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No.25 新じゃがと新玉葱の煮物

 大好きな陶芸作家さんはたくさん居るが、この 5代 清風与平もそのひとり。江戸から続く京焼の名門の家柄で、代々得意とする技法を持ち、高い技術力に基づく作品を残している。3代は、陶芸界で初めて帝室技芸員にも選ばれた。その中でこの5代清風は、先代の誰とも違う独特な個性を持ち、作風も独創的。私は惹かれるが、もしかしたらそのせいで彼の作品を好む人は少し限られるのかも知れない。

清風与平とは、私がまだ器を集め始める前、かなり若い頃に家人と2人で訪れた京都のお道具屋さんから香炉を譲り受けたのが最初の出逢いだったと記憶している。当時5代はまだご存命で、そのお道具屋さんはご本人から直接買い取ったものだった。白磁の手捻りに独特な画風で漢詩の情景を描いたものだ。お煎茶道具をよく作られた方で、いわゆる文人と呼ばれる教養の高い方だったのだろう。彼の作品の多くは、全面が画や文字で埋め尽くされ、余白が全く無かったり、少なかったりする。私のプライベートコレクション化している5代 清風のぐい呑みで、色絵はとても小さい物から少し大振りな物まで、地が見えぬほど描き込まれている。それが彼の作風の大きな特色なのだが、呉須だけの絵付けのものでは白磁の余白を生かしていて、でも、そのどちらにも共通した作家の個性が現れている。すごい事だと思う。

今日はこの季節ならでは、新じゃがと新玉葱を使い、鶏ひき肉の餡で絡めて肉じゃが風の味付けにした。この器は我が家の5代 清風与平コレクションの中でも珍しい、5客揃いの向付。呉須赤絵に金を使った植物と動物の絵柄が優しいが、見込みには文字。内容は解らないが漢詩だろうか。漢字が書き込まれているのに硬くならず、まるで模様のように全体がバランス良くまとまっている。この器は見込みに絵の無い空間が広く、料理も映える。

器 呉須赤絵 向付 5客組  径 15cm 高 6cm

作 5代 清風与平 (1921-1990)

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No.24 キャラメルバナナケーキ

スィーツはそれほど好きな方ではないのだが、去年から時々家で作るようになった。店頭から小麦粉が売り切れるようになった、あの時期だ。皆、考えることは同じね、と思いつつTVの料理番組で見た焼菓子で、簡単に作れるレシピがいくつか私のレパートリーに加わった。お菓子作りは難しい。分量を少し間違えただけでも膨らまなかったりして失敗する。そんな中で、このバナナケーキは作り方がかなり簡略化されていて失敗が無いのが気に入っている。元々、番組で紹介されたのはりんごを使ったケーキだった。りんごで何度も作ってとても美味しかったのだが、りんごは多く出回る季節が限られているので、ある時りんごをバナナに置き換えて全く同じレシピで作ってみたら大成功。普段はあまりいただかないスウィーツの中でもバナナケーキは好きだったので、家で作れたのは嬉しい出来事だった。いつもはシンプルに切り分けていただくが、今回は生クリームのホイップを添えた。

 花柄の手描きの絵付けが美しい、マイセンのケーキ皿。古い物ではないと思うが、言わずと知れた旧東ドイツの名窯で、食器だけでなく彫刻のような人物や動物の美術的な磁気製品も多く作っている。東ドイツ時代には国営の窯だったのだが、ドイツ併合後は民営化され経営が難しくなっていると聞き、心配だ。これは、一脚のカップ&ソーサーとケーキ皿の3点セットで持っている。せっかくの手描きの花が隠れてしまうのは残念だが、食べ終わった時に現れる見込みの花もまた楽しみだ。

器 マイセン焼 ケーキ皿 径18cm

 

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No.23 エンドウ豆の葛かけ

 大阪、なにわの伝統野菜に指定されている、碓井エンドウ。関東では滅多に出回らず、この前八百屋の店頭で初めて見つけた。その日のお目当てはグリーンピースだった。見つけた、と思ってよく見ると全体が黄味がかっていて、一瞬、鮮度がイマイチ?と勘違いしたのだが、よく見ると商品名が違う。うすいエンドウ。聞いた事がなかった。尋ねると『グリーンピースみたいなものだけど、もっとホクホクして青臭さが少ない。関西でよく食べるんだよ。美味しいよ』と教えられた。考えていたメニューは、出汁と薄口醤油で翡翠風に煮て、味が絡むように少し葛を掛けようと思っていたので、この豆で初めて作ってみた。確かに青臭味が無く、ホクホクして豆の味が濃い。色が若干黄味がかっている分、思っていたグリーンピースの様な色の鮮やかさには欠けるが、発芽する芽の部分が黒く、可愛らしい豆だ。これはこれ。とても美味しくいただいた。後で調べたらアメリカから伝わった種で、日本では大阪府羽曳野市の碓井地区で根付いたそうで、この名がついた。現在は和歌山県の特産らしい。関西ではこの豆でお豆ご飯をするそうだ。次回出逢うことが有ったら、ご飯でいただいてみたいと思う。

