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No.55 おでん

 寒い季節には食べたくなるおでん。汁がしみた熱々のおでんは身体も心も温まる。今どきはコンビニにもとても美味しいおでんが有るが、冬には何度か家で作る。

私が一番好きな具財は大根。大根を美味しくするためには牛すじも欠かせない。美味しいお出汁になれば、蒟蒻もしらたきも、卵も美味しくなる。今回の巾着は、お正月の残りのお餅を入れようかと考えたが、鶏の挽肉に山芋、銀杏などを入れて新作にトライしてみた。

子供の頃の家のおでんには、様々な種類のさつま揚げが沢山入っていた。地元に手作りのさつま揚げ専門店が有って、そこのさつま揚げはおでんに限らず度々食卓に登場していた。炙ったさつま揚げを大根おろしでいただくのが好きだった。もう、随分前に閉店して、今は食べられなくなってしまった。その頃は関東で牛すじは一般的ではなく手に入らなかったし、その分さつま揚げがお出汁を美味しくするのに一役買っていたのだと思う。今回も写真には無いが、さつま揚げや厚揚げを後から加えて楽しんだ。

青味を帯びた白磁の肌が美しい古染付の皿。呉須の絵が有るが余白が広い。この皿なら、おでんの大きめの具材を盛り合わせても映える。見込みの余白部分、右側には印刻で蓮が彫られている。呉須で描かれた菊も大輪で見事だ。見込みには茎から見えているが、皿の裏面にこの茎が続き、地面から生えている様が描かれている。菊と蓮、何か古い中国の物語が有るのだろうか。大地に根を張って花を咲かせている菊が頼もしく見える。

器 古染付皿 径20,5cm 高3,5cm

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No.54 お正月の盛合わせ

 昨年の元旦からスタートしたこの『うつわ道楽』。初回もお節だった。私が作るお節はお決まりの品揃えとは違うが、自分や家族が好きな料理を作ってお正月風に盛り合わせる。そうは言っても黒豆や数の子、見栄えの海老は外せない。昨年と同じメニューの他に今年は百合根の金団とサーモンのサワークリーム添えを新しく加えた。

お正月料理は甘味の強い料理が多い。長い歴史で、甘味自体がご馳走だった時代もあっただろう。そして日持ちの為の知恵も。しかし今のこの贅沢な時代には、少しそぐわない事も事実だ。お酒やご飯にも合う味付けのメニューなら、お節料理としてだけでなく、常備菜として単品で食卓にも出せるので、無駄なく最後まで美味しくいただける。私の今年の目標は、我が家でのフードロスを無くすこと。もちろん、これまでも心掛けていたけれど、うっかり使い忘れてしまったり、ついつい買いすぎてしまう事があった。美味しいうちに美味しくいただき使い切る、を理想としたい。

今年の器は、お重ではなく縁高(ふちだか)。縁高、と言ってもお濃茶の主菓子を盛る、あれよりかなり大きい。一辺の長さがほぼ倍なので、普通の縁高を4つ並べた大きさだ。高さも倍。かなり大きな空間だ。縁高の外側面と割蓋は鏡面そのもの。歪みなく鮮明に映す、研ぎ澄まされた表面が美しい。しかし見込みにはその跳ね返すような緊張はなく、磨かれてはいるが木目が少し透けて見えるような暖かみのある塗りだ。

これは、初代 佐野 長寛(ちょうかん 1794〜1856)の作品。長寛は、幕末の京都の塗蒔絵師で、三代前から塗師として長濱屋を称する家に生まれた。先代の父を21歳で亡くし家名を継いだが、その翌年から諸国の漆工を歴訪し、5年後に京都に戻り名を長寛とした。作品は茶道具、家具、膳椀などを作り、多作で同じ意匠のものも多く在るが、全く同じではなく、必ず図や技法を異にしていたそうだ。若い頃から奇行が多かったとの記録もあるが、一体どんな人だったのだろう。

 なんとも迫力のある縁高だ。深みを増した真塗りの、沈んだ漆の質感に圧倒される。文字通り使う私が試されているように感じる。まだまだ、と言われて当たり前。勉強させていただこう。

盛付けを考えるのに時間を要した。こんなに大きくて深さもある器には、テクスチャーの違う器を嵌め込むとメリハリがついてまとまりやすい。今回は、白磁の蕎麦猪口に黒豆を、ガラスの小鉢(No.4にも使用)には数の子、紅白なます、百合根の金団、と水分のある物や形のまとまりにくい料理を器に入れて盛り込んだ。これを見たら縁高の作者、長寛は何と言うだろう。

