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No.145 栗ご飯

 10月になり、空が高く秋らしい晴天が訪れた。窓を開けるとどこからか金木犀が香る。この季節には栗ご飯。四季折々の旬の料理は私たちの生活に深く溶け込み、季節の移り変わりを感じさせてくれる。

栗は、剥く作業も大変ながら火の通し加減が難しい。硬めに仕上げれば見た目が綺麗だけれど、食感は柔らかい方がご飯と馴染む。でも柔らかすぎると栗が崩れてしまって見栄えが良くない。適度に柔らかく形良く作るのが難しい。今回は大きくて立派な栗だったので少し硬めに仕上がった。

この真塗りの漆の椀は、箱に八田 円斎(はった えんさい)の名が入っている。陶芸家で、漆をする人ではないはずなのに、と不思議に思った。

八田 円斎は1863年石川県で生まれ1936年(昭和11年)73歳で亡くなった。東京に出て古美術商を商いながら戸越銀座の藤井 長作の窯を受け継ぎ、八田窯を立ち上げた。裏千家13代、円能斎の円の字を賜り、円斎としたそうだ。京焼風の上品な茶道具や器を作る方で、我が家にもいくつかお気に入りの器が在る。

で、この漆の椀。当時は自作でなくても八田 円斎の名で出す事が有ったのだそうだ。事情は詳しく解らない。箱にはこの漆椀が誰の作かの明記は無い。今で言うと、セレクトショップが他社の商品を自社ブランドを付けて販売する、ようなものだろうか。しかしながらこの漆椀、木地や塗りの薄さと共に、時代を経て少し透ける真塗りはとても美しく、当時『西の宗哲、東の喜三郎』と言われた同時代の塗り師、渡辺 喜三郎の作かと思われる。

器 黒小丸椀  径 13cm 高 6cm (8,5cm 蓋込み)

作 八田 円斎

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No.144 栗と鶏の煮物

 例年になく特別に暑かった夏は、まだ暑さを保ったまま。とは言えもうすぐ10月で今日は中秋の名月。生鮮食品の店頭には秋の味覚が並んでいる。とにかく皮を剥くのが大変な栗だけれど、やはり秋には食べたい、と頑張って皮を剥いた。月のように丸くて黄色い栗を、丸くて黄色い南京の鉢に盛った。

 今年の中秋の名月は、昨年、一昨年に続き3年連続で実際の満月と重なるそうで、次は2030年、7年後になるそうだ。宇宙の運びは私には難しくてよく解らないが、その神秘的な星の並びのストーリーには心惹かれる。地球では太古の昔から、どう頑張っても手の届かない月を見上げ続けて来た。その月に人類が一歩を刻んだのが50年ほど前だろうか。今や移住計画まであるほど、謎が解き明かされて来たけれど、見上げる月は昔も今も変わらず、宇宙の物語の壮大さに夢を感じる。

 黄南京とは、中国磁器でこの黄色い釉薬を掛けたものの事を言う。当時、中国を南京と呼んでいた頃の日本人が付けた呼び名だろう。多くは清朝の時代に作られたものが多いそうで、それより以前の時代となると、滅多にお目にかかる事は出来ない。

この鉢は本家(ほんか)の中国、時代は清朝の物と思われる。日本の陶芸家にもこの美しい配色に倣って、作品を上手く作られる方々がいらっしゃる。そのおひとり、古余呂技窯の川瀬 竹春は私の大好きな作家さんで、この黄南京に倣った色使いの素敵な作品を多く残している。以前No.58(2022/2/4)の回では、我が家にある八角皿を使った。

この鉢は大きく緩やかな輪花の曲線を描く。少し肉厚で粗さの透ける土肌に、発色の良い黄色と緑の釉薬が美しい。食卓に載るだけで、気持ちも明るく、暖かくなるような、そんな器で今夜の月を楽しむのも良いだろう。

器 黄南京 輪花鉢  径21cm 高8cm

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No.143 南瓜のケークサレ

 久しぶりにケークサレを焼いた。南瓜(かぼちゃ)を入れたら美味しいかしら。と試してみたら、生地に混ぜ込んだ粉チーズやベーコンの塩味と南瓜の甘さが良いバランスで、秋らしいケークサレになった。カリフラワーとウィンナーのグリルやサラダと盛り合わせてブランチ用のひと皿にした。

