カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.158 烏賊の塩辛

 今年は辰年。十二支の中で、辰年の龍だけが実在しない架空の動物。そもそもこの十二支の動物がなぜ選ばれて順序が決められたのかは不明らしい。子供の頃十二支の覚え方で、丑の背に乗った鼠がずるをして先頭になった、と聞いていたけれど、虎、卯、辰とその後に続く物語は、有るのかもしれないけれど私は覚えていない。

その、想像上の生き物である龍は、古来より中国では権力の象徴で、縁起の良い生き物とされている。建築や絵画、器にも龍は多く描かれているが、その龍の爪は5本有る。

当時、中華思想の下では天下の中心である中華が、属国である朝鮮やベトナムには爪を1本少ない4本、属国とならなかった日本には2本少ない3本の爪の龍しか使わせなかった、という話も有る。深く調べたわけではないのだが、確かにこれまで見た龍の爪は、3本、4本、5本と様々だった。時代は変わり、自由に龍を描ける近代以降は描き手の好みだろうか。この器の龍は爪が4本有る。

4つの側面にそれぞれ色の異なる龍が描かれた、この小振りの蓋物は大好きな古余呂技窯、川瀬 竹春のもの。白磁で手捻りの素朴な造形は、前回の清風 与平と似たものが有る。真っ白い生地に呉須で縁取られて赤、青、黄、緑の4頭の龍。身をくねらせて牙を剥く龍も、この小さな空間では愛らしく見える。お正月のつまみの一品に、烏賊の塩辛を盛った。蓋を上げると柚子の香りが清々しい。

器 龍紋蓋物  径5,5cm x 5,5cm 高5,5cm

作 古余呂技窯 川瀬 竹春

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.157 玄米茶

 今年もあと数日。気持ち良く新年を迎えるための大掃除の手を止めて、少し休憩。玄米茶の香りが芳ばしく立ち上る。

普段はぐい呑としても使っている、このちょっと変わった湯呑みは5代 清風 与平の作品。大好きな陶芸家さんで、もう何度も登場している。白磁に呉須や色絵で、余白も残らないほどにくまなく描き込む。この湯呑は手捻りで、稚拙に見えるほどに形も歪。しっかりした鮮やかな呉須の色を背景に、花が白く表現されている。

玄米茶を注いで、この茶碗を眺めていた。花が描かれているはずなのに、そのひとつが龍の顔に見えて来た。次の年が辰年なのが頭の隅にあったからだろうか。龍と言ってもアニメに出て来そうなお茶目で可愛らしい顔立ち。家族に聞いても『いや。花でしょう』と一掃された。確かに、顔だけで身体は見当たらない。でも、一度そう思ってしまうと何度見ても私には可愛らしい龍の顔に見える。いくら遊び心の有る方だったとは言え、清風さんが花の中に龍を紛れ込ませた、なんて事は無いだろうけれど、私の中で、この湯呑にまた別な愛着が生まれた。

器 染付湯呑  径6cm 高8,5cm

作 第5代 清風 与平

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.156 冬至のオードブルプレート

 今日は冬至。冬至に食する風習の南瓜、煮物にする事が多いけれど、今年は少し趣向を変えてマッシュドパンプキンにしてオードブル風に盛り合わせた。皮を取って柔らかく茹でた南瓜は、熱いうちに軽く潰して、塩、胡椒、バターで味付けし、温かいうちにレーズンを加える。南瓜の優しい甘さとレーズンの甘酸っぱさ、トッピングに軽くローストしたスライスアーモンドを乗せると、更に香りと食感にアクセントが付いて美味しい。

トマト、プルドポーク、明太子とサワークリームの3種のブルスケッタや温野菜と盛り合わせたのは、Rene Lalique(ルネ ラリック)の『COQUILLE(コキーユ)』と呼ばれる貝をモチーフにした皿。調べてみたら作られたのは1924年。時代を反映したアール デコの、ラリックの代表的なデザインのひとつとなっている。オパルセントと呼ばれる青く乳白色に光るガラスで作られた物と透明ガラスの物が有るらしい。この皿は、オパルセントではあるようだけれど、色の出方がとても淡く、光の具合で淡く色が浮かぶ事もあるが、殆ど透明のように見える。