器 光悦面取 真塗割蓋引重  30cmx30cm角 高15cm

作 初代 佐野 長寛 (塗匠 長寛造)

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No.53 年越し蕎麦

 大晦日に縁起を担いで食す年越し蕎麦。一般的には日本蕎麦が主流だが、細くて長い麺という括りからか、特産の地方ではうどんだったり沖縄そばだったりするそうだ。

家族で集い側(そば)に居るという語呂合わせという説や、蕎麦の細長い形体から長い寿命を希うという説もあるそうだが、いずれにしても願いの意味を込めた食習慣だ。添える薬味の葱は一年の苦労を労う(ねぎらう)という思いも込めた、とこれは少々こじつけのようにも感じるが、何にしても蕎麦に葱は欠かせない。私は、薬味にはかなり執着する方だと自覚している。私にとって麺類の葱は、顔で言えば眉のような物で、無いととても奇妙で間抜けな印象を受けるのだ。

洋風のハーブも好きでよく使う。使いこなすと言える程ではないが、鉢植えで数種類育てていて、重宝する。ハーブに関する文章を読んでいた時に、ジャパニーズハーブという文字を見つけた。葱は野菜としての食し方も有るが、薬味としての葱や紫蘇、芹や茗荷はジャパニーズハーブだと。ハーブと言うと西洋料理にイメージが固定されていた私は確かに、と妙に納得してしまった。近所のスーパーでも手に入るほど流通量も多く、日本人にとってそれだけ身近なハーブと言うことだろう。

好きな蕎麦屋で、大根おろしと山葵に生湯葉が添えられた蕎麦がある。丼に盛られていて、蕎麦つゆを掛けていただく。今年はそれを真似てみた。山葵は香りを、辛味は大根おろしで、これが蕎麦とよく合う。

器は、薄い作りの漆塗りの鉢。箱は無く、本体に名も無い。どなたの作か判らないし、入手の経緯も覚えていないのだが、よく使っている。とても薄く、木目が透けた生地に挽いた轆轤目の凹凸が有り、かかる漆が滑らかだ。手にすると見た目よりずっと軽い。暖かみのある漆で、冷たい蕎麦を盛っても温もりを感じる器だ。

今年の元旦から始まったこの『うつわ道楽』もちょうど一年を迎える事ができた。お節で始まり、年越し蕎麦で締めくくり。来年はどんな料理、どんな器で楽しもうか。

器 漆鉢  径 18cm 高 8,5cm

作 不明

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No.52 チキンのコンフィ

 クリスマスの定番メニューと言えばチキン。ありきたりだけれど、今や日本の風習として定着して久しい。毎年、どうしようかしらと考えるけれど、家族に季節を感じてもらうためにもやっぱりクリスマスイブにはチキンのメニューを用意する。

今年はチキンのコンフィ。コンフィ(Confit)はフランス料理の調理法で、食材の風味を良くし、保存性を高める効果がある。肉の場合は油で、果物は砂糖に浸して調理した料理の総称だそうだ。チキンは肉が完全に被る量の油で、低温でゆっくり加熱する。調理後も、そのまま素材が完全に油に浸っていれば保存が効く。フランスで、ヨーロッパで、冷凍庫や冷蔵庫の無かった時代に編み出された調理法だ。日本だったら昔からある保存法は、塩漬けか干物、燻製だけれど、と文化の違いを感じる。

今日は、コンフィしたチキンをオーブンでこんがり焼き色を付けて仕上げた。付け合わせはクリスマスカラーの野菜と、ハーブ風味のローストポテト。パンとワインを添えていただく。

角皿は萩焼。当代である 13代 三輪 休雪(きゅうせつ) が休雪を継ぐ前、三輪 和彦 の時代の作品だ。見込みにゴシック体で ‘KAZ’ と刻印されている。大きな名前を受け継ぐ前の作にはモダンさ、カジュアルさを感じる。350年続く三輪窯は代々 休雪を名乗り、継承して来た。13代は2019年に休雪を襲名したそうだ。この皿は休雪白と言われる、休雪ならではの白い釉薬が美しく、その厚味のある釉薬の間から、地の土の色が垣間見える。まるで風に舞い、大地に積もった雪を思わせ、皿の中に冬の風景が見えるようだ。

器 萩焼 白釉角皿  径 21,5cm 高 2,5cm

作 第13代 三輪 休雪(和彦)