 この器はPOOLE。1873年創業のEnglandの陶器メーカーのもので、時代は重ならないかも知れないが、以前No.72  (2022/5/13 )とNo.127 (2023/6/2)の回で登場している小皿と同じメーカーだ。

ベースの色が薄いサーモンピンクをしているこの皿は、盛る料理によって色が馴染み過ぎ、美味しそうに見えなかったりする事があるのだけれど、この位ボリュームたっぷりに料理を盛り合わせると美しく引き立つようだ。器は、使う度ごとに違う表情が現れて楽しませてくれる。

この見込みの絵柄の鹿は、同じ頃 England を代表する人気の陶器のブランドだった Susie Cooper のアイコンとよく似ている。初めて見た時、裏を返すまでは Susie Cooper かと勘違いした記憶がある。この皿の作られた年代や経緯は不明だけれど、我が家では同じサイズの Susie Cooper の皿と棚の中で重なり合い、その時の気分とメニューで使い分け、楽しませてもらっている。

器 鹿柄プレート 径23,5cm 高2cm

作 POOLE (England)

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No.142 ぬれ甘なっと

 70年続くという、小豆を甘く炊いたぬれ甘なっと。その味を守り続ける調理の工程には、企業努力と多くの工夫が有るのだろう。小豆だけでなく、甘納豆は他の種類の豆でも色々有るけれど、私の好みは小粒な小豆の甘納豆。親の世代にもこのぬれ甘納豆のファンは多い。

 日本では世界各国のスイーツが次々と流行り、間も無く別のスイーツに移り変わって行く。スイーツにそれ程の情熱が無い私は、知らぬ間に流行りが移り変わっている。小さな面積の流行りのスイーツ屋さんが、オープンしたかと思うと試す間もなく別なスイーツ屋さんになっていたりする。スイーツ好きな人々のそれを探求するエネルギー、ただ『すごいなぁ』と感心するばかりだ。

この京都、粟田焼の小皿はとても繊細。きめの細かい土、甘めの焼きなので沁みやすい。色のある汁の物はもちろん、小皿だけれど醤油などは入れられない。いつの時代の誰の作、などは判らないが、鉄釉と呉須でさらっと描かれた秋草が美しい。この色使いと細い線で描かれた絵は、粟田焼の特徴。生地を成形して下焼せずに生掛けにしているから、だろうか。所々釉薬が爆ぜていて少し残念だけれど、地肌が露出している所は更に沁みやすいから、水分の無いお菓子などを盛る時に使っている。

器 粟田焼 小皿  径9,5cm 高2,5cm

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No.141 白瓜とわかめの酢の物

 瓜科の野菜は結構多い。胡瓜に冬瓜、南瓜、ゴーヤ、メロンやスイカ。胡瓜に近いように思うズッキーニは、瓜科の中でも南瓜属だそうだ。我が家でも頻繁に食卓に登場する野菜が多いのだけれど、今日の白瓜は今まで自分で料理に使った事はなかった。白瓜の漬物は好きで見つけると時々買うのだけれど、素材としては使った経験が無い。今時期はよく八百屋で見かけるようになったので買ってみた。

レシピを探すとやはり浅漬けなどの漬物が多い。でも、ちょうど生わかめが手元に有ったので一緒に酢の物にした。白瓜は種と綿を取って薄く切ってから、少し塩をして暫く置く。淡い緑の果肉が半透明に透き通って美しい。見た目で想像した通りのシャキシャキした食感。胡瓜よりもきめの細かい果肉で、青臭さも少ないようだ。今や胡瓜は一年を通して手に入るけれど、この白瓜は季節感が味わえる。今後は私のレパートリーに加わる事になりそうだ。

絵がわりの器は白井 半七の汲み出し茶碗。(白井 半七の器は、No.56, No.132でも登場)小鉢として使いやすい形と大きさ、深さだったので小向こうに使った。手前は酢の物、奥の器にはとろろを盛った。初めは5脚か10脚揃っていたのだろうけれど、今の我が家には4脚だけある。半七が得意とする乾山風の絵はもちろん素敵だけれど、見込みの、轆轤目が浮き出た僅かな凹凸に釉薬が溜まって淡いブルーのガラス質が透けた肌は、その絵を更に引き立てる。本体の質感や大きさの上に、軽いタッチで描かれた絵の技量、さすがは白井 半七と改めて魅入る。

