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No.172 筍煮

 お花見と筍は春の楽しみ。今年は気温が低く、桜の開花がここ数年より遅く4月にずれ込んだのと同様、例年届く合馬の筍もいつもより遅く、やっと届いた。遅め、とはいえ大きく育った筍を、着いた日はまず糠と鷹の爪を入れて茹で、そのまま一晩置いて翌日さっそく頂いた。柔らかくて香りが良い。

庭では、細いただの棒のようだった小さい山椒の木から、一週間ほど前に文字通り木の芽が出始めた。日々驚く速さで葉が育ち、筍をいただく時に丁度よく柔らかい葉が育った。筍と山椒の葉、昔から味覚や見た目の相性は、旬を迎えるタイミングが揃う事から結び付いたのだろうけれど、今や”つきもの”。その年によって生育が遅かったり早かったりするけれど、結果的にほぼ足並みが揃う。自然の摂理ってこういう事、と思う。

 器は初代 三浦 竹泉(ちくせん 1853~1915)の鉢。初代 竹泉は13歳で3代 高橋 道八に弟子入り、1883年(明治16年)に独立して、京都五条坂に窯を構えた。ヨーロッパの色彩を磁器に取り入れるなど、京焼の改良に貢献した。染付、祥瑞、吹墨、色絵、金蘭手など作品は繊細で多彩。書画を好み、煎茶道具を多く作っていて煎茶の世界では良く知られている。5代 竹泉は2021年に亡くなっていて、6代襲名はまだされていない。

 この鉢は、薄手の白磁で使い勝手の良い大きさだ。外側は華やかな色、見込は白磁の白。何を盛っても良く映えて、とても使いやすい。明るい緑と黄色は菜の花を思い起こさせ、やはり春に使いたい器だ。盛り付けが難しい筍を欲張って山に盛り、掌で軽く叩いて香りを立てた木の芽を乗せた。見た目も香りも春を感じる一品になった。

器 緑瓷黄釉文 盂(う 鉢) 径17,5cm 高9cm

作 篩月庵 初代 三浦 竹泉

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No.171 飛龍頭

 飛龍頭と書いて “ひりょうず“ または “ひろうす“ と読む。これは主に関西圏の呼び方で、関東では “がんもどき“ 或いは省略して “がんも“ の名で、おでんや煮物の具として一般的に料理に使われる。豆腐料理だから、油揚げと共に豆腐屋さんで買い求めることが出来る。なぜ、関西と関東で全く呼び名が違うのか、少し調べてみた。

『ひりょうず(飛龍頭)はポルトガル語の ”Filhós(フィリョース)” に日本語の音を当て、漢字で表記したもの。“Filhós” はポルトガルの伝統菓子で、戦国時代に日本に伝わったとされる』とある。材料は小麦粉で、大豆由来の飛龍頭とは全く違う食べ物だったはずが、おそらく見た目と油で揚げた共通点からこう呼ばれるようになった、と考えられているらしい。

一方 ”がんもどき“ は、『江戸時代に考案された精進料理で、もともと材料は豆腐ではなくコンニャクで、味が雁(ガン)の肉に似ているからそう呼ばれるようになったと言われています。しかし、いつからコンニャクが豆腐に変わったのか、なぜ ”がんもどき“ と ”ひろうす” が同じものになったのかなど、はっきりした由来は現在も謎のままのようです』

“がんもどき” とはそのままの意味だったのか、と驚いた。そもそも昔は、鶴も食べていたと聞くから雁も今で言うジビエで、猟師が仕留めたもので、一般に流通していた訳では無さそうだし、きっと貴重な動物性たんぱく質として高級な食材だったのだろうと推測する。しかしその頃の材料は蒟蒻、となると当時の “がんもどき” の味は知る由もない。

と、由来の話が長くなったが、揚げたての飛龍頭を食べたくなって、前日に煮たひじきと銀杏を入れて作ってみた。木綿豆腐の水をよく切って裏漉しし、すりおろした山芋、卵とひじきを加えて混ぜて丸めて揚げる。おろし生姜と醤油で揚げたてをいただいた。果たして鴈の肉はどんな味だったのだろう。

