No.223 ほたるいかの酢味噌掛け

この時期は、ほたるいか漁の最盛期。魚屋の店先には連日プリっとした可愛らしい釜揚げが並んでいて、つい手が伸びてしまう。大きさを揃えて下処理をし、綺麗にパックして販売されているほたるいかは価格も高め。少し面倒でも自分で手間を掛ければその分割安に手に入る。
以前、魚屋さんにほたるいかの下処理の方法を教えてもらった。まず、左右の眼を取り、お腹側にある半透明な軟骨を抜く。そして脚に囲まれた中央にあるクチバシの奥側を親指と人差し指で摘むと、硬くて丸い口が押し出されるので取り除く。このクチバシまで取れば ”完璧” だそうだ。もっと大きい、やり烏賊などを捌いた経験から烏賊の構造は解っているけれど、ほたるいかはとにかく小さい。自分の指位の大きさしかないから、力を入れると潰れてしまう。小さすぎて軟骨を探し当てるコツを掴むのに苦労した。でも ”完璧” に下処理をするとその分美味しくいただける。
ほたるいかは菜の花と盛り合わせて酢味噌でいただいた。酸味を強くしたくないので、白味噌を出汁で伸ばしてから砂糖と酢で味を整えた。まろやかな白味噌と酸味が加わってほたるいかの濃い旨みが引き立つ。使った器は粟田焼、江戸時代後期の 岩倉山 吉兵衛作 の手塩皿。見込みには細い筆使いで風に揺れる撫子の花が描かれている。華奢で上品な器が多く、濃い色が染み込みやすいのが難点だけれど、気持ちの安らぐ焼き物だ。小さなほたるいかが象牙色の薄くて華奢な器に映える。
粟田焼は初期の京焼のひとつ。箱には『御茶碗師 岩倉山造』の銘と共に『御菩薩 手塩皿』(みぞろ てしおざら)と有る。岩倉山 吉兵衛 は、初め洛北の岩倉で陶器を作っていたが宝暦以前に粟田に移り、元の窯の地名から岩倉山を名乗った、と言われている。岩倉山は江戸初期に洛北に有った御菩薩焼の流れを汲むのかもしれない。可憐な色絵の作風も御菩薩焼の特徴らしい。岩倉山の銘があるので、この器が粟田焼の 岩倉山 吉兵衛 の作であることは間違い無いが、御菩薩焼の作風を伝えるもの、という意味で『御菩薩』と書き加えられたのだろうか。想像が膨らむ。
岩倉山は、1755年に将軍家の名を受け、日常の器を納入、以降も将軍家や有力社寺の御用を勤めたそうだ。文政から天保(1815〜1844)にかけての吉兵衛は仁清風の作風の名手だったと伝えられている。初代から数えて何代続いたかは不明だが、岩倉山は明治7年頃に廃業したそうだ。

器 御菩薩 手塩皿 径9cm 高2,8cm
作 粟田焼 岩倉山 吉兵衛 (代は不明)