 葛をかけた煮物なので蓋物に、と思いこの小振りの永楽の器に持った。赤絵に金を使って、さらっと描かれた筆使いがとても優しい。蓋物にしては小さめな作りで、小鉢として、本体だけでもよく使う。第14代 永楽善五郎 (得全)の奥様で、永楽妙全(みょうぜん 1852-1927 お悠さん)の作ではないか、と思われる。

器 赤絵蓋付小鉢 径8,5cm 高8,5cm

作 永楽 妙全

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No.22 炊込みご飯

 糖質オフが人気のこのご時世に逆行するようだが、お米が大好きだ。白米はもちろんだが、時々、無性に炊込みご飯が食べたくなる時がある。季節によって具材は様々だが、牛蒡に人参、茸と鶏肉などを入れた炊込みご飯は年間を通してよく作る。その日のおかずによって、ご飯だけでいただくように味付けをしっかり目にしたり、おかずが充実しているときは出汁を強めにして薄味にしたり、気分とメニューで味付けが変わる。

 黒釉で、少し厚手のこのご飯茶碗は、色の付いた炊込みご飯がよく映える。No.16の回の若竹煮で大振りの鉢を使ったが、このご飯茶碗もあの鉢と同じく濱田庄司の作だ。焼きが甘めで生地に水分を含みやすいため、使って洗った後はよく乾かさなくてはならない。だがその分、これは私の主観だが熱いご飯を盛った時に余分な蒸気をお茶碗が吸収してくれて、ご飯がベタつかず美味しいように感じる。思い込みかもしれないけれど。

器 黒釉 ご飯茶碗 5脚組 径13,5cm 高6,5cm

作 濱田 庄司

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No.21 蕪とトマトのサラダ

 いつも行く八百屋に、今週やっと野辺地の蕪が並んだ。まだ少し小さめではあるけれど、綺麗な緑色の葉をつけた白い蕪。3月に石川の蕪(No.12の回で使った)が終わって2ヶ月、これからが旬の、この蕪が出るのを楽しみにしていた。野辺地の蕪に出逢ったのはもうかなり前になる。この八百屋のスタッフで、ずいぶん前に引退された、皆にちゃま様と呼ばれていたマダムに教えてもらったと記憶している。今やブランド野菜として有名な蕪だが、当時の私は見たことのない蕪だった。そして自分の蕪好きに目覚めたのも、この蕪に出逢ってからだ。『火を通さずに生で食べると美味しいのよ。葉と茎は胡麻和えが良いわよ』と、ちゃま様に教えられた。以来、蕪の葉の胡麻和えも定番メニューとなった。

 蕪は、瑞々しくきめの細かい食感を活かしてくし形に切った。この時期に出回る、これも楽しみにしている光輝トマトと共に、オリーブオイルとビネガーでマリネしてサラダにした。写真で見ると白い蕪がカプレーゼのモッツァレラチーズか、と見違える程のきめの細かさだ。

 気温が上がって来た今頃からは、そろそろガラスの器の出番。このリーフ柄のルネ ラリックの皿は、器を集め始めた最初の頃から使っているもの。5枚揃っているラリックの皿は珍しい。デザートやサラダ、ガラスの重ね使いのソーサーとして、ずっと使って来たものだ。改めて調べたら、ORMEAUX (オルモー 仏語で楡)という名前のシリーズで、1931年に作られたものらしい。楡の葉は実際に見た記憶がないが、調べたら確かにこのモチーフのように先が細く、葉脈が規則正しく並んでいる。ラリックの他の作品でも感じる事だが、モチーフはとても写実的だ。放射状に重なる葉が、中央に盛った料理を引き立ててくれる。

器 ルネ ラリック ORMEAUX 皿 径18,5cm

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No.20 伽羅蕗

 家の裏庭の蕗が、大きな葉を茂らせて育っている。以前、No.8の回で蕗のとうの天ぷらを作った、あの蕗だ。なるべく太く育った蕗を選んで収穫し、伽羅蕗を作ってみようとレシピを調べたら、すごく簡単で驚いた。作りたての伽羅蕗は、食感も香りもフレッシュで美味しい。日持ちもするのでしばらく楽しめそうだ。常備菜を食卓に載せるとき、ちょっとした蓋物の器を使うことが多い。基本的に、その食事で食べ切る程度の量を盛って出すのだが、その日のおかずのように全て食べ切ってしまうとは限らないから蓋があると乾燥も防げる。そして何よりこういうアイテムがあると食卓にも変化がつく。

