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No. 28 金平糖

 織姫と牽牛。年に一度、七月七日の夜に会うことが出来ると言われる七夕の伝説。子供の頃は笹に願い事を記した短冊を下げて、叶うように願ったものだった。

元々は中国で前漢の頃、采女が七月七日に七針に糸を通す『乞巧奠』(きこうでん)と言う風習が記された文献が有り、これが七夕の起源とされる。その後の南北朝時代の『荊楚歳時記』には、七月七日は織姫と牽牛が会合する夜である、と有りその夜には女性達が7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、針仕事の上達を願った、と記されているそうだ。日本には、奈良時代にこの風習が伝わり、日本古来の『棚機津女』(たなばたつめ)の伝説と合わさって宮中や貴族の間で行事として行われたらしい。その後、江戸時代になって手習い事の願掛けとして庶民にも広がったとされる。

 星に見立てた金平糖を盛ったのは、刷毛目のぐい呑みで、高橋道八のもの。江戸後期から続く京焼の窯元で、道八の前に代々それぞれの号が付く。このぐい呑みの印は 「道八」 となっていて2代 仁阿弥 道八か、3代 華中亭 道八かは定かでない。口が広く涼やかな刷毛目は、これからの季節にちょうど良さそうだ。

器 刷毛目ぐい呑み 径7,5cm 高2,5cm

作 高橋 道八

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No.27 蕪の葉の胡麻和え

 野辺地の蕪の葉の胡麻和え。以前、No.21 ルネ ラリックの皿の回で野辺地の蕪とトマトのサラダを盛った。これはその時の文中にも書いた、我が家の定番となっている料理だ。この蕪は、白くて瑞々しい蕪本体に負けず劣らず、葉と茎も立派で美味しく小松菜やほうれん草などと同じように、葉物野菜の料理に使える。胡麻和えはもちろん、お浸しや味噌汁、煮浸しにも。蕪と軽く湯がいた茎と葉で浅漬けにしても美味しい。蕪を買って葉物野菜も付いてくるのでレパートリーも広がるしお得感も有る。

 胡麻和えは基本的に白胡麻を使っている。春菊のように香りの強い野菜の時は黒胡麻で和えるのが好きだが、黒胡麻には独特の風味が有るので淡白な野菜には向かないと感じる。今日は白の煉胡麻に砂糖、薄口醤油を出汁で良い加減の硬さに緩めて和えている。擂り胡麻を使う時もある。私は少し甘さの有る胡麻和えが好きでよく作るが、以前、京都の知人のお宅でご馳走になった胡麻和えが美味しかったので聞いたら、そのお宅ではお砂糖は使わないと言う。胡麻和えひとつにも其々の家庭の味が有り、其々の美味しさが有り、と改めて思う。

 少し深さのある小鉢は何度か登場している、2代 川瀬 竹春 (古余呂技窯) のもの。覗き(のぞき)と言うほど深く細くもない。向付ではあるけれど、少し小振りに感じるのでやはり小鉢、だろうか。5客揃いで入手したが箱が無いのでご本人が何と呼んだのかわからない。一目で竹春と判るフォルムと色。厚手でぽってりした白磁の地に竹春の明るい青と黄が映える。

器 六角小鉢 5客組  径 10,5cm 高 6,5cm

作 古余呂技窯 2代 川瀬 竹春

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No.26 蛸の酢の物

 半夏生(はんげしょう)。元々は花の名前で、別名片白草。暦の上では夏至から数えて11日目、7月2日を指しそこから5日間を雑節で半夏生と呼ぶのだそうだ。この時期に花を咲かせることから、この名前が付いた。関東で生まれ育った私は、この半夏生を知ったのは割と最近で、この日には蛸を食べるという風習もそれまで知らなかった。元々は西日本の農家にとって大事な節目の日で、この日までに田植えを終わらせる目安とし、ここからの5日間を一段落して畑仕事を休みとする地方も有るらしい。蛸を食べるのは主に近畿地方の風習で、脚が8本も有る蛸のように、作物がしっかり根を張るようにという願いがこもっているのだそうだ。蛸を食べる、というだけで食べ方や料理は特に決まっていないらしい。

 蛸と胡瓜、わかめの酢の物は魯山人の伊賀焼の向付に盛った。ろくろ目が残った力強い器だ。魯山人の器は、素人料理でも格段に映える、不思議な力が有る。土肌や見込みの窪みに溜まった釉薬の深い緑が器に表情を付けている。5客揃いだが、其々大きさも釉薬の上りも違う。その時の気分と料理で使い分けている。

