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No.138 万願寺とうがらし

 大きくて厚めの果肉が特徴の万願寺とうがらし。この形と色から、辛そうな印象があるけれど、甘みのある優しい味わいで美味しい。グリルで焼いて、少し焦げ目が付くくらいが香ばしく、削り鰹にお醤油を少し垂らしていただく。煮浸しにしても美味しいけれど、私はこの食べ方が好きだ。

小鹿田焼(おんたやき)は、こんな素朴な料理が似合う。この皿は、30年ほど前に購入した物。近頃は、関東でもよく出回るようになった。それもファッションビルにあるオシャレな和食器や雑貨を扱うお店だったりする。若い年代層の眼にも触れるようになり、意匠やアイテムも増えたが、鉋や指で独特の模様を作り出す丁寧な手仕事は、小鹿田ならでは、の持ち味と思う。

小鹿田焼は、320年近く前に大分県日田市で始まった。宝永2年(1705年)幕府直轄領内の生活雑貨を供給するために作られた窯で、現在でも日田天領の地に10軒の窯元が存在するそうだ。元々、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼の分窯として始まり、小石原焼に用いられる技法の影響を強く受けている。昭和6年には日本の民藝運動の主唱者である柳 宗悦、29年にバーナード・リーチも訪れ、小鹿田焼の魅力を絶賛したと伝えられている。

素朴な普段使いの『民陶(みんとう)』ではありながら、開窯当時からの焼き物の技術や伝統は未だに一子相伝で、かたくなに守り続けられていると聞く。そんな歴史の有る焼き物だけれど、古い物が残っていない。少なくとも私は見たことがなく、普段使いの食器は消耗品だから、なのだろうか。数百年前の小鹿田焼、残っていたら見てみたい。

器 小鹿田焼 飛び鉋 櫛描き 皿  径15cm  高3,5cm

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No.137 焼き餃子

 餃子は好きで、よく焼いて食べる。皮に包んで自分で作ることもあるし、有名店の冷凍や、専門店の生餃子を買ってくることもある。今日は、近隣の専門店の餃子を焼いた。家で作る時、皮から作る事は滅多にないけれど、作りたての皮はもちもちしていて市販の皮を使うのとはやはり違う。この専門店の餃子は自家製の皮が美味しい。それもそのはず。買いに行くと、脇の厨房では小さい綿棒で皮を伸ばしながら餡を包んでいる。その作業を横目で見ながらレジで購入する。

説明書通りに焼く。皮はふっくら、底はカリカリで箸が止まらない。やはり白いご飯が欲しくなる。日本では焼き餃子はご飯のおかずで定着しているけれど、本国の食べ方は違っている。小麦粉の皮は、言わば麺類と同じだから、餃子だけでおかずと炭水化物が完結している、と。確かにその通りと納得する。でも、欲しいものは欲しい。日本の文化では、ラーメンライスや、お好み焼きとご飯などもアリ。何でも白いご飯のおかずになる所がおもしろい。

この皿は真葛窯のもの。しっかりした呉須で描かれた五本爪の龍が立ち上がり、皿いっぱいに身体をくねらせている。皿の見込みは緩く湾曲して少し深さが有るが、縁は少し広めの幅で水平に張り出している。この形状だと中華料理を盛りたくなるから不思議。冷めないうちに、と頬張る。

器 龍染付皿 径22cm 高3,5cm

作 真葛窯 六代 宮川 香齋

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No.136 鯛と帆立の昆布締め

 笹の葉を模した青磁の長皿。色や葉先の切れ込みで、見た目は軽やかだけれど持ってみると厚手でどっしりした安定感が有る。

実家で昔から使っているこの皿は、刺身を盛って食卓に載る事が多く、数種類の刺身を盛り合わせるのに丁度良くて使いやすい。特に今頃の時期にはこの青磁の色と、水滴が似合いそうな笹の葉の意匠が涼しさを感じさせてくれる。

