメニューで使い分け、楽しませてもらっている。

器 鹿柄プレート 径23,5cm 高2cm

作 POOLE (England)

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No.142 ぬれ甘なっと

 70年続くという、小豆を甘く炊いたぬれ甘なっと。その味を守り続ける調理の工程には、企業努力と多くの工夫が有るのだろう。小豆だけでなく、甘納豆は他の種類の豆でも色々有るけれど、私の好みは小粒な小豆の甘納豆。親の世代にもこのぬれ甘納豆のファンは多い。

 日本では世界各国のスイーツが次々と流行り、間も無く別のスイーツに移り変わって行く。スイーツにそれ程の情熱が無い私は、知らぬ間に流行りが移り変わっている。小さな面積の流行りのスイーツ屋さんが、オープンしたかと思うと試す間もなく別なスイーツ屋さんになっていたりする。スイーツ好きな人々のそれを探求するエネルギー、ただ『すごいなぁ』と感心するばかりだ。

この京都、粟田焼の小皿はとても繊細。きめの細かい土、甘めの焼きなので沁みやすい。色のある汁の物はもちろん、小皿だけれど醤油などは入れられない。いつの時代の誰の作、などは判らないが、鉄釉と呉須でさらっと描かれた秋草が美しい。この色使いと細い線で描かれた絵は、粟田焼の特徴。生地を成形して下焼せずに生掛けにしているから、だろうか。所々釉薬が爆ぜていて少し残念だけれど、地肌が露出している所は更に沁みやすいから、水分の無いお菓子などを盛る時に使っている。

器 粟田焼 小皿  径9,5cm 高2,5cm

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No.141 白瓜とわかめの酢の物

 瓜科の野菜は結構多い。胡瓜に冬瓜、南瓜、ゴーヤ、メロンやスイカ。胡瓜に近いように思うズッキーニは、瓜科の中でも南瓜属だそうだ。我が家でも頻繁に食卓に登場する野菜が多いのだけれど、今日の白瓜は今まで自分で料理に使った事はなかった。白瓜の漬物は好きで見つけると時々買うのだけれど、素材としては使った経験が無い。今時期はよく八百屋で見かけるようになったので買ってみた。

レシピを探すとやはり浅漬けなどの漬物が多い。でも、ちょうど生わかめが手元に有ったので一緒に酢の物にした。白瓜は種と綿を取って薄く切ってから、少し塩をして暫く置く。淡い緑の果肉が半透明に透き通って美しい。見た目で想像した通りのシャキシャキした食感。胡瓜よりもきめの細かい果肉で、青臭さも少ないようだ。今や胡瓜は一年を通して手に入るけれど、この白瓜は季節感が味わえる。今後は私のレパートリーに加わる事になりそうだ。

絵がわりの器は白井 半七の汲み出し茶碗。(白井 半七の器は、No.56, No.132でも登場)小鉢として使いやすい形と大きさ、深さだったので小向こうに使った。手前は酢の物、奥の器にはとろろを盛った。初めは5脚か10脚揃っていたのだろうけれど、今の我が家には4脚だけある。半七が得意とする乾山風の絵はもちろん素敵だけれど、見込みの、轆轤目が浮き出た僅かな凹凸に釉薬が溜まって淡いブルーのガラス質が透けた肌は、その絵を更に引き立てる。本体の質感や大きさの上に、軽いタッチで描かれた絵の技量、さすがは白井 半七と改めて魅入る。

器 乾山風 絵がわり 汲み出し茶碗  径9cm 高6cm

作 白井 半七

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No.140 アボカドと蟹のサラダ

 パッションフルーツをいただいた。旅で南国へ行った時に食べた事はあったけれど、日本で自分で買った事はなく、今や日本でも栽培されていて、島とはいえ東京都産まで有ると知って驚いた。硬い殻の中に在る甘酸っぱい果肉はきれいなオレンジ色で、黒い種が混在する。良く知る大抵の果物は、中心に種が有るのが普通だけれど、これは柔らかいゼリーのような果肉に粒の種が混じっている、なんとも不思議な果物。種は硬くなく、カリカリした食感で果肉と一緒に食べられる。そのままで勿論美味しいけれど、甘酸っぱい果肉を使ってドレッシングを作ってみた。

深いワインカラーが美しい、しっかりした殻を切ってみる。果肉はきれいに取り出せて、殻の内側は柑橘類と同じような乳白色。これは素敵な器になると思いついた。アボカドと蟹のほぐし身のサラダを盛り付け、ドレッシングはパッションフルーツを生かしてあまり味を加えず、オリーブオイルと僅かな塩を加えただけ。ちょっとお洒落なオードブル風のサラダになった。

このガラスの皿は日本の切子。少しブラウンがかった、精製の度合いは高くないガラスだけれど、それが柔らかさと温かみを感じる。時代も作者も判らないけれど、ひとつひとつ、職人の手で削られた素朴なカットがこのガラスの皿と調和して、愛おしさを感じる。

器 ガラス切子皿  径12,5cm 高2,5cm

作 不明

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No.139 だだ茶豆

 枝豆の中でも、味が濃くて美味しいただ茶豆。昨年の9月、No.89の回でも登場したのだが、夏が終わりに近づいた今頃からがただ茶豆の旬で、いつもこの豆が出始めるのを楽しみにしている。もう20年程前だろうか、まだ関東の八百屋の店頭で、ただ茶豆は出回っていなかった。山形県の知り合いから頂いたという豆を少し分けて貰ったのが初めてだった。普通の枝豆より鞘は小さく、鞘の毛が強く、全体に茶色っぽい。今にして思えば、それは原種に近い物だったのだろう。

見た目は決して良くなかったけれど、食べてみて驚いた。こんなに美味しい枝豆を食べたことはなかった。最近の山形県のただ茶豆は見た目も綺麗になった。品種改良や、育て方など随分と気を使われたのだろうと思う。枝豆は、どれも大豆になる前の成長過程を収穫したもの。茶豆の名前の由来は、鞘の中の薄皮が茶色っぽいのと、豆によっては鞘の毛も茶色をしているからだそうだ。そして鞘の状態で豆の形が浮き出ていて、凹凸がはっきりしているのも特徴。今年もこの豆の季節が来たと感じる。

 器にした手付きの桶は、たる源のもの。江戸末期に京都で始まった桶屋で、創業の頃は風呂桶や酒樽などを使っていたそうだが、その後は器や酒器、花器などの工芸的要素の強い、繊細な作品を作るようになった。

『桶』とは短冊形の板を円筒形に並べた外側を、竹や金属の箍(たが)で締めた器のこと。プラスティック製の台所やお風呂用品が出来る以前は、生活の必需品だった。安価で扱い易いプラスティック製品が出回る中で、今や木の温もりを求める人達の贅沢品のようになっている。

この手付の桶はいつだったか、ぐい呑と一緒に我が家に来た。とても木目の細かい木材を削り、継ぎ目が判らないほど精密に組み合わせてある。そしてそれを止めている『箍』の繊細さにも目を目張る。綱状の美しい細工はアクセサリーにしても良さそうなほど。冷奴を盛っても映えるだろう。夏の涼を感じさせる器で贅沢なひと時を過ごした。

器 手付き桶  径9,5cm 高4,5cm(手込10cm)

作 たる源