幾何学的に並んだ帆立貝の様な貝殻、殻頂(かくちょう)と呼ばれる二枚貝の繋がった頂点が中央に集まり、その厚みのある4個の突起が皿の脚となっている。この大きさの皿に中央に寄った4点の脚は不安定そうに思えるが、ガラスの厚みが重さになって、とても安定感が有り、貝の立体感も上手く表現されている。厚みを感じさせないガラスの透明感を活かしたデザインに感心する。

器 COQUILLE(コキーユ) 径30cm 高4cm

作 Rene Lalique(ルネ ラリック)

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.155 茹で卵

 ひとり用の、なんとも可愛いエッグスタンド。脚の付いた小さいタンブラーの様な形のエッグスタンドは見た事が有ったけれど、このソルト&ペッパー入れまでセットされたエッグスタンドは見た事がなかった。英国人はこんなお洒落な器で茹で卵を食べるのかしら、と驚いた。小振りのソルト&ペッパーは、底に穴が開いていて、そこからそれぞれ塩、胡椒を入れて、コルク栓で蓋をするように作られている。

このSusie Cooperは、1936年に作られた〝GREY LEAF“というシリーズのもの。調べると、ミート皿の大きい皿も作られていたようだが、我が家に有るのはひとり用の朝食用としてまとめられたワンセット。このエッグスタンドの他に、ティーポット、ミルクピッチャー、カップ&ソーサー、パン用の皿とサラダボウル。元々、これが揃いで作られていたのかは判らないが、ロンドンのアンティークマーケットで見つけた時は、これがワンセットで売られていた。

 柔らかい青空のようなブルーが美しい。淡いグレーの細い線で繊細に描かれた葉は、最初鳥の羽かしら、と思ったほど軽やか。どんなレディー、またはジェントルマンがこれで朝食を摂っていたのだろう、と想像が膨らむ。

器 ソルト&ペッパー付エッグスタンド  幅8cm 奥行8cm 高4,5cm

作 Susie Cooper (England)

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.154 揚げ出し豆腐

 もう、随分前に放送されたTVドラマで、現代の医者が階段から落ちた拍子に江戸時代にタイムスリップしてしまうドラマがあった。原作は漫画で、調べてみたらドラマが放送されたのは2009年、続編となる完結編が2011年の事。タイトルは『JIN-仁』。主人公のタイムスリップしてしまう医師、南方 仁は、抗生物質も無い時代に、その時代でも医師として奮闘する。坂本 龍馬や勝海舟なども登場して、とても面白かった。

江戸時代にタイムスリップしてしまった仁先生は、若い武士に助けられ、その一家の居候となる。その家で仁先生の好物が揚げ出し豆腐。前置きが長くなったけれど、それ以来、私の中で揚げ出し豆腐はそのドラマと結び付き、つい仁先生を思い出してしまう。

そもそも江戸の終わり頃に揚げ物料理が有ったのか、と調べてみたら、あのドラマを観て私と同じように感じた方が居たらしい。その回答は、『江戸中期に出た豆腐料理の本に、揚げ出し豆腐は掲載されていたので、この物語の江戸後期には一般の食卓にも出ていただろう』と。食用油なんて貴重だったのでは、と思ってしまう。カリッと上がった衣に漬け汁が沁みて、中は熱々の豆腐。当時とは違ってメイン料理にはならないけれど、今でも作りたての揚げ出し豆腐は心温まるご馳走だ。