 この蓋物、本体は新渡(しんと)と言われる中国の磁器。古い時代の中国磁器を古染付(こそめつけ 1620〜40年代)と呼ぶので、それより新しい時代のものを、新しく海を渡って来た、という意味で新渡と言うのだそうだ。中国の清朝の頃に作られ、日本には江戸後期に渡ったとされる。古染付に比べると今どきの磁器に近く、古染付の土や釉薬の粗さによるムラや、器の縁の釉薬がはぜて素地が出てしまっている、いわゆる『虫食い』などもない。中国の焼物なので元々の用途は不明だが、日本に渡ってから、いつの時代かに手にした誰かが、本体に合わせて木の蓋を誂えたと思われる。茶道に詳しい家人の推測だが、お抹茶の薄茶器の茶粉を入れる『棗(なつめ)』の替茶器として使ったのではないか、と。棗に入る茶の量はそう多くない。人数の多い席で、棗のサブとして替茶器に『見立て』て茶道具として使ったのなら、これだけ手を掛けた蓋を作ったのも頷ける。普段は何気なく使っていた器も、いざちゃんと向き合うと歴史を感じる。どんな方の手で蓋が作られ、大切にされたのか。時代が過ぎ現代になって、使い方は違っても、今は私が大切にしよう。と改めて思う。

器 新渡 磁器蓋物 本体口径9,5cm 高さ6cm

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No.19 花酒 と ラフテー

しばらく前に、友人にお土産で貰った日本最南端、与那国島の泡盛を開けてみようと思った。花酒(はなざけ)と言われる蒸留酒で、日本では与那国島でしか作ることを許されていない、アルコール度数60度のお酒だ。琉球王国時代には、この酒が琉球王朝へ献上品として納められていたという。また、この島には古くからこの酒を冠婚葬祭に使用する文化が有り、そのひとつの代表的な儀式として『洗骨葬』という風習が有るらしい。この風習は、日本では鹿児島県と沖縄県の一部に限られたそうだが、世界では、中国、東南アジア、オセアニア、インド洋諸国、アフリカ、北米先住民と広く分布していると言われている。与那国島で行われていた『洗骨葬』は、亡くなった方を一度埋葬し、7年後にお骨を取り出して花酒で清める。こうして汚れ(けがれ)を取る事で、子孫に幸福と豊穣をもたらす祖霊に昇華する、と考えられているのだそうだ。

そんな歴史を持つこの貴重なお酒をいただくには、どんな料理が良いのだろう、と考えた。強い酒にはやはり水分の多い野菜や、淡い味では負けてしまうので、コクのある沖縄料理のラフテーを作ってみた。皮付きの豚の三枚肉はそうそう手に入らないので、断念して普通の豚バラブロック肉を使ったが、いつもは日本酒か焼酎を使って、結果『角煮』になってしまう所を、今回は花酒に敬意を表して普通の度数の泡盛を使って本格風ラフテーにした。

 花酒は海に囲まれた南の島を思い描き、ルネ ラリックの魚が群れて泳いでいる模様のショットグラスに注いだ。小さくひと口、口に含むと、舌に刺さる強い刺激とアルコールが鼻に抜けるツンとした衝撃。やはり普通の泡盛とはパンチが違う。度数の強いお酒は、50度程度の中国の白酒を飲んだ経験が有ったので、そうそうこんな感じ。と思い出した。こんなお酒には、とろける脂としっかりした味のラフテーが良いバランスで、食とお酒の、長い歴史の中で完成されたバツグンの相性に感心する。

 ラフテーは南西諸島を思い浮かべて、安南(現在のベトナム)焼の器に盛った。安南焼は、古いものは桃山時代から江戸初期にかけて日本に輸入され、茶人に好まれたそうだ。染付の模様は釉薬に流れて不鮮明なところも特徴だ。この器はその安南を、日本の廣永(ひろなが)窯が写したもの。時代と作者は不明。厚手の素地におおらかな絵付けと、青みを帯びた釉薬の調和が気に入っていて、使いやすい。

器 安南写 染付小鉢(廣永窯)