 盛った器は、我が家ではかなり初期から在る古染付の皿。少し縁高で、取り皿としても果物やお菓子を盛るにも使いやすい。見込みの絵は、花が咲いて実がなって、鹿が居て長閑な自然の森を思わせる。もしここに鴈が飛んでいたら面白いのに、なんて考える。

器 古染付皿  径13,5cm 高3cm

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No.170 筍と菜花の胡麻だれ

 旬とは言え、まだ八百屋の店先に並んでいる筍は小振り。柔らかくて灰汁も弱く、優しい風味で春そのものを食べているようだ。サラダ風にそのものの味を楽しみたくて、塩茹でした菜の花と盛り合わせて胡麻だれでいただいた。白のねり胡麻を出汁で伸ばして、少しの塩と砂糖、米酢で味付けた。和えずに掛けただけなら野菜の色も楽しめる。

 盛った高取焼の皿に瑞々しい野菜が映え、白胡麻のたれは釉薬の色とも馴染んで、こんな使い方も良いかしら、と嬉しくなる。この器は、高取 重定(しげさだ 本名 源十郎)の作。天保6年頃の事らしい。それ以外の詳しい情報はわからないけれど、この皿は私が思っていた高取焼の印象を大きく変えた。

粒子の細かい土を使う高取焼は、土の滑らかな地肌に釉薬が馴染み、備前や信楽、唐津などに比べて土物(つちもの)の割に上品で力強さに欠ける、と思っていた。お茶の世界では小堀 遠州が好んだことからお茶入れや花器、水指など使われるけれど、料理の器はあまり多くないし、つるんとした印象で器としての高取焼には興味が無かった。だがそれは、この舟型の高取焼に出逢うまでの話。滑らかな土だからこそ、薄作りの繊細なディテールとシャープなシルエット。丸くて小さい3つの脚に支えられて浮かぶ舟の姿に惚れ惚れした。この小さな舟に、次は何を盛ろうか考えるとわくわくする。

器 高取 足付舟形皿

作 高取 重定

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No.169 大根の浅漬け

 友人から、庭で収穫した大根をもらった。大きめの人参位の大きさで、大根としては小振りだけれど、大きく茂った瑞々しい葉がついていた。包丁の通りが柔らかく、そのままで美味しそうだったので、軽く湯掻いた茎や葉と一緒に浅漬けを作った。

使った小皿は、度々登場する第5代 清風 与平の染付け。鮮やかな呉須のしっかりした筆使いで描かれた山水画は、小皿の小さな見込みに収まらないくらい雄大に見える。皿の裏には、縁に沿ってぐるりと漢詩が書かれている。残念ながら私には読めないけれど、この情景のもととなった内容なのだろうか。切り立った山や岩肌、舟を浮かべて漁をする人影。小皿の中に物語を感じる。

器 染付小皿  径11cm 高1,5cm

作 第5代 清風 与平

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No.168 フレンチトースト

 春めいた陽射しに誘われて、少し固くなったバゲットでフレンチトーストを作った。多めのバターとメープルシロップ、グリルした野菜とウィンナーを添えた。ワンプレートに使った皿は、フランスのカンペール焼。調べてみたらカンペール焼のHPに、その説明があったので以下、引用させていただく。

『フランス陶器の「大家」カンペール焼は、フランスで最も有名な手書き絵付けの陶器です。 総窯元であるアンリオ-カンペール社は、フランス ブルターニュ・カンペールの地で、 ルイ14世の時代に王家により設立されました。 その歴史は現存するフランス最古の企業としても有名です。 全てにおいてハンドメイドで製作されるノウハウは、フランス最上級の芸術品として認められており、その偉大な歴史と技巧は企業遺産の認定を受けております。 また、ゴーギャンやセザンヌ、ピカソ他、多くの画家がカンペール陶器でイマジネーションを高めた事でも有名です。』

 ベルサイユ宮殿を作ったブルボン王朝第3代のフランス国王、ルイ14世(1638〜1715)が生きた時代。日本は江戸時代で、寛永から元禄、正徳の頃。1716年から享保年間になる前年に77歳で亡くなっている。ルイ14世が50歳を過ぎた頃、1690年頃にカンペール焼を作ったとして、330年を超える歴史が有る事になる。この皿が作られた年代は不明。あまり古くはないが、新しくもない。日本でいうと昭和初期、といった辺りだろうか。