器 伊賀釉向付 5客組 径11,5cm 高さ3,5cm

作 北大路 魯山人

 

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No.25 新じゃがと新玉葱の煮物

 大好きな陶芸作家さんはたくさん居るが、この 5代 清風与平もそのひとり。江戸から続く京焼の名門の家柄で、代々得意とする技法を持ち、高い技術力に基づく作品を残している。3代は、陶芸界で初めて帝室技芸員にも選ばれた。その中でこの5代清風は、先代の誰とも違う独特な個性を持ち、作風も独創的。私は惹かれるが、もしかしたらそのせいで彼の作品を好む人は少し限られるのかも知れない。

清風与平とは、私がまだ器を集め始める前、かなり若い頃に家人と2人で訪れた京都のお道具屋さんから香炉を譲り受けたのが最初の出逢いだったと記憶している。当時5代はまだご存命で、そのお道具屋さんはご本人から直接買い取ったものだった。白磁の手捻りに独特な画風で漢詩の情景を描いたものだ。お煎茶道具をよく作られた方で、いわゆる文人と呼ばれる教養の高い方だったのだろう。彼の作品の多くは、全面が画や文字で埋め尽くされ、余白が全く無かったり、少なかったりする。私のプライベートコレクション化している5代 清風のぐい呑みで、色絵はとても小さい物から少し大振りな物まで、地が見えぬほど描き込まれている。それが彼の作風の大きな特色なのだが、呉須だけの絵付けのものでは白磁の余白を生かしていて、でも、そのどちらにも共通した作家の個性が現れている。すごい事だと思う。

今日はこの季節ならでは、新じゃがと新玉葱を使い、鶏ひき肉の餡で絡めて肉じゃが風の味付けにした。この器は我が家の5代 清風与平コレクションの中でも珍しい、5客揃いの向付。呉須赤絵に金を使った植物と動物の絵柄が優しいが、見込みには文字。内容は解らないが漢詩だろうか。漢字が書き込まれているのに硬くならず、まるで模様のように全体がバランス良くまとまっている。この器は見込みに絵の無い空間が広く、料理も映える。

器 呉須赤絵 向付 5客組  径 15cm 高 6cm

作 5代 清風与平 (1921-1990)

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No.24 キャラメルバナナケーキ

スィーツはそれほど好きな方ではないのだが、去年から時々家で作るようになった。店頭から小麦粉が売り切れるようになった、あの時期だ。皆、考えることは同じね、と思いつつTVの料理番組で見た焼菓子で、簡単に作れるレシピがいくつか私のレパートリーに加わった。お菓子作りは難しい。分量を少し間違えただけでも膨らまなかったりして失敗する。そんな中で、このバナナケーキは作り方がかなり簡略化されていて失敗が無いのが気に入っている。元々、番組で紹介されたのはりんごを使ったケーキだった。りんごで何度も作ってとても美味しかったのだが、りんごは多く出回る季節が限られているので、ある時りんごをバナナに置き換えて全く同じレシピで作ってみたら大成功。普段はあまりいただかないスウィーツの中でもバナナケーキは好きだったので、家で作れたのは嬉しい出来事だった。いつもはシンプルに切り分けていただくが、今回は生クリームのホイップを添えた。

 花柄の手描きの絵付けが美しい、マイセンのケーキ皿。古い物ではないと思うが、言わずと知れた旧東ドイツの名窯で、食器だけでなく彫刻のような人物や動物の美術的な磁気製品も多く作っている。東ドイツ時代には国営の窯だったのだが、ドイツ併合後は民営化され経営が難しくなっていると聞き、心配だ。これは、一脚のカップ&ソーサーとケーキ皿の3点セットで持っている。せっかくの手描きの花が隠れてしまうのは残念だが、食べ終わった時に現れる見込みの花もまた楽しみだ。

器 マイセン焼 ケーキ皿 径18cm

 

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No.23 エンドウ豆の葛かけ

 大阪、なにわの伝統野菜に指定されている、碓井エンドウ。関東では滅多に出回らず、この前八百屋の店頭で初めて見つけた。その日のお目当てはグリーンピースだった。見つけた、と思ってよく見ると全体が黄味がかっていて、一瞬、鮮度がイマイチ?と勘違いしたのだが、よく見ると商品名が違う。うすいエンドウ。聞いた事がなかった。尋ねると『グリーンピースみたいなものだけど、もっとホクホクして青臭さが少ない。関西でよく食べるんだよ。美味しいよ』と教えられた。考えていたメニューは、出汁と薄口醤油で翡翠風に煮て、味が絡むように少し葛を掛けようと思っていたので、この豆で初めて作ってみた。確かに青臭味が無く、ホクホクして豆の味が濃い。色が若干黄味がかっている分、思っていたグリーンピースの様な色の鮮やかさには欠けるが、発芽する芽の部分が黒く、可愛らしい豆だ。これはこれ。とても美味しくいただいた。後で調べたらアメリカから伝わった種で、日本では大阪府羽曳野市の碓井地区で根付いたそうで、この名がついた。現在は和歌山県の特産らしい。関西ではこの豆でお豆ご飯をするそうだ。次回出逢うことが有ったら、ご飯でいただいてみたいと思う。