この皿は、二代 宮永 東山(1907-1995)のものと思われる。初代 宮永 東山(1868-1941)は、石川県の藩士の家の生まれで、東京ドイツ全修学校(東京横浜独逸学園1904年9月20日開校 の事だろうか。詳細は不明)卒業後、海外貿易に従事。その後フランス語も学んで東京美術学校校長 岡倉 天心の助手を務め西欧諸国の美術施設の調査にも従事したという。帰国後京都に移り、後に自身で窯を開くに至る。東山の名は、岸田 露伴によって命名され、これを陶号としたらしい。初代 東山は青磁を得意とし、二代もそれを継いで青磁、染付け、色絵などを得意とし『食器の東山』と呼ばれたそうだ。

 盛り合わせたのは、鯛と帆立貝柱の昆布締め。鯛はひと晩、帆立は数時間だけ昆布に挟んだ。水分が適度に抜けるので甘味が引き立ち、昆布の旨味が加わる。冷蔵庫で冷やしておいたお皿に盛り合わせ、冷酒と共にいただくと、少し汗も引いてほっとする。

器 青磁 笹の葉長皿  径27x11cm 高2,5cm

作 宮永窯 二代 宮永 東山

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No.135 鰻丼

もうすぐ土用の丑の日。夏の暑さに負けないよう、滋養強壮に鰻を食す習慣がある。この、鰻を食べる習慣は江戸時代後期に始まったものらしい。元々、丑の日には『う』の付くもの、という事で『瓜』や『うどん』が食べられていたそうだ。いつの頃からか、夏バテ予防にもなる栄養豊富な鰻が定着したらしい。

 食材としてのうなぎの歴史は、5000年前の縄文時代に遡ると聞いて驚いた。貝塚から、自然に死んだ骨格ではなく調理して食べた残りの骨の状態で見つかっているそうだ。万葉集にもうなぎを食べていたと判る歌があるらしい。当時はどんなにふうに料理していたのだろうと想像が膨らむ。とは言え、うなぎが本格的に食べられるようになったのは江戸時代。家康が江戸の開発を進めていた際に、干拓によって出来た湿地にうなぎが住みついた。そのうなぎが当時の労働者に、食材として定着していったそうだ。それだけ当時は野生のうなぎが多く居たのだと驚く。今や天然のうなぎは高嶺の花で中々手が出ない。しかし、当時はまだ捌き方や料理法は確立していなかっただろうから、少し泥臭の残るものだったのかもしれない。その後、長い江戸時代の間に試行錯誤し『鰻』の美味しい調理法が確立されたのだろう。

 漆の蓋のあるこの器は、杉田 祥平の黄南京。箱には向丼と書いてある。丼には少し小振りなので向附けの名も入れているのだろうか。少し粗めの土の肌に黄色の釉薬が透けて、そのむらのある質感に柔らかい印象を受ける。彫刻されて窪んだ線に釉薬が溜まって、5本の爪の龍が浮き出している。現在は4代がご活躍の清閑寺窯だが、この器は先代に当る 3代 杉田 祥平 の作と思われる。

器 黄南京 龍彫刻 向丼 漆蓋  径14cm 高7,2cm(8,5蓋込)

作 清閑寺窯 杉田 祥平

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No.134 白玉団子

 毎年、暑い季節に一度は作る白玉団子。粉を練って茹でて、プカプカ浮いて来た白玉を氷水に取って冷やす。餡は大抵は市販の缶詰などを使うけれど、こちらも冷たく冷やしておいて盛り合わせる。出来立てのモチモチ感がたまらなく美味しい。暑い日でもすーっと汗が引いてほっ、とひと息つく。