 暖かみのある象牙色、焼きが甘く柔らかい肌。縁を彩る黄色と青のラインは太陽と海を思わせる。見込みには南国風の鳥と実の付いたオリーブのような植物。鮮やかな色使いと筆のタッチに魅入ってしまう。眺めるだけでフランスの風景が浮かんで来るようだ。暖かい日差しの中、カフェのオープンテラスでいただくブランチを思い描いて楽しんだ。

器 鳥と植物図皿  径 21cm 高3,5cm

作 カンペール焼(フランス)

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No.167 蛤の酒蒸し

今年も三重に住む親類から蛤が届いた。大きくて新鮮。さっそく酒蒸しにしていただいた。

焼き蛤も美味しいけれど、近頃のガスコンロは優秀すぎて、高温になると自動的に消火されてしまい、料理によっては使い勝手が良くない事がある。カセットコンロを出して焼けばきっと出来るのかしら、と思う。次回は試してみよう。貝の下には旬の青菜を添え、蛤の汁を含んだ菜の花も美味しくいただいた。

使った皿は、村田 亀水(きすい)。8代の亀水が2018年に亡くなったそうだ。その後を継ぐ方はいらっしゃるのだろうか。この皿はその亀水の何代か前、幕末の頃に作られたもの。幕末期とは260年続いた江戸時代の最後の15年間を指すらしい。今からざっと160年前だから、4代とか5代の頃だろうか、確認は出来なかった。

鮮やかな呉須で細かく描かれた草花は生き生きとして、風に揺れる様が眼に浮かぶ。本体は厚手で、丸く作った皿のニ辺を切り取り、見込みにはその直線の縁に平行に、ヘラで抉り取ったような溝が数本。その大胆な作りにダイナミックさを感じる。裏には実と葉のついた枝の図が彫られ、その部分は土が見えている。その彫刻以外の肌には青磁色の釉薬がかけられていて、淡い緑青色の透明感が美しく映える。迫力が有りながら、繊細さと洒落感もあり、とても惹きつけられる。

器 染付草花紋 木瓜皿  径20x15cm 高4,5cm

作 村田 亀水

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No.166 ちらし寿司

 もうすぐ雛祭り。少し早いけれど恒例のちらし寿司を作った。家に伝わる大正時代の雛人形は、長い年月のうちに壊れたり紛失した飾物も有る。無いものは補いながら、壊れた所は直しながら、飾り方を工夫して今も変わらず私の宝物。昭和、平成、令和と時代は変わり、飾る場所も変わって来たけれど、年に一度飾って、再会するのを楽しみにしている。

雛祭りのちらし寿司はやっぱり華やかにしたい。今年は錦糸卵に菜の花といくら、海老を飾り、酢飯には穴子、酢蓮根、筍、白胡麻と大葉を混ぜた。この華やかなちらし寿司を青呉須の皿に盛った。料理も明るく華やかで、皿の染付の青の色が美しく映った。

青呉須は、染付の藍色の呉須とは異なり、呉須赤絵などに使われる緑ががった透明感のある色で、この青呉須だけで描かれた陶器を『タンパン』とも言う。見込みの中央に漁師を乗せた舟が描かれ、私には読めないけれど詩も書かれている。素朴な筆使いと絵が暖かい。

縁が付いた平皿にはよく有る作りで、裏には低い高台が有るのだけれど、この高台よりも皿の中央が下がっていて、机に置くと高台が浮いてしまって収まりが悪い。きっと窯の中で何かと重ねて焼いていて、皿の底が下がってしまったのだろう。こんな器は、机や折敷を傷つけるので、少し厚みのある布や繊維で出来た敷物を使う。今の時代では皿として商品にはならないけれど、古い器を使うにはこんな不都合も楽しめる心のゆとりが必要だ。使った時の美しさと満足感には代え難い物があるのだから。