 この器は呉須染付。五つ組の向附けで、所々ホツ(欠け)の直しがある。少し不恰好だけれど、鳳凰と思われる鳥が見込みにもに描かれている。

呉須染付は、呉須赤絵と呼ばれる中国の陶器の中で呉須の青だけを使った、古染付のような見え方のものを指す。漳州窯(しょうしゅうよう)で焼かれていたこの呉須赤絵や呉須染付は、格調高い特別なものではなく、むしろ大量生産の雑器で、形状も多くは皿や平鉢などに限られている。同じ時代に景徳鎮で作られ、日本に運ばれて来た古染付や祥瑞とは性格も格も違う焼き物だった。とは言え、長い年月を経て今に残っている。作られた頃の位置付けは別として、古染付と共に呉須染付も日本で長く大事にされて来たのだ、と嬉しく思う。

器 呉須藍絵端反 五脚組  径12cm 高6cm

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.153 粕汁

 奈良漬の残りの酒粕が、ほんの少し残っていたのでひとり分の粕汁を作った。在る材料で、具沢山のけんちん汁に粕を加えたようなものだ。お出汁で煮た根菜、きのこと揚げに、味付けは薄口醤油と味噌を少し。最後に酒粕を溶かして完成。少し酒の香りが漂う。酒に弱い方ならそれだけで酔ってしまうかもしれない。でもその分、身体は温まる。

この根来(ねごろ)の椀、特に名のある方の作品ではないけれど、温もりと素朴さが有って使いやすい。根来塗は、今の和歌山県岩出市の根来寺に由来する。漆椀の発祥とも言われているそうだ。木地に生漆を掛け、口周りを布で補強し、黒漆を掛けた上に朱漆を薄くかける。使って行くうちに表面の朱漆が薄くなり下の層の黒漆が透けて見えて来る。

 根来塗の発祥は鎌倉時代。高野山での対立により、本拠地を根来寺に移した新義真言宗の僧たちが、寺での食事に使う器として作ったのが始まりらしい。だから、日常の使用のための耐久性が求められ、その使いやすさから寺の外へ広まって行った。しかし、その後の1585年、豊臣 秀吉の紀州根来攻めで、漆の職人達が散り散りになり、根来塗は長く忘れられていた。その後復興され、高度成長期にはプラスチックの下地に根来塗の漆を施した椀を多く作っていたそうだ。現在では、手の掛かる漆塗りの下地をプラスチックに、なんて考える事は無いだろうけれど、価格を安くするために考えられた、生き残るための苦肉の策だったのだろう。

 椀の縁に薄く黒漆が透けて見え、朱一色の椀には無いアクセントと表情が生まる。少しカジュアルな雰囲気が増し、普段使いの気軽さを感じる。久しぶりに使ってみて、改めて好きになった。

器 根来塗 椀  径12cm 高6cm(蓋込8cm)

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.152 甘酒

 少し前に、初めて奈良漬を漬けてみた。奈良漬が出来るのは当分先の話だけれど、その時の酒粕が少し残った。漬物でもしない限り、酒粕はあまり大量には消費しない。残った酒粕で他のメニューを幾つか試してみようと、まず簡単に作れる甘酒を作ってみた。熱々の甘酒に生姜を少し絞って、冷えた体に沁みる甘酒を味わった。

 この祥瑞の力強い湯呑は、前回の2代 川瀬 竹春の赤絵金蘭手の湯呑と対で組んでいたもの。厚い白磁の素地に、しっかりした、濃い色の呉須で描かれた松竹梅に見惚れてしまう。よく描き込まれた絵の力強さと、細かく繊細な幾何学模様が同居した、美しい祥瑞だ。対の、前回の赤絵は薄手で華奢な作り。対照的な二脚を組ませて、贅沢にどちらも楽める。

器 祥瑞 湯碗  径 7,5cm 高 9cm

作 古余呂技窯 2代 川瀬 竹春 (順一)

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.151 お煎茶

 温かいお茶でほっとする季節。時には華やかなお湯呑みで、ゆっくりいただく気持ちのゆとりを持っていたいものだと思う。頂き物の美味しい栗蒸し羊羹と共に濃い目のお煎茶を味わった。