 伊万里焼は我が家には少ないのだけれど、その中でお気に入りの蓋付きの向附を使った。5つ組の中の2つには金直しがしてある。本体に細い入(にゅう)とホツ(欠け)が有り、それぞれに金継ぎの直しが施されている。大切に使われて、愛されて来たのだと感じる。最近は『金継ぎ』が流行っているようで、習い事の中にもランキングされたりする。傷が出来ても大事に使うのはとても喜ばしい事だし、直してでも使いたいと思う器に出会えるのも幸せな事だと思う。私には大事で大好きな器が沢山あって、贅沢な事だ、と今更ながら改めて感じる。

器 伊万里焼 色絵蓋付向附 径9,5cm 高5,5cm(蓋込 7cm)

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No.133 玉蜀黍のかき揚げ

 ずいぶん前の話だけれど、夏場に行った天麩羅屋で玉蜀黍のかき揚げが出た。玉蜀黍は好きで、よく買って茹でたりしていたけれど、天麩羅はその時初めて食べた。甘い粒が口の中で弾けて、少量の塩が更に甘さを引き立てる。美味しくてそれ以来、家でも作るようになった。

夏野菜は天麩羅にするととても美味しい。特に茄子は欠かせない。他には南瓜やアスパラガスも好きだが、今日は隠元豆を揚げてみた。海老や烏賊などの魚介類が無くても野菜だけで満足。冷たいビールといただくと暑い日でも食欲が増す。

この皿は古染付で、見込みの中央に枝を張った松が描かれ、少し立ち上がった縁は祥瑞になっている。幾何学模様の他に竹と梅が描かれて松竹梅が揃う。輪花になった皿の縁には鉄釉で茶色が回してある。この手法を口紅、と呼ぶらしい。我が家にある古染付の皿の中では、しっかりした作りと几帳面なフォルムで力強さを感じる。

器 古染付皿  径20cm 高3,5cm

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No.132 ちらし寿司

 度々食べたくなる料理にちらし寿司がある。酢飯が好きな事もあるが、この季節にはさっぱりしていて食欲が落ちていても食べやすい。新鮮な海の幸は無くても、大葉や茗荷、白胡麻を混ぜ込んだ酢飯に、錦糸卵を乗せただけでもさっぱりして美味しい。今日は先日買って、甘辛く炊いておいた穴子も混ぜ込み、雲丹といくらを飾った。

盛り付けたのは、8代 白井 半七の鉢。白の釉薬の上に朱の色が映える。鉄釉で描かれた花と、見込みの寿の文字がとても柔らかく、優しい。見ていて飽きない私の大好きな器だ。

白井半七は、1680年代江戸の今戸村で今戸焼の土風炉を作ったのが始まりとされている。7代の時、関東大震災で被災し窯を兵庫県伊丹市へ移し、この8代で宝塚市へ移転した。以前、2022年1月、No.56の回で同じ白井 半七の小鉢を使った回にも書いているが、乾山の写しを多くしている。私もこの半七の器は大好きで、とても大事にしている。

器 赤地草花紋寿鉢 径17cm 高8cm

作 第8代 白井 半七

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No.131 冷やし茶碗蒸し

 熱々の茶碗蒸しはとても美味しいけれど、今頃の急な蒸し暑さだと、冷たいメニューが欲しくなる。卵豆腐をイメージして、冷たい茶碗蒸しを作った。プルプルの食感を生かして具材は入れず、トッピングは少し贅沢に生雲丹を飾り、少し濃いめの味付けの餡を掛けている。

この『のぞき』は荒川 豊蔵の作。釉薬を掛けた時の指の跡、流れた釉薬の垂れも有って、表情が豊かな器だ。鉄釉で素朴な線描きの絵柄が四面に、思い思いに描かれているのだが、その何気なさが様になるのはとても難しい。小さい器でこれだけの存在感を感じさせてくれるのは、さすがに作り手の貫禄を感じる。