器 乾山風 絵がわり 汲み出し茶碗  径9cm 高6cm

作 白井 半七

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No.140 アボカドと蟹のサラダ

 パッションフルーツをいただいた。旅で南国へ行った時に食べた事はあったけれど、日本で自分で買った事はなく、今や日本でも栽培されていて、島とはいえ東京都産まで有ると知って驚いた。硬い殻の中に在る甘酸っぱい果肉はきれいなオレンジ色で、黒い種が混在する。良く知る大抵の果物は、中心に種が有るのが普通だけれど、これは柔らかいゼリーのような果肉に粒の種が混じっている、なんとも不思議な果物。種は硬くなく、カリカリした食感で果肉と一緒に食べられる。そのままで勿論美味しいけれど、甘酸っぱい果肉を使ってドレッシングを作ってみた。

深いワインカラーが美しい、しっかりした殻を切ってみる。果肉はきれいに取り出せて、殻の内側は柑橘類と同じような乳白色。これは素敵な器になると思いついた。アボカドと蟹のほぐし身のサラダを盛り付け、ドレッシングはパッションフルーツを生かしてあまり味を加えず、オリーブオイルと僅かな塩を加えただけ。ちょっとお洒落なオードブル風のサラダになった。

このガラスの皿は日本の切子。少しブラウンがかった、精製の度合いは高くないガラスだけれど、それが柔らかさと温かみを感じる。時代も作者も判らないけれど、ひとつひとつ、職人の手で削られた素朴なカットがこのガラスの皿と調和して、愛おしさを感じる。

器 ガラス切子皿  径12,5cm 高2,5cm

作 不明

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No.139 だだ茶豆

 枝豆の中でも、味が濃くて美味しいただ茶豆。昨年の9月、No.89の回でも登場したのだが、夏が終わりに近づいた今頃からがただ茶豆の旬で、いつもこの豆が出始めるのを楽しみにしている。もう20年程前だろうか、まだ関東の八百屋の店頭で、ただ茶豆は出回っていなかった。山形県の知り合いから頂いたという豆を少し分けて貰ったのが初めてだった。普通の枝豆より鞘は小さく、鞘の毛が強く、全体に茶色っぽい。今にして思えば、それは原種に近い物だったのだろう。

見た目は決して良くなかったけれど、食べてみて驚いた。こんなに美味しい枝豆を食べたことはなかった。最近の山形県のただ茶豆は見た目も綺麗になった。品種改良や、育て方など随分と気を使われたのだろうと思う。枝豆は、どれも大豆になる前の成長過程を収穫したもの。茶豆の名前の由来は、鞘の中の薄皮が茶色っぽいのと、豆によっては鞘の毛も茶色をしているからだそうだ。そして鞘の状態で豆の形が浮き出ていて、凹凸がはっきりしているのも特徴。今年もこの豆の季節が来たと感じる。

 器にした手付きの桶は、たる源のもの。江戸末期に京都で始まった桶屋で、創業の頃は風呂桶や酒樽などを使っていたそうだが、その後は器や酒器、花器などの工芸的要素の強い、繊細な作品を作るようになった。

『桶』とは短冊形の板を円筒形に並べた外側を、竹や金属の箍(たが)で締めた器のこと。プラスティック製の台所やお風呂用品が出来る以前は、生活の必需品だった。安価で扱い易いプラスティック製品が出回る中で、今や木の温もりを求める人達の贅沢品のようになっている。

この手付の桶はいつだったか、ぐい呑と一緒に我が家に来た。とても木目の細かい木材を削り、継ぎ目が判らないほど精密に組み合わせてある。そしてそれを止めている『箍』の繊細さにも目を目張る。綱状の美しい細工はアクセサリーにしても良さそうなほど。冷奴を盛っても映えるだろう。夏の涼を感じさせる器で贅沢なひと時を過ごした。

器 手付き桶  径9,5cm 高4,5cm(手込10cm)

作 たる源

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No.138 万願寺とうがらし

 大きくて厚めの果肉が特徴の万願寺とうがらし。この形と色から、辛そうな印象があるけれど、甘みのある優しい味わいで美味しい。グリルで焼いて、少し焦げ目が付くくらいが香ばしく、削り鰹にお醤油を少し垂らしていただく。煮浸しにしても美味しいけれど、私はこの食べ方が好きだ。

小鹿田焼(おんたやき)は、こんな素朴な料理が似合う。この皿は、30年ほど前に購入した物。近頃は、関東でもよく出回るようになった。それもファッションビルにあるオシャレな和食器や雑貨を扱うお店だったりする。若い年代層の眼にも触れるようになり、意匠やアイテムも増えたが、鉋や指で独特の模様を作り出す丁寧な手仕事は、小鹿田ならでは、の持ち味と思う。