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No.51 冬至かぼちゃ

 冬至は、北半球では一年の内で昼(太陽の出ている時間帯)が最も短い日だ。最も短いという事は、翌日からは少しずつ長くなるという事。この日を境に太陽の力が再び蘇るという前向きな解釈をするらしい。二十四節気では冬至を境に新しい年に切り替わり運気も上がる、とされているのだそうだ。

この日の食卓にはかぼちゃが上がり、柚子湯に入る。日本に伝わる冬至の過ごし方だ。かぼちゃを食べて栄養を付け、身体を温める柚子湯に入り、無病息災を願いながら寒い冬を乗り切る。生活に根付いた知恵だったのだろう。

かぼちゃの原産はアメリカ大陸だと言う。北も南も両方のアメリカ大陸。広大すぎてよくわからないが、紀元前4000年頃のペルーやメキシコで栽培して食されていた痕跡が見つかったため、その頃の発祥と思われていた。しかし1997年、それよりも数千年早くメソアメリカで栽培化がはじまっていたと思われる発見があり、かぼちゃの歴史は8000年とも言われるらしい。世界史の教科書で覚えた、古代四大文明より更に数千年以前に、一体どんな文明が有ったのだろう?新石器時代と呼ばれる頃のはずだ。昨今、かぼちゃはスウィーツの素材にも使われるくらい素材自体に甘味のある野菜だと私達は認識しているが、その頃のかぼちゃは一体どんな形でどんな味だったのだろう。

冬至のかぼちゃは、地方によって食べ方はまちまち。この通称 “いとこ煮” と呼ばれるかぼちゃと小豆の煮物は、東北と関西に伝わっているもので、他の地方にはかぼちゃ汁やかぼちゃ汁粉、かぼちゃ蕎麦などがあるそうだ。

いとこ煮は一般名称で、煮るのに時間のかかる小豆を先から煮ていて、そこに他の素材を “追い追い”加える事から “甥と甥”の語呂合わせで “いとこ” となったと言われている。かぼちゃと小豆の組み合わせに限った名称ではなく、鶏と卵、鮭といくら、の親子丼と同じようなものだろうか。このいとこ煮、私は冬至に限らず時々作る。初めは、何とも奇妙に思えたが、少し煮崩れたかぼちゃと小豆のマッチングが良く、かぼちゃに小豆の風味やこくが加わり食感と味わいの組み合わせの妙が美味しく、また食べたくなる味だ。

輪花の赤絵の小鉢は、度々登場している川瀬 竹春のもの。少し厚手の白磁で輪花の縁が際立ち、見込みまで続く凹凸の陰影が美しい器だ。

器 赤絵 輪花鉢  径15cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春

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No.50 鱈子の煮物

 多分5年振り位になるだろうか、生鱈子を煮た。助惣鱈の子、いわゆる”たらこ”の塩をする前の生を、出汁で甘塩っぱく煮たものだ。佃煮ほど濃い味ではなく、煮込む時間も火が通って味が滲みる程度に。大好きで、生鱈子を魚屋で見つけると作っていたのだが、人も大人になると好きな物を好きなだけ食べられる訳ではなく、自重して控えるようになった。

しかし、この鉢に何を盛ろうかと考えた時この煮物が浮かんだ。尾形 乾山の鉢。本当は自分の料理を盛ること自体、恐れ多い。

尾形 乾山(1663~1743)は、寛文3年、京都の呉服屋の三男として生まれた。5歳上の兄は尾形 光琳。光琳は放蕩三昧だったとの話が伝わるが、乾山は対照的に学問に熱心な読書人で、堅実で質素を好んだようだ。そんな性格の違う兄弟だが、仲が良く兄が絵付け、弟が作陶と書で合作も残っている。

さすがに、盛り付けとなると緊張する。焼が甘く柔らかいので、生地が乾いた状態でいきなり料理を盛ると汁が沁み込み、色もついてしまう。だから使う前に暫くぬるま湯に浸けて、汁が入らないように予め湿らせておく。

200年を超える年月を経たこの器は、器自体に力が有って魅力的だ。時を経た事で付く重みも在るだろうが、元から人々を魅了する器だったからこそ、大事にされて使われて来たという事だ。写真でも判るが、何本もの入(にゅう)が入っている。口は釉薬が爆ぜて剥がれたところもある。今出来の器にそれらが有ったら、それは傷でしかないだろうが、この器には、それすらも器の歴史を感じさせる風格がある。

