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No.219 鶴ト亀 お干菓子

 先頃、ご縁のある京焼、真葛窯の代替わりがあり、第6代 宮川 香齋 が長男の真一氏に代を譲り、第七代 宮川 香齋 が誕生した。

 稼業を血縁で継承して続いている世界は、考えてみると意外に多い。芸能ではお能や狂言、歌舞伎、そしてお茶やお花などの文化やそれにまつわるお道具を作る職業。茶の湯では千家十職と言われる、お抹茶のお道具を十に分けて役割分担して代々作り続ける家も有る。そんな代々続く家に生まれて、後継として育ったらどんな風だろう、と考えてみる。決められている事に対する反発、抵抗。でも同時にそれまでのとてつもない長い歴史を築いて来た先祖への尊敬と、そこに生まれた自分という特別感。そして重過ぎる責任。育つ過程のどこでそれを負う決断をするのだろう。

 初めての真葛窯とのご縁は、主人と御自宅へ伺った時だ。今から30年以上前の話で、若造が図々しくも箱書きをお願いしに行った。今となっては先代となる 6代の香齋氏にお目にかかり、真葛窯の古いお茶碗を見て頂いた。主人の無鉄砲さに門前払いされるかと思ったけれど、そんな若造にもきちんと応対して下さるあたりがお家柄かと感心して、ほっとした。お目には掛からなかったが、先先代、5代 とその奥様もいらした頃の事。

その後も6代香齋氏と真葛の娘である奥様の広いお心で、何度か伺って色々教えて頂いた。真一氏が学業を終え、稼業に携わる様になって暫くして、真一氏の真葛窯の未来を見据えた新しい挑戦に対する試行錯誤も見聞きし、時代に対応して存続して行くことの大変さも知った。ここ40年程の間に、それまで無かったインターネットが日常に欠かせない、個人が自由に使える世の中になって、変化の速さに乗り遅れそうだ。対応するのに四苦八苦すると同時に、そんな時代に居合わせた面白さも感じる。日本の古くからの文化を背負う、真一氏を始めとするこれからの継承者には頑張って欲しいと思う。

 第7代 真一氏の小皿に、おめでたい紅白の鶴亀のお干菓子を盛った。真一氏が取り組んでいる、釉下彩という技法(素焼きの状態)で果実を描き、その上に真葛焼伝統のワラ灰釉を施したもの。温かみのある乳白色に呉須と緑の色が鮮やかで、縁の細かい輪花が軽やかさを感じる。

京都の老舗和菓子店のお干菓子は、口に入れた途端に蕩けて、癖のない上品な甘味が広がる。美味しいお茶をいただいた。

器 ワラ灰釉 果実皿  径11,5cm 高3cm

作 真葛窯 第7代 宮川 香齋

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No.218 辛子明太子

 片口の注ぎ口は用途と言うよりはむしろデザインなのだろう。側面の縁が反って注げるような形に作られている物もあるけれど、この器のように本体に穴が有って外側に注ぎ口が後から付けられている物もある。

この器の注ぎ口も実用にはそぐわないくらい本体に対して小さすぎるけれど、そのディテールとバランスがとても可愛らしい。器の作者は 第12代 永楽 善五郎(和全 1823〜1896)。

この器は猪口と言っても、今の付け醤油のように個人個人で使う酢を入れていた酢猪口。江戸時代から米酢は存在していて、日本酒作りから派生したものと考えられている。日本酒が濁り酒から濾過した清酒に移って行く過程で、その搾りかすである酒粕を使った赤酢は、甘味があって風味も良く、寿司に使われて当時の主流だったらしい。塩、醤油の皿と並んで酢猪口が並ぶ食卓の情景は一般的だったようだ。今日は辛子明太子を盛ったけれど、いつも私は酒を注いで、ぐい呑として使う事が多い。

 この、網手(あみで)と呼ばれる呉須で描かれたシンプルな網柄は、古染付でよく使われている。模様の発祥は中国なのか日本なのか判らないけれど、シンプルが故に普遍的だ。もし、私が絵付けをしたなら、この小さい猪口に合わせたもっと細かい網目を描いたのではないかしら。などと思う。でも、それだとありきたりで魅力の乏しい器になっていただろう。和全が描いた大きめの、この網目だからこそ、この器の良さが引き立っている事に気付かされる。