のぞき、とは径が小さくて深い形の向付けで、料理を覗き見るようになる事から来た名称だそうだ。元は、お造りを付ける煎り酒やお酢を入れたものだったと言う説もある。少しの量のお料理を、名前の通り覗き見るように盛り付けると、お料理屋さんのようにオシャレで素敵だけれど、私は今回のように小振りな茶碗蒸しや、ぐい呑み、湯呑みにも使って楽しんでいる。

器 鉄釉 向付け  径7cm 高8cm

作 荒川 豊蔵

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No.130 鯵の南蛮漬け

 鯵で好きなメニューは、刺身になめろう、塩焼き、そしてアジフライ。どう料理しても美味しい。豆鯵なら唐揚げも良いし、残ったらそのまま南蛮漬けにしたりする。今回は甘酸っぱい味が欲しくなって、3枚におろした鯵で南蛮漬けを作った。

 梅雨の蒸し暑い時、酢を使った料理は日持ちもするしクエン酸は疲労回復にも効果が有る。私達に僅かに残っている野生的な本能は、身体が欲する酸味を求めているのかもしれない。本来、動物は酸っぱい匂いは敬遠する。自衛本能で、腐敗した食物を嗅ぎ分けるためだという。でも二足歩行を手に入れ、脳が飛躍的に大きく進化した人類は、身体に有効な酸味と、有害な酸味を区別する術を身につけたそうだ。すごい事だと思う。

鯵は卸した半身を食べやすい大きさに切って、唐揚げに。野菜も軽く素揚げして熱いうちに漬け汁に入れる。野菜は、パプリカと黄色いズッキーニ、ししとうを盛り合わせた。酢が入っているので、ししとうの鮮やかな緑は色褪せてしまうけれど、しんなりした甘酸っぱいししとうも美味しい。

この木の葉を象った皿は、須田 菁華のもの。初代か2代の作かは定かではない。磁器に呉須で絵付けした、古染を模した作品が多く、私も好んで使っている。裏には脚が3本、脚の高さがあって食卓では高低差が出て変化が付く。緩く抱えた見込みはおおらかさを感じる。

器 木の葉皿 径21×11,5cm 高5,5cm

作 須田 菁華 

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No.129 破竹のきんぴら

 『破竹の勢い』と言う言葉は昔から知っているけれど、この言葉の元となった『破竹』が何なのか、またどんな字を書くのか。まで深く考えた事が無かった。すごく勢いよく、と言った意味あいだろうと漠然と思っていた。先日、地元の八百屋に行ったら店先に見た事のない細い、紫がかった茶色の筍が並んでいて、商品名の札に『破竹』とある。あまり出回っていないのか、初めて見る筍だった。『はちく』と聞けば自然と『破竹の勢い』が連想され、八百屋のお兄さんに聞くと、そうそうその破竹、と言う。調べたら、竹は最初の一節を割るとあとは一気に割れる事から、勢いが激しくてとどめがたいこと。と有る。竹を割ったような性格、と言う言葉も有るが、真っ直ぐで迷いの無い様子がうかがえる。

調理の仕方を尋ねると、柔らかくて灰汁が少なく、いわゆる孟宗竹の筍のように下茹でなどの処理は不必要、そのまま料理に使えると言う。〝やってみたがり〟の私は早速買って帰った。その日は穂先に近い部分を天麩羅にし、(前回No.128の回で掲載)残りの下の部位できんぴらを作った。聞いた通り、灰汁も繊維も無くて柔らかい。少し唐辛子を効かせてピリ辛の美味しいきんぴらになった。

 この青磁の小鉢は現代陶芸作家、古川 利男さんの作品。昭和24年生まれ、京都 清水焼の陶芸家で、利宋窯という窯で作陶、氷裂青磁を得意とする。我が家にひとつだけ在る古川氏のこの小鉢は、食卓に載るたびにその氷裂の幾何学模様と色の美しさで食卓にメリハリを与えてくれる。

器 氷裂青磁 小鉢  径10cm 高7cm

作 利宗窯 古川 利男