一方に小さな注ぎ口が有るこの形を、片口(かたくち)と言う。実際に酒を入れて、徳利と同じ用途に使う目的の片口もあるが、これで酒を注いだ人がいたとは、私は思えない。キュートなディテールの片口が有ることで、鉢としても一層魅力を増している。フォルムと絵付の完璧なバランスに見惚れるばかりだ。

器 秋草片口鉢 径14cm 高8cm

作 尾形 乾山

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No.49 ケークサレ

おしゃれなフランス料理、ケークサレ。手の込んだフランス料理を家で作ることはまずない。が、このパウンドケーキ型で焼くケークサレは思い付くと時々作る。メインの献立に、サラダとフランスパンだと少し寂しいかな、と言うときなどにサイドメニューとして最適だ。

パウンドケーキのように見えるが、お菓子ではないので砂糖は使わない。小麦粉にオリーブオイルで炒めた玉葱やベーコン、ブロッコリー、卵、おろしたチーズなどが入っていて、そのままでワインにぴったりの、フランス風惣菜パンのようなものだ。具は様々、好みで工夫次第と思うが、私はシンプルなこの組み合わせが気に入っている。残ったら、写真のようにサラダと盛り合わせてブランチにする。休日ならグラスワインを添えてカフェ気分も味わえる。

縁に金のラインが入ったこの皿は、Susie Cooper(スージー クーパー)がまだ自らのブランドを持つ前の Gray’s Pottery (A.E.Gray Ltd.)時代の作品だ。彼女は1929年、27歳の誕生日に自らの名を冠する陶器ブランドを立ち上げて独立しているので、それより以前ということになる。以前の回(No. 9, 33 )のものも同じ時代の作品で、モチーフの花や手描きのタッチが近い。しかし、Gray’s Pottery の前2回登場した器や、Susie Cooper ブランドの器はぽったりした暖かみのある肌だが、これは透明感のある、薄い白磁のクリアな質感でよそ行きのように少し気取って見える。

古い器は、絵付けやラインの金が剥がれたり、擦れて薄くなっている事が多いのだが、この皿は金も比較的良く残っているし、皿自体にもナイフなどで付いた傷がほとんどない。綺麗に、大事に使われていたのだろう。金色は、色の釉薬とは違って、金の粉をガラス質に混ぜて焼き付けると言う。金属として柔らかい金は、使って洗う度に擦られて剥がれてしまうのだ。新しい器ならそう簡単に剥がれることはないが、100年近く使われていれば、大事に扱ってもこの位は致し方ないと思う。むしろ、大事に使われてこの状態で残っている事がすごいなあ、と感謝の思いだ。

器 花柄 皿 径 22,5cm 高 1,8cm

作 Susie Cooper (Gray’s Pottery)

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No.48 水菜とお揚げの煮浸し

 昔、京都を訪れた時に初めて知った水菜。おばん菜料理で、油揚げと一緒に出汁で炊いた煮浸しをいただいて、気に入ったのが最初だ。菜葉としては色が淡く、繊維がしっかりした茎の歯触りがシャキシャキして美味しかった。

当時、水菜はまだ関東に出回っておらず、関西では一般的に八百屋の店先に並んでいるのを見て、京都で帰りに買って、大きな株を一束抱えて新幹線に乗って帰って来た事がある。その、京都で見た水菜が馴染みの八百屋に最近出ている。今や水菜は関東でも当たり前に野菜売り場に並んでいるが、一株が細くて少ない。それが6〜8束ほど袋入って販売されているのが、今時の見慣れた水菜だ。流通や販売単位を考慮して、品種改良されたのかもしれない。当時見た、そして今回出ていた京都産の水菜は、両手で持っても余るほどに一株が大きく、まるで白菜ほどの大きさがある。だから、その八百屋でも白菜と同じように株を切り分けた単位で買えるようになっていた。いくら好きでも、とても一株は使い切れる量ではないので、私もその半株に分けられた水菜を買って帰った。久々に食べた大きい株の水菜は、生でサラダにしても、煮浸しにしても、味がしっかりしていて初めて京都で水菜をいただいた時の印象を思い出した。