小鹿田焼は、320年近く前に大分県日田市で始まった。宝永2年(1705年)幕府直轄領内の生活雑貨を供給するために作られた窯で、現在でも日田天領の地に10軒の窯元が存在するそうだ。元々、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼の分窯として始まり、小石原焼に用いられる技法の影響を強く受けている。昭和6年には日本の民藝運動の主唱者である柳 宗悦、29年にバーナード・リーチも訪れ、小鹿田焼の魅力を絶賛したと伝えられている。

素朴な普段使いの『民陶(みんとう)』ではありながら、開窯当時からの焼き物の技術や伝統は未だに一子相伝で、かたくなに守り続けられていると聞く。そんな歴史の有る焼き物だけれど、古い物が残っていない。少なくとも私は見たことがなく、普段使いの食器は消耗品だから、なのだろうか。数百年前の小鹿田焼、残っていたら見てみたい。

器 小鹿田焼 飛び鉋 櫛描き 皿  径15cm  高3,5cm

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No.137 焼き餃子

 餃子は好きで、よく焼いて食べる。皮に包んで自分で作ることもあるし、有名店の冷凍や、専門店の生餃子を買ってくることもある。今日は、近隣の専門店の餃子を焼いた。家で作る時、皮から作る事は滅多にないけれど、作りたての皮はもちもちしていて市販の皮を使うのとはやはり違う。この専門店の餃子は自家製の皮が美味しい。それもそのはず。買いに行くと、脇の厨房では小さい綿棒で皮を伸ばしながら餡を包んでいる。その作業を横目で見ながらレジで購入する。

説明書通りに焼く。皮はふっくら、底はカリカリで箸が止まらない。やはり白いご飯が欲しくなる。日本では焼き餃子はご飯のおかずで定着しているけれど、本国の食べ方は違っている。小麦粉の皮は、言わば麺類と同じだから、餃子だけでおかずと炭水化物が完結している、と。確かにその通りと納得する。でも、欲しいものは欲しい。日本の文化では、ラーメンライスや、お好み焼きとご飯などもアリ。何でも白いご飯のおかずになる所がおもしろい。

この皿は真葛窯のもの。しっかりした呉須で描かれた五本爪の龍が立ち上がり、皿いっぱいに身体をくねらせている。皿の見込みは緩く湾曲して少し深さが有るが、縁は少し広めの幅で水平に張り出している。この形状だと中華料理を盛りたくなるから不思議。冷めないうちに、と頬張る。

器 龍染付皿 径22cm 高3,5cm

作 真葛窯 六代 宮川 香齋

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No.136 鯛と帆立の昆布締め

 笹の葉を模した青磁の長皿。色や葉先の切れ込みで、見た目は軽やかだけれど持ってみると厚手でどっしりした安定感が有る。

実家で昔から使っているこの皿は、刺身を盛って食卓に載る事が多く、数種類の刺身を盛り合わせるのに丁度良くて使いやすい。特に今頃の時期にはこの青磁の色と、水滴が似合いそうな笹の葉の意匠が涼しさを感じさせてくれる。

この皿は、二代 宮永 東山(1907-1995)のものと思われる。初代 宮永 東山(1868-1941)は、石川県の藩士の家の生まれで、東京ドイツ全修学校(東京横浜独逸学園1904年9月20日開校 の事だろうか。詳細は不明)卒業後、海外貿易に従事。その後フランス語も学んで東京美術学校校長 岡倉 天心の助手を務め西欧諸国の美術施設の調査にも従事したという。帰国後京都に移り、後に自身で窯を開くに至る。東山の名は、岸田 露伴によって命名され、これを陶号としたらしい。初代 東山は青磁を得意とし、二代もそれを継いで青磁、染付け、色絵などを得意とし『食器の東山』と呼ばれたそうだ。

 盛り合わせたのは、鯛と帆立貝柱の昆布締め。鯛はひと晩、帆立は数時間だけ昆布に挟んだ。水分が適度に抜けるので甘味が引き立ち、昆布の旨味が加わる。冷蔵庫で冷やしておいたお皿に盛り合わせ、冷酒と共にいただくと、少し汗も引いてほっとする。

器 青磁 笹の葉長皿  径27x11cm 高2,5cm

作 宮永窯 二代 宮永 東山