グラス ルネ ラリック魚紋脚付きショットグラス

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No.18 柏餅

 肉厚で、ゆるやかな曲線の輪郭がユーモラスな柏の葉が、大きな手のひらのように中の餅を包む柏餅。端午の節句の和菓子に使われる柏は、新芽が育つまで古い葉が落ちない『葉守りの神』が宿る良い木とされ、家系が途切れないという縁起を担いだものらしい。この餅は、徳川9代将軍の家重から次の家治の頃、江戸で生まれたとされる。同じく端午の節句に食されるちまきは、中国が起源で歴史が古く、日本には奈良時代から平安の頃伝わったのだそうだ。今は5月5日の節句には柏餅が主流になっているが、元々は柏餅は関東、ちまきは主に関西で食されていたとか。この時期、敷地の広いお宅では、庭に棒を立てて大きな鯉のぼりが掲げれていたものだったが、近頃の住宅事情ではその光景も見かけなくなったのは少し寂しい。

 この漆の皿は仕舞い放しだったのを思い出して、久しぶりに使ってみた。透けて見える木目が美しい。松の生地に透き漆をかけたもので、皿の縁にぐるりと一周、銀をつけている。木のものに金属を組み合わせるのは難しそうだが、縁に銀を盛った事で輪郭が際立ち、漆の柔らかい印象を引き締めている。

器 銀覆輪 ため塗り菓子皿 (径14cm)

作 不明

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No.17 新玉葱のムース

 地元の、昔馴染みのイタリアンレストランの料理教室で何年か前に習ったレシピ。瑞々しくて甘味のある新玉葱の旨味が凝縮されたピュレをゼラチンで固めてムースにした、お洒落なオードブル。実はいつもはここまで手を掛けず、ポタージュとして、温めたり冷やしたりして頂くことが多い。でも、たまには教わったレシピでと思い、器にこの氷コップを思い付いた。

氷コップ。初めてこの名を聞いた時『なるほど。かき氷のためのコップ』とすぐにその用途に結びついたが、なんともレトロな響きの可愛い名称が気に入った。今回のような浅くて口の開いた氷コップにはアイスクリームやかき氷、と用途を限っていたのだが、ムースを盛ってみたら気に入った。淡い緑のガラスはウランガラス。この淡い緑の色を出すために放射性のあるウランを微量混ぜ込んだもので、ボヘミア地方(現在のチェコ西部)で発明されたそうだ。日本でも大正時代から昭和にかけて食器や工芸品が製造されていたそうで、この氷コップもその頃のものと思われる。当時は単純に色を付けるための手法だったとしても、作る過程での健康被害に対する配慮も無い時代だったのだろう。ウランガラス製品は製造されてから今も、人体には影響を及ぼさない程度(体内の必須ミネラルに含まれる程度との事)の放射線量を発し続けていると言われる。そう聞くと、紫外線を当てた時の美しく光る発光現象も妖しさを帯びて見える。

ソーサーに組み合わせたのは、英国の Royal Albert (ロイヤル アルバート) のカップ&ソーサーの皿。色とサイズで選んだのだが、このアールデコの図柄から見ておそらく1920〜30年代のものと思われる。ウランガラスについて調べて、日本ではウランガラスが大正 (1912~1926) から昭和にかけて製造されたと知った。と、いう事は日本と英国で同時代に造られた可能性がある。古い器や道具を使っていると、思いがけない組み合わせや発見が有って面白い。

器 ウランガラス 氷コップ(日本 径10cm)

皿 Royal Albert (英国 径14,5cm)

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No.16 若竹煮

 旬の幸を自宅で楽しめるとはコロナ禍の今、なんて贅沢な事だろうと思う。今回の筍は、家人の福岡出身の母が毎年送ってくれる福岡県、合馬のもの。この合馬の筍、いつも新鮮で柔らかく、香りの良いものが届くが、今年の筍は例年にも増して柔らかい。料理によって、根に近く繊維の硬い部分と穂先に近いところと使い分けたりするが、今年は硬い部分が全く無く、炒め物や好きな筍のキンピラにまでは回らず、ほとんどを煮物でいただいた。 季節を同じく旬を迎えるわかめとの組み合わせは『春先の出会いもの』と言われるそうだが、季節が一緒と言うだけではない絶妙な組み合わせだと思う。わかめは保存食として年中流通しているが、今の時期の生わかめは歯ざわりも色も良くて好きだ。これに木の芽を添える。出始めた山椒の若芽は、香りでも盛り付けにも彩りを添えるので欠かせない。このメニューを完成させた人はすごいと感心する。

 筍は毎回盛り付けに悩む。香りを生かして大きめに切るので、盛るのが難しい。もっと平たい鉢を使うと格好良いのだが、更にハードルが上がるので、今回は厚手でどっしりした濱田庄司の深めの鉢を使った。明治27年(1894)に生まれ、学校でも2年先輩という河井寛次郎と共に民藝運動に師事し、主に昭和に活躍した陶芸家だ。丸く抜い素地に大らかで素朴な草を描いた、力強い鉢だ。

器 鐡砂丸紋鉢 径21,5cm

作 濱田 庄司