器 染付 網手 片口酢猪口  径7cm 高4,5cm

作 第12代 永楽 善五郎 (和全)

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No.217 かりんとう

 裏庭の紅梅は今、満開。並んで植っている遅咲の白梅も花が開いて来た。いつもの年は白梅が咲き始める頃には紅梅が終わっているのだけれど、ここの所の冷え込みのせいか、今年は珍しく紅白が揃って咲いていて嬉しくなる。

 この皿は、木地の模様と削った溝が透き漆で透けて見えて美しい。見込みには金と銀の蒔絵で梅が描かれている。作者は 吉田 金年という大正~昭和初期ごろに活躍した蒔絵師で、伊勢屋會という蒔絵師一派の中心にいた人だそうだ。

箱には”紫野 大徳寺 龍光院 の什器”と記されている。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて大徳寺で住職を務めた 江月 宗玩 (こうげつ そうがん)の好み物で、後の時代に吉田 金年が写しものらしい。金年も、江月も、遠州流の茶人でもあった。

 少し話が逸れるが、江月は 小堀 遠州 の5歳年上で、天王寺の豪商の家に生まれ、春屋禅師のもとで頭角を表し、黒田 長政の請に応じて大徳寺に龍光院を創設。茶は遠州に学び、松花堂昭乗とも懇意の間柄で、この両者との茶の湯の交流は深いものがあったらしい。孤篷庵は、遠州34歳の時に 江月が遠州に建てるように勧め、黒田長政の援助により、龍光院の広い敷地の一角に建てられたのだそうだ。

 この薄く削られた皿は、長い年月で少し歪んだり反ったりしているけれど、黒漆などではなく木地を生かした透き漆に金銀の蒔絵が控えめに描かれている。その控えめな美しさが、遠州好み、そして江月のお好みだったのだろうか。出かけた折に買って来た、きな粉のかりんとうと苺のお菓子を盛って楽しんだ。

器 紫野 龍光院の什器 江月好 菓子盆  径20cm 高3cm

作 吉田 金年

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No.216 三色ナムル

 夕方の八百屋の店先で、もやしが安くなっていた。元々高価な物ではないのだけれど、残ってしまうのも可哀想、と2袋盛り合わせたザルを手に取った。根を取るのが面倒くさいけれど、ナムルにすれば無駄にせずに食べ切れる。

 もやしには独特な青臭い匂いがある。そして、この根があるとお互いに絡み付いて、食べた時の食感もイマイチ。麺の具にしたり、炒めたりする時はそのまま使ってしまう事が多いけれど、もやしだけの料理の時は根の部分を一本ずつ取るようにしている。匂いも無くなり、シャキシャキの食感で見た目も美しくなる。以前、もやし好きだと料理番組で話していた料理家の 栗原 はるみ さんが、もやしの根を取って料理すると話していたのを聞いて、試したのが始めだった。

 韓国料理のナムルは、野菜を茹でてたれと絡めるだけ。とても簡単な料理だ。レシピによってたれの作り方は違うけれど、にんにくと胡麻油は外せない。にんにくは強くしたくなければ、生にんにくの切り口を和えるボウルの側面に擦り付ける程度。ガッツリ効かせたければすりおろしを使う。あとは塩と擦り胡麻、好みで少量の砂糖や醤油を加える。塩茹でした野菜の水気を絞って、冷めないうちにたれを絡ませたら完成。今回はほうれん草と人参も作って、3種のナムルにした。和食で言うお浸しの韓国版。にんにくを少なくすれば、和風のメニューにも合う。翌日、このナムルはコチュジャンで味付けた肉そぼろや温泉卵と一緒に熱いご飯に乗せて、ビビンバ丼にしていただいた。