 葛をかけた煮物なので蓋物に、と思いこの小振りの永楽の器に持った。赤絵に金を使って、さらっと描かれた筆使いがとても優しい。蓋物にしては小さめな作りで、小鉢として、本体だけでもよく使う。第14代 永楽善五郎 (得全)の奥様で、永楽妙全(みょうぜん 1852-1927 お悠さん)の作ではないか、と思われる。

器 赤絵蓋付小鉢 径8,5cm 高8,5cm

作 永楽 妙全

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No.22 炊込みご飯

 糖質オフが人気のこのご時世に逆行するようだが、お米が大好きだ。白米はもちろんだが、時々、無性に炊込みご飯が食べたくなる時がある。季節によって具材は様々だが、牛蒡に人参、茸と鶏肉などを入れた炊込みご飯は年間を通してよく作る。その日のおかずによって、ご飯だけでいただくように味付けをしっかり目にしたり、おかずが充実しているときは出汁を強めにして薄味にしたり、気分とメニューで味付けが変わる。

 黒釉で、少し厚手のこのご飯茶碗は、色の付いた炊込みご飯がよく映える。No.16の回の若竹煮で大振りの鉢を使ったが、このご飯茶碗もあの鉢と同じく濱田庄司の作だ。焼きが甘めで生地に水分を含みやすいため、使って洗った後はよく乾かさなくてはならない。だがその分、これは私の主観だが熱いご飯を盛った時に余分な蒸気をお茶碗が吸収してくれて、ご飯がベタつかず美味しいように感じる。思い込みかもしれないけれど。

器 黒釉 ご飯茶碗 5脚組 径13,5cm 高6,5cm

作 濱田 庄司

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No.21 蕪とトマトのサラダ

 いつも行く八百屋に、今週やっと野辺地の蕪が並んだ。まだ少し小さめではあるけれど、綺麗な緑色の葉をつけた白い蕪。3月に石川の蕪(No.12の回で使った)が終わって2ヶ月、これからが旬の、この蕪が出るのを楽しみにしていた。野辺地の蕪に出逢ったのはもうかなり前になる。この八百屋のスタッフで、ずいぶん前に引退された、皆にちゃま様と呼ばれていたマダムに教えてもらったと記憶している。今やブランド野菜として有名な蕪だが、当時の私は見たことのない蕪だった。そして自分の蕪好きに目覚めたのも、この蕪に出逢ってからだ。『火を通さずに生で食べると美味しいのよ。葉と茎は胡麻和えが良いわよ』と、ちゃま様に教えられた。以来、蕪の葉の胡麻和えも定番メニューとなった。

 蕪は、瑞々しくきめの細かい食感を活かしてくし形に切った。この時期に出回る、これも楽しみにしている光輝トマトと共に、オリーブオイルとビネガーでマリネしてサラダにした。写真で見ると白い蕪がカプレーゼのモッツァレラチーズか、と見違える程のきめの細かさだ。

 気温が上がって来た今頃からは、そろそろガラスの器の出番。このリーフ柄のルネ ラリックの皿は、器を集め始めた最初の頃から使っているもの。5枚揃っているラリックの皿は珍しい。デザートやサラダ、ガラスの重ね使いのソーサーとして、ずっと使って来たものだ。改めて調べたら、ORMEAUX (オルモー 仏語で楡)という名前のシリーズで、1931年に作られたものらしい。楡の葉は実際に見た記憶がないが、調べたら確かにこのモチーフのように先が細く、葉脈が規則正しく並んでいる。ラリックの他の作品でも感じる事だが、モチーフはとても写実的だ。放射状に重なる葉が、中央に盛った料理を引き立ててくれる。