見た目が控えめな煮浸しは、華やかな赤絵の小鉢に盛った。以前(No.25)も登場した 五代 清風与平 の作品で、四君子を描いている。薄手の作りで、小さめだが深さがあり、口と胴に鉄釉で線を回して、まるで漫画のコマ割りのように上下で場面を変えている。口のすぐ下、胴回りの上部には中国由来の四君子と呼ばれる、蘭、竹、菊、梅、が描かれている。それぞれが春夏秋冬の季節を表す植物だが、これを四君子と呼ぶ経緯が明確には解っていないらしい。中国で宋、玄の時代に文人画家達の間で流行った題材で、この四種は草木の中でも高潔で気品があり、君子のようだとして四君子、と言われたという説や古代王朝の家紋だった、と言う説などがある。その後日本にも伝わって、四季を表すおめでたいものとされているそうだ。

その下、鉢の下部には布袋様。物語として四君子と繋がりがあるのかは、不勉強ゆえ定かではない。が、鮮やかな色使いが白磁に映える、使って楽しい器だ。

器 赤絵 四君子小鉢 径 12cm 高 7,5cm

作 五代 清風与平 

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No.47 カリフラワーのポタージュ

 冬が旬のカリフラワー。季節到来で店頭でもよく見掛けるようになった。それにしても、最近のカリフラワーはバリエーションに富んでいる。カリフラワーは白、と決まっていたが今は彩りも形状も色々有って楽しめる。サラダにするなら形状の変わった薄いグリーンのロマネスコ、オレンジイエローやパープルの色のカリフラワーも楽しいが、ポタージュにするならやはり白だろう。

調べてみたらカリフラワーは、アブラナ科アブラナ属で、発祥は地中海東部沿岸地辺り。元々はケールから分化し、ブロッコリーから改良されて生まれた野菜と考えられている、と。日本には明治初期に伝わったが、当時はあまり普及しなかったそうだ。確かに、当時の日本の食生活ではカリフラワーを美味しく活かすメニューは無かったのかもしれない。しかし、ブロッコリーが基と言うのは意外だった。私の記憶の中で、日本ではカリフラワーの方が前からよく食されていて、ブロッコリーは後になってからポピュラーになったという印象がある。

野菜のポタージュは好きで、季節の野菜でよく作る。玉葱と野菜をよく炒めてミルクで煮詰める。ミキサーにかけて濾して濃さを調節して味を整える。バターや生クリームを加えれば更にコクが増す。今頃の季節ならこのカリフラワーか南瓜が美味しい。アクセントのトッピングは、刻みパセリでも勿論良いけれど、今回は断面の形が魅力的なオクラにした。アスパラガスの穂先を繊維に沿ってスライスしたのもアクセントとしてはおもしろい。

両側に持ち手が付いた スープカップ&ソーサー は Susie Cooper (スージー クーパー)。大きさが手頃で気に入っている。ガラス質の釉薬に貫入(かんにゅう)が多く入っていて、ひび割れのように見えるが、これは傷ではない。その貫入に、盛った料理の色が入ると、滲みのように見える。古い食器は、*場合によって漂白剤を使ったり煮沸して綺麗に清潔を保つように気を配るが、このカップの貫入はこれ以上は色が抜けないようだ。あるがまま、今の姿で楽しませてもらおう。

*土物や繊細な器の場合は、薬品や高温を避けるべき物もある。

器 スープカップ & ソーサー  カップ径12,4cm 高4,5cm 皿径17cm

作 Susie Cooper

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No.46 蓮根のきんぴら

 和食のメニューとして定番のきんぴら。中でも牛蒡と人参のきんぴらが一番ポピュラーだろう。私も大好きだ。でも、季節ごとの旬の素材で作ったきんぴらも、とても美味しい副菜になる。

春なら筍。穂先に近い柔らかい部分は何にしても美味しいけれど、繊維が硬く根に近い太い部分は、繊維に沿って細切りできんぴらにしたら適度なシャキシャキ感が良い。独活(うど)も剥いた皮の部分だけをきんぴらにする。どちらも春の香りのきんぴらだ。そして、これからの冬の季節なら蓮根。蓮根は一年を通して手に入るが、旬を迎えた乳白色の瑞々しい蓮根は、酢にしてもきんぴらにしてもシャリシャリの食感が楽しめる。胡麻油に少し唐辛子で辛味を付けて、トッピングにすり胡麻をかけるのが好きだ。この鉢は古染付。このタイプの鉢は比較的多く在るようだ。少し大振りの鉢も我が家で所有している。

少し青みを帯びた薄作りの白磁に、呉須の絵付けが美しい。一段開いた口の作りも広がりがあって、盛った料理が美しく目に飛び込んで来る。地味なお惣菜も器で楽しむ贅沢だ。

器 古染付小鉢 径13cm 高7,2cm