 ナムルを盛ったのは古染付のお皿。中央に”壽”の文字。周りに唐草の模様が素朴なタッチで描かれている。彩良く盛り合わせて、それぞれの野菜の味を楽しんだ。

器 古染付 壽 唐草文皿  径16cm 高3cm

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No.215 生鱈子の煮付

 久しぶりに生鱈子を煮た。たらこは大好き。でも好きなだけ食べて良い年代はとうに過ぎてしまったので、たまに、量をわきまえて、と自制している。やっぱり美味しい。塩漬けのたらこや、辛子明太子も好きだけれど、煮た生鱈子はまた違った食感と風味があって、白米よりはお酒のお供。柚の香を添えて味わった。

 扇の形をした古染付の皿は5枚の組だが、それぞれ書かれている文章が違う。少し地厚な土の作りに、ぽってりと白い釉薬がかかって、扇形のフォルムが柔らかい。呉須で書かれた文章の内容は私には難しくて判らないけれど、料理を盛ると、文字は描かれた背景のように見えて来て、散りばめられた呉須の色が美しい。

器 古染付 扇形向付  径16,5x13cm 高3cm

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No.214 黒豆大福

 裏庭の紅梅が数輪開いた。自然はいつの年も季節ごとに規則正しく巡っている。地球規模の気候変動は、少しは影響しているのかも知れないけれど、そんな事は感じさせずに居てくれる。ちょうど今頃、使いたい菓子器を思い出した。

 長い年月を経たために、見込みの真塗りは黒の中に濃い茶色が透けるように、少し赤味を帯びている。漆の表面は刷毛目が残る程度に磨かれ、温か味が残されている。そこに落ち着いた金で梅の蒔絵が散りばめられ、外側は錆朱色の漆が艶消しで掛けられている。山本 春正 と言う江戸時代から続く名古屋の塗師の作品だ。元は京都だったが、5代 正令 の時に、天明の大火に遭って京都を離れ名古屋に移ったらしい。箱には春正の銘と印が有るが、どの代の作品かは不明。多分幕末から明治頃の作ではないかと思われる。

さて。何を盛ろうかしらと、お菓子屋さんを探していて、黒豆大福を買って来た。大福の粉を纏った白い肌が器に映えて美しい。漆の磨かれた表面が大福の柔らかさを際出てているようだ。熱いお茶を淹れて、咲き始めた梅を眺めて楽しんだ。

器 梅蒔絵 八角菓子皿  径20cm 高6cm

作 山本 春正 (代不明)

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No.213 スペアリブ

 少し時間をかけて煮込んで、豚の甘辛味のスペアリブを作り、出汁で煮た大根と季節の縮みほうれん草を盛り合わせた。近所の八百屋でこの時期売っている徳島の大根は、包丁の歯触りが柔らかく、とても瑞々しいので薄く味付けて大根の旨味を味わいたい。野菜、特に根菜は、まな板の上で切った時の感触でその素材の良し悪しが解ったりする。いつも解る訳ではないけれど、スッと気持ち良く歯が入る時はきっと美味しいと解るので、作るのも食べるのも楽しみになる。

 見た目にもボリュームのあるスペアリブをどれに盛ろうか、と出してみたのは土肌に白い釉薬が特徴の萩のどら鉢。1600年代に始まる萩焼の名跡で、代々受け継がれる三輪 休雪 の 第11代  三輪 壽雪 の次男、三輪 英造 (1946〜1999) の作品。英造は、伯父・三輪 休和の養子となり、12代 休雪 は長男の 龍氣生 (1940〜)が継いだので、休雪を名乗る事はなかった。この鉢は10代、11代 休雪が残した “休雪白” と称される白い釉薬を掛けたもの。

 側面は内側に傾斜して見込みを抱えた形だが、縁の高さもあるので、どら鉢と呼べると思うのだけれど、箱には “皿“ とだけ記されている。因みに13代 休雪が、襲名前に本名の 和彦 の名で作った休雪白の皿は、No.52 (2021/12/24)で登場している。

さらっと掛けた白釉が土肌に透け、そのざらざらした土の質感と滑らかな白が美しいコントラストを作っている。瑞々しい生野菜を余白なく、こんもりと敷き詰め、ローストビーフや唐揚げなどを盛ってもとても映える。魯山人のように陶芸家の個性が際立つのものではないけれど、盛り付けるのが楽しい器のひとつになっている。