器 ルネ ラリック ORMEAUX 皿 径18,5cm

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No.20 伽羅蕗

 家の裏庭の蕗が、大きな葉を茂らせて育っている。以前、No.8の回で蕗のとうの天ぷらを作った、あの蕗だ。なるべく太く育った蕗を選んで収穫し、伽羅蕗を作ってみようとレシピを調べたら、すごく簡単で驚いた。作りたての伽羅蕗は、食感も香りもフレッシュで美味しい。日持ちもするのでしばらく楽しめそうだ。常備菜を食卓に載せるとき、ちょっとした蓋物の器を使うことが多い。基本的に、その食事で食べ切る程度の量を盛って出すのだが、その日のおかずのように全て食べ切ってしまうとは限らないから蓋があると乾燥も防げる。そして何よりこういうアイテムがあると食卓にも変化がつく。

 この蓋物、本体は新渡(しんと)と言われる中国の磁器。古い時代の中国磁器を古染付(こそめつけ 1620〜40年代)と呼ぶので、それより新しい時代のものを、新しく海を渡って来た、という意味で新渡と言うのだそうだ。中国の清朝の頃に作られ、日本には江戸後期に渡ったとされる。古染付に比べると今どきの磁器に近く、古染付の土や釉薬の粗さによるムラや、器の縁の釉薬がはぜて素地が出てしまっている、いわゆる『虫食い』などもない。中国の焼物なので元々の用途は不明だが、日本に渡ってから、いつの時代かに手にした誰かが、本体に合わせて木の蓋を誂えたと思われる。茶道に詳しい家人の推測だが、お抹茶の薄茶器の茶粉を入れる『棗(なつめ)』の替茶器として使ったのではないか、と。棗に入る茶の量はそう多くない。人数の多い席で、棗のサブとして替茶器に『見立て』て茶道具として使ったのなら、これだけ手を掛けた蓋を作ったのも頷ける。普段は何気なく使っていた器も、いざちゃんと向き合うと歴史を感じる。どんな方の手で蓋が作られ、大切にされたのか。時代が過ぎ現代になって、使い方は違っても、今は私が大切にしよう。と改めて思う。

器 新渡 磁器蓋物 本体口径9,5cm 高さ6cm

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No.19 花酒 と ラフテー

しばらく前に、友人にお土産で貰った日本最南端、与那国島の泡盛を開けてみようと思った。花酒(はなざけ)と言われる蒸留酒で、日本では与那国島でしか作ることを許されていない、アルコール度数60度のお酒だ。琉球王国時代には、この酒が琉球王朝へ献上品として納められていたという。また、この島には古くからこの酒を冠婚葬祭に使用する文化が有り、そのひとつの代表的な儀式として『洗骨葬』という風習が有るらしい。この風習は、日本では鹿児島県と沖縄県の一部に限られたそうだが、世界では、中国、東南アジア、オセアニア、インド洋諸国、アフリカ、北米先住民と広く分布していると言われている。与那国島で行われていた『洗骨葬』は、亡くなった方を一度埋葬し、7年後にお骨を取り出して花酒で清める。こうして汚れ(けがれ)を取る事で、子孫に幸福と豊穣をもたらす祖霊に昇華する、と考えられているのだそうだ。

そんな歴史を持つこの貴重なお酒をいただくには、どんな料理が良いのだろう、と考えた。強い酒にはやはり水分の多い野菜や、淡い味では負けてしまうので、コクのある沖縄料理のラフテーを作ってみた。皮付きの豚の三枚肉はそうそう手に入らないので、断念して普通の豚バラブロック肉を使ったが、いつもは日本酒か焼酎を使って、結果『角煮』になってしまう所を、今回は花酒に敬意を表して普通の度数の泡盛を使って本格風ラフテーにした。

 花酒は海に囲まれた南の島を思い描き、ルネ ラリックの魚が群れて泳いでいる模様のショットグラスに注いだ。小さくひと口、口に含むと、舌に刺さる強い刺激とアルコールが鼻に抜けるツンとした衝撃。やはり普通の泡盛とはパンチが違う。度数の強いお酒は、50度程度の中国の白酒を飲んだ経験が有ったので、そうそうこんな感じ。と思い出した。こんなお酒には、とろける脂としっかりした味のラフテーが良いバランスで、食とお酒の、長い歴史の中で完成されたバツグンの相性に感心する。

 ラフテーは南西諸島を思い浮かべて、安南(現在のベトナム)焼の器に盛った。安南焼は、古いものは桃山時代から江戸初期にかけて日本に輸入され、茶人に好まれたそうだ。染付の模様は釉薬に流れて不鮮明なところも特徴だ。この器はその安南を、日本の廣永(ひろなが)窯が写したもの。時代と作者は不明。厚手の素地におおらかな絵付けと、青みを帯びた釉薬の調和が気に入っていて、使いやすい。

器 安南写 染付小鉢(廣永窯)

グラス ルネ ラリック魚紋脚付きショットグラス