 細かく几帳面な絵付けに、金を施したこのお茶碗は川瀬 竹春(1923-2007 順一)の作。過去にも登場している初代 川瀬 竹春の長男で、1949年(昭和24年)に父と共に大磯へ転居、その後に父と共に古余呂技窯を作った。2代 竹春を襲名するまでは順一の『順』の字を銘としていた。この湯呑茶碗はその『順』と記されていて、祥瑞のお茶碗と一対の箱に入っている。初代 竹春の作風を受け継ぎ、初代ともども私の好きな作家さん。数えてみたら初代、2代併せると過去6回(No.6,13,45,51,58,122)も登場している。

白磁に赤と黄と透明感のある緑。金も薄れずにきれいに残っていて美しい。細かいながらも大らかさが有ってとても風格を感じる。

器 赤絵金蘭手 湯碗  径7,5cm 高9cm

作 古余呂技窯 2代 川瀬 竹春 (順一)

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.150 銀杏の素揚げ

 私達が日常的に飲んでいる緑茶。この銀杏を盛ったお皿のように見えるのは、そのお煎茶の点前で使う茶托として作られた物。作者は第5代 清風 与平(1921-1990)。文人に好まれ、文人趣味と呼ばれたお煎茶の道具や器を多く作った人だ。私が大好きな作家さんのひとりで、以前も何度か登場している。染付けや色絵を得意とし、古染付を多く写している。

 お抹茶は中国、宗の時代の喫茶法が日本に伝わり、禅の精神と結びつき戦国の時代に寺社や武士に好まれた。粉にせず、茶葉を使った煎茶の飲用法は明時代に確立したらしい。15世紀に九州に伝わり、後の17世紀に隠元禅師(1592~1673)が中国の生活様式を日本に紹介するとともに、中国製の急須に釜炒り茶を煎じて飲む喫茶法を伝たとされる。権力と結びつき、高価な茶道具がもてはやされる当時の茶の湯のあり方に異議を唱え、中国の文人達の暮らしに思いを馳せる京都の文人墨客たち。煎茶は彼らに受け入れられて日本に根付いたそうだ。

清風 与平は、自身もお煎茶を好み、茶碗や急須、湯冷ましや香炉、花入などを作った。その多くに中国の物語の一場面が描かれている。煎茶碗を乗せる中央の窪みに塩を入れ、素揚げした銀杏を盛った。季節を感じていただく山の恵みにはちょうど良い。細かく描き込まれた絵の中にストーリーを探しながら、秋の恵みを味わった。

器 染付茶托 六枚組  径10,5cm 高2,5cm

作 第5代 清風 与平

カテゴリー
Uncategorized

うつわ道楽

No.149 春菊のお浸し

 これからが旬の春菊。春に花が咲くので春菊と名付けられたそうだ。関西では菊菜とも呼ばれるらしい。栄養価が豊富で、消化の促進や抵抗力を付ける効果も有る。風邪や感染症の予防にも良いと言うから、コロナやインフルエンザ予防にも良いだろう。

子供の頃はこの香りが苦手だった。最初に美味しいと思ったのは春菊の天麩羅を食べた時。少し香りが和らいで、シャリッとした食感で口の中ですぐに無くなる。香りが強い野菜は油との相性が良いのだそうだ。それからは天麩羅でなくても春菊の香りを楽しめるようになった。鍋や胡麻和え、卵焼きに混ぜ込んでも美味しい。

春菊の鮮やかな緑は、この鉢に良く映える。秋の七草の中の桔梗と女郎花が描かれた、白井 半七の鉢。七草とは言っても七草粥の春の七草とは違って七つの花を指すそうだ。

「ハギ・キキョウ クズ・フジバカマ オミナエシ オバナ・ナデシコ 秋の七草」

五・七・五・七・七のリズムに乗せたこの節は聞いた事がある。七草の由来は万葉集にある山上 憶良が詠んだ二首の和歌だと言う。秋の野原で花を数えたら綺麗な花が七種有った、と詠われたのがこの花たちだそうだ。秋の透き通った空の下、野山に咲く可憐な花が素朴に描かれていて、半七らしい柔らかさがあって、とても好きな鉢だ。

器 秋草花紋 鉢  径14cm 高9cm

作 白井 半七