器 萩焼 皿  径25cm 高6cm

作 三輪 英造

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No.212 寒菊

 薄っすらと雪が積ったように、白い生姜風味の砂糖がかかっている。これは『寒菊』というおかき。さくっとした食感で、甘塩っぱくて優しい味だ。おかきは2枚ずつ、菓子名の入った紙に包まれている。福岡県豊前(築上町) で、寛政年間(1789年〜1801年)に小倉藩主に献上したという伝統のある銘菓だそうだ。

 ニ段重ねの蓋物は、細かい石が混ざった釉薬を掛けていて、ざらざらした質感が面白い。表面は木版画の版を削った時のような彫刻刀の溝が変化をつけている。器本体はもう一段下に、もっと大きな高さのあるパーツが組んでいたと思われる。が、壊れてしまったのか、昔我が家に来た時には既にこの薄い円形のニ段と蓋だけだった。資料を探せば見つかるかも知れない。器は第12代 楽 吉左衛門 (弘入) と思われる。

この2段の蓋付をどう使ったら良いからしら、と迷ってお菓子を盛ってみた。下の段に寒菊、上の段にはお干菓子を盛った。暖かい部屋でお茶を淹れてこうしてお菓子をいただく、と言うのも冬の楽しみのひとつかもしれない。

器 楽 砂薬蓋物  径12cm 高7,5cm(3,8+3,8+蓋)

作 楽 吉左衛門

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No.211 炊き合わせ

 白磁に、刷毛目を残して朱の釉薬を塗った、それだけなのに凛とした美しさが有る。朱の釉薬の溜まりによって、色の濃さや表面の凹凸の些細な変化が何とも言えず美しい。見込みには呉須で 『壽』 の一文字。紅白に寿、縁起の良いこの鉢は 北大路 魯山人のもの。

 プロにはとても遠く及ばないけれど、なぜか魯山人の器は素人の私でも盛り付けやすい。こんな風に盛ってみて、と器に言われているようだ。魯山人ご本人が料理を盛ることを考えて作っているからだろうが、料理をする人に広く懐を開いてくれているように感じる。

炊き合わせは、里芋に牛蒡、人参、蓮根、椎茸、高野豆腐と菜の花。お正月は甘味が強めな料理が多く飽きるので、出汁を効かせたさっぱり味に仕上げた。器と共に素材の味を楽しめるひと皿になった。

器 金襴の赤 鉢   径21cm 高10cm

作 北大路 魯山人

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No.210 おせち料理

 年末に留守をしたので、出掛ける前に作り置きが出来る料理を準備しておいた。黒豆、きんとん、ごまめ、鴨。新年には、それらと紅白蒲鉾や伊達巻を 橘屋 友七 の闇蒔絵の提三段重に盛り合わせた。

 京都の塗り師、長野 横笛 (ながの おうてき)が起こした漆器店 “橘屋” (1800年初め)は、二代目の時には隆盛を極めたが、三代目が早世したために”橘屋”の屋号を、その門人だった 浅野 友七が受け継いだ。

浅野 友七 の情報は少なく、生没年は定かではないながらも1860年(万延元・安政7年)没という記述が残っているらしい。明治5年と11年の京都博覧会の記録には『浅野 友七 手道具商社 博覧会社』の名があるが、その頃には友七の子や孫が”橘屋”の屋号を継いでいて、初代の友七は幕末に亡くなっていたのだろうと推察されている。

この三段の提重は黒一色。外箱には 橘屋 友七 の名が入っている。黒漆を横に凹凸のある刷毛目に塗り、その上に黒漆で秋草が繊細なタッチで描かれている。黒に黒で闇蒔絵。しかし古い文献を探ると ”黒蒔絵” と表記されており “闇” ではなく “黒蒔絵” を正しい表記としているらしい。しかしながら ”闇蒔絵” という表現はイメージを掻き立てられて、魅力的。つい使いたくなる。

 持ち手の内側など、当たるところには擦れた跡が有り、漆の浮いている所も数箇所ある。使われた回数は判らないけれど、きっと多くの場面で料理を盛って使われて来たのだろうと感じる。今、私がこれに料理を盛って使える事に感謝したい。

器 黒蒔絵 提三段重 

径19x16cm 高21cm (上5cm 中5,3cm 下6cm)

作 橘屋 友七