器 青呉須 舟図平皿  径21,5cm 高4cm

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No.165 蕪の煮物

 大きくて、きめの細かい白い蕪。石川県の蕪だ。サラダや浅漬けで、そのまま食べて美味しい蕪だけれど、火を通すと甘くて舌の上で蕩けるように柔らかく、別な美味しさが有る。煮過ぎると崩れてしまうので注意が必要。崩れる寸前、ちょうど良い具合に仕上がった。油揚げと蕪の葉を盛り合わせた。

 器は京都、真葛窯の第4代 永誉 香齋(1897〜1987)の作。この乾山写の向付は絵柄違いの十脚組だけれど、我が家に来たのは七脚。いつか、どこかで壊れてしまったのだろう。それぞれに絵柄が違うので、ここに無い三脚はどんなだったのだろうか。絵柄違いは、季節や気分で使い分ける楽しさがある。

今日は白梅の柄を使った。清々しい梅の花が淡い桃色の肌に映える。金を載せた木の幹は、長く時を経た老木のような貫禄を滲ませている。冷たい雨の日の食卓に華やかさが加わった。

器 乾山写 絵がわり向付 径11x11cm 高6cm

作 真葛窯 4代 真葛 香齋

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No.164 ナッツとチョコレート

 古染付けかと見違えてしまいそうな、この小さな皿はオランダの陶器製。まだ、ヨーロッパに磁器を焼く技術が無かった頃、東洋の白い磁器に憧れて白い釉薬を掛けて作っていたのだそうだ。この皿も裏を返すと、釉薬の掛かっていない陶器の肌が覗いている。

それにしても小さい。小さきものはなんでも可愛いけれど、この皿は大きい方で直径が8センチ。普通のケーキ皿ほどの大きさがあっても、変わらず素敵だろうと想像してみる。この小さい皿に何を盛るのか迷って、ナッツとチョコレートを盛ってみた。お洒落に、優雅に、赤ワインかウイスキーと共に楽しむのが似合いそうだ。

 いつの時代に、どんな人が拵えたのだろう。この小皿は大小一枚ずつ、ヨーロッパ更紗で作られた、それぞれにぴったりな大きさの布の袋に入れられて、ひとつの箱に納められていた。こんなに小さな皿でも、与える感動と、大事に思う気持ちは人を大きく動かして来たのだなあ、と愛おしく思う。

器 オランダ 小皿  大 径8cm 高1,5cm   小 径6cm 高1cm

作 不明

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No.163 蕗のとうの天麩羅

 関東でも積雪があり、久しぶりに雪景色になった。そんな雪の下から蕗のとうが顔を出していたので、食べられそうな大きさに育ったものを選んで天麩羅にした。蕗のとうだけでは足りなくて、菜の花と茗荷、前日に出始めを買って茹でていた筍を一緒に揚げ、春の香りを味わった。

松林が描かれたこの扇面の皿は、尾形 乾女の作品。昭和51年(1976)8月、喜寿記念に日本橋三越で開催された作品展のカタログの表紙に掲載されているものと、同一ではないが同じ図柄の皿だ。今から46年前の事になる。

尾形 乾女(本名 奈美 1905〜1997)は、その名の通り尾形 乾山の血筋を継ぐ方で、元々日本画家であったが、自ら陶芸の世界を志したのだそうだ。父、6世 乾山は大正13年(1924)に73歳で亡くなっているが、その後40年ほど経ってからの方向転換だった。当時、乾山を名乗る縁もゆかりもない陶芸家が現れる事件が有ったため、乾山の名は6世の父をもって完結する事と決め、父の没後50年の年に乾女(けんにょ)と号して作品を発表した。本拠地は鎌倉だが、この皿のような乾山の流れの作品は、6世 乾山も作品を焼いたという、犬山の尾関窯にて作陶したものだそうだ。乾山の作風ではあるが、長く日本画家として活躍された個性だろうか、色の付け方や筆使いに柔らかさを感じる。乾山の世界を思いつつ、その血をひく乾女はどんな女性だったのだろうと想像がふくらむ。

器 松濱千鳥 扇面皿 上幅38cm 下14cm 縦27cm 高3,5cm

